玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

無敵超人ザンボット3第12話 誕生日の死闘 に見るヴァルヴレイヴ的な日米代理戦争


脚本:田口章一 演出:広川和之
名無し・A・一郎さんのあらすじ
http://higecom.web.fc2.com/kingbial/story/story12.html
粗筋は任せて、私は自己流解説をば。

  • クリスマス回

今回はザンベース担当の神北恵子の誕生日の回です。第8話 廃墟に誓う戦士で神江宇宙太の家族が描かれたのと同じように、神北家が描写されます。
同時に、この回が1977年12月24日に放映されたという事も「おもちゃアニメ」にとっては地味に重要な要素です。つまり、年末クリスマス回ということでもあるんですねー。
次の放送はお正月特番を挟んで翌年1月7日なので、ほとんど冬休み明けです。
なのでなので、今回の冒頭で神勝平が二次方程式をやってたり、神江宇宙太がけん玉で遊んでいたり、って言うのは、冬休みの宿題とかお正月の遊びのイメージを視聴者に与えて親近感を与えるための演出でしょう。
神北恵子が誕生日プレゼントに母から振袖を送られる、と言うのも年末年始っぽさを醸し出すためでしょうね。

ザンボット3は2クールに神ファミリーのザンボットチームと宇宙人ガイゾックとの開戦と終戦までを構成している連続ドラマ形式のアニメなので、単発エピソードは少ない。また、第5話で世界がほとんど焼き払われて、日本もザンボット3がギリギリ守っているけどほとんど破壊されて、神ファミリーの主人公たちは中学生だけど闘いに明け暮れて学校に入っていない。
そう言うわけで、日常描写が入れにくい構成のアニメなんですが、こういう細かい振袖プレゼントとか自主勉強とか年末年始っぽい遊びの描写を入れることで、対象の視聴者の子供たちに親近感を持たせて、年末年始の玩具商戦に備えよう、と、そう言う構成のアニメです。
大河ドラマみたいな連続形式のアニメで、作中の日付も不明瞭な戦闘がメインの話なので、ともすれば日常感覚や季節感を無くしがちな題材のアニメですが、クリスマスイブに放映のエピソードに「誕生日プレゼントの話」を持ってくることでクリスマスプレゼントっぽさを醸し出す、と言うのは上手い。
そのプレゼントが母から娘への振袖、という事で、お正月っぽさも出してる。
ザンボット3はもちろん、作品として素晴らしいんですが、「番組」としてもコン・バトラーVプリキュアのようにちゃんとクリスマス回をやるって言う事で、色々と目配せされてる作品だなあと思います。もちろん、玩具商戦もあるという事で仕方なく入れた部分もあるんでしょうけど。ただ、クリスマスネタそのものをやるんじゃなくて、それを誕生日プレゼントというものに置き換えて、作中の日付がクリスマスじゃなくてもプレゼントネタをやるというアイディアは結構いいな、と。

  • アメリカの象徴

で、神北恵子は親は日本人なのに、なぜか金髪美少女で、すごいアメリカンな感じがします。
神北家の実家は長野にある牧場で乗馬をたしなみ、恵子や神北家の人はアメリカン・ウェスタンルックの服装をしています。
そして、神北恵子の誕生日と、敵であるキラー・ザ・ブッチャーの誕生日は同じです。何千年も前に宇宙の果ての野蛮人として生まれてガイゾックに永遠の命を授かったブッチャーと、ビアル星人の子孫で日本人の恵子が同じ誕生日って言うのは何でなのかわからないのだが。
きっと意味があると思います。
この二人が相似形で描かれるという意味は何なのか?
キラー・ザ・ブッチャーは基地に提灯を下げて花火を上げさせ、手下と一緒に阿波踊りを歌い踊り、誕生日の余興として人間を殺しに来る。

どちらも微妙に和風なプレゼントですね。クリスマス回なのに、阿波踊りと振袖。
(前回、ブッチャーはガイゾックの本体の偉い人に「自分の楽しみのために武器を弄んではいけない」って怒られたのに、今回は殺人を楽しむためにメカブーストを放つので、変かもしれないが・・・ガイゾック様も誕生日くらいは大目に見てくれてるのか?まあ、メタ的に考えると、今回は単発エピソードなのでブッチャーの戦闘行為もあまり戦略的意味を持たせにくく、そのため誕生日の余興と言う理由での戦闘行為にしたのかな、と。)
神北恵子は振袖を母親にもらって、実家の母に会いに行く。


