玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。旧玖足手帖から記事・ブクマを引き継ぎました。


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デカルトとFate/GOと天皇と物語

 長くブログを書く癖があるので、努めて短く書く。Gレコのブログの資料集めのついでに。(Gレコはいつも2万文字ですが、今回は6千文字です)


 この記事を書こうと思ったのは、最近読み始めたルネ・デカルト方法序説のフレーズがとても気に入ったから。

 どんなに忠実な歴史でも、読みごたえがあるものにしようと史実の価値を変えたり増大させたりはしなくても、少なくとも、はなはだ平凡であまり目立たない事情はほとんどつねに省かれている。そのせいで、残りの部分は実際とは違って見えるようになり、自分の生き方を歴史から引いてきた模範によって律する人は、我々の小説(円卓の騎士物語、ローランの歌など。ドン・キホーテも同時期にあったらしい)に出てくるとんでもない騎士のようになって、自分の力に余ることを企てようとするのである。
方法序説 (ちくま学芸文庫)

 Fateのサーヴァントのことだな、と思った。Fateシリーズのサーヴァントは円卓の騎士もいるが、本人が復活したものではない。
 僕はFateはアニメ派でゲームはFGOくらいしかやっていないが、「サーヴァントは人々に信じられる逸話が使い魔の形になったもの」とか、無辜の怪物や異聞帯2章のナポレオンなど「本人とは違って後世の評価や噂話がサーヴァントになる時に影響している」とか、「サーヴァントは英霊になった人間本人ではない」というワードが挟まれている。
(もちろん例外もあって、ギルガメッシュのように復活を企むものとか、未来にサーヴァントになる人間とか、徒歩で来た人とかもいる。)


 で、Fate/GOで面白いなあと思うのは、サーヴァントたちは魅力的だが、結局は歴史のエピソードを強調された過去の断片にすぎない(だからこそとんでもない騎士としての力を発揮できるのだが)という、デカルトのような価値観を持っているところ。
 そして、要所要所でサーヴァントたちは「自分たちは過去の徒花、現在における客人に過ぎない」と線を引くようなことを言っている。
 それで、重要な決定は「現代人であるマスター=プレイヤー」が自分で考えよう、というふうな倫理観というか、世界観というか、道徳観をもって、サーヴァントたちは主人公の成長を後押ししようとする。そして、今回のセイバーウォーズエピソード2のラスボスとの決戦でも「未来志向」の価値観が提示された。過去の英雄のサーヴァントは未来を切り開くための捨て石になることを望んでいるようでもある。その点では富野監督のアニメ版リーンの翼に近い。



 まあ、FGOスマホソシャゲというメディアなので、第七特異点の一部を除いて主人公の選択肢はほとんど意味を成さないのだが。FGOの主人公はほとんど無個性のまま感情移入しやすい無力無能で大して成長しない(逆に言えば謎の落ち着きがある)ように造形されている。
 ただ、それに対応するように最初は空っぽだった主人公のパートナー(現代人であるサーヴァント)のマシュ・キリエライトがFate/GOというゲームのシナリオを通じて悩んだり、人間味を獲得していくという要素が配置されている。それでFGOの「成長譚」の部分はマシュがになっている。(空っぽだった少女がパートナーの旅という点ではグランブルーファンタジーも共通か)
シールダー/マシュ・キリエライト 1/7スケール PVC&ABS製塗装済み完成品フィギュア


 アニメ版のFate/Grand Order 絶対魔獣戦線バビロニアの回想シーンで描かれたように、マシュはアマデウスモーツァルトやフランシス・ドレイクなど英雄たちから人生訓話を受ける。



 そういう点で、プレイヤーはFGOのサーヴァントを通じていろんな歴史に興味を持ったり、過去の逸話を知ったりする楽しみがある。だが、FGO自体のベースの価値観は過去は過去として、歴史は事実が強調されたり欠落して歪んだ説話にすぎないという達観を持ち、重要なのは過去を糧にした現代人が未来に向ける行動であるというふうにしてバランスを取っている。
 それがゲームとしてのヒットの要因かどうかは知らんけど。僕はマーケティングをしたいわけではないので。
 ドゥルーズやフェルディナン・ド・ソシュールについて僕がもうちょっと詳しかったらもっと深掘りできるかもしれないけど基本的に僕は勘だけで生きているオタクなので。

