玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

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ドリカムの中村正人さんのラジオに富野監督が来た #TOKYO_SPEAKEASY

富野総監督。

やっぱり凄い。

「0」と「1」の間に

無限の数字が

含まれているように

総監督の一言の中に

無限の意味が含まれている。

そのうちのひとつを

捉えるだけでも

一生かかるのに

一時間弱でその思いを

伝えるのは

インポッシブル。

何度も聴いて

俺が伝えきれてないことを

探究してほしい。


THE DREAM QUEST


 適当に感想を書いてお茶を濁そうかと思ったけど、最近はラジオ(ラジコ)も技術も進歩してて1週間の間に何度も聞けるので、2回め聞いてみるか。
 ラジオの前でツッコミを入れるオタクのように。っていうかオタクだからな!

 
 しかし、富野監督は講演会などで喋り慣れているからか、年齢とは関係なく聞いてて心地よい声だなあ。怒っている時以外は。

  • 酒を飲みながら登場する富野監督

 僕も精神科医に「あなたは物書きなので、無理して朝に起きなくても夜に執筆しなさい」と言われている。で、日の出前に寝て、正午前に起きたら午後から病院にも行けるので。(精神科医としては早寝早起きをすることより、何時でもいいから起きる時間を固定することのほうが大事らしい)
 富野監督も仕事をするために助走する時間が必要って言うし、僕もそれでなんとなくTwitterとかをして脳を温めてからガーッと書き始めるので、憧れの巨匠と同じような執筆スタイルなのは嬉しいですね。ていうか、Gレコ、深夜のテンションで飲みながら作業して作られているのか。子供向けアニメとして、それは・・・。「午前2時に一番酔っぱらえるように調整して飲む」とか。肝臓をいとえよーーーー!!!!
 僕は肝臓の数値が悪くなったので、お酒はハルシオン、セロクエル、リボトリール、デパスなど睡眠薬を10錠くらい飲む時以外は酒はやらんようにしている。まあ、飲み会ではビール三本くらいは空けるけど。
 Gのレコンギスタの放送中のラジオで、僕は三回お便りを送って、アイドル声優で神崎美月役の寿美菜子さんに「グダちんさん♡」って呼ばれたのだが。その時に「富野監督は徹夜を控えてください」「テレビシリーズが終わるまで生きてて偉いね」って送った。その時は石井マークさんにちょっと笑われたのだが、石井マークさんも病気をしたので、本当に健康で居ないと仕事が止まるということはおわかりいただけたと思う。石井マークさんはだいたい治ったらしく、それはいいんだけど。(まあ、精神のあれはあとを引くので、精神障害者の僕としては頑張りすぎないでいてほしいが)


 富野監督は来年に傘寿をお迎えになるのですが、米寿の辻真先先生や95歳の渡辺宙明先生が新刊を出したりアイドルマスターの新曲を書いたりしているのを見ると、富野監督もクリント・イーストウッドくらいはやってほしい。でも人は死ぬ時は死ぬので、そこはなーーーー!つらい。
 しかし95歳で特撮ソングをアイドルゲーム向けに書き下ろす渡辺宙明先生すごすぎる。


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  • 曲の間になんか話が流れたらしい

 何の話をしてたのかな。殺してやるとかいう話をしてたっぽい。外ではできない話をしてるって中村さんが言ってたから「殺してやる発言」はイントロの音楽の闇に葬ることもできたはずだが、「監督の殺してやる発言ってどうなんすか」と話を蒸し返すパーソナリティ。Twitterでうかつに殺すとか言うと怒られる時代なのになー。深夜ラジオは自由なのか?


 住宅ローンを完済するためのモチベーションで生きるために仕事をしていたというわけで、作りたい作品はないという富野監督。創作能力もないけど、宮崎駿監督とか殺してやりたいというライバル心があったけど、作りたいものはないと言う。
 つーか、新座市の富野邸のローンは返したとして、21世紀になって引っ越してきたスタジオの近くの家は、やっぱりローンなのかな?まあ、ガンダムの著作権をちょっぴりだけ持ってるというのは銀行からいくらか頭金にはなるのだろうか。あんまり富野監督の私生活の家はしらんけど。机と椅子と鉛筆とセロテープとアオヤギの食料が有ればなんとかなるだろう。


 うーん。これもどうなんかなー。かなりメッセージ性強い作品が多い監督の作品群なので。単に名前を売りたいから奇をてらったこともあるだろうけど、Gレコとか「金融資本主義に汚染された文明を子どもたちに考えさせる」ともおっしゃってる。ガンダムも人々の洞察力に期待していったし。それは単に生活のためにウケるネタ集めとしてハンナ・アーレントとか現代の問題やローマクラブを入れてみたってだけなのか、やっぱり子どもたちへのメッセージとして作りたいと言うか創作意欲があったとか?



