アイ!カツ!アイ!カツ!
皆さん、いかがお過ごしでしょうか。みんな、色んな風に過ごしていると思う。でも、アイカツ!10th STORYは最高でしたね。
僕はガンダムのオタクなのでサンライズ作品のアイカツ!はどうしてもガンダムと比べてしまうんですけど。アイカツ!の新作映画はガンダムでしたよね。
そう、何がガンダムかって言うと、主人公が年齢を重ねて大人になっているのがガンダムです。そもそもアイカツ!の一年目の終了後に中学2年生の星宮いちごが1年間アメリカに留学して、1年スキップしたのもZガンダム味がある。
そして、星宮いちごはドリアカという新勢力とユニットを組んでZガンダムをして、高校生になった星宮いちごたちが見守っていく、あかりジェネレーションやののリサと言った後輩の活躍はある意味ガンダムZZ。
つまり、アイカツ!は女児向けアイドルものアニメでありつつ、「主人公たちが年齢を重ねて、世代交代していく」という点でガンダムなんだよッ!!!!!
(まあ、星宮いちごちゃんたちは中一の時点でかなりスタイル抜群のアイドルで特に目に見えて身長やスリーサイズが変わったりしないわけだが)
その後、アイカツスターズ!やアイカツフレンズ!やアイカツプラネット!などのアナザーアイカツ!もこなし・・・。(ガンダムではMSVやプラモ狂四郎やガンダムセンチネルやSDなどにあたる)
そして!今回!アイカツ!10th STORYで!現実の時間でも10年が経過し、作中でも10年が経過した劇場版が公開される!これは!1979年の機動戦士ガンダムから~~~~1988年公開の逆襲のシャアと同じ!(ガンダムの劇中では14年経っているので、アムロとシャアはアイカツ!よりもアダルトになっていますが)
顕著な点としては最初は中学一年生だった星宮いちごたちが飲酒したり高級車を乗り回したりしている部分ですが!
オーディションの時に小学6年生だった星宮いちご役の諸星すみれさんがリアルに大学を卒業していたり、星飛雄馬役や次郎物語で子役からデビューした古谷徹さんや池田秀一さんが大人のアムロやシャアになっていたり!みたいな!!
ガンダムとアイカツ!の相関関係がみられるわけですけど!
- 大人のアイカツ!
当時幼女先輩だったアイカツ!のメイン視聴者さんが、10年経って、丁度高校や大学卒業といった、アイカツ!の星宮いちご世代と同じ人生の節目を迎えるような年齢になった!
それに向けた映画ということで、時系列を子ども向けアニメではやらないようなシャッフルが行われた。
具体的に言うと、映画の始まりはアイカツ!無印テレビシリーズのラストでスターライトクイーンになった大空あかりちゃんとユニットのコスモスを組んで順調にアイカツ!をしていたイチゴちゃんから始まり…。テレビシリーズからシームレスに始まり…。
そこからその半年後のスターライト学園高等部卒業LIVEの話になり…(大学はない)、その卒業ライブはスキップされていつの間にか4年後の、つまり星宮いちごちゃんが中学一年生でアイカツ!を始めたころから数えて10年目の22歳時空に飛び、そこでもそれぞれのアイカツ!の課題に取り組んでいるアイドル達が描かれ…。
未来でそれなりに課題もあるけどサクセスしつつ頑張って大人のアイカツ!しているアイドル達を描き、だから未来は大丈夫だという安心感と、大人になってもそれなりに頑張ることはあるというリアリズムを描いておいて、そこからまた高校卒業ライブに戻り、そこで未来の彼女たちを視聴者に見せておいた状態で「思い出は未来のなかに」というファーストシーズンの最終回を匂わせ、「未来で大丈夫だから、この時に高校卒業する彼女たちは大丈夫だ」という時間トリックで納得させてくる!
未来の自分の背中を押すのは今の自分!というわけで、過去に頑張っていたから現在の自分も、それから先の自分も大丈夫なんだ!と肯定感を畳みかけてくるスタイル!
