玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。旧玖足手帖から記事・ブクマを引き継ぎました。


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君の名は。からGのレコンギスタが学ぶべきこと

 テレビで「君の名は。」を見た。確かにヒットするのも肯ける出来だった。
 「ガンダム Gのレコンギスタ」という全26話のテレビアニメがある。その監督の富野由悠季監督はGのレコンギスタ(Gレコ)を全5部作の大作映画シリーズに作り直す作業をしているらしい。
 その際、富野監督は「君の名は。」を参考にしているらしい。

www.oricon.co.jp
君の名は。』も映画とは思えない部分がありますが、芸能というのは客を集めてナンボの世界だから、その部分だけで言えばあれでよいともいえるから全否定はしません。ただ、動員数に屈服してしまって、映画評論家といわれる人たちが映画の内容に対して正当な評価ができていませんね。そんな評論では新海誠監督が堕落していくだけだよと言いたいです。“映画好き”というだけで映画を作らせちゃいけないと、なぜわからないのか。というようなことを思っています。なぜこんなことを言うかというと、自分の作る映画がヒットしないからで、負け犬が吠えているだけです(笑)。


中略


映画とか演劇というのは、“ファンにだけ見てもらって“も商売にはならないんです。それはヒットした『君の名は。』で証明されています。実は、『君の名は。』は画面的な作りでいうとかなり意識しました。TV版の『G-レコ』では『君の名は。』的な綺麗な絵をつくるということを意識していなかったんです。ですので、『君の名は。』は見習らわなきゃいけないと思っています(笑)。


 ということらしい。
 僕も一昨年、Gレコと「君の名は。」とシン・ゴジラを比較する記事を書いた。この記事を書いたときは「君の名は。」を見ていなかったのだが、見た現在もほぼ意見は変わっていない。

nuryouguda.hatenablog.com
HG 1/144 ガンダム G-セルフ (パーフェクトパック装備型) (ガンダムGのレコンギスタ)
ガンダム Gのレコンギスタ キャラクターデザインワークス

何故Gレコはシン・ゴジラ、君の名は。のようにヒットしなかったのか - 玖足手帖-アニメブログ-

  • なぜGレコが売れなかったのか

大衆に媚びなかったからです。
売れた作品は媚びています。以上。

・Gレコの大問題は、ヒットしなかったこと。子供にウケなかったこと。ドラマではなく設定紹介になってしまっていた。映画版は広く観てもらえる作り方をして、ドラマを作り直している。
twitter.com

 富野監督はこういうけど、そもそもガンダム Gのレコンギスタという魁作をヒットさせたかったのか?
 僕は大衆は豚だと思っているから豚どもにヒットしてもうれしくないなあ。
富野監督だって

戦後50年で日本の人口は5千万人ほど増えているんです。
そうすると、有象無象がいっぱい出てきて、馬鹿が増えたように見える。
でも、馬鹿は昔からある一定の比率でいるわけ。(中略)
いじめが増えているとか、親族殺しが増えたとかいいますけど、
5千万人増えてるんだよ。だから事件も増えて当り前。
オトナファミ2007WINTER』(週刊ファミ通1月26日増刊・エンターブレイン)

 って言っているわけで。今、ジャパニメーションだとかポップカルチャーだとかいっても、アニメや映画に夢中に成るのは、僕も含めてあまり品のいい人間ではない。性能のいい人間は、えっと、いつかノーベル賞でももらえるようにがんばっているとおもう。

  • ヒットするアニメは博打であり、博打は神事である

 で、ヒットするアニメというのはどういうことかというと、最近僕がハマっている
「人間は石器時代から進歩していない」
「ヒトは他の猿に比べて圧倒的に投擲能力が高く、群れで物を投げて狩猟することで圧倒的に繁殖した」
 という説から考えると、
「投擲で的に当てて殺したかどうか確認する狩猟行動の延長線上のメタファーとして、パチンコやガチャや野球のバットやサッカーのシュートやや競馬のゴールやワイドショーのフリップ芸みたいな確率で盛り上げて結果を開陳する」そういう狩猟本能の神経回路を刺激するワクワク感が大衆に受ける。
 同時に、「自分は大丈夫」と自己肯定感を得られるものに大衆は快感を持つ。