 

  • 殺意は創作意欲

 「劇中でもそうなんですけど」って言ってるので、まあ、逆襲のシャアとかマスク大尉とか黒騎士とかなんですが、「あの野郎ぶっ殺す!」という気持ちがないとフィクションを作るという仕事はできないそうです。
 逆襲のシャア、もう、「あの野郎ぶっ殺す!」だけでほとんどのストーリーが説明できるからな…。


 僕も文章を書く時、殺す!とは思わないけど、「文章を読んだ人の自然な感想や認識や常識を揺さぶって不安な気持ちにさせたり、ぎょっとさせたい。怖がらせたい」という気持ちはありますね。あと、Gのレコンギスタのベルリの殺人考察シリーズというのを書いて、全話におけるベルリの戦闘行動の意味、ビームライフルの一発一発の意味を考察していったんですが。
 あれは確実に出版業界に居場所を見つけたウェブ出身のライターとかアニメ評論家に対する攻撃のつもりでしたからね。出版業界とかウェブメディアって、どうしてもお仕事なので方向性とか文字数とか制限されます。穏当なことを書くようにと言われるし。
 なので、一話に3万も5万文字もかけて評論するっていうのはブログの海賊野郎である僕にしかできまい!ふははははは!文字数で押しつぶしてやる!という気持ちはありましたね。
 某評論家が富野監督と対談してそれが何万文字とか帯に書いてたけど、僕はそんなん、毎週万単位の記事を量産したわけで。「地球は四角くない」とか名台詞を恥ずかしげもなく間違えるような輩には負けたくないですね。あと、テレビのコメンテーターにも絶対なりたくない。


  • 創作能力がある人

 富野監督みたいに「ぶっ殺す!」ってほど思わない人は資料をたくさん読めて、脳内に膨大な文化的なデータがあるらしい。まあ、高畑勲監督のことでしょうね。だから、海のトリトンの監督を任された時に児童文学を徹底的に勉強したとのこと。真面目だ…。(日大芸術学部ではドラマツルギーはそんなに勉強しなかったのかなあ。トリトンは確かに変化球ではあるけど子供向けの児童文学のニュアンスもある)


 で、富野監督は児童文学をやりたかったけど、脚本家について「テレビ局のことしか考えてねえな」と敵愾心を持ったりとか。でも、中村正人さんが「でも、そういう人も監督と同じで食うために仕事をしてたんですよね」とフォロー。


 で、そういう時期は「お金をもらいながら修行ができてる」と思ってたらしい。最近の喜寿を超えた富野監督の周りには修行中の人は少なくて、同じような高齢者ばかり。あきまんさんも50歳過ぎたし、永野護も庵野秀明も還暦過ぎたし。
 ドリカムの中村正人さんも62歳なのか…。ひえー。

  • 吉田美和の体型について

 「50過ぎてあの体型でライブは辞めたほうがいい」とか女性に勝手な理想を押し付ける富野監督。やっぱり若い姉ちゃんが好きなんだろう。本当にしょうがないな。
 「悪口になっちゃうかもしれないんだけど、吉田美和っていう業がさせていることなんじゃないかな」いや、森光子さんとか、お亡くなりになる前まで活動してた歌手はいるので、ドリカムの吉田美和さんのレベルなら一生アーティストでいいじゃないですか。

