玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

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イデオンの女と男 カララとハルル

イデオン世界で女であるということ
 男勝りであって男ではないカーシャ、母にはなれないシェリル。

 女だからって何故コンプレックスをもたなければならないのか・・・・・・

http://d.hatena.ne.jp/kanabow/20070819/p1

私は(どうしても)主人公ではない。私では「僕」足りえない。私は「君」でしかない。

虚構作品によくいるタイプの、わりとありふれたキャラクタのひとりだ。ひとりいるじゃん、発売後に妙に人気出るけど特に個別シナリオはない、とか、あっても変化球とか、特に本編のストーリーとは関係ない、とか、メインキャラではないけど一部に人気のあるキャラクタが。

http://d.hatena.ne.jp/kotohogi_k/20071226/p1

まわりくどい自己愛なのではないか。私は青年に化けた青年の私を愛するのではなく、「あくまで青年の相手として存在する」少女に自分を見い出している。少女は「君」だし、私は「君」だからだ。

「君」なくして「僕」はいないし、逆もしかりなんだけど。

私は「僕」になって 「君」である私を愛したいのかも知れない。ずっとそれが無意識に続けてる自己愛なのかも。
http://d.hatena.ne.jp/kotohogi_k/20080107/p2

イデオンの女性たちを見て、最近愛読しているブログでの言葉を思い出した。
女性にはそう言う気持ちがあるのね。
なるほどね。
女性が男性化したいのではないか?ということをイデオンで感じたとしても、それは男性スタッフと男性視聴者の幻想に過ぎないのではないか?的な事を考えていたので、女性(ですよね?)ブロガーの日記に言質が取られると、1/30億だとしても正しい。
こういう風に他人の意見を知る事は面白い事だ。
んで、そんな気持ちでブロク書評批評論について米光氏のブログにコメントしたところ、

僕も米光さんの書いたことと同じ事を書こうと思ったけど、長くて面倒くさかったので、書きませんでした。
書いてくださってありがとうございました。

グダちん 2008/01/07 3:23 PM


グダちんさん
違う人が書くと違う内容になるので、ぜひ書いてください。いろんな方向から語られるとおもしろいと思うので。
http://blog.lv99.com/?eid=749506#comments

と、言われたのですが、正直なところ、僕はブログに熱中するあまりニートになりそうなので、流石に徹夜で課題を仕上げる時の気分転換以上にはしたくない。
だから、積極的に書くことを制限したいのだが、なかなかバカなので書いてしまう。いや、書かないぞ!


と、いうわけで、別に上記で引用させてもらった人たちの考えと言うのは、僕が世界認識を彩色するための色づいたモザイクのドットと言う参考資料に過ぎないし、それ以上問題視する事も何かを求める事もない。
他人の人生は他人が勝手にやりゃあいいんだ。
僕の問題は、そのような他人の現実をイデオンという虚構を認識内においてはっきりしたものにするための足がかりだかフィルターだかに利用していこうと言う事です。


つまるところ、他人のやってることってぇのは正しいも正しくも無く、雑多な種類でしかないのよね。
そんで、そーいう雑多で、総体としては規範も目的も正しさも一貫性も無い人類どもの中で、自分はどのようにそれらを使いこなし、あるいは無視するか。好きか嫌いか、というのは僕の気持ち。
結局僕は自分にしか興味が無いのよね。
だからまー、他人はのびのびとやっててくれたほうが不確定性原理の観測者問題としても楽です。
と、そんな事を
http://zmock022.blog19.fc2.com/blog-entry-1097.html
最近の囚人サンのブログを読んで考えたりした。
まー、囚人サンの事は好きです。いい人そうですから。迷いを持てる人は好きです。
たまには「囚人大人げね-なーゲラゲラゲラ。999とかしらなくてもいいじゃんよー」と思うこともあります。
ただ、、「そこは突っ込まないように(笑)」というのはつっこんではいけないと言いつつも、確実につっこんでいると言う冗談だと思うので、僕は面白いなあ。
ちなみに、ガッチャマンは単に忙しかっただけです。囚人さんだって世界名作劇場の新作を見てなかったじゃないですか!(笑)
いや、見たいものを見たい時に見るのが一番健康にいいデス。