 人間は神の愛によって自分は大丈夫だと思い込まないと生きていけない。
 古代原始人が投擲で集団でマンモスを狩ったり、あるいは他の群れと闘争したり、日露戦争203高地第一次世界大戦西部戦線塹壕爆撃など、自分の努力や実力とは関係なく確率論で他人が死んで自分が生き残るという現象に人間は直面してきた。(自分が死んで他人が生き残る場合のことは考えなくていい。なぜなら死体は思考しないからだ)
 これはハッキリ言って理不尽なのだが、大体人間は理屈付けしたがる生き物だからニュートン以前の科学が発達する以前から因果関係をこじつける。
(現代の人間が科学的な思考をできているのかというと、そうではない。ホメオパシーが流行したり、株式市場が存在したり(科学的に適正な値段が付けば株式は存在しない)。そもそも大統一理論も理解できない程度の地球人が科学的とは言い難い)
 で、「俺が生き残っているのは神に愛されているからだ」「悪い奴は神に愛されていない」「だから差別してもいい」「悪い奴を殺すのは神の地上代行であって自分は悪くない」
こういう考えをするわけですな。
これが「神の発明」です。

 みんな権威ある何かに愛されて選ばれたいのです。そして、それには理由はなければない方が、努力は少なければ少ない方が、しかし権威付けとしてはしっかりとしていれば「効率よく」「大いなる愛」を受容できる。

 アメノハバキリに乗っていた名もない顔もない他人がゴジラの無作為(に見えるが庵野によって調整された)暴力によって殺害されるけど矢口や巨災対や「守ってもらえた日本人」に感情移入したがる視聴者の猿どもは「ゴジラという神の試練を突破した自分たちは選ばれて生き残る価値がある」と錯覚して神の愛を感じて報酬系から脳内麻薬がドバドバ。

 ゴジラの設定としても、血液凝固剤であんな風にわかりやすく突然、一斉に全身の表皮まで凍結するわけないんだが。ゴジラが固まるあのシーンはパチンコエヴァンゲリオン使徒撃破確定リーチ演出フィーバーの援用でしょ?結局、日本人はハラハラさせられてもギリギリになって一気に結果が分かって「自分が助かる」っていう展開を好むモンスーン型思考というか、パチンコ中毒というか…。

・隕石で人が助かるかな?→助かったー!
・二人は出会えるかな?→再会できましたー!
・メールとか思いは届くかなー?→つながりましたー!
・世間に認められるかな?→説得できましたー!
 っていう、やっぱり「大いなる運命、神様の導き」の力で成功を掴んだ自分たちの「明日は大丈夫!」というリア充に向けた安い自己肯定でしょ。
 なんか小難しい設定とか神話とか伝統とか壮大な映像で尺を伸ばしてハラハラさせて位置エネルギーをためてるけど、結局は「結果発表!ハッピーエンド!」っていう芸能人格付けチェックと同レベルのエンターテインメントだよね。


  • だからGレコは売れないんですよ

Gレコのあらすじをベルリの視点でまとめると
・信じていた世界が毎回崩れる
・やることなすこと裏目に出て何とかリカバリしようとするけどその度に人をぶち殺す
・仕方ねーから悪い奴をぶち殺したら何とかなるだろ!って思って最終決戦に臨んだら、そこに待っていたのは世界の黒幕ではなく「単にお前の態度が気に入らない」ってだけで自分を嫌ってた学校の先輩だった。
・あーもー、めちゃくちゃだよー。
・でも世界は広いってことはわかった。これからもがんばるぞ。
・明日がどうなるかはわからん!君たちががんばって明日を作ってくれ!
 完

