それが人々の夢だからだ!
希望は残っているよ。どんな時にもね。
と言うわけで、ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Qでホモが実にホモらしい結果となった事に、悲喜こもごもの今日この頃ですが、以下ネタバレ。
ネタバレに注意するため、一部キャラクターの名前をホモにしています。
「エヴァンゲリオンとは、繰り返しの物語です」と、庵野秀明監督はヱヴァンゲリヲン新劇場版:序の開始アナウンスで言ったし、渚カヲルはハッキリとは言っていないが、世界を何度もやり直してループしている存在と言える。
富野監督は「世界をやり直したい、と言う願望はある。その時、いけにえが必要」と言った。
イデオンナイトで富野監督に質問したときのこと。 - 玖足手帖-アニメ&創作-
エヴァンゲリオンはイデオンを意識した作品なので、そういう部分はあるだろう。
だが、ホモが他のループ物アニメ(キッチ・キッチン、まどか、まゆしぃ)と違うのは、「好きなが死ぬ世界をやり直したい」って言う風に生き続けるキャラじゃなくて、「どの世界線でも自分が死んで好きな人が不愉快に思う世界をやり直す」という、死に続ける所。
やり直す主体であり、同時に生贄でもあるアダム。
ここら辺は、むしろひぐらしの鳴く頃にの保志総一郎に近いかもしれないけど、保志は何回死んだっけ?
ヱヴァQでホモが良くわからない理由で死んじゃったけど、ホモ自身は割とそれを受け入れているという感じだった。
ここら辺は「ホモ自身が何回も死に過ぎて自分が死ぬ事をなんとも思ってない」という異質な思考と言う感じで面白かった。
TV版のカヲル君は唐突に「生と死は等価値なんだ。僕にとってはね」と、何を言ってるのかわからないよ、と思う事を言っていたんだが、ヱヴァ新劇場版でのホモは死ぬ事にあっさりしてると言う事がより一層、説得力を持って感じられた。
「またすぐに会えるよ」とか言った矢先にグロ画像。ホモの独自の倫理観が冴えわたる。
石田彰ホモが死ぬのは一種の様式美であり、ニュートンのリンゴが落ちる程に当たり前の事だ。
むしろ、ホモにとっては自分が死ぬ事よりも「好きな人が不幸になる事」の方を嫌がってる感じだったので、実にホモだ。
まあ、好きな人を何度も幸せにしようとしてるのに、やっぱり今回もダメだったよ。って、目の前でグロ画像に変身する所が実にホモの切ない運命を仕組まれた感じだ。
でも、前述のようにホモには死んでも実は精神的に生きてる!というゴキブリ並のしぶとさと前科があるし、何度死んでも世界をやり直せているので、大丈夫、ホモは残っているよ。どんなときにもね。
ホモ=希望なんだよ
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