と、いうわけで、閑話休題。本題です。
風呂に入りながらイデオンについて思いついたこと。
男性化したい女性論とは一寸違うけど、
結局、カララはイデの「力」よりも、イデの力を持った「勇者」を探していたと言う事なんだろうね。
そんで、バッフ・クランの女王としてその勇者のものになりたい。勇者に愛されたい。
だから、ロゴ・ダウで出会ったベスという超イケメンになびいて故郷も捨てるし、他の男を見下したりする。
むしろ、力を持った勇者の「宝物」の位置になりたいと言うお姫様幻想を持ったお嬢様なんだな。そーいう少女趣味を持ちつづけられた身分に生まれてしまったということか。
どうせ侍の嫁になるのなら、それは最高のサムライに愛されたい。
武家の女としてはそれは正しいのかもしれんが、彼女は自分の地球の男に飽きた所だった。
カララの性欲と男性に目的視される事で自分の価値を認識したいと言う欲求は果てしない。
男に頼らないで戦って目的を果たしたいカーシャとは逆なのだ。
それで、カララは特にやる仕事も無いのに権力を使ってイデ捜索隊に加わったのだろう。
そんで、真っ先にロゴ・ダウに下りたのはイデを探すためではなく、異聖人のイケメンを探しに言ったって言う事だよな。
なるほど、キチガイ女かと思ったが、見進めていくうちに行動原理は一貫しているのだなと、気付く。
それにしても、ベスがマジでイケメンでよかったなあ。クロノクルじゃなくて良かったなあ。
いや、クロノクルもいい男だったとは思うが!普通の意味でのいい男に過ぎなかったか?
ベスは強すぎる。白兵戦最強で機械にも造詣が深く、指揮能力もあり、おまけに気配りのできるイケメンだ。
と、すると主人公(勇者)はベスか?孕ませるし。


ほんで、今回のナレーションによるとハルル・アジバは誰よりもイデの「力」を欲している、らしい。
ここら辺の考えの差が、嫡子として教育された長女と、嫁に行く姫として育てられた次女の違いにも見えて興味深い。
うーん。
性格描写にもイチイチちゃんとした三つ子の魂的背景があってイデオンはすばらしすぎますね!!
トラウマとかじゃなくても、ちょっとした生まれた順番とかで人はこうも変わる!人間面白!
ダンバイン武家の話だったのだが、ニーもキーンもリムルも一人っ子なので、嫡男と政略結婚用の兄弟というのが、キャラクターの人数制限で描写し切れてなかったのが消化不良でしたが。
アジバ家は見事に武家だなあ。うむ。
小説のリーンの翼では、敵の王様の息子達が将軍で云々と言うザビ家的なのが出てきたけど、あんまり憶えてない。(笑)
アマルガンの国の息子って?


しかし、私のようなポッと出のオタクにもなりきらない若輩物が、イデオンについて分析にもならない印象論を書き連ねていくのはリアルタイムの人から見ると超既出なのでしょうなあ(笑)
ロマンアルバムも高くて買えないし。
まあ、これはボクのチラシの裏ですから。
それに、ガクトが井上大輔の曲を新曲したように、芸術は語り継がれていくものですので!
好きなことを書いて何が悪いんですか!
好きなことしか書きませんよ!時間も無いんだから!
僕は富野監督と夢の中で温泉旅行に行くくらい富野監督が好きなんですからね!
監督は背中全体に「愛」と入れ墨をしていたよ。超カッコよかった。
私は「ボク」になって「カントク」である私の愛を求めたいのかもしれん。
アッー!