です。
「明日は大丈夫」なんて要素はない。

「明日はどうなる?」っていう子供は
大人に「大丈夫だよ」って言ってほしいのです。
「頑張って明日を作れ」なんて原発をふっ飛ばして国債を破たんさせ年金を流用して不正ばかりする大人に言われたくないわけです。
 嘘っぱちだとしても子どもは「明日には希望がある」って言ってほしいの。ゴジラの血液凝固剤を作るためにずさんな製造過程で危険な二次化合物が全国で生成されたとか、そういうヘドラみたいなサヨク映画は望んでないの!大衆は「お上がきちんと原発も処理してくれる」「日本はスクラップビルドで発展するから大丈夫」っていう安心感が欲しいんだよ。人は安心するために生きている。by DIO withポルナレフinジョジョの奇妙な冒険
 「君の名は。」も「きっと二人の明日はしあわせなんだろうなああああ~~~ぽわゎ~~」っていう安心感がヒットの要因だったの。そういう風に夢に酔わせるのがアニメなの。
 富野監督みたいに

・Gレコのテーマは、現在の科学技術の進歩と金融資本主義に汚染されてしまった現代の問題
https://twitter.com/char_tweet/status/721624740528570368

 とか民草の子どもに不安を与える作品が売れるわけないじゃん。
 子どもは「なんかおそとはこわいけど、おとうさんおかあさん、せけんさま、かみさまがきちんとまもってくださるので、しあわせです」「ただしいくにをつくりませう」っていう話がアーキタイプなんですよ。
 東映動画わんぱく王子の大蛇退治から50年間、アニメは進歩していません。
 金融資本主義なんて言う概念を理解して、その問題点を克服しようという賢しい子どもがいるか!気味が悪い!

 と、まあ、長文を書いたが。「君の名は。」は本当に大衆向けの俗流エンターテインメントでしかないと思う。
 わかりやすくたのしませて脳内麻薬を出させてバケツ一杯泣かせる!これがヒットの秘訣です。


 また、ツイッターのアンケートでGレコの劇場版に視聴者が何を求めているか問うたところ、400票の回答を得た。


 トップは「わかりやすさ」やはりみんなGレコを分かりやすくしてほしいと思っているようだ。そして、富野由悠季監督もわかりやすく作り直すと言っている。

――総集編の劇場版をやる理由というのは?
富野由悠季:『G-レコ』は、自分の企画不足もありますが“作劇”になっていませんでしたので、ちゃんとした“映画”にしなくてはいけないんです。先ほどから、ただの「SF好き」「メカ好き」が映画を作ってはいけない、と言ってきましたが、それは僕自身にも言えることなんです。『G-レコ』は初期の設定がよくて、ガンダムの富野がやるんだから『こんなもんだよね』と思ってしまいました。つまり、自分ひとりで考えてしまったためにわかりづらい作品になっているんです。


――では、どうやって分かりやすくするのでしょうか。
富野由悠季:TV版の演出は、ほぼ丸投げで若い人にやってもらいましたが、僕の打ち合わせ能力が低いんですね。「作画のチェックはこういう目線でやってほしい」というアニメーターへの指示などを僕がし忘れていたんです。そのために、当時ちゃんと手を入れられなかった部分など細かい修正が必要です。そういうことをしないと、映画として気持ちよく見られないんです。説明できる範囲でいいますと、例えば、無重力帯での髪の毛の動きというのは、重力がある地球とは違うわけです。宇宙にいるのに、髪の毛が全部垂れているのはおかしい。だからそれを全部浮かせました。そういう絵並びにするかしないかで、手描きアニメの限界が見えると同時に、それをやっておくと、観客は生理的に抵抗なく見ることができます。そうした修正をかなり入れました。完成度の高い映画というのは、そうしたことをやっているわけですから。


中略


『G-レコ』を見る子どもたちには、宇宙エレベーターってヘンだよね? って思える子に育って欲しい。子どもたちのフックとなるものを“巨大ロボットもの“に紛れ込ませておくことで、50年後、さまざま疑問や問題点を解決してくれるかもしれないと思っています。


バカ!ふざけんな!
なにが50年後の問題点を解決してくれるだ!そんなこと軽々しく ・・・あんた何様のつもりだよ?!子を育てるだって?笑わせんじゃ ないよ!アンタみたいなアニメ監督に何が出来るってんだ!


