玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。旧玖足手帖から記事・ブクマを引き継ぎました。


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機動戦士クロスボーン・ガンダム DUST 5&6巻の対について

 今更かよ!という読者諸氏の気持ちはわかる。僕も遅くとも昨年中に書いておきたかったクロスボーン・ガンダム DUSTの感想。
機動戦士クロスボーン・ガンダム DUST(5) (角川コミックス・エース)
機動戦士クロスボーン・ガンダム DUST (6) (角川コミックス・エース)

旧年中は仕事で体をぶっ壊して退職して数ヶ月間、しばらくブログを休止してたり殆ど寝ていたりして、まともに感想がかけてない時期があり、その後、なんとかGレコのまとめ記事を書いて、年が明けてもパソコンが壊れたり、買ってもらったり、うつ病が悪化したりして調子が出ませんでした。精神科医によると、お正月の家族団らんムードは引きこもりや自死遺族が体調を崩す要因で、非日常のお正月から平常運転に戻る際に体を壊した患者が今年も多かったそうです。(まあ、精神科医もお正月休みを取りつつ、その間に書類を整理する仕事をしたりして、痛し痒しなのだが)
大変申し訳無い。今も実は寝るべきか書くべきかそれが問題なのですが、やっぱり深夜にガーッと書くスタイルなんですね。(1万文字あります)
もう明後日に7巻が出てしまうのでかなり如何ともしがたいタイミングで書いてしまうことになりましたが。
機動戦士クロスボーン・ガンダム DUST (7) (角川コミックス・エース)

  • 構成がうまい

 1巻で長谷川裕一先生は「趣向を変えて、まずキャラを作って、世界へ放り込んでみる、という作劇で始めました。」と、述懐している割に、やはり構成がうまい。うまいなー。
1人の少女のレオを救うところから始まって、2000人の少女、3万3千人の小国を救うミッションをこなしてから、48時間以内に二箇所で同時に木星の政府要人を救うミッションが提示されるわけで、韻を踏んでいる。わかりやすく数が増えているし、政治的重要度のインフレも自然に成されている。

  • 対関係

 5巻と6巻の感想をまとめて書いてしまうけど、カーティス・ロスコとテテニス・ドゥガチが地球圏の正反対の位置に幽閉されていたのを救うのももちろん対関係なのですが。いろいろな要素が対になっている。
例えば、アーノルドと首切り王はわかりやすい対の人物だし、地球連邦軍にいる武闘派のキュクロープスの士官だがイマイチ人殺しが下手くそなアーノルドと、地球連邦軍から出奔して首を切りまくる独自の軍閥を作った首切り王は対照的だ。それで、キュクロープスと首切り王が戦刃を交えることでアーノルドくんがどうなるかが見どころだ。それで、アーノルドくんとコンビを組んでいる幽霊のフォントがどう出るかも面白そう。



また、思想面でも人の命をフォントは「生産者」として捉えて、「全体の効率のためには人は生きていて仕事をしてもらったほうがいい」「人が死ぬとその人が生み出すはずのものがなくなってしまう」と考えているとアーノルドに述べた。逆に、首切り王は人の命を「消費者」として捉えて、利用価値がなくなったら殺して、「その人が消費するはずだった空気や水を奪って生き延びる」と主張していて、わかりやすく対立している。


仕事というのも対になっている。
アッシュ・キングは一捻りで人を殺戮できるMS乗りが慢心しないように、どんな小さな仕事や戦いでも「料金をもらって仕事として割り切ることでリミッターとしている」と自戒している。
その反面、彼の祖父は仕事として割り切ることで大量破壊兵器の製造に関わる自分を正当化していた。そんな祖父が仕事をしていたのは、孫のアッシュに継がせるためだったということを告げられたアッシュはとても悩む。祖父のアンクル・キングは前作の機動戦士クロスボーン・ガンダム ゴーストでは最終決戦で味方をしてくれて善行をしていたのだが、その同じ人間が悪事に加担することもある。


同じ人間が善にも悪にもなるということは、フォントがサイド3の1バンチの独裁政権を目にした時に言っている。


 モビルスーツが人をかんたんに殺戮できるのはエバンスの過去で語られた。
1/144 ジェムズガン (機動戦士Vガンダム)


