玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

「はじめたいキャピタルGの物語」(未完)(著・画 富野由悠季)の感動の喜びと怒り

ガンダムエース第100号、2010年12月号の30pに載っています。
来た!ついに来た!富野由悠季ガンダム最新作が小説で来た!しかも、挿絵も全部自分!すげー!まるでブログで俺ガンダム小説を載せてる素人みたいな事を本家本元御本人がやってしまうったぁ、たまげたねえ!あんたには恥も外聞もスポンサーもタブーもないのかよ!いや、タブーを破ったって言う意識もないんだろうな!当然のことをやっているんだろ!わかる!わかるぞ!創作者って言うのはそういうものであろうからなああああっ!
おおおおっ!
今の私の喜びがわかるかね!
しかし、月刊ガンダムエースは創刊号から機動戦士ガンダム THE ORIGINと「教えてください。富野です」と「ガンダムの時代から」を切り抜いているが、遂に100号です。

GUNDAM A (ガンダムエース) 2010年 12月号 [雑誌]

GUNDAM A (ガンダムエース) 2010年 12月号 [雑誌]

連載陣やスポンサーの会社が祝辞を述べています。
その中で、富野監督は祝辞ではなく、自分の小説を送りつけて載せました。お祝いの言葉も、後書きも有りません。唐突に物語が始まって、(未完)で終わりです。
何を考えているのか全く分かりません。
嫌がらせとしか思えません。
腹が立ったので、アンケートはがきの一番面白かった作品にキャピタルGと記入して、「連載するように」と送りました。創刊号から買っていますが、これまではずっと傍観者としていたのですが、初めてはがきを送りました。私の処女を奪いましたね。富野と言う奴は。
だいたい、2004年の秋に富野由悠季にが京都精華大学に来た時に、私が「小説家の自我とスタッフワークの監督としては、どちらが物語を通じて普遍性の真理に肉薄できるか?」と若気が至った質問をした時は、富野監督は「僕はもう小説は書けない」と泣きごとを言ってたので、ぶちのめしたくなった。

京都精華大学アセンブリーアワー講演会富野監督来た見た喋った。 - 玖足手帖-アニメブログ-
2004年富野由悠季精華大学講演 質問コーナー。 - 玖足手帖-アニメブログ-


2004年富野由悠季精華大学講演バトルサイン会 - 玖足手帖-アニメブログ-
「富野監督、サインをおねがいします。
あと、さっきの質問で、スタジオワークの事は分かったんですけど、小説の話はしてませんね。」

(俺はあなたの心の黒い部分を見たいんだ。白トミノになったとしても、心の奥底に燻っているだろうそれを!)
(という動機で、もっと丁寧に話しかけたよ)

「私も素人漫画”のようなもの”を書いているのですが、(2004年の引きこもり当時)ある種の人間は頼まれもしないのに何かを吐き出すように表現する事があります。(トミノさんもそのような人種だと思う。)スタッフワークを経た作品を作っても、なお、ノベルを書いて自己表現しようということをやってきましたよね。
それは、つまり、そういうことをする、してしまう人間の業と言うものはどういうものなんでしょうか?
私小説と言う物もしっかりと小説のジャンルにはあるじゃないですか。」

それは非常に難しくて私もまだ悩んでいる所なんですが、やはり、スタッフワークというか、「世間の目」にこなされていないものは、゛世の中に出してはいけない゛と思います。一人で書くというのは結局のところ「欲」でしかないんです。

「しかし、小説は、特にファンタジーの古典とされているトールキンロード・ダンセイニ等は一人の作者でも広い世界を描いているモノがあると思います。それは、富野さんにとっては例外なのでしょうか?」