 Gレコの富野由悠季はまず、この問題設定がまず間違っている。お前はわかりやすくしてコンテンツを売ればいいんだろ?アニメ映画は売れることが目的だろ?それなのに、次の世代を啓蒙することを目的に作品を作るとか、金儲けの原則から外れている。視聴者は映画にそんな世直しを求めてはいない。一時的な現実の埋め合わせとして2時間弱気持ちよくさせてくれるアトラクションとか感情サービスとかデートムービーのおまけとして映画を見てるわけ。シン・ゴジラ君の名は。もヒットした映画はみんなアトラクションなの。啓蒙とか考えちゃダメなの。だって愚民は愚民のままの自分を肯定してほしい生き物だもん。愚民から蒙を啓いてインテリジェンスを身に付けて克己しようという苦労を背負うために知的努力をあえて自分に課そうというようなやつは愚民ではない。そして人間の大半は愚民である。なぜなら水は低きに流れるからだ。その位置が一番自然なのだ。あえて高みを目指す人は少ない。
 昔(のアールヌーヴォーなどのある一定時期)は映画を見ることは限られたインテリのたしなみだった。だからインテリっぽい深みがあるっぽい作品がアカデミー賞とかを取って文化人気どりしていた。昔の愚民は映画を見るより妻を殴ったり酒を飲むのが娯楽だったから映画にはいかなかった。でも、今はデフレとデジタルの時代。安かろう悪かろうで薄利多売で愚民にコピーコンテンツを如何にたくさん売りつける回数を稼ぐかって言う時代なわけ。
 だからヒットさせたいって思うんなら愚民を味方につけないとダメなの。なのに富野は!


 あのなあ…。宇宙にいる時の髪の毛の描写とか、視聴者が気にしてると思ってんのか?そんなわけねーだろ。そうすっと作品が分かりやすくなるんか?ほんまか?
 大体さあ…。

「つまり、自分ひとりで考えてしまったためにわかりづらい作品になっているんです。」

――では、どうやって分かりやすくするのでしょうか。

「TV版の演出は、ほぼ丸投げで若い人にやってもらいました」

「が、僕の打ち合わせ能力が低いんですね。「作画のチェックはこういう目線でやってほしい」というアニメーターへの指示などを僕がし忘れていたんです」

「そのために、当時ちゃんと手を入れられなかった部分など細かい修正が必要です。」

 って、結局自分ひとりで考えている演出プランに沿って修正するってことじゃないですか!
 そこが、「君の名は。」とGレコの違い。新海誠監督は「星のこえ」では確かにほぼ一人で作ったんだけど、「君の名は。」はものすごいスタジオワークです。キャラクターデザインが二人いるし。

 前提が長くなったが、「君の名は。」を見たので、その感想を書くにあたって、普通に単体で考えるのではなく、どうGレコに生かせるかをお手本として見て行こうと思う。

  • ビジュアル面の話 「視聴者はプロの目線を持っていない」

 「君の名は。」を参考にしたという富野監督は言う。

例えば、無重力帯での髪の毛の動きというのは、重力がある地球とは違うわけです。宇宙にいるのに、髪の毛が全部垂れているのはおかしい。だからそれを全部浮かせました。そういう絵並びにするかしないかで、手描きアニメの限界が見えると同時に、それをやっておくと、観客は生理的に抵抗なく見ることができます。そうした修正をかなり入れました。完成度の高い映画というのは、そうしたことをやっているわけですから。