 そのモビルスーツも人を殺すために動く機械である反面、その部品はバイオマスプラスチックなので人を生かす食べ物にもなるという二面性があって、それも対だよなあ。巨人の部品を食べるのは神話的でもある。(バイオマスプラスチックがモビルスーツに使われているっていうのは石油がない宇宙でプラスチックを作るためにどうするのかっていう疑問から自然に演繹法で導かれた発想のようだが、今までなかったのが不思議なくらいでもある。トイレと浄水装置も、もちろんGレコに対抗しているのか知らんがモビルスーツについているし、それはアポロ宇宙船からの伝統だと言っている。ここらへんの演繹法の発想から「食べる」につなげるアイディアは本当に頭がいい。さすが星雲賞作家)(バイオ部品を使ったメカニックを使うのは虐殺器官伊藤計劃にも先見の明があったか(もっと古い作品や海外SFでは普通かもしれないけど・・・。ゴシック文学の古典におけるフランケンシュタインの怪物も生物由来の原料での人造人間だったわけだし))
RE/100 機動戦士Vガンダム ガンイージ 1/100スケール 色分け済みプラモデル


 なので、各要素が対になっているのだが、1対1で閉じるわけではなく、対になる各要素の欠片(ダスト)を通じて多くの各キャラクターが少しずつ繋がっている。


穀物王タガナス・タヤカの農業とカグヤ・シラトリ姫のムーン・ムーン(リュグージョ)の水産資源の貿易も上手く対になったようだし。(Vガンダムでクジラが死にまくっていたくらい汚染されていたのは北海だけなんだろうか・・・。リュグージョの周りの海が風の谷のナウシカの酸の海みたいに汚染されてなくてよかった)(難点を言えば、せっかく地球に降りた割に、リュグージョ以外の地球の環境がどうなってるかを描く機会が少なかったことか。まあ、他の作家が描く余地を残したとも言えるか・・・)


かなり構成としてうまい。行き当たりばったりに作ってるようで、やはりベテラン作家なんだなあ。もちろん、カスタムモビルスーツ同士の派手でテクニカルで面白いバトルも痛快なんですけど。クソデカ武器を振り回す最強ガンダムフレームとかな!そういうオタクのワクワク感や活劇としてちゃんとエンターテイメントしているのだけど、やっぱり初代クロスボーン・ガンダムで富野監督の薫陶を受け、ニュータイプ神話に一定の決着をつけた長谷川裕一先生は上手いなー。
思想の提示の仕方も作戦中の台詞のやり取りとか、戦闘中に興奮して口走ったとかで、自然と出している。うまい。


ニュータイプ木星の王子のニコルも、あくまでそういう能力を持っている少年、としてしか描かれないので、あんまりニュータイプだから万能というわけではない。巨大合体ビグ・ザムとの戦いではニコルのニュータイプ的感覚よりアッシュの喧嘩慣れした観察眼が役に立った。


首切り王がアッシュに過去を教えるのは説明セリフになりがちなところを、「意図的にアッシュの心を殺すために酷いことを言う」という演出で乗り切っている。で、その要素の一つ一つが繋がっている。まあ、同じ人が書いているからなのかもしれないけど。


でも、アッシュは心を殺されるかもしれないけど、もう一人の主人公でヒロインのレオ・テイルちゃんがアッシュに「心」をあげて支える、というような匂いもある。

(アッシュ・キング、穀物王、カグヤ姫など、DUSTの主要キャラは王の名を持つ。しし座のデネボラを連想させるレオはレグルス(王の心)の星になるのか?)
nuryouguda.hatenablog.com

と、1巻の時点で予想したけど、直球でアッシュがレオに「お前の心をくれ」って言ってましたね。その御蔭で、「首」を見せつけられても第1話ほど心が折れないようになっていましたね。でも、拷問は酷いのでどれだけ持ちこたえられるか・・・。
そして、レオ自身も首切り王に狙われているので、どうなることか。



もちろん、これまでの冒険で縁を繋いだ頼りになる仲間たちが駆けつけて決戦ムードではあるのだが。19日間の間にニコルや無敵運送やキュクロープスと木星にどんな動きがあったのか・・・。まあ、7巻がもうすぐ発売だしガンダムエースを買ってる人はもう知ってるんでしょうけど。


色々と対になっているので、物事の両面を考えるような物語になっていて、単純な勧善懲悪や俺TUEEEEにはなってないなあ。まあ、扱う題材と時代が劇物だし・・・。


 宇宙世紀は滅びると創造神・富野由悠季監督は∀ガンダムGのレコンギスタで設定した。
まあ、それは富野監督がターンエーとGレコを作るにあたって、そのほうが都合がいいし面白くなりそうだと思ったから。あと、富野監督がやるとどうしてもイデオンみたいな絶滅戦争になりそうだという自戒で、ターンエーやGレコの物語が始まる前に絶滅させた。
 でも、それは富野監督の都合であって長谷川裕一先生は関係ないですよね????