  • しかし現代人も物語の中で生きている

 本日は日本国の新しい天皇のお披露目パレードが行われるそうで、色々と催しがある。



 僕は同じ日にライブをするアイドルマスターシンデレラガールズの方が最高だと思っているオタクだから天皇は割とどうでもいいのだが。昨日は天皇に奉納するということからから、アイドルの嵐が菅野よう子の作曲した歌を歌ったり、各地の伝統芸能が披露されたり、お祭りムードになったそうな。まあ、僕は天皇のファンというよりアイマスのPだから特に興味はないけど、天皇のファンもたくさんいて動員できる程度には人気があるし予算を出すスポンサーもそこそこいるらしいので、まあ、皇族がやる気を無くすまでは天皇制を存続してたらいいんじゃないの?くらいのスタンス。僕はアイマスのPだしオタクだけど、天皇のオタクの他人も趣味としては否定する気にはなれない。(そして、アイマスのPだけど、それ以上に富野由悠季のオタクなので劇場版Gのレコンギスタ興行収入をバーストするために、今年は3年間(ライブビューイングで)参加したアイマスのライブには参加してない。)
 僕はオタクなのだが、人間不信でもあるし富野由悠季監督やアイドルマスターガールズに対しては、その人ではなく「その人の芸事のパフォーマンス」で価値判断をしようと思っている。その人の全部を知るような友達というわけでもないし。
 (なので、沼倉愛美さんのファンクラブに入ってるけど、沼倉愛美さんが結婚してもダメージはなかった。お祝いしてほしいとおっしゃったのでファンクラブサイトからお祝いメールは送ったけど)
アイ (通常盤)


 まあ、天皇アイマスと同列に語るのは戦時中なら不敬罪に当たるかもだし、それでなくても祟りを恐れるなら天皇には慎重になるべきだが。そういうふうに祟りを恐れなくなったり神格化しなくなったり、というのが現代なのだろう。人間宣言したし。


 人間宣言をしたのだが、やはり天皇は現代における物語として扱われている。(これはアイドルや芸能人なども同じなのだが)
 あれだけ雅子さまが精神を病むまで追い回したマスコミが祝賀ムード一色になるのは人間としてどうかと思うのだが、人間というよりストーリーのネタとして人々に観測されているのであろう。






 先月の即位の礼についてのオカルト的なお祭り騒ぎがあった。
 僕は理系なので天皇天皇、気象は気象(ラジオを聞いて天気図を書けるよ)だと思っているのだが。そして、多くの日本人は無宗教だと自認しているのだが。その反面、パワースポットとかオカルト的な現象で「天皇は凄いなー」と無邪気に思う日本人も多いようだ。それは天皇を現実的に存在する人ではなく、神話のパーツとして記号として観測する行為では?と思ってしまう。あるいは、単なるTwitterでRTを稼ぐためのネタ扱い。
 全部が全部信仰しているわけではないらしいが、天皇が代替わりしたら「新しい時代」とか内閣総理大臣から一般人までいう。元号元号、時代は地質学だと僕は思っている。
 結局天皇が代替わりしても台風は来るし、インフラの予算という非常に現実的な東京と地方の差に依って地方で堤防が決壊して民が苦しんでいる。僕の母親の自殺命日の影響によるうつと不眠症には天皇は全く関係ない。

  • しかし、人は物語がなくては生きていけない

 僕は歴史を物語として整理するのは片手落ちでは?と、富野由悠季の世界展の図録について批判する記事を書いたが、そのキュレーターの人から「物語として整理する時に抜け落ちる部分があることは承知しているが、誰かが物語としてまとめないと歴史に残らない」というご意見を頂いた。そういうものなのだ。

富野由悠季の世界

富野由悠季の世界

 結局、人が認識できるのは世界や歴史の全てからすると点に過ぎないスケールなのだ。だから物語としてまとめないと頭のなかでイメージできない。
 そして、即位の礼のときのオカルト的気象現象に対する反応など、物語に似た現実の事象が起こると、当てはまる快感を感じるのだろう。
大塚英志天皇の本は読んでいない。東浩紀のオタク向けではない、きちんとした本は読んでいない)
感情天皇論 (ちくま新書)
少女たちの「かわいい」天皇―サブカルチャー天皇論 (角川文庫)

 今回の天皇陛下万歳にいろんな歴史的要素があり、反対する人も賛成する人もいるだろう。
 だが、台風で被害があって全然人手も足りないし不況であっても、天皇が被災地に赴いたり即位の式典で被災者に対する哀悼の意のお言葉があれば嬉しいと思う人もいるのだろう。