  • 本当に才能のある人

 吉田美和さんのことを考えたからか、中村正人さんが「本当に才能のある人は、ぶっ殺す!とか考えないですよね」って言って、富野監督はそういう言い方をされたのは初めてだと言いつつ、「唯我独尊ということも含めて、私が出ていったら皆が喜ぶって自然に思えるんでしょうね」みたいに言う。中村正人さんが「それが吉田の業かもしれない」とユニットのパートナーを評する。うーん。
 富野監督は「まさにそういうのが才能というもので、僕のような才能のない人間はとにかく”あの野郎ぶっ殺してやる!”って思わないと物語の発端さえ出てこないの」
 殺意は創作意欲!寄生獣の脳波で一番強いのも殺意。富野監督・・・でも殺気や憎しみを戦場で出しすぎるのも良くないって言われるのが富野アニメだったりもするので。
 「悔しいとかやっつけたいという気持ちがないところでは作りたいものがまったくない」と言う。でも、実際に作っているわけで、この発言の裏を取れば、やっぱりリーンの翼では日本を間違わせた政治家や軍人たち、Gレコではナチスよりも巧妙に経済的な全体主義を作り上げた経済人達に対して「許せない!」っていう気持ちがあって、ああいうアニメを作ってるんだろうね。まあ、それが子供向けの創作として正しいのかはわからんのですが、やなせたかし先生のアンパンマンも戦争の飢餓に対する怒りが最初期のモチベーションみたいなところがあるし…。

  • 好きなことって何か

 中村正人さんも富野監督と同じで、自分でやりたいことはそんなにない。仕事の種を与えてもらって、仕事をしてお返しするという職人タイプ。吉田美和さんは天才肌なのかな?こういう仕事をやりたいという種を吉田美和さんから与えられることが多いとか。
 「監督に種を与えるのは誰ですか?」「誰も居なかったから辛かった」「監督今泣きそうになってるw手塚先生は?」「あんなのトリトンの原作が使えないってなったときからライバルだもん。師匠ですらない。手塚をぶっ潰す!」
 「だから才能がある人が羨ましい。ドリカムもこういう曲で出てきて売れて、1万人、2万人に向けてライブをやって、しかも二人でやってのけて、本当にこいつら殺してやろうかと思った」
 面と向かっていう監督。爆笑する中村さん。
「僕は今、米津玄師くんにそう思ってますからね」と中村さん。パプリカ・・・。
「米津玄師くんは何でもできて、歌もうまいくせにボカロとか、そりゃないだろ!」
富野監督も「アレンジも素人だったくせにやってのけて、ふざけているのかーって思うけど、あれが才能なんでしょうね」マスク大尉は富野監督の分身みたいな所あるんだな。


  • 辛い10年間

「監督、なにか辛いことがあったんじゃないですか?」と、荒んだ言葉を言う監督を心配する中村さん。
「それを言うとここ10年くらいずっと辛い。楽しいことほとんどない」という富野監督。うわっ。めんどくさい。
 中村正人さんは笑顔が素敵なおじさんですが、富野監督もほだされているのか酒の勢いなのか。

  • モーツァルト

 で、「天才の名前を言って誰にも文句を言われないのがモーツァルト」と、いきなりモーツァルト論を始める富野監督。


「僕、50までモーツァルトを聞くなんて思ってなかったもん!あんな曖昧でよくわかんねー曲なんて!」天才と言っておきながらまずツンから入る。
 中村正人さんによると、「ビートルズも監督はケチョンケチョンに言ってます」。


「だけど、この5,6年ずっとモーツァルトを聞いてる」という監督。
 

 富野監督が音楽を聞くのは、作業中なのか、瞑想中なのかドライブ中なのかわからんけど、僕は学生時代、モーツァルトばっかり聞いていましたので、モーツァルトにはうるさいぜ?ベートーヴェンやバッハやハイドン、シベリウスとかショパンとかドビュッシーとかエリック・サティとかいろいろ聞いていましたが。
 富野監督は「曖昧でよくわかんねー曲」とモーツァルトを評したけど、僕はまさにそこがモーツァルトの好きなところで。のらりくらりしている曲なんですけど、だからこそ全然作業のじゃまにならない。主題のテーマとかサビの主張がほとんどない。大きめの交響曲とかピアノ(単音の集まりなのでちょっと引っかかる)はまた違うんですが、僕の好きなモーツァルトの弦楽四重奏は引っかかりがほとんどない。だけど音楽を聞いている気持ちよさは感じる。最近はうつ病気味のテンションを上げるために執筆中はシンフォニックパワーメタルばかり聞いてるんですが。(北欧ロックの歌詞は言語野の邪魔をしないので)
 でも、富野作品のサントラもかなり勉強や作業中に聞いていましたね。Vガンダムとか、地獄のようなアニメですけど聞くとテンションがアガる。富野サントラにハズレ無し。皆聞くべき。リーンの翼も早くサントラを出すべき(同じ作曲家のガンダムXのサントラで代用している)