転じて、逆襲のシャアを見ると昭和の終わりに、「人類はこれまでのように環境破壊をし続けていたら地球がダメになる」というシャアと、「だからといって隕石を落として地球を強制的に住めなくするのはよくない」というアムロの戦いが描かれたわけですけど。
まあ、ガンダムは残虐ファイトバトル戦争アニメなので、アイカツ!とは違うんですが。たしかに80年代はロボットアニメの隆盛と衰退の十年間で、10年代はアイドルアニメの隆盛と衰退の十年間だった。(そして今はスパイファミリーとか呪術とか鬼滅とか戦闘の実力至上主義の流れになってきている?)
というわけで、ガンダムはロボットアニメ、アイカツ!はアイドルアニメというわけでジャンルは違っても、その年代をけん引してきたジャンルの〆として大人の要素を出してきたという感じではある。
まあ、アイカツ!の大人シーンはそれぞれに見どころがあって、なかなかまだ語りつくせないわけだが。
というか、アイカツ!のアイドルが大人になったと言っても、逆襲のシャアの30代よりは若い22歳の大学卒業から社会人一年目くらいなので。
むしろ、星宮いちごちゃんたちが卒業するころに、光石織姫学園長がバスローブでシャンパンを煽りながら、かつて自分とトップアイドルデュオを組んでいた星宮りんご(星宮いちごの母)に夜に電話するというのがすごいアダルトというか、逆襲のシャアのナナイ・ミゲルじゃねーか!
- 悲劇の逆シャア、喜劇のアイカツ!
逆襲のシャアは時代性もあり、様々なすれ違いがあって、対立して地球の存亡をかけた戦い、という悲劇的戦争の映画だが。バブル経済に浮かれていた日本に疑問符を提示したような映画だが。
アイカツ!は東日本大震災のあとに「優しい世界の話にしよう」と企画を書き直したいきさつもあり、今回の劇場版でも、ガンダムと違って、人と人が分かり合えない姿ではなく、離れていても友人たちはつながっている、という友愛を描いていた。(逆襲のシャアでも敵味方に分かれたブライトに対して、シャアが感嘆するという歪んだ友情は描かれていたのだが)
逆襲のシャアは1988年当時の「経済優先の社会国家活動による環境問題が進みすぎたら人間は地球に住めなくなるのではないか」、というのと「だからといって人間を全員宇宙に移住させるのは乱暴すぎないか」という地球規模の環境問題や文明の問題を主軸にしていたわけだが。
そのスタンスの違いによる悲劇が描かれていたのだが。
アイカツ!の今回の映画は、そういう外側の環境で人類がどうするべきか、ということよりも、「まず自分の人生を充実させて、それから近しい人との関係を良くしていこう」というポジティブなスタンスで年齢を重ねていくアイドルたちが描かれた。アイカツ!の世界は何となく景気がよさそうでみんながアイドルのライブで楽しくなっている世界なので、逆襲のシャアとアイカツ!の中間にある現実世界よりは平穏な世界なのだが。
そういう点で、アイカツ!の今回の劇場版は喜劇的というか、楽観的である。楽観的だが、根拠のない自信で突っ走っていた10代と違って、大人になったアイドルたちの芸能活動も描かれる。しかし、だからといって根拠のない自信と活力で突っ走っていたスターライト学園での青春が全く無意味とか、若さゆえの過ち、というわけではなく、10代のころに頑張っていたから20代になっても頑張れるだろうという自信につながっている。
そして、時間はまた巻き戻って、20代になっても頑張っているのだから、映画の後半の高校卒業ライブも大丈夫なんだ、という二重の補強がある。
昨今のアニメではドキドキハラハラより安心感が好まれるという事情もあるのかもしれない。が、卒業ライブでの星宮いちごさんのスピーチのように、アイドルじゃなくても10年間がんばって生きてきた人はそれだけ経験を積み重ねていて、がんばったのでえらい。だから、ここまで頑張ってこれたんだから、この先も大丈夫。
という、元気の後押しがある。
逆襲のシャアでは地球規模で人類はどうすべきか…という課題が描かれたけど、富野由悠季監督の21世紀になってからの作品(あるいはVガンダム以降)では「個人としてどういうふうに生き方の折り合いをつけるのか」ということが重点的に描かれていたように思える。それは最新作のGのレコンギスタでもそうだと思う。
そういう点で、地球規模の問題に取り組んだせいで個人の問題が消化不良な悲劇になってしまった逆襲のシャアに比べると、アイカツ!10th映画は社会の問題はともかく、一人一人が納得した人生を歩むということに注力したという点で逆襲のシャアを超えたと言える。まあ、ブレンパワード~Gレコを超えたかというと、それはまあ、微妙なラインなんですけど。