という、ものすごいはみ出し者ぶり。さすが海賊。そういうわけで、この萬画は「機動戦士Vガンダム以降にも宇宙世紀を続けさせようと藻掻く者たち」を描いている。



 首切り王が出てきた時、まあ、正直落胆したよね。「また長谷川裕一はラスボスをメンヘラのキチガイにして決着をつけようとするー」という手癖を感じなかったわけではない。


クラックス・ドゥガチ総統や新総統やキゾ中将は割りとメンタルに問題があるし高笑いをする悪漢なので、またいつもの長谷川エンドかよー。という気持ちはないわけではない。


ただ、首切り王を「宇宙世紀打ち切り王」として考えるとどうかという話。


そうするとまた解釈が変わってきてしまってですね。「平和な宇宙戦国時代はもう終わりです」と言って、特に勝算があるわけでもなく大量虐殺をして宇宙を落とそうとして滅ぼそうとする首切り王はテーマ的に「なんとかコロニーを復興させたり自然や流通を回復させて宇宙世紀で生きていきたいぞ」というキャラクターたちとは真っ向から対立するわけです。


禿げてるし、ビジュアル的にも富野監督っぽいですしね。
首切り王の変転は宇宙世紀の番人であった地球連邦軍であったことと、その世界の裏側の汚職や暴力と戦争が生み出す混沌を知り尽くしてしまったから、という両面の葛藤があって、その上で「もうこんな世界は滅ぶしかない」と行ってしまったわけです。


これは一種の諦めなんですね。
よく考えると、長谷川裕一萬画の悪役は「諦めちゃった人」が多いということにさっき気づいた。それで、宇宙戦国時代末期で「新しいモビルスーツは作れないほど技術と文化が徐々にすり減っている時代」はあきらめムード。そして、宇宙世紀で生きようとしているキャラクターたち、その中でも「誰も争わないで住む世界を作りたい」という「諦めない心」の持ち主のレオにとっては、新作の都合のために宇宙世紀を滅ぼしちゃう富野監督も「諦めちゃった人」に入ります。これは創造神に対する反逆ですぞ!
 まあ、富野ガンダムはそもそも初代の開幕ナレーションで人口の半分殺すのがデフォルトなので、∀ガンダムで「アナザーガンダムとかそんなん戦争ばっかりやりまくってたら地球滅ぶのが当たり前やろ」って滅ぼしたのは妥当性があるし、∀ガンダムはSFとして面白かったのでまあ、そこはそれで否定はできないんですけど。
でも、宇宙世紀の中で生きてるキャラクターにとっては作者の都合で「お前らの世界は滅ぶ」ってされてしまうのは「ふざけんな!」って話です。
そして、閃光のハサウェイで語られたように

歴代のガンダムは、連邦軍にいても、いつも反骨の精神をもった者が乗っていたな。そして、ガンダムの最後は、いつもこうだ。首がなくなったり、機体が焼かれたり、バラバラになったり・・・・。しかし、反骨精神は、ガンダムがなくなったあとでも、健在だったものだ。


 というのと同じくらい、
「歴代の長谷川裕一作品の主人公は、いつも諦めない心を持っていた」と言える。
 もちろん、これはやっぱり長谷川裕一先生が本質的にジュブナイル作家で「世界を知らない若者だからこそ知るために前に進むことを諦めない」という作風になっていると言える。(これは富野監督のGレコにも共通しているのだけれども)(リーンの翼は鈴木くんじゃなくてサコミズ王が救っちゃうんだよなあ。まあ、能の「夢幻能」の型といえば、そうなんですけど)