 富野監督もモーツァルトについて「音楽のことはわからないんだけど、何を作曲させても煩わしくない」と褒めている。その煩わしくない、スルッと抜ける感覚がモーツァルトなんだよなあ・・・。
 他の作曲家はどこかで個性を出そうとしたり主題を打ち出したりするので、そこが魅力的に聞き入るポイントになる場合もあれば煩わしい時もある。悪口かもしれないがモーツァルトは「ストレスなく聞き流せる」という要素がすごく強い。おそらく、モーツァルトは舞踏会などの社交界でのBGMとして邪魔にならない音楽を提供する商業作家として仕事をしていたので、そういうスキルを身に着けたんじゃないだろうかとおもう。
 聞いてて気持ちのいい音楽だけど、別に聞き流してもいい、という相反する要素をもつというか…。天才だけど主役にならないでもいい曲を作るというか。僕も音楽をきちんと勉強したわけではないが、モーツァルトは好きなので語ってしまった…。


 で、富野監督は若い頃はワーグナーとか好きだったけど、モーツァルトを聞くようになるとわざとらしい曲がだめになったと。わかるなー。


 それで、モーツァルトは職人で食うために作曲していて商売人で俗なやつだと監督が言う。アマデウスという映画が好きで、モーツァルトはああ言うやつだったと思うとのこと。

  • 才能のある人の人格

 いきなり中村さんが「才能のある人は人格もいい人でなければならないっていう風潮は間違ってる!才能自体が人類のためになってるから、性格はめちゃくちゃでもいいじゃないですか!」と吹き上がる。言うなあ・・・。


 富野監督「人間はめちゃくちゃじゃないと天才的な仕事はできないんです」
 吉田美和さんも無茶苦茶だよ、と笑いを取ったところで流れるようにGレコの劇場版2部の主題歌「G」が流れる。

  • 「G」論。

 「G」を歌う吉田美和さんはカームダウンというか、冷静に歌っているらしい。富野監督は「それで俺は気に入ったのはそこかー」と。
 中村正人さんが言うにはGレコの登場人物は普段は冷静で情報収集しているし熱血漢は少ないけど、作戦の時は火の玉のように戦うと。
 で、それが「今の人達」=「IT技術を使いこなす人たち」っておっしゃってる。
 「G」の制作の時はポスターしか資料がなくて本編はあえて見なかったとおっしゃっているが、その後Gレコを見てかなり深く洞察しているなあ。僕も「アサルトパックを使うベルリとかの描写はスマホ世代っぽいよね」という記事を書いていたので共感する。
 その中村正人さんの分析がすごいねーって監督が褒める。監督は自分で作っておいて分析ができないのでグダグダしているらしい。中村正人さんは「富野監督は才能が”ある”側の人だから、今回の僕は吉田とともにフォローするというお仕事をしました」ということで、これもモーツァルトと同じく劇伴曲として主役である映画を立てる姿勢だよね。
 富野監督は「才能が有ればもっと楽をしているはずと思うんだけどなあ」とやっぱり才能がないふりをしているけど。


 で、中村正人さんは自信を持って「G」を第二部のエンディングとしてお出ししたので、逆に監督は「第三部どうしよう。全然よくわからない」ってなってるとか。コロナもあるし。主題歌は興行の顔とも言えるので、なんとかまた名曲を出してほしい。
 いちおう5部までのBGMの発注を菅野祐悟さんにしたらしい。映画のBGMが発注できるってことは、コンテは当然として演出プランもだいたい決まったということなので、そこはファンとしては安心だが。菅野祐悟さんも米津玄師さんに敵愾心を持っているそうだ。僕は米津玄師さんは殆ど聞いたことないのでわからんが、そんなに人々の嫉妬を買う人なのか?
 僕はアイドルマスターを聞いてたらJポップを追えると思っているオタクなので。