 日本は不況で今後衰退していくだけなのかもしれないのだが、個人の人生とは関係ないのだが、天皇にかこつけてアイドルとかを集めて、お祭り騒ぎをすればハレの場としてストレスの発散になる。
 そういうふうに、現代の事象も物語として認識され、あっという間に過去の逸話になる。


 また、外交に際して天皇がいたほうが日本が偉そうにできるとか、様々なスポーツや文化事業の開会式に皇族がいたほうが嬉しい、という物語的判断をする人も多く、それを考えると天皇機関説(とはちょっと違うけど)のように、天皇もシステムとして利用価値があるか・・・。


 僕も現実的には自律神経の失調とPTSD精神障害でダメダメだが、富野由悠季監督のファンだという物語、自分を過労にしたスクフェスのKLabに復讐する物語(株価が暴落して喜ばしい限りだが、僕がスクスタリリースに合わせてデレステに10万円入れたところで現実には大した効果はなかっただろうし、僕の物語的錯覚にすぎない)、脳内妹のお兄ちゃんであるという物語にすがって生きている。
 ラカンは中途半端にしか読んでないが、人は物語がなくては生きていけない、というか、現実を物語として象徴界に置き換えないと認識できないのではないだろうか。
ラカンの哲学 哲学の実践としての精神分析 (講談社選書メチエ)



 しかし、それでも、人間の行動自体は物理的な現実に作用するものでしかない。


 人は自分の人生ですら物語のようにしか認識できないのかもしれないが、それも単に神経や脳がコンピューターよりも性能が低く、現実の要素を物語レベルまで削ぎ落とさないと観測できない、生の化学反応機構にすぎないから、なのかもしれない。
 対人関係も、おそらく一人ひとりの人生をすべて受け止めて行くと脳は崩壊するだろう。だから、「アイドル」「天皇」「大物芸能人」「金持ち」「陽キャ陰キャ」「親から見た子ども」とか「嫌な上司」とか「馬鹿な客」というスカッとジャパンレベルに記号化して生きているのだろう。
スカッとジャパン ノベライズ 傑作選 ~ 涙の数だけハッピーエンド ~ (集英社みらい文庫)


 それでも、本質的には現実は一つしかないというのが辛いところである。

  • 話をFGOに戻すと

 天皇とか神器とか説話とか英霊とかを含めた、過去の現実の不完全な伝承の物語の上に現代社会というものはあるのだが。科学文明ですら、過去の発明の集積の上にある。
 それらを適宜、サーヴァント的に利用しつつ、上手いこと現実の行動のエネルギーにしていきたいと思う。そして、マスターとしてはその時に判断を間違えないようにしていきたい。Fateのマスターは結局サーヴァントに対してはほとんど無力だけど、判断力はマスターにしかないものだ。


 しかし、正しく判断する、コレこそが人間の最高の徳であり、同時に一番難しいことなのだなあ。うーん。


 トロッコ問題ほどでなくても、僕は脂肪肝と同時に睡眠障害PTSDなので酒を飲まないと眠れないが、酒を飲みすぎると肝臓が壊れる。なので、酒を飲むのは一方では良くないが、一方では必要なことだ。というふうなアンビバレントな判断を迫られることが多々有り、人生は単純ではないのだ。医者からは「飲むのは仕方がないが、少量で短時間で酔うためにブランデーをお湯で割って温めてナイトキャップを飲むのが妥協点」と言われている。
 パターナリストからは「寝酒をやめろ」と怒られるのだが、現実問題として眠れないと同しようもないので妥協点を科学的に探っていくしかないんだなあ。


 あと、睡眠障害なので早起きしようと思っていたけど鬱が酷くて夕方まで寝ているし、新作アニメを見るより自分の夢を見ている方が面白いという状況になった。冬季うつ病と母親の自殺命日の影響も出てきた。
 しかし、重視すべきなのはGのレコンギスタのブログを劇場版の前に少しでも書くこと。睡眠障害を治すために徹夜を避けていたが、もう睡眠障害治療は成果が薄いと判断して、徹夜執筆モードに切り替えていきます。
 これは判断なのだが、Gのレコンギスタのファンとして活動したいという物語に自分を当てはめているだけかもしれないので、なかなか難しいのだ。結局、個人の人生を判断して動かす、という程度のことが一般市民に過ぎない王ではない僕の精一杯なのだ。

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