なので、「世界を表も裏も知り尽くした結果、こんな世界は滅ぶしかない」と判断した首切り王は長谷川キチガイ悪役みたいな振る舞いをするのと同時に、ドゥガチ総統の再来で富野監督のメタファー。
 しかも、狂っているとか憎んでいるというより、色々と世界を知った結果、冷静に「この世界は無理」と判断した諦め。機動戦士ガンダムF91の鉄仮面のように体を強化しているようでもあるし、やけどを隠す仮面など、富野監督作品の暗黒面のメタファーなんだろうなあ。
でも、諦めたくない!生きていたい!というのも、ブレンパワード以降の富野監督の作品のキャラクターの生命力でもある。なので、完全に富野アンチというわけでもない。
わけでもないのだが、ブレンパワード以降の富野作品は「巨大カタストロフによって無駄な世界が一掃された上での再生する生命力」みたいなところがあるわけで。過去の皆殺しや滅びの上に成り立つ生命とは如何なものだろうか、という疑問もある。(リーンの翼ではそれが原子爆弾東京大空襲だったのかもしれない)(カミーユも一回破滅エンドをした後のループものゲームのやり直しみたいなところがあるわけで。)(ザブングルも元気だけど地球滅んでるしな)
(宮﨑駿監督の未来少年コナン風の谷のナウシカも地球が滅んだ後の話なので、戦争世代にはそういうところがあるのかもしれんけど)


 そういうわけで、長谷川裕一先生と富野由悠季監督のテーゼにおける決闘を作品でやる流れになっているようで、両者のファンとしては白熱する格闘技の試合を見るようでワクワクしますねえ〜。


まあ、∀ガンダムで提示された滅びはアナザーガンダムも含めて数千年から数万年かけて滅んだっていう感じで、若干火の鳥感はある。(そして火の鳥もループものなんだよなあ)(戦中世代の手塚先生は滅ぶ過程を描くところがあるよね。奇子も田舎の地域社会の崩壊がテーマだし)
 やっぱり本当のラスボスは手塚治虫先生なのかなあ。機動戦士ガンダムユニコーン古橋一浩監督の新作「どろろ」は映らないので見てないんですけど。不祥事があるとは言え、バンダイの犬なので、バンダイチャンネル以外に加入する有料動画サービスを増やしたくない。以前、某サイトで解約に失敗して数年分の料金を払えって電話で言われたことがあるし。(その際には会話を録音して口車に乗せて相手が「安くしてもいい」と譲歩した瞬間に「そんな口約束で金額を変更できるものには俺は払わないからな」と詰めて逃れた。俺は酷いやつだよ)


話はそれたけど、数万年かけて滅ぶ富野由悠季史観の宇宙世紀なのか、UC.0170年に滅ぼす首切り王なのか、それとも別の世界を作れるのか?ガンダムのオタクとしては興味深いし、スピンオフ萬画の原作者との戦いとしても興味深い。(まあ、一番ガンダムを無茶苦茶にしているのも富野監督なんだけど(他の作家に想像力が足りないとも言える))(あと、富野監督のガンダムも微妙に劇場版や複数の小説版などでループものに近いパラレルワールドやってるしなあ。そして長谷川裕一先生の若い頃の逆襲のギガンティスがまさにそういう話だったわけで)


富野由悠季監督は宇宙世紀ガンダムとかニュータイプに対する興味は失って「個々の作品としての活劇」をGレコでは追求しているようにみえる。(宇宙世紀に拘る人は「歴史オタク」と罵られた上に殺される)
 なので、富野監督から長谷川裕一先生に攻撃することはおそらく無いと思うんだけど、ブレンパワード以降の健やかな富野作品を楽しみつつ、「人を滅ぼした上での健やかさは本当に健やかなのか?」とか疑問を持つ人や、「富野監督は文明を縮小したいとおっしゃいますが、その際に必ず民は苦しみます。死にます。それに誰が責任を取ってくれるというのか!」と講演会で富野監督にウザ絡みをした上に、その一週間後に東日本大震災が起きてその一年後に親が自殺したロスジェネの僕にとっても、まあ、「諦める人」と「諍(あらが)う人」のどちらが強いのかという問いかけは、まあ、そこそこ強い興味です。
まあ、萬画の話なので実際の社会で日本を滅ぼすとか米露開戦とか言うつもりはないんですけど。


(ていうか、萬画家にとって「打ち切り王」って最大の敵ですからねー。無職になってしまう)


なので、天下三分の計とかフォントが言っていたあたりでは「ゴーストが武侠ものだったので、今度は三国志をやるのかな」と思っていたけど、創造主の富野監督と歴史の解釈違いを起こして揉めて「世界を滅ぼす諦め」という概念に対して各地の王たちが反対する流れはむしろ封神演義・・・。