 で、そういう時代の天才について中村正人さんが「ユーミンさん、中島みゆきさん、宇多田ヒカルちゃんもそうだし」って言うけど、ドリカムも同格だよねえ…。ご謙遜だ。

  • 偉ぶる富野監督

 「この一年、何もしてないのに評価されてるGレコはすごいし、菅野祐悟という才能に発注できてうれしい」というようなことを。Gレコは定期的に作業止まるな…。まあ、企画に7年の時点で規格外だが。
 でも、作業は止まるけど、「人間はずっとピーンと張ってるわけには行かないので、Gレコはこれでいい」らしい。しかし、秋元康さんのようにずっと作り手っぽくやっていきたいという気持ちもあるとか。80年代に毎週新番組を作ってた監督がなあ…。


  • ホルストの木星

 CMを挟んでいきなり鳴る。中村正人さんが仕事抜きで富野監督と聞きたい曲だったそうな。いつもはポップスをかけているのかなあ。
 中村正人さんは「こういう曲を作りたい」と思っていた。でも、富野監督にとっては「これが当たり前だと思う」とのこと。


 ホルストの木星について「空間だけじゃなくて水平線と言うか地平線がダーっと走っている感じで評価はしているけど、そんなに驚かなかった。いまはモーツァルトの自然体の方が…」文句を言う監督。拗ねる中村正人さん。
 中村さんは選曲を褒めてほしかったけど、富野監督はドリカムを認めているので、「変に褒めたら馬鹿にしていることになる」と微妙な人間関係論を。


 しかし、モーツァルトを聞くようになったことについて、富野監督は自分に一貫した趣味がなくて、皆がポピュラーに聞いてるモーツァルトに戻らざるを得なかった自分が本当に嫌、とのこと。いや、普通に聞いていたらいいだろ…。なぜそこで劣等感を…。


  • ガンダムをいじる中村

 「モーツァルトもガンダムも同じですよ」と謎理論を展開し始める。「皆がほめてるからモーツァルトはすごいんじゃなくて、モーツァルトがすごいから皆がほめる」で、それはガンダムも同じで。
 中村さんはいじるような口調で「監督はガンダムに戻らざるを得なかったとか言うけど、他のロボットアニメは死屍累々ですよ」とか。うわー。言うなあー。まあ、ロボットアニメだけでずっと食っていけてた監督もあんまり居ないよな。河森正治さんの謎のこだわりは感じるが。
 そういう中村さんの分析を監督は「プロデューサーでお上手」とか言う。
 中村さんはガンダムほどヒットしなかったロボットアニメの監督たちはガンダムを羨んでいるんじゃないかというのだが、監督は「ガンダムを基準にしてほしくない」とか。なんでかというと、富野監督は「戯作者になりたかったのに、結局ロボットものしかやらせてもらえなかったので、日本映画界を全部ぶち殺したい」ということだそうだ。
 いや、そこはGガンダムの今川泰宏さんが放課後ていぼう日誌の脚本を書いたりとか言う器用さが監督になかったからでは…。


 まあ、富野監督も自分がロボットアニメがうまいことは自覚しているが、「巨大ロボットというギミックを使わせたら天下一品だろう、というまさにそれが縛りになってしまって劇が作れなくなった」と反省している。僕はファウ・ファウ物語とか好きなんですけどね。それが映像化しなかったからジブリになれなかったというのか?
 監督は「ドストエフスキーやバルザックに比べて僕は人間観察ができてない」とか言って中村さんに「比べる人が大きすぎる」と突っ込まれる。


 僕も10年もブログを書いていると文章を褒められる事はあるんだけど、できたことを褒められても当然っていうか、褒めてくれる人には失礼ながら、嬉しいんだけど嬉しくなりきれないところはある。で、出した原稿に対して編集者にすごく赤を入れられると「僕は文法の基本ができていない…」と凹む。まあ、校正して本に乗せる程度の価値はあると思ってくれてるから赤を入れてもらっているので、そこは嬉しいんですが。文法の勉強しよう。

  • シェイクスピアと富野監督

 「G」の歌詞にシェイクスピアって入れているけど、吉田美和さんは監督もシェイクスピアと同じようなことを言ってるんだって思って入れたそうな。
 でも、中村さんとしては、そんなに高尚じゃなくて、シェイクスピアもエンタメをやりたかったんだろうねって言うことで、さらに監督が付け加えるなら「シェイクスピアは自分が田舎者だと自覚していてロンドンに居る連中に褒められたいという下心と向上心があったんだろう。でも、自分がこういうふうにしか劇を書けないオレ、っていうコンプレックスを持って居た人だろう」と。
 それに中村さんがかぶせて「富野監督が自分はこういうロボットアニメしか作れないからっていうわけのわからないことと一緒ですよね」。