で、どっちも妙に和風な誕生日プレゼントなんだが(多分お正月のイメージも混ざってる)、同時にキラー・ザ・ブッチャーはそもそものモデルがプロレスラーのアブドーラ・ザ・ブッチャーなので、アメリカのイメージがある。(実際のアブドーラ氏はカナダ出身でアメリカを経て来日)
神北恵子も金髪美少女でウェスタンルックなので、アメリカのイメージを持つ。良きアメリカの部分が恵子で、ブッチャーはアメリカの悪役レスラー的なイメージかと。
アブドーラ・ザ・ブッチャー氏はネイティブ・アメリカンの父親とアフリカ系アメリカ人の母親の間に生まれた黒人の血を引く人で、それをモデルにしたキラー・ザ・ブッチャーは宇宙の野蛮人がガイゾックに武器を与えられたサイボーグです。なので、キラーは白人の意志で戦争をやらされる黒人軍人、と言うイメージで見ることもできるけど、これはかなりデリケートな話題なので、あんまり深く言えないかもしれない。ただ、そういう実際の人種感覚や歴史感覚を持ち込むことで、ザンボット3には深みが与えられているのかな、と)

  • 日米代理戦争

キラー・ザ・ブッチャーはガイゾックと言う知識人に武器を与えられて、日本を侵略してレイプとかする悪い黒人軍人と言う風に見ることが出来る。あと、キラー・ザ・ブッチャーが毎回楽しんでいる贅沢は、戦後に日本を侵略したアメリカの家電製品や贅沢品の象徴である。
で、今回もメカブースト怪獣に蹂躙される長野の人々は「神ファミリーがガイゾックに立てついたから攻撃されるんだ」「戦わなければ殺されなかった」って言う。
これは戦後の日本人が「日本みたいな小国がアメリカ様に立てついたから戦争に負けて当然」「日本が悪かった」という自虐史観のメタファーとも取れる。
そして、ザンボット3は日本の戦国武将みたいな兜と武器を持つので、和風ヒーローロボットです。
なので、無敵超人ザンボット3という作品は、「日本が戦ったから悪い」っていう戦後の風潮に対して「ガイゾックみたいな宇宙人は弱い奴を問答無用に殺しに来るから、戦うんだ!」という意思を示す思想がある、と見える。
「戦った日本が悪い」という戦後の史観に対して「宇宙や戦前の情勢は戦わなければ殺される状況であり、戦うことが悪いという戦後の軟弱者は愚民だ!俺は戦うぞ!」という、かなりマッチョで大和魂の極右思想を持ってる作品なんですよ。このアニメは。
実際、主人公の神勝平は特に状況を飲み込んでなくてもとりあえず暴れて戦争をしたがる戦闘狂の少年って言う面もある。
血縁関係で結ばれた極右暴力団の一族が、アメリカのイメージを持った宇宙人と戦う事で、アニメの中で日米の代理戦争をする、っていう雰囲気がある。
もちろん、作中ではガイゾックがアメリカで、神ファミリーが日本だ、とか大東亜戦争は正しかった、ということは明言していない。だが、そう言う風にも見えるイメージの断片が散りばめられていることは事実。
(ただし、神ファミリーは生粋の日本人ではなく、江戸時代に地球に来たビアル星人と日本人との混血、と言う所で一捻りしてある)

  • 戦後への怒りを込めた作品

10話で東京の日本政府要人を神ファミリーが助けたので、神ファミリーは日本人からの協力を取り付けたのかと思ったが、今回も「神ファミリーは人殺しだ!」となじられた。
今回の戦場は長野なので、東京で政府要人が助けられたということは、宇宙人に社会が壊滅させられているので、大衆まで伝わってないのかなあ。
しかし、序盤は小田原市で、7話は四日市が舞台で、今回は長野の松本だし、実際の地名が出ているのはリアル感がありますね。