逆シャアの頃はなんだかんだ言って経済的に日本は上向きだったので、悲観的な社会論がカウンターとして有効だったのだが、21世紀の日本は30年間、つまり機動戦士ガンダムF91以降、バブル経済崩壊後、ずっと経済的に失われていると言われている。そういう社会では悲観論よりも「社会がひどくても自分自身の人生をどのように納得させて生き抜けるか」という力強い楽観論が必要となっているのだと思う。
22歳の藤堂ユリカ様は、酒に酔いつぶれて「仕事のことなんて話さなくても…離れていても…」と寝言を言う。仕事の話をしたくない悩める22歳という面もありながら、同時に青春の時期を一緒に過ごした仲間たちに対してはいちいち話さなくても大丈夫だという信頼を寄せている。ということだと思う。一ノ瀬かえでさんには甘えまくっていると思うけど。
- 大きな社会の問題より個々の生き方へ
というと、まあ、社会学者の論文の本とかを連想されるのかもしれないが。
まあ、IT化とか再生エネルギーとか、いろいろと新技術が逆シャアの時代から30年以上経って出ている面もあるのだが。
逆襲のシャアは人類が文明を発展させすぎて人口を増やしすぎると世界が滅びるという問題意識があった。その問題は今ももちろん、解決してはいないのだが。
アイカツ!の今回の映画では、大きな世界の問題に注目する前に、自分自身の人生を肯定する活力がなければ、大きな世界の問題にも取り組めないので、自分自身の人生を肯定する自信を持とう!という趣旨の流れのように思える。
これは社会情勢の変化なのかもしれないが。
再生可能エネルギーとか原発の再稼働とか、もちろん現代も環境問題と文明の問題はある。でも、それはそれとして、そういう大きな問題に取り組むには、まず個人個人が元気でなければやってられないわけです。なので、富野由悠季監督も最新作ではフォトン・バッテリーの問題を横に置きつつ、主軸を「元気のG」にしたわけです。
アイカツ!も同じサンライズでの制作で部署は違うかもしれないんですが、ガンダムシリーズというビッグタイトルを意識してないことはないと思う。
で、Gレコは戦争の中での個人のアグレッシブな生き方とそれに伴う闘いを描いた訳ですが。
アイカツ!は崖登りや、伐採した巨木にまたがっての雪原滑降山下りなど、かなり危険なことをしても人は死んだり大けがをしない世界観なのでガンダムみたいな殺し合いにはならないんですけど、「元気なアイドルを見て、ファンも元気になる」という元気のアイ!カツ!は丁寧に描いていたともう。
それで、22歳になってもアイカツで成功していることが描かれている、約束された勝利のソレイユ卒業ライブで、星宮いちごさんのスピーチが染みる。
「アイドルじゃなくても、みんなこれまで頑張ってきたよね。だからこれからも頑張れる」
こういう青春がんばれソングは一見、軽薄で無責任に思えるけど、映画の時系列入れ替えで、22歳になっても頑張っている星宮いちご世代の面々が描かれているので、説得力がある。
「ま、まあ、星宮いちごさんほどのトップアイドルがそう言うのなら…」という説得力がある。
僕の親も10年前に自殺していたり、襲撃犯が自殺した宮台真司さんにフランス留学を断られたようなはるしにゃんが自殺する直前まで僕は彼と同人誌の打ち合わせをしたりしていて、アイカツ!以降の10年間で何人か周りの人が死んでいるんだけど。
まあ、でも、死んだ人も死ぬまではがんばっていたと思う。
僕もまあ、アル中になったり無職や精神障碍者2級になったりしながら何とか生きている。
頑張っていても死ぬことはあるけど、でも頑張ってきたことは無駄じゃないんだ!そういうマインドを10年間頑張ってきた星宮いちごさんから受け取ったアイカツおじさん40歳の僕です…。
- 消えるアムロとシャア、描かれない星宮いちご世代
逆襲のシャアの最後で、アムロ・レイとシャア・アズナブルは行方不明になる。それはアクシズが太陽に落ちたからなのか、サイコフレームの作用で観測不能になったのかのか、わからない。
でも、その後のガンダムシリーズでアムロとシャアは登場しなくなる。ガンダムワールドから消えてしまう。
それは地球人全体が地球を汚染し続けることに対しての人柱なのか、単なるドラマの都合なのかはわからない…。
対して、アイカツ!は今回の10th映画で確実に終わる。終わるが、映画のラストで22歳のソレイユの3人が何故かスターライト学園のあの場所に侵入して立って「いつでも熱く!…」と手を重ねた後、何を言ったのかは描かれない。
描かれないという点で、アムロとシャアの消失に近いのだが、ソレイユの3人は別に死んだりニュータイプ的な精神存在に変化するわけではなく、普通の20代の芸能人としてこれからも生きていくのだと思う。
でもさっきから言ってるように『アイカツ!』はここで終わるわけさ。つまり星宮いちごたちのここから先に続く物語はもう作られることがない。それは寂しいことだけど、だからこそここで彼女たちは本当に「どうなるかわからない未来」を手にすることができるんですよ!