 富野監督は急に声を大きくして「僕は世界の文豪のシェイクスピアと並んでいるつもりはないからね!」っていうんだけど、中村さんには「いやー、世界の富野ですよ。おべっかではなく。だってもう曲を書かせてもらったのでおべっかを使う必要がない」と笑わせつつも褒められる。ラジオパーソナリティの瞬発力を感じる。監督も爆笑。


  • 今の子供達に見てほしい

 監督が「ガンダムを知らない人や今の子供達に見てほしい」という話をよくしているのだけど。中村さんもあんまりガンダムを見てなかったので、年齢は行っているけど、フラットな姿勢でGレコに入ったと言う。
「G」を作った時はポスターしか監督に見せてもらえなくて、本編を見ずに歌を作った。それからGレコを見て、(TV版も見たのかは謎だが)中村さんは「Gレコは面白い!でも得体のしれない面白さだからよくわからない」という感想。
 富野監督はそういう欠点が最近ようやくわかったと、「ああ子さんにガンダムもGレコも登場人物が多すぎるから映画になってない」って怒られた話。
 ドリカムの中村さんはああ子さんが仕事を振ってくれたから富野監督にはちっとも感謝してないとか微妙に失礼なことを。言いながら、ネットフリックスとかの最近のドラマは長いし登場人物も多いし群集劇だから、と富野作品に対してフォローを入れる。
 富野監督は「映画は2時間に収まってないと駄目」とか五部作にするとか言った本人とは思えない謙遜をして、中村さんが「いや、10シーズンもかけて描写するドラマもあるので、Gレコは今の時代にあってる」とフォローする。富野監督は褒められたいくせに妙に卑下すると言うか、むしろ卑下したタイミングで相手が慰めてくれて、そこで褒められたいという構ってちゃん的なところがあるというか…。
 それで監督も「だから5部作を企画したんだけど、やっぱり戯作者として高い目標があってシェイクスピアに勝ちたいわけ!」さっきシェイクスピアと並んでいるつもりはないと言ったのに。酒を飲みながらラジオの収録をするの、こういうグダグダ感が出るよね。
 で、ふたりとも爆笑。と、和やかな雰囲気になったと思わせておいて、「吉田美和さんにドスを突きつけられたような感じの歌詞」とかビーンボールを投げる。そういうところがある。


  • デジタル・デバイドの世代と戦争

 最近はオンラインで評価されないと駄目という話になる。中村さんは娘に音楽をおしえてもアイフォンや動画編集ができないと相手にされないというお父ちゃんの悲哀を語る。
 で、アニメもデジタル制作ですよねー、って中村さんが言うと、監督はまた「ああいう機械を使っているやつは他人だもん。スタッフ以下だもん。鉛筆で絵を描ける人としか付き合わない」とゴネる。撮影監督の脇さんがかわいそうだろ!劇場版も色々苦労されたのに…。虫プロで制作をしてた時に撮影スタッフにどやされた恨みがまだ残っているのだろうか…。


 富野監督は1941年生まれで、ポツダム宣言で4歳で、中村さんはポツダム宣言から13年後に生まれて、今から13年前って昨日の話だとかいう話。まあ、時間が経つのが速いので、世代は分断されているように思えて意外とつながっている、みたいなことを言いたいのだろう。


 で8月だから戦争の記事を読むよねっていう話になって、「なんでこんな日本になったんだろうという現代の話じゃなくて、なんであんな戦争をやれると思ったのか、すげーな。気●い沙汰」といって、うっかり言ってしまったキ印のことで謝る監督。「1941年生まれ当時の価値観を尊重しておりますので、普通の言葉です」と冗談をすっと言える中村さんはユニーク。手塚先生の萬画の末尾にも書いてあるしな…。