 残念だが、それは間違い。なぜなら「君の名は。」は完成度の高い映画ではないからです。
 具体的にビジュアル面の話をすると、上映開始から25分くらいの三葉が神社から帰るシーンの木々や階段の背景が3Dレイアウトになっている。ちょっと気持ち悪いくらい木の一本一本や階段の一段一段が立体的になっていて、多少演出過剰に感じる。
 でも、3DCGでのレイアウトになっていても、一応テクスチャって言うか作画の表面は手描き背景に近い緻密さになっているし、ゲームっぽいチープさはあまりない。
 んで、その3D技術は新海監督作品の持ち味と言うか売りの一つになっているし記事にもなっている。

日本が誇る新進気鋭のアニメーション監督・新海 誠が描き出す青春活劇『君の名は。』。「新海らしい」という言葉まで生まれているほど緻密に描かれた美しい背景は代名詞ともいえる。

本記事では、3Dレイアウトやシミュレーション、美術素材を使ったカメラワークなど、気づかないような些細なところも含めて多用された3DCG制作の現場を垣間見る。
cgworld.jp

君の名は。の場合は、3DCGソフトで建物を製作したり、キャラクターの動きまである程度作成し、それをアニメの作画用に利用しているようです。

確かにこういうワークフローだと、作画のときにパースを引っ張ったりする必要もなく、細かなキャラの動きなどもレイアウトの段階で調整することができますね。
www.daremomiteinai.com


 で、その直後の東京の瀧の肉体視点での東京のビル街を見渡すシーンに繋がるのだが、それが。
 よりによって「マルチ」。

 ズームやトラックと同様に、パンやフォローの場合もセルや背景を多層化してそれぞれの引き速度を変えることで画面の奥行を表現する、マルチという手法を使います。一番わかりやすいのは電車や車の窓から見える景色ですね。手前の構造物は速く引っ張り、奥の景色はゆっくり引きます。奥に行くほど引っ張りを遅くし、空は止めるかほんの少しだけ動かします。このような速度差をつけることで平面ながら奥行を表現できるのです。最近は3Dで作成することもありますが、レイアウトと設計さえしっかりしていれば平面でも十分に効果を発揮します。電車に乗るとつい「この引き、1コマXXmmぐらいかな……」と考えてしまうのは、「撮影マンあるある」の鉄板ネタですね。
 余談ですが、フィルム時代には、マルチプレーン撮影のセッティングは「ゴンドラマルチ」、平面上に重ねたセッティングは「密着マルチ」などと呼ばれました。密着マルチは「密着引き」や「マルチ引き」といった呼び名で今でも残っていますが、ゴンドラマルチという言葉はなくなってしまったようです。代わりにD.T.B、デジタルトラックバックなどと称されたりもしていますが、これも呼称は統一されていません。
animestyle.jp


どっちかにしなさいよ!!!!


 いや、マジで、これ、劇場で見た人、よく耐えられたな…。僕は録画で見たのであまりの気持ち悪さに一時停止した。あのさあ・・・。
 どういう演出意図があるのかわからないし、僕もアニメや映画の専門学校を出たわけではないし
、専門用語は結構雑なんだけど。
 入れ替わりの連続性とか田舎の木々と東京のビルの対比として、撮影手法が全く違う背景動画が連続で出てくるわけですよ。それがすごく「これが壮大な映画的な背景ですよー!」みたいに主張しながら。えっ?気持ち悪くない?
 僕は基本的に映像の専門教育を受けていないし、ただ単にアニメが好きだなーって言う幼児的な習慣を大人になってもやめてないだけのオタクなんですけど。だから僕に知識や正確な審美眼があるかって言うと、そこには自信がなくて、感覚の話ですけど。なんか僕は気持ち悪いって思いました。
 Gレコはテレビアニメなので、まあ、多少雑な面もある。予算やスタジオワークの関係から演出的に繋がってない場面もあると思う。Gレコはアクションシーンでアブノーマルからーの止め絵っていう長浜忠夫のアニメみたいな演出も結構あるし、演出的に統一しないといけないというわけでもないと、それは僕も思う。