そうでしょ!?
つまり誰にも作られない未来、どうなるかこれっぽちも決まっていない未来。それは作品が終わって、もう続きが作られることが無くなったときに、はじめて「誰も知らない、まだ決まっていない未来」が生まれる。
逆襲のシャアの後、なんやかんやでF91やらVガンダムやら平成三部作やら21世紀のアナザーガンダムがたくさん作られて、ガンダムは続いてしまったのだけど。
とりあえずアムロとシャアがどうなったのかは氷の森に美しく秘められている。ただ、人間としてのアムロとシャアは終わっているのだろうということは大体みんな認識していると思う。
対して、アイカツ!のアイドル達はスターライト学園での10代の青春の思い出を氷の森に保存しているけど、それは停滞しているのではなく、20代、30代になった彼女たちが自分の人生を奮い立たせるために、たまに解凍して思い出して、そしてまた前に熱くアイドル活動!する「未来から見た思い出」の糧としている。
そういう点で、人としての人生が逆襲のシャアで終わったアムロとシャアに比べると、アイカツ!のアイドル達はたまに思い出を自信に変えながら生き続けるという点で、逆襲のシャアよりも長く生きていて、超えていると言える。
悲劇的な主人公たちの消失の衝撃でファンにガンダムの卒業や現実感を感じさせて啓蒙させようとした逆シャアより、アイドルもどこかで生きているから自分も頑張ろうと思わせてくれるアイカツ!の方が今の時代に合っているのかもしれない。
(まあ、Vガンダムやブレンパワード以降の富野作品は「描かれた物語が終わっても人生は続く」というニュアンスが強化されているのですが)
もちろん、逆襲のシャアも悲劇だけで終わるのではなく、「新しく生まれてくる命」を終盤に持ってきて「未来への希望」をつなぐニュアンスを出したのですが。
今回のアイカツ!の映画は出産や赤ちゃんの力ではなく、時系列入れ替えによって、「18歳のソレイユの卒業ライブが、22歳の未来のソレイユの3人を支えているという未来の希望」を描いている。これはちょっと、逆襲のシャアよりも映画的にテクニカルな編集術ですけど。まあ、推しの子もヒットしているとはいえ、アイドル活動で子どもを作るのはちょっと難しいので、今の自分が未来の自分を支える希望になっている、そして現在の行動は常に思い出になっていって、それが人生の積み重ねになっていく、というのがアイカツ!らしいと思います。
- 2020年代に向けて
ゼロ年代は萌えの時代、10年代はアイドルの時代と言えたかもしれない。
2023年の2月初頭。あと7年間の20年代がどうなるかはわからない。
どうもかなりの弱肉強食になりそうな予感はする。
ただ、その中で「今まで生きてきたんだから、これからも何とかなるだろう」という今回のアイカツ!の映画の前向きさは、景気が冷えた世の中でも我々を勇気づけてくれると、信じたい…。
アイカツ!で大人になった星宮いちごさんたちがどこかで頑張っているんだから、自分も頑張れるだろう。そう思いたい。
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↑グダちん用
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