いえ、そう言うことはよくあることです。例外ではないです。でも、それはよっぽどの才能が無くてはできないです。

しかし、ガンダムの小説版は全然ちがうし、富野分が濃ゆくて、僕は好きですよ。

あれは、たまたまできたことです。それもスタジオワークを下敷きにしたことのコピーの結果のような物です。

2004年富野由悠季精華大学講演今思えば - 玖足手帖-アニメブログ-
という会話が在った。
それで、僕は富野監督に対して、後日「あなたがなんと言おうが、私はあなたのガンダムの小説版に価値を感じました。それはあなた本人にも否定できない物です」というファンレターと挑戦状を送りつけた。
その後、富野監督はどこかで「トールキンほどのファンタジー小説であっても、当時の最新学識や編集者の意見を取り入れているわけで、やはり一人だけの物であると考えるのはよくないのではないか」と発言した。
それからガンダムの実寸大のプラモデルが立ったり、リング・オブ・ガンダムで念願の半実写CGを撮って「やっぱり役者は概念を伝えるためには演出しにくくて邪魔だな」と発言したり「スポンサーがつかない」と愚痴ったりして、なんだかんだと言ってリーンの翼の新装版は今年に出た。6年前の泣き言は、どうやらリーンの書きなおしの構想が上手くいかない単なるスランプだったようだ。
それで、今度はガンダムエース100号のお祝いの席で自作小説の持ち込みかい?しかも挿絵も自分で?鉛筆画にフォトショップで色を付けたの?
はっはっはhっはhっはーっ!これじゃあ、ピクシブ小説のワナビと変わらないじゃねえか!ガンダムのお父さんよおッ!69歳を目前にした祖父のやることか!
孫が生まれた後は死ぬだけだからやれるんだろ!
そう、死ぬ前に人間は本性を出す。
いくら理念を振りかざしても、富野由悠季が作家になりたいと言う欲望から逃れられるわけがないんだよ!
お前の体にはそう言う血が流れているんだよ!
書けよ!描けよ!
地獄の底に落ちるとも!
愛を抱いて!


もちろん、私だけでなく、その他大勢のファンの声や状況が富野を駆り立てたのだろうと思うので、私が富野に書かせたというほど傲慢ではない。
私は富野が何をしようが、意見をころころ変えようと、結局は面白い作品を富野がひり出しさえすれば良いんだ。
私の勝ちだ!
はっはっはっはっは!


しかし、私は生活保護が来年の夏にキレるのを予定してスケジュールを斬ってるのに、富野に迂闊に新作を出されたら色々と狂うな…。これは私も困ったぞ…。非常に困ったな…。観鈴ちん病で魂が腐っているから、医者によると治療法はないらしいのだが…。
今日は、首藤剛志さんが死んだ日に。

https://www.style.fm/as/05_column/shudo226.shtml
結局、「こんな番組ができるの?」で始まった「まんがはじめて物語」シリーズは、大相撲に負けずに13年続いた。ちなみに、違う局で同時刻、ニュータイプの「ロボットもの」も始まった。僕が、小田原出身の富野氏とお会いしたことがあっても『ガンダム』のことを全然知らないのは、こんなわけである。
 打ち切りにならないようなロボットものが『ゴーショーグン』で、おもちゃの売れる魔女っ子ものが『魔法のプリンセス ミンキーモモ』で、というふうには作ってない(実際の売れ行きは知らないが)。「こんなアニメできるの?」と聞かれたら「こんなアニメしか僕にはできません」が僕のスタンスで、現在まで来てしまった。
 アニメは1人では作れない。けれど、「こんなアニメの脈本ができるのなら、私も私のやりたいことをやってみよう」と、スタッフやキャストのやる気がそんな感じで膨らんで、作品がグレードアップしていった気がする。
 僕は書くことが嫌いである。だから、最低限、自分のやりたいものしかやらなかった。
 やりたくないものはやらないで済んでしまってきた。
 僕の名前の出ている作品は、「こんなことやれるなら、私もやる」という、スタッフ・キャストのやる気のたまものでもある。
 ね、こんなことなら、「誰でもなれる脚本家」という副題に嘘はないでしょう?

   おわり

●あとがき

 で、まあ、「えーだば創作術」はおわりです。
 何度もの休載があり、「えーだば」では済まないとは思いますが、我慢してくださった編集の方、なにより読者の方々に感謝の言葉もありません。
 この歳になり思い返せば、実際の話としては、初回のはじめてにして最後に脚本家になろうと決意するまでの話が、かなりドラマチックかつどたばた喜劇で「ほんまかいな?」が連続でおかしいのですが、その時代はもはや遠く、今の人が真似をできるはずもなく「誰でもなれる脚本家」の趣旨とは違ってしまうので、はぶきました。
 このコラムに書かなかった私生活の部分も、抱腹絶倒の悲喜劇が、連続していました。
 ま、僕の書くものより、そっちの方が面白いかもしれません。僕が客観視できればね。
 その時代の登場人物が死に絶えて、僕だけが生き残っていたら、じじいの戯言として聞いてもらうことがあるかもしれません。
 では……おつかれさまでした。
 正直言って、気楽にアニメの脚本家は目指さない方がいいと思いますよ。
 言っても無駄でしょうが……。
 
■おわり

(10.06.30)

とりあえず、ハサウェイの好物の林檎を食べました。