で、恵子が一年前の誕生日を一緒に祝ってくれた友達に「神ファミリーのせいで親が殺された!」って言われて傷つくけど、恵子が怪獣の攻撃から身を挺して大衆と友達の避難を誘導して戦って、友人と和解するという話なので、大衆の手のひら返しを描いている話なのだ。
そう言う点では、昨年の革命機ヴァルヴレイヴみたいな話である。大衆は手のひらをくるくると返すバカで、ロボットに乗る主人公たちはそんなクズどもを守るために命を賭けるのだ。
ただ、革命機ヴァルヴレイヴよりも、無敵超人ザンボット3の大衆への怒りはつよい。
大衆や愚民どもへの憎悪と言う点では、機動戦士ガンダムシリーズでも富野喜幸監督は強く描いているのだが。
今回のザンボット3がより直接的に日本の戦後思想への怒りを描いていて、それは非常に生々しい富野監督の感覚なのではないかと思う。
ヴァルヴレイヴの大衆のクズさの批判要素は、ネットの情報に左右されるところだったんだが、ザンボット3の大衆の悪い所はネット以前の戦後社会です。戦後の「日本が戦ったから殺されて当然だった」っていう自称平和主義者の太平洋戦争への反省と言う名を借りた日本の否定とアメリカへの服従の姿勢である。
で、富野監督のお父上は戦中は戦闘機のパイロットの与圧服を製造していた技術者だったが、戦後は学校教員となった人です。
なので、「戦ったから殺されて当然だし、アメリカと戦った日本の方が悪い」という戦後の民衆への怒りがザンボット3にはあるんだけど、それは戦後にアメリカに降伏した情けない父親世代への富野監督たち戦中生まれ世代の生理的な反発心でもあったと思う。脚本、シリーズ構成の鈴木良武さんは富野喜幸監督の1歳年下の1942年生まれ。
そういう生々しい、作り手の家系の問題と社会の歴史とリンクした感情なので、ザンボット3の怒りや闘争心などの感情は非常に深い。なので、作画がへっぽこなロボットアニメで子供向けアニメなのに、非常に感情的に見える。で、放送から37年を経て、70年代の空気感を知らない僕のような三十代男性でも、その感情の根深さの雰囲気だけは感じられる。
ザンボット3には、そういう怨念のようなものがある。そんな生理的な怒りは、ヴァルヴレイヴの「ネット批判」とかよりはもっともっと本気度が高いというか、生理的に発生したものであろう。
また、富野監督がザンボット3を始める前に関わっていた長浜ロマンロボットシリーズの超電磁ロボコン・バトラーVや超電磁マシーンボルテスVは割と「国連みたいな世界の科学者の理性的な国際協調により、軍事国家の侵略に対抗する」って要素のある話で、お行儀がよかった。(まあ、長浜忠夫監督はそれはそれで、骨肉の争いとかにこだわりのある熱い人でもあるんだが)
また、富野監督は虫プロにいたけど手塚治虫先生も鉄腕アトムとかでコスモポリタニズム、世界市民主義と言うか平和主義を持っていた人だ。
そういう国際協調とか国連みたいなものを賛美する戦後の思想を持つロボットアニメがあるとして、それに富野監督が後発としてオリジナリティを発揮するためにザンボットは日本の戦闘的な思潮を盛り込んだとも考えられる。
戦後平和主義思想やアメリカ迎合の戦後の風潮の嘘くささや軟弱さを批判するのは、戦中生まれの富野監督の生理的な親世代への怒りでもあり、同時に戦後のアニメ界の先輩である長浜忠夫手塚治虫の作品に対する後発作品としての「逆張り」でもある。富野監督は割と、時代や先輩へのカウンターを撃つようなところがある。
だから、個人的な怒りの感情もありつつ、それをアニメ界でオリジナリティを発揮して生き延びようという生存戦略でもあるんだな。
感情的な怒りと、生存本能に立脚した生きるための冷静な知恵の両方が込められているので、ザンボット3には深みがあるのだと思う。


と、勝手に歴史批評をしたけど、上記の論は私の妄想であり、氷川竜介先生の「20年目のザンボット3」は見終わってから読みます。

  • 正しい大和心と、萌え

で、戦後の日本人は戦争に負けたので軟弱になってしまい、外人の女とセックスするぞ!という欲望を去勢されてるし、それが萌えアニメに走る原因にもなっている。
だが、富野監督は金髪大好きマンであり、外人の女が好きだし、しかもSM趣味も持つという屈折した性欲を持つ人だ。(富野監督の二人の娘さんが外国人と結婚したので、間接的に富野の遺伝子は西洋世界にばら撒かれた)
そんな富野監督が36歳の若いころに戦後平和主義の軟弱さや狡さに怒りをぶつけて作ったのがザンボット3なのだが。
戦後日本への批判をぶつけているが、同時に日本的なものの礼賛論も描いている。
それがなんというかと言うと、郷土を守る戦国武将みたいなザンボット3であり、神北恵子の母親が娘を戦士として扱いながらも、自ら縫いつくろった振袖を娘に贈るということ。
着物に込められた母の愛情と娘との世代の継承。(戦士として戦う娘の着物を繕うのは、千人針みたいな所もある)
着物が世代を超えた母の愛情として描くというのは、ブレンパワードでも描かれましたね。
闘いを非難するばかりで、強者におもねる無責任な戦後日本の愚民どもへの怒りはあるんだけど、着物を娘のために仕立て直す母親の愛情とか、そう言う日本古来の風習は良きものとして描いている。
あと、命がけで戦っている戦士を尊敬する友情とか。
なので、ザンボット3はメカデザインが戦国武将っぽいとかザンボット・ムーン・アタックが円月殺法みたいというだけでなく、作品の芯に大和魂を込めてあると言えるんだな。