 それにしても、「君の名は。」の3Dレイアウトからマルチ(台引き?)に急転換するのはずさんなつくりだと思うんだが。
 ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序も相当変な撮影演出をしてたと思うんだけど、ここまでの違和感はなかったです。
 なんだろう?これ。


 他にも、瀧の実家の机をジワパンアップするのが3DCG レイアウトでここも情報量が多すぎて気持ち悪かった。


 あと、滝のバイト先はレストランなんだが、滝とかメインキャラの名札のバッジはCGでフォントが書きこまれてるんだけど、他のキャラの名札は手描きだったり、オフィスの張り紙とかもCGのフォントと手書き文字が混在していて、webデザインをちょろっと勉強した僕としてはあまりにも文字の統一性が無くて気持ち悪すぎてウギャーーーーーっ!ってなった。
 

 たぶん、作り手の人はそこまで考えてないと思うよ…。「君の名は。」は結果論としてはメガヒットしたんだけど、それは単に愚民が繰り返し見に行ったアトラクションとして消費されたという商業的現象でしかない。で、結果の前の段階の製作段階としては、おそらくそんなに予算、かかってなかったんじゃないかな…。
 「星を追う子ども」「言の葉の庭」は興行収入が一億円前後らしいし。
 結果論として「君の名は。」はメガヒットしたので「日本が誇るクールジャパンを代表する、日本が世界に通用する文化的な名作」みたいに愚民が賞賛するような枕詞が付いている。のだが、結果論以前には多分そんなに期待されてなかったと思う。まあ、新海誠監督自身は売れたいと思っていただろーし、売れ線に寄せた作り方はしてあるんだけど、実制作の予算はそんなに下されてなかったんじゃねーかなー。だって絵の作り方がずさんなんだもん。そんなの名札の文字を見りゃあわかるよ。
 でも日本人はそーいう省力化とダンピングで粗製乱造した作品が一つメガヒットしたらコストパフォーマンスで経済効果とか言って持ち上げるでしょ。だからアニメ業界は腐ってんだよ。まあ、人間の大半は腐ってんだけど。

d.hatena.ne.jp
あの糸森町の草木に東映動画から名作劇場、そしてジブリを経て繋がるDNAが感じられなかったのか?

仕草で人物の内面を見せる細やかな芝居に、森やすじさん・近藤喜文さんから流れる芝居作画のDNAを感じなかったのか?

翻るスカートのそのプリーツのはためきに、うつのみやさんから電脳コイルを経て伝わるリアル作画のDNAを感じなかったのか?

宮水神社のご神体の前に流れる川のきらめきに二木真希子さんが見えなかったのか?

冒頭シーンのカメラワーク・レイアウトに板野一郎のまなざしが見えなかったのか?

爆発のエフェクトに、庵野さん、本谷さんから流れてスチームボーイを経由する輝きが見えなかったのか?

時折見せる顎のアオリにタツノコから谷口さん、湖川さんらを経てつながる立体感が見えなかったのか?


確かに新海監督は『秒速5センチメートル』まではある種の異端だったかもしれない。

しかし、『星を追う子ども』で日本のアニメの過去について意識的に模倣をしている。

https://www.anikore.jp/features/shinkai_2_6/

パンフレットにも『星を追う子ども』からの意識の変化、「古典」を取り入れることが新海監督の口から語られている。

君の名は。』では紐のモチーフが時間へと連想されて描かれている。

これは新海監督が、日本のアニメ史を含むこれまでの様々歴史と繋がっていることを自覚しているとしか考えられない。

 好意的に見ればそうなんだけど、否定的に見れば、「MADじゃん」です。つぎはぎ、パッチワーク、どこかで見た「ラピュタは本当にあったんだ」「第3芦ノ湖」のパクリ。オリジナリティーに乏しい。表面的にギラギラしてるだけの美術センス。反射光と透過光とフレアを全部入れたがる装飾過剰。
 たしかに一つ一つの要素は綺麗なんだけど、通しで見た時のテンポや空気感の統一性や、演出的な軸足の重心移動のスムーズさがガタガタに見えた。
 まあ、僕が富野age新海sageをしてるだけって思われても別にかまわないよ。僕はウェブの愚民ではなく富野監督に向けてこの文章を書いている。
 (まっつねさんには僕は嫌われているので、無断引用して申し訳ないのだが、まあ、僕は長くても5年ごとに人間関係をリセットして嫌われるような人生を送ってるからな。親も自殺したし。仕事も続いてないし)