 で、キチガイがどうとかいう概念を抜きにしても、やっぱり常軌を逸していると言うレベルでなく、なんであんな国力の違う戦争をしたのかって言う。

 「戦後の問題でよく分かることがあって、特攻とか命令を出したやつが戦後はいなくなって語らなくなった。で、特攻させられて死んだっていう痛みを持っている人だけが発言をするようになった」
 「特攻で国に準じたという言葉遣いを発明したやつが居た」という監督に中村さんは「それで救われる人も・・・」で「当然です。戦死者の家族は無駄死になんて言われたくないから」。
 で、「問題は死にに行けって言って勝てたら言ってもいいけど、死にに行けって言ったやつが戦後にいなくなって、ごめんなさいって言ったやつが一人もいなくて、軍人恩給をもらってんだよ!」


 戦犯のがれをして戸籍を操作して中野学校のスパイから戦後は公安で権力側で仕事をし続けた祖父と、後妻に入った相手の軍人恩給のおかげで娘(僕の母親)を自殺に追いやっても特別養護老人ホームで上げ膳据え膳の生活をしている祖母を持つ僕としては耳の痛い話だ。まあ、人間はね、生きるためなら何でもするし、それは軍人も浮浪児も変わらないんだろうねえ。僕も過労で精神障害になって働けない体になったけど、それを使ってでも生き延びようとしてるからなあ。


  • 兵士の話

 軍人恩給の問題は流石にヤバいと思ったのか、中村さんは話題を変えて「戦闘シーンでついでに死ぬ人がいるじゃないですか」と、また微妙なところを付いてくる。「水戸黄門で懲らしめられてついでに死んじゃう人とか、どうしてくれるんですか。Gレコの戦闘シーンもそうですよね。シリアスな問題ですよね。どう考えてるんですか」と、これも酔ってるような絡み方だなあ・・・。


 僕は一応、Gレコが映画になった時にモブが死ぬことの重みを冒頭で印象づけるために「グリモアの音速超えおじさん」が追加された意味があるっていう記事を書いてたので、いちおうそういうことも大事だとはわかっている。と思う。


 で、富野監督は「そういう戦闘の局面を作ったやつのことを考えろと40年前から考えている」と。人間爆弾とかなー!


 それでいきなり演出論の話になって「デジタルで格好良さ優先で人間を飛ばしているけど、あんな速さで人を飛ばすと死ぬぞ」「絵面のかっこいい爆発の表現のデジタルは極度にひどい」。
 かといって、「無残に死んでいく人を強調していくと、それはそれで戦争反対の表現にはならず、作品の公開が中止になる」とのこと。
 僕はその話題は大塚英志の本で引用されていた大江健三郎の『取り替え子』の映画論でなんとなく読んだ。


 で、「そういうものごとに対して我々や今の人達は正確な判断基準を持てていないよね」とのこと。で、東京大震災の焼死体の写真も黒塗りになるような時代で、「人の命を大事にしましょうということだけを言葉にして済むんだろうかと、考えなくちゃいけない」「でも、現在、人権主義に対して誰も反論を言えなくなっていて、困っている」「そういうものに反旗を翻せる作品を作れないのかと苦労しています」
 一例を上げると、クリム・ニックはめちゃくちゃ人を殺すけど、彼自身は作中では美形で好漢のように描かれている。Gレコはそういうところがある。
 ラジオでまためんどくさい話題を…。


  • とりあえず音楽を

 話がこじれたので、富野監督がかけたい音楽を2曲かけよう!ってなる。ここらへんは台本っぽいな。
 んで、ハイフン・スタッカートだけど、菅野祐悟さんは歌詞カードだけでこの曲を書いたのですごい、脱帽という監督。中村さんもミュージシャンなので、さっきのホルストの木星みたいな壮大な宇宙SF的な西洋的なものではなく、インドやバリっぽい音をロボットアニメの曲にするのはすごいと。監督も「何の説明も指示も出してないのに作ってきてすごい」と。
 うーん。トイレ音楽に謎に哲学的な歌詞なのだが、菅野祐悟さんもどういう脳の動きでああいう曲にしたんだろうな。


 で、もう一曲はドリカムのうれしはずかし朝帰り。


 それにも富野監督は嫉妬して、「こういう人達が出てくる10年、20年をどうやって暮らしていこうか」と。うーん。生存競争。


 で、中村さんの考え方の切り口が勉強になるので、またなんか機会があれば、って思うけど、今から聞かされても間に合わないんだよねーーーーーって。


 富野監督の次回作にご期待ください。