玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

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明るい部屋で #閃光のハサウェイ テレビ版を見た3

 画面が暗いことに定評のあるアニメ版の閃光のハサウェイですが。映画館では周りが暗いし画面も暗いのですごい暗かった。
 今回の夜戦でガウマンのメッサーとグスタフ・カールの戦闘はめっちゃ暗かったのでアニメ版では何やってるのか、映画館ではほとんどわからんかった。まあ、モビルスーツの戦闘よりもその足元のハサウェイとギギがフォーカスされている演出なので、まあ、その。


 というわけで、アニメ鑑賞としては邪道ですけど、せっかく明るい部屋で見れるということなのでモニター画面の輝度も上げてみた。普段は原稿執筆のために目を疲れさせないために下げているが。


 そうすると、グスタフ・カールと戦っているガウマンが一方的にボコボコにされているわけでもなく、それなりに地上に落ちた後の格闘戦でも奮戦してケネスのセリフ通り数機を撃破しているのがわかった。
HGUC 機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ メッサーF01型 1/144スケール 色分け済みプラモデル


 ただ、逃げ惑う人のドラマが主軸だし、モビルスーツのクロスコンバットよりも、モビルスーツの戦闘による流れ弾やビームの破片の方を見せたい感じだったし、ハサウェイとギギの感情の高まりに時間を取っていたので、それと同時進行している格闘戦は富野由悠季作品のモビルスーツの格闘戦に比べると、もっさりしている動きに見えた。(小説はそこらへん、メカ戦の脳内イメージと人間の芝居のイメージを別にとらえることができるのだが…)


 メッサーのブースターが限界を越える前の空中戦は割と広い戦闘領域だったように見えて、そこはグッドだったけど、ハサウェイとギギが逃げ込んだ公園の近くで格闘しているところは、なんかモビルスーツの動く範囲としては狭かったかなって。
 まあ、火花とかスパークをバー‐‐ーッ!と見せて、人間とモビルスーツの大きさを対比させる「画」のイメージを見せたいという演出は分かるし、実際にその場面は印象的で広告にも使われているくらい効果的だった。
 ただ、ちょっと富野由悠季作品に比べると、モビルスーツがもたもたしていた気が。F91とかも流れ弾でやられる人を描いてたけど、スピード感とアッサリ死感があったような。まあ、F91はテレビ版の序盤として作っていた企画がいつの間にか序盤のダイジェストになり、それの映画で打ち切りになったというかわいそうな作品でもあるので、ちょっと比較はしにくいのだが。


 いや、まあ、パーセルフ軽装状態とマックナイフとのG-レコ4部の戦闘が速すぎるだけではある。


(普通の映画の感覚だと巨大なものはゆっくり動くけど、G-セルフの高トルクパックをデザインしたあきまんこと安田朗さんは「富野アニメでは巨大なものほど高速で動く」と言ってた。まあ、物理的にもデカいモノの移動速度の方が速いしな)


 人間の感情を盛り上げる演出的時間と戦闘シーンの時間感覚、これのバランスはとても難しいので、僕は文句を言っているけど、やれって言われてもやれませんね。
 まあ、それもあって暗い画面にしていてハサウェイとギギが怖い目に合う、という情報量だけわかればいいように作ってあって、モビルスーツの格闘の段取りがどうのこうのというよりは流れ弾とか火の子や火花が暗い画面の中で印象的に光って見えればかっこいい、という演出プランなので。そこを明るくしてみた僕の方が悪い。
 まあ、興味本位だな。だって暗いものを明るくすると面白いじゃん。AIによる昔の写真の色付けとか。


 明るくしたら、メッサーがうつぶせに倒れた姿勢もわかったので、メッサーのコックピットが腹ではなく頭になっていた理由もわかった。(まあ膝立ちで擱座させればいいのでは?とは思ったけど)


 あと、ペーネロペーが飛行用モビルスーツのくせに人型っぽく浮きながらメッサーの頭を蹴り飛ばすというのが原作の段取りでミノフスキー・クラフトの見せ場だけど、それはちょっと「大人のガンダム」としては漫画っぽく見えるからかカットされた。
(ミノフスキー・フライトが標準装備されたのはVガンダムの時代で、ドライブはV2など光の翼の奴だけ。クラフトとフライトの使い分けが微妙にめんどくさいな)
 まあ、原作の富野由悠季さんとしては人型のモビルスーツが自在に浮くっていうところで進歩感や量産機との違うペーネロペーとΞガンダムの特別感を出したかったんだろうけど。まあ、原作当時と現在では空飛ぶロボットの高級感がロボットアニメーションのジャンルの中で違っているのはある。割と最近のロボットやガンダムは軽率に飛ぶ。
(富野ガンダムは人型のまま飛べるようになるまでVガンダムまで14年かかったけど、他の単発ガンダムは機体の進化が早いので、序盤では飛べなかったメカが割と途中からホイホイ飛べるようになったりもする)
 


 ただ、そのせいで一応ロボットとしてのライバルのペーネロペーの初お披露目の戦闘だけど「ペーネロペーは何をやってたのかわからん」という印象だった。まあ、繰り返し見たらわかるのかもしれないし、Gレコだと何度も見たけど、僕は割と好きな作品とそうでもない作品に偏りをつけて時間を調整しています。スラムダンクの映画も評判がいいけど見てない。でも、アイカツ!の10周年映画は3回見た。
 いまさら囲碁や将棋やヴァイオリンを習うつもりもない。(なので僕も偏った人間なのである)