 テンポの話をすると、もしかしたら僕が「君の名は。」 を早送り1.5倍速で見たから気持ち悪いと感じたって思われるかもしれない。うるせーよ。時間が無いんだよ。
 でも、大抵のアニメは1.3倍速で違和感なく見れる。富野アニメと出崎統アニメはさすがにテンポコントロールが繊細なので速度をいじるとダメなんだけど、大抵のアニメは倍速で見てる。だって時間が無いんだもん。
 あと、僕は学生時代に「速聴で脳トレ」が流行したのでトチ狂ってガンダムイデオンZガンダムVガンダムの音声を4倍にして通学中やランニング中にウォークマンで聞くっていう修行をしていた強化人間なので。そのせいでみんなが分かりにくいって言うGレコのショット分析とかをするくらい、秒速には敏感。(ただし、やっぱり明らかに強化しすぎたので現実社会の対人関係とか会社での会議とかは情報量が多すぎて気持ち悪くなるんだけど。ハイ、精神障害者です)


 でもさあ、Gレコを50回以上見て、その度に気持ちよく感じるくらい富野アニメに強化されている僕だが、「君の名は。」は、すっトロいと思ったぞ。セリフが冗長だし、結局画面に小物とか文字とか光物の情報量が無駄に多いのも、冗長な説明台詞の間を持たせるために増やしてるだけでしょ?
 動きとして面白くねーんだよ。電車の架線をCGで増やして糞リアルを気取っても、そんなもん、映画じゃねーよ。ごちゃごちゃして汚いだけだよ。
 とにかく僕個人の見解としては瀧君やババアの台詞が説明臭すぎて、とろくさいと感じたので早送りしてても「だらだらしてんなーーーー」って思って「俺は本当に早送りしてるのか?」って何度も再生装置に確認したからな。これを劇場で等速で休憩なしに繰り返し見た観客の忍耐力はすごい。おれ、キンプリとかプリキュアみたいに数秒ごとにアメージングが起こらないと退屈するから。キッズだから。まあ、「君の名は。」をデートムービーとして消費してた主な層はハイティーンから20代前半くらいの女性らしいんで、「オタクが見るようなキッズアニメとは違うハイセンスな新海アニメ」として評価してたのかなー。ジブリもちょっと説教臭くて古臭いって思ってるくらいの世代の女性の美意識の需要には、確かに「君の名は。」はハマりそうだなーって思います。でも僕はオタクなので…。やっぱり美少女とか武器とか魔法とか出ないと飽きるんです…。


 だが、富野監督や僕がここでどんなに「Gレコの方がきれいに見れる」とか「僕の方が見る目がある」と言っても、やっぱり売り上げの前には負け犬の遠吠えです。


 っていうか、一般大衆は僕とか富野監督とか動画検査のお姉さんほど繊細な目を持ってないです。カット毎に撮影手法とかフォントが違う、とか気づくわけないじゃん。イマジナリーラインとか映像の原則とかを視聴感覚に内面化するサブルーチンを脳神経に実装してないのが大抵の一般人でしょ。
 「なんとなく豪華な映画を見た―」って言うくらいふわっとした鑑賞体験で満足するんだよ。鈍感力!


 ていうか、TV放送の「君の名は。」の実況タイムラインをTwitterで見てたんだが「CMも含めて楽しい!」って言う意見が散見された。
 うん。これはテレビだよね。
 ていうか、YouTubeだよね。如何に違和感なく広告動画を見せるかっていう商業作品ですね。演出がカット毎