で、活字になった物を注意深く読めば、割と話はまとまっているのかもしれないが、当日の俺は舞い上がっていたので、サインをして貰いながら再度、突撃したわけである。
まさに、認めたくないものだな・・・。自分自身の若さ故の過ちと言うものを。
いや、おハゲ様が気さくにファンとトークに応じてくれてたしさあ、僕の前の人が「どうしてシャア・アズナブルのような魅力的なキャラクターを思いついたんですか?」「ぼくの願望そのままです。」というやり取りがあったので。ボクもちょろっとお話するだけのつもりだったんだけど。ごめんなさい。空気嫁てませんでした。
「富野監督、サインをおねがいします。
あと、さっきの質問で、スタジオワークの事は分かったんですけど、小説の話はしてませんね。」
(俺はあなたの心の黒い部分を見たいんだ。白トミノになったとしても、心の奥底に燻っているだろうそれを!)
(という動機で、もっと丁寧に話しかけたよ)
「私も素人漫画”のようなもの”を書いているのですが、(2004年の引きこもり当時)ある種の人間は頼まれもしないのに何かを吐き出すように表現する事があります。(トミノさんもそのような人種だと思う。)スタッフワークを経た作品を作っても、なお、ノベルを書いて自己表現しようということをやってきましたよね。
それは、つまり、そういうことをする、してしまう人間の業と言うものはどういうものなんでしょうか?
私小説と言う物もしっかりと小説のジャンルにはあるじゃないですか。」
それは非常に難しくて私もまだ悩んでいる所なんですが、やはり、スタッフワークというか、「世間の目」にこなされていないものは、゛世の中に出してはいけない゛と思います。一人で書くというのは結局のところ「欲」でしかないんです。
「しかし、小説は、特にファンタジーの古典とされているトールキンやロード・ダンセイニ等は一人の作者でも広い世界を描いているモノがあると思います。それは、富野さんにとっては例外なのでしょうか?」
いえ、そう言うことはよくあることです。例外ではないです。でも、それはよっぽどの才能が無くてはできないです。
しかし、ガンダムの小説版は全然ちがうし、富野分が濃ゆくて、僕は好きですよ。
あれは、たまたまできたことです。それもスタジオワークを下敷きにしたことのコピーの結果のような物です。
長話をさせていただいて、非常にありがたく申しわけなかったと後から思いました。
そして、俺は3日間寝込んだ!
サイコ・ヒットか!