 まあ、ロボットとしてはペーネロペーとΞガンダムがライバル関係だけど、小説の人間ドラマとしては指揮官のケネス・スレッグとハサウェイ・ノアがライバル関係という「ずらし」が行われているので、やっぱりフォーカスをどっちに置くかっていうのが相当難しい作品だよね。(それもあって映像化が無理って言われていたわけで、単にメカデザインの問題だけではない)


 映画のテンポ感としては、ペーネロペーの戦闘シーンはラストのΞガンダム空中受領に山場を作りたいので、初戦は着陸してレーン・エイムの顔見世をするだけ、っていう演出プランもわからんでもないしなあ・・・。

  • テロと狂気のバランス

 ハサウェイ・ノアのサインは「ハサウェイは壊れているということを示すためにギザギザしたカリグラフィーをデザインした」というアニメ版だけど、ハサウェイって「意識的に普通の人を演じようとしている」ので、サインで個性を出すかなあ?僕は結構公文書を書くときは意識的に書体を変えてたり、複数の人が書いたように見せかけたりするけどなあ。(これで親に黙って僕は大学を休学したりした)


 あと、アニメだとハサウェイがクルーザーに乗る前に「夕方の便にするか」って言った後、砂浜までブラっとするのは、クルーザーが混雑していたので行き当たりばったりに動いているように見えた印象だったけど、原作を読み返したら「他の人に聞こえるようにわざと『夕方の便にするか』といって検問を撒こうとしていた」という描写だったのか。


 まあ、僕のアンチにしてみれば、こういう僕の見落としは格好の「グダちん叩き材料」になるし「富野作品ばかり細かく見て、他の監督の作品は見落としが多い」などと言われるように予想されるのだが、映像は何となく見てなんとなく非言語的に雰囲気を感じさせるメディアであるので、そこは難しいよね。
 小説は地の文で説明しているけど、「大人のガンダム」として説明セリフを省く演出にすると何してんのかわかんなかったりする。
 逆に、ガウマンの戦闘中にギギをどうするか葛藤するハサウェイのモノローグは地の文をセリフにしているので、そのせいでバトルの時間が長くなって間延びする要因になっている。メディアの違いって難しいね。


 他の変更点としては、テロに対しては「絶対悪」として描くのが21世紀のアメリカ本土攻撃以降の西側民主主義国家の流儀で、日本も大体それに従っている。
(ゲリラ戦やテロ自体はむしろ連合赤軍など日本が中東に持ち込んだり、ソ連とアメリカなどが似たようなことを中央アジアの軍閥に教えたりしたわけで20世紀後半にもあったわけだが)


 そーいうわけで、原作での「マフティーより連邦軍のほうが市街地に撃ち込んでたんだってよ」みたいなダバオの市民のリアクションのセリフが正反対の「マフティーなんて糞テロリスト」というセリフに変えられている。時世だねえ・・・。


 ハサウェイをクルーザーまで送る道中で、カヌーの少年が「連邦の官僚に差別されているから、マフティーには自分の都合の悪い奴だけ殺してほしい。俺は地球に住みたいけど」と、原作では俗なことを言うけど、それも全カット。一般人は善良で、テロリストは絶対悪、というのが当世で一般公開する映画に求められる映倫というやつだ。時世だねえ・・・。


nuryouguda.hatenablog.com
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↑おととしの感想。第二部はいつになることやら…。


 ケネス・スレッグがハサウェイを追跡するときに、だらけがちな警察官僚に「ここに爆弾を撃ちこんでもいいんだぞ」と恫喝したけど、アニメ版ではケネスがきびきびと指示を出しただけで、脅し文句は削られている。そのおかげで原作でのケネスのサディスティックさはかなり削られている。
 でも、そのおかげでTwitterなどを見るとファンアートで描かれるケネスは好感度が高くなっており、ギギを取り合ってハサウェイとイチャイチャするかわいいBLって感じになってるね。
 ま、それもメディアの違いというか、ファン層の違いというか、広告としてはよくできているんだけどね。思想としては変わっちゃっているよね。


 なので地球連邦を支える一般人と腐敗した官僚とだらけている軍組織とやる気に満ちたサディストのケネスと、世直しを考えているハサウェイと、モビルスーツに乗らないニュータイプのギギ、という複雑に絡み合った多重構造が、「一般人の感覚は善良で、テロは悪でメインキャラクターは一般の観客の感覚で好かれるようにする」というアニメイトされている。
 原作のケネスは本当に意味もなく、人を殴るために鞭を使っているけど、アニメ版では乗馬することで鞭を持ってることの意味をやわらげている。


 ま、メディアの違い、演出意図の違い、企画意図の違い、作家性の違い。まあいろいろある。
 富野監督は大衆のことがあんまり好きじゃないからなー。
(というか、暴力を使う軍人やテロリストも俗な普通の人の延長線上にグラデーションとしているので、軍隊が外道なことをするのも人間的なものとして描いていたりする。軍人と一般人をあんまりハッキリわけない作風。まあ、そのおかげでガンダムのパイロットはカジュアルにガンダムを盗んで勝手に乗るわけだが)



 というわけで、やっぱり画面を暗くしているのは意味があることなので、わざわざ明るくして粗探しをするのはよろしくないのかもしれない。
 演出家が見せたいものだけ見ていればいいのかしらん。


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↑グダちん用


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