玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

台湾の大富野教信者から見た「コードギアスと富野と『Wrong About Japan』」

kaito2198氏のエントリが面白かったので、トラバ オーバー ザ シー。
僕のブログは、女性向コードギアス感想サイトからもリンクをしていただいているっぽいので、ご紹介しマース。
(あ、今度相互リンクした方がいいのかな・・・?でも女性にいきなりっていうのは不躾ですかね?)



TOMINOSUKI / 富野愛好病 富野と『Wrong About Japan』と普遍性について
前半は、『Wrong About Japan』の富野インタビューについて。



元ネタは、こちら
超(いいかげん)訳 | ひびのたわごと

普遍なあ。

。「でも一度キャラクターが話し始めると・・・『日本語』を話し始めると、確実にその話し方自体が何か社会的な意味を伝えるはずではないですか?もしそうなら我々ガイジンにはそれを聞き取ることができません。キャラクターの声はその出身地や教育水準を示唆してはいないのですか?」

そりゃ、セイラさんはお嬢様っぽい話し方だし、シャアは気取っているし、アムロは生意気だし、カイはひねくれた喋り方をするけど。
未来の話なんだし。
ガンダム語を喋ってる人たちの日本語吹き替え版だと思って見ている。
小説版を読むと、一応英語が共通語のようだが、宇宙世紀の英語が現在の基底現実の英語と同じとは限るまいて。


ガンダムの見た目はサムライだと思う。デザインソースが、褌姿の三船敏郎。すごくかっこいい。
だが、ガンダムと言う作品が侍をテーマにしているかと言うと?
人間を書いてるんだと思うよ。
トミノの言い草は、「古来15歳の出陣は珍しくなかった」っていうのは、日本だけでもないし、現代の地球の話でもなく、万古に続く人間の要素から拾ってきて普遍性だと思う。
やっぱり、アメリカ人から見て、日本人は田舎者だから、田舎の偏ったものしか作れまいと思っているのかしらん?
現代地球社会だけが社会ではない。時が未来に進むと誰が決めたんだ!
だからさー、民主化政策というのも、僕はどうかと思うなー。
日本の一向宗織田信長の戦いに宇宙人が介入するようなものでしょ?
地雷ではなく、花を下さい。
中国にはもう、あきれ返るほどの援助をしないといけないよな。ゴミがスゲエ。
っていうか、せっかく日本の無知だった馬鹿どもが数十年前に率先して環境を汚染してきたのに、なんで同じ事をするのかが不思議。
同じように汚したら同じように発展すると思ってるのかも試練が、汚すって言うステップは別に省いてもオッケーですから。
ケミカルアブストラクトを読もう!
あー、それも戦争に介入するのと一緒かなあ?でも、ほら、ゴミは臭いし。
あー、死体も臭いかー!それはこまった。
閑話休題


で、そーいう風に大国やら、島国やらを観察しているっぽいポジションにいるのが、台湾の人たちなのですね。

「文化は発生地ではなく同心円状に発展した周辺にこそ残る。地方が中央を意識するからこそドーナツ化で残る」
by富野由悠季in台湾 2008

それで、富野のことも分かるし、富野を理解できないと言う人のことも分かる、と。
それはカッコいいな。


ま、台湾人だからって言うよりは、kaito2198氏がそのように生きてきたからだって言う風に了解したいのが個人主義的な僕の偏った意見ではある。
ま、個人が土地に影響されるって言うのは、もちろんそのとおりですよ。
土のミネラルの成分によって味が変わるのは当然です。体の物理的な成分も。
ただ、僕の祖父は孤児で、陸軍中野学校で使い捨てのスパイとして教育され、戦後は戦争犯罪人と言う事を隠して名前も戸籍も変えて、公安組織の中で生きて、死ぬ前に国家に表彰されたけど、僕にとっては母との折り合いが悪いからうっとおしい爺さんだった。でも、嫌いなだけではなかった。
小学6年の時に死んだ。
そう言う訳で僕は国も個人も自分の感情もあやふやなものだと思っているんです。
そこら辺の無常観意識は、台湾とは違いますかね?
まあ、僕は厭世家すぎますけど。


閑話休題


しかし、僕は京都に移民してきた田舎者でもありますので、「周辺の地方だけが偉いとは思うなよ」という京都人の雰囲気も感じています。
京都人は新しいものを取り入れて貪欲です。
それで、鵺のような駅を作ったりします。ゴジラガメラも来るし。
茂山一門も頑張ってる。暇がなくて見逃してばかりですが。


というか、大雑把に言ってしまえば、中国を初めとした四大文明はいったん砂漠化で滅んだわけですけど。主に人口の増加と乱伐。
で、周辺国に文明がバックアップされていたんで、20世紀になってからインドがコンピュータで盛り返したり、
パピルスだか蔡倫だかグーテンベルクだかがつながって、コミックがアニメになって美少女フィギュアが中国で作られたりと言う事もあるわけですよ。
と、すると、文化は周辺に残って、そのまま、と言うことではなく、波紋のように共鳴し、回帰する現象が起こる、と言うのが4次元時空間的解釈だろうか?
とか、今思いついた。
というわけで、僕も脳内の波動を高めるぞー!脳内!脳内!