だが、その和の心をこめた着物を、金髪美少女に着せるっていう所に、屈折がある。
むしろ、金髪のアメリカっぽい女の子も日本色に染めてやるぜ!と言う所で、金髪美人へのコンプレックスとか、欲望とか征服欲みたいなものがあるのかなあ。
それがショタ傾向のある安彦良和先生のデザインで描かれることで、成熟した金髪美女への性欲が、和服姿の金髪のロリ娘の萌えと言う風になっている。
なので、富野監督はかなり前のめりに金髪アメリカ美女を再征服してやろうって言う欲を出してるんだけど、結果的にそれをアニメキャラクターの少女でやってることで、戦後オタクのロリ萌えが生まれる原因の一端を担ったともいえるんだよなー。
エルピー・プルとか。
まあ、高畑勲監督の赤毛のアンとか宮崎駿監督の小山田マキとかパンダコパンダもおたくの萌えやロリコン趣味を育てた所もあるし、戦中世代の屈折した行き場所のない(外国の女を征服できないという)性欲のコンプレックスを作品にぶつけたことで、それを見た戦後の子供たちがオタクになるという現象もありますね。
うーむ。根深いです。
で、神北恵子みたいな金髪リボン美少女の萌えは今現在もめちゃくちゃ流行していて、ほんとヤバい。
アイカツ!星宮いちごちゃんとかドキドキプリキュア!のレジーナとか。


やっぱり、可愛い白人少女の象徴みたいな所があるよね。日本人おたくの白人コンプレックスはあるよねー。神北恵子の両親と妹は純和風の顔立ちだが、なぜかヒロイン格の恵子は金髪。なんでこんな風になったのか全く説明はないが、先祖が宇宙人だからギリギリ言い訳にはなってるかな。っていうか、やっぱりかわいさ優先でしょう。
でもかわいいのは正義なので!
アイカツ!アイカツ!

  • 追記

Gのレコンギスタ発表会で富野監督曰く、

現実の付き合いが難しいのではなくて、リアリズムで話をするときにはリアリズムだけで突破できるかというと、突破できません。特に政治家と経済人がいるところではできません。で、そこで突破するにはどうするかというと、(将来)政治家や経済人になる子供たちに、10〜15歳のあいだに、「お前ら、根本的な考え違いをするなよ!」っていうことを刷り込んでおくんです。そうしたら50年後に首相になってる奴に「お前が今やってることは馬鹿だろう!」って言えるでしょ?
シャア専用ニュース 【速報】富野由悠季監督、新作「ガンダム Gのレコンギスタ」を語る!「子供、孫たちが見るものに陰々滅々とした、人類が絶滅していくような物語を作るのがお爺ちゃんとして嫌なんです。だから『明るく楽しく』っていう命題を掲げた作品として『Gのレコンギスタ』を作りました」

富野監督はアニメは子供に思想を刷り込む物だといっているんだけど、ザンボット3の時に子供だった1965年生まれくらいの、最近50手前の40代の人たちは、ちゃんと日本を運営しているかと言うと・・・・。まあ、30代で無職の俺が言うのもなんだけど。
俺たちは富野の教えを生かすことに失敗したんだ。(いや、真面目な人もいると思うけど)
だから、Gレコは「あんたたちは見なくていい。子供向けです」って富野監督が言うわけで。それは、申し訳ない。でも、俺は悪いオタクなので富野がなんと言おうが見る。

私は神江宇宙太の両親みたいな家庭に育ち、母親が自殺して、こういうファミリーアニメとか親が死ぬアニメを見ると精神が辛くなるので、1年以上見ていなかったけど、先日、富野由悠季監督が「Gのレコンギスタを秋に公開する!元気のGだ!」と仰ったので、私もうつうつしてる場合じゃない!
秋までにザンボット3ダイターン3エルガイム、残り訳90話を最低限見なければいけなくなった!週に2,3回は富野アニメを見る。
私の親は死んだが、心の師匠である富野由悠季監督は生きて新作を作っている。だったら、俺は富野アニメを見ることで生きる!アムロカミーユやコスモやジロンやシーブックもウッソも親が酷い死に方をしたけど、ガンダムに乗ったんだ、俺だって、富野アニメを見るくらいはしてみせる!
親が死んでるのにダラダラアニメを見て感想を書くというのはある意味外道の所業であるが、もう俺にはこれしかないんだ!Gのレコンギスタに俺は俺の脳内妹への愛以外の全てを賭ける!無職だけどな!
富野は、富野監督は壊れた家庭に生まれた俺の心の親なんだ!
出崎統は憎いあんちくしょうだ!庵野秀明は2世代前のオタクだ!幾原邦彦はイケメンだと思う。