 この記事を書くのが完全に時期外れで狙ってやったわけではないのだが、富野監督の閃光のハサウェイに対するコメントが発せられた。

av.watch.impress.co.jp
映画化に期待する 原作者:富野由悠季


30年ちかく前に書いたノベルスの映画化は、原作者として嬉しい。まさかという驚きがあった、しかも三部作。 製作関係各位から、本作のテーマは現代にこそ必要だと判断をされてのことだと聞けば、あらためて内容をチェックした。そして、また呆然とした。

現実の世界は進歩などはしないで、後退しているかも知れないのだ。だから、ガンダムのファンの皆々様方が牽引してくださった道筋があったおかげで、今日、本作のテーマが現実にたいして突きつける意味があると知ったのである。

その意味では、本シリーズを牽引してくださった皆様方に感謝をするだけである。

同時に、諸君等ひとりびとりも本作のメッセージの希望である解決策を次の世代は開拓してもらいたいと願ってのことでもあろうとも想像する。

すなわち、大人になったガンダムファン世代は、ファンの力だけではリアリズムの閉塞感と後退感を突破する力はなかったと自覚もしたからこそ、その申し送りを本作に託していらっしゃるのではないかとも想像するのだ。

アニメがリアルである必要はないのだが、映画という公共の場に発表されるものであるのなら、少なくとも幅広く若い公共に響くものであっても良いのではないかと信じるのである。

製作する世代が若くなり、それを享受する観客がさらに若くなれば、それら次の若い世代が、いつか人の革新――ニュータイプ――への道は拓いてくれるのではないかと信じるのである。


 うわっ。また接続詞がめんどくさい言い回しだなあ!(引用は申し訳ないけど、なんか消されそうな文章なのでここで保存します)

解説文を見かけたので貼る。



 なので、観客の若者や子供に期待するという気持ちはあるんだとは思うんだけども。かつて富野ファンだったアニメ新世紀宣言で業界に入った現在50代後半から還暦のオタク第一世代への苦言とも取れる内容。実際バンダイは実寸大ガンダムの工事で汚職事件を起こした。


ガンダムを見てても洞察力に期待されてもダメな奴はだめ!


何がUniversal Century NexT 0100 PROJECTだよ!雲丹と奈良を強調して!B社とF井の野郎どもは他人の褌にこびりついた糞のカスに寄生しやがって!カテジナ・ルースを描くセンスもないくせに!Gセイバーやるんか?オァン?
G‐SAVIOUR Full Weapon (ニュータイプ100%コレクション)


まあ、僕も無職のダメ人間ですけど。でもガンプラよりもおれはGTMのほうが造形物として美しいと思います。やっぱり永野護は本物の才能だよなー。59歳かー。還暦もうすぐなのかー。やべーなー。FSS面白いのになー。原哲夫先生は20代のうちに北斗の拳を終わらせたのに。(まあ、50代になっても北斗の拳を描いてたけど)


ただ、Gレコが好きな富野ファンでもある僕としては、子供や若い人は無理に過去の世代のジオンだの連邦だの日本だののしがらみを押し付けられて、精算するためにニュータイプだの死者と交流して物理法則を捻じ曲げるサイコ人間に進化するよりは、好きなことをして好きな人と楽しくご飯を食べたりして幸せに暮らしてほしいと思います。嫌になったら勝手に旅に出て富士山に登って観光して楽しんでいいんだよ。
僕はニュータイプというのは能力がどうとかじゃなくて、戦争や犯罪や鰻の密輸や個人所有の山林からキノコを不法採取なんかしなくてもお腹が満たされて幸せに暮らせる人のことだと思うんだ。


その点では5巻のフォントが「人間はーーー腹が減れば盗みもする生き物ですからねえーーー。でもまあ お腹がいっぱいのときはそこそこゴキゲンな生き物だとも思いますよ」という意見には賛成なんですが。


現実世界では特に食い扶持を稼ぐ仕事を見つけられないでこういうところのブログで午前3時までオタク長文を書くような人なので、まあ、うーん。申し訳ございません。


ていうか午前4時にブログをアップしても誰も読まないでしょ!予約投稿で午前8時の通勤時間を狙っておきます。


(アニメの閃光のハサウェイについては、現状では会話劇がメインとして書かれた小説を、ものすごいセンスで翻案してビジュアルにしたら名作だけど、ガンプラ販売促進を盛り上げるだけのメカ戦闘だったら最悪の糞にもなりうるので、すごく怖いなーって思います。現状ではまだ判断しない。一応冬までに原作を読み直しておきたいですけど)



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