で、本題。
枕が長いのが僕の癖です。
だってー。思いついてしまった思考を忘れたら、思考がかわいそうだろう?(脳内汎神論)


コードギアス 反逆のルルーシュについてです。

ここ1、2年その作品の盛況っぷりを見て、なんとなく違和感を持ってるんですが、
最近T口監督が雑誌やメディアの発言を見て、ようやく分かったんです。
「ああ、この人は文化が人に与える影響などをまったく意識せずに、
何もかも自分の才能だと思ってるんだ。」
もちろん、荒唐無稽(by手塚先生)の話をドラマまで作り上げるのは、
間違いなく優れる才能だと思うのですが、
自分はどうしてこういう立ち位置にいるのかまったく意識しないで、
オレ一人、自分自身独特な個性によってモノを作れると思うのは、
やはりなんかちょっと違うと思います。


これもオレが自分の立ち位置を考える中、ついでに思いついたものですが、
台湾という環境にいる人、ああいう描写はあまりにもほろ苦いんだ。
あまりにもほろ苦過ぎて、少し矜持がある人ならば作らないし、作れないと思う。
だって、虚構の中で現実を勝つにしようなんてあまりにも空しすぎてほろ苦いじゃないか。
ああいう政治的な統治の状況を見ると、いくら作品は虚構で楽しくて見れるが、
意識深層の中で自然に喚起する現実の環境との連想は、結局どうしでも避けられない。
これはこの土地、この環境で育たれた自分というモノで、否定しようには否定しきれない。
ですから、いくら大上段に構える描写にしても、自分の才能と錯覚するのは、
やはりおこましいだと思います。


結局、
普遍性を放棄して、色々仕掛けを仕掛けた時点から、押井守が言う通りになるのは自明の理:

「仕掛けて成功した作品もありますが、おそらくは仕掛けて成功した時点で終わってしまう。 詳しい方もいらっしゃるかもしれませんが、例えば某スタジオで『コードギアス 反逆のルルーシュ』 を制作して、久々の大ヒットだと言われています。 でも、ぼくはそれでも3年以内に消滅するだろうと思います。仕掛けて成功した作品は、 仕掛けが有効なかぎりは成功するのですが、仕掛けの時期は10年、20年と続くわけではないからです」

押井監督はガンダムについて、認めてないところも色々ありますが、
それでも彼は『ガンダム』の普遍性を完全に認めたんです。
普遍性という要素を捨てる同時、
仕掛けて成功したことよりも大切なことも一緒に捨てられたと気づいてほしいですね

kaito2198氏は、普段は穏やかな方で、勢いだけで政治的な発言はなさらない上品な人だと思っていたのですが。
今回は、海外の方の正直な感想、と言う感じで、非常に興味深く読ませていただきました。というか、胸に染みるというか、僕の感情もなんだか揺さぶられる文章でした。
なるほど、台湾の方には、そのような切なさがあるのですね。
まあ、日本も食料輸入を大国に握られているので、あまり偉そうにはなれません。
そういえば、僕もキングゲイナーを見た時に、冷凍した食品を偽装すると言うところを見て、ぞっとしたりもしました。あ、キンゲ大河内一楼氏の脚本でした。
アニメと言う劇にしても、その土地の人の感性が変われば、感情が揺さぶられる、と言う事でしょうか?
それで、コードギアスの場合は、普遍性を捨てて、同時代性の問題によって、「物語の力」ではなく、「現実との連想」によって、視聴者を揺さぶって、それを「感動」と誤認させている構造。
と言う事でしょうか?
僕が読み違えをしていたら申し訳ありません。


しかし、虚構の中で現実に勝ちたい!と言う願望については人間らしいとは思いますけどね。僕は。
父なる神と格闘しつづけて、現実に敗れたヘンリー・ダーガーが脳内の物語でも神と戦いつづけた、という映画を見たばかりなので。
現実っていうか、「規則を押し付けてくる強者」に勝ちたいって言う感じですね。
規則って言うのは、運命とか偶然とか、経済とか戦争もあります。
関係なく決められた嫌なこと。です。
で、ルルーシュ君は規則を勝手に決める力を手に入れたんですけど、知っている人を贔屓して、知らない人を殺してばかりなので、規則の使い手としては未熟すぎますね。
あと、C.C.も、萌えシーンばっかりで肝心な事を言わないので、うぜえ。


というわけで、コードギアスはやっぱり仕掛け絵本って言う事で、遊園地のアトラクション的に見たら面白いと思いますね。
ガン×ソードも、カギ爪の男に感情移入して見ていたら、イケメンや美少女に悪人扱いされてカワイそうでした。(ToT)


谷口悟朗監督は自分の個性でものを作っていると思っているんでしょうかねえ?
インタビューとかでは、自信家のように話してらっしゃいますけど。
インタビューで堂々と自信のない事を言えるのは富野監督くらいですよ。富野監督だって新訳Zの刻はリップサービスしたし。
広告塔でも在るんじゃないですかネー?
だから、僕は人の言っている事は信じません。だから、よく騙されます。


んで、コードギアス 反逆のルルーシュR2の自分で見た印象を考えてみた所、やっぱり、トリック仕掛けアニメなのではないかな?と思います。
もちろん、そういう面白さは在って良いと思います。
ヘンリー・ダーガーだって、コラージュの集積で自分の世界を作ったのですから。モノマネから入るのは悪い事ではないです。
慣れたものだと思わせて、客が寄ってきた所に独自性をアピールして買わせる、って言う手段は悪くはないです。


ただ、僕は妹大好き人間なので、妹を適当に扱ったらむかつくわけです!!!!!!!!!
id:mattuneさんも、

想いに反して最愛の妹に嘘付かなきゃいけない、ってシチュがいいんじゃないか!

って仰っていました。
僕は初見のときは、ルルーシュが上手く切り抜けたし、愛してるって言ったから良いと思いました。
でも、mattuneさんのおかげで、ルルーシュは上手く切り抜けることを優先して、ドラマとしてのルルーシュがもっと体験できたはずの感情の葛藤、(コンフリクト)を捨てていると言う事にも気付きました。
葛藤が薄いと、カタルシスも薄い。


と、同時に、これを思い出しました。

清水義範の作文教室 (ハヤカワ文庫JA) - はてなキーワード
清水義範の作文教室 (ハヤカワ文庫JA)
清水義範の作文教室は、作家の清水義範氏がご自身の弟さんが経営する学習塾で小学生の作文を添削した時の記録です。
その一節の、清水氏が足立少年の書いた物語を評した部分を思い出しました。

 山ねずみの冒険が、妙なパターンにおちいっていくのである。たとえば地底の国へ行ってみると、向こうから岩が転がってくるのを壁の隙間に入ってかわす。すると剣が降ってくるので、鉄の傘でかわす。次は、落とし穴があるので、ロープにぶら下がってとび越える。
 これはテレビゲームだ、と私は見抜いた。スーパーマリオなどの面白さをなぞっているのだ。だが、そういう面白さは、いくら危機が連続しても、小説的面白さにはならない。むずかしいところなのだ。

本書が出版されたのは1995年であります。その当時に小学校高学年10〜12歳だった世代は、大体20代前半と言った所になっているのでしょうか?
大体、ギアスを見ているような人と重なりませんか?
状況を上手く切り抜けることを重要視して、人の感情とか、面白味みたいなものを逃しているとしたら、多少は損かもしれません。
まー、コードギアスのサブタイトルもTURNになったことですし、シーソーゲームみたいな展開には自覚的ではあると思います。
その上で、視聴者が求めて興奮できるものが、危機的状況の連続の中での、的確な生存というファンタジーで、それが売れればいいじゃないか。と言う考え方も、まあ、犯罪ではありません。
機動戦士ガンダムSEEDとかも、主人公が悩むよりは、悩むのをやめて無敵の力を手にいれて、人を殺さないと言う方便で圧倒的に戦争状況を最適化するところが視聴者にとって気持ちよかったわけです。一応悲しそうな顔をしていれば、いい人そうに見えますからね。


でも、確かに、状況に対して生存する手段は「皇子!」「天才!」「超能力!」「ロボット!」「改造人間!」などのファンタジーしかないんだ!
っていう風に見てしまうと、絶望です。
まあ、実際アニメオタクなんて絶望してくれた方がせっかく減った人口ですけど。
絶望的な現実の観衆が、美しい騎士たちのドラマに憧れると言う構図は割と昔からあったので、別にそれはそれで良いと思います。
あー、そーいうのは教養小説とかビルドゥングス・ロマンというものとは逆になるのかなー?
うーん?


富野アニメはどうか?
ニュータイプなどは憧れか?断絶した天才か?
僕は宇宙時代になってしまって、望まなくても進化してしまった人類が、それでも、しかたなしに、その能力を活用して、上手く付き合って生きていかなくっちゃいけないって言うところに、生物の進化や技術革新の普遍性を見たりもします。
まー、ニュータイプは変な概念で、カミーユとロランはどっちが究極のニュータイプか?と言うと、結構悩みます。
能力としてのニュータイプ、選民思考のニュータイプ、未来への希望のニュータイプ、全てを洞察し人を思いやれるニュータイプ、と、作品や時代によって微妙に違った相を持つのがニュータイプという現象です。
まあ、ニュータイプ論は本題ではない。


で、その作文教室の続きが

 足立君はとりあえず、その辺の所でもがいている。
 だが彼が、とにかく書き始めた話は何とか終わりまで持っていく、そしてシリーズをコツコツと続けていくのはとてもいいことである。書き続けるねばり強さがあれば、確実に上達していくのだ。

まあ、視聴者に出来る事は生暖かく見守る事くらいですね。おもしろくなるといいなーっつって。
でも、清水義範も結構技巧派なんだよナー。
パスティーシュだし。


あとは、脳内妹と熱い口づけをして、さっさと寝るくらいですかね?
脳内妹は世界一面白い女ですよ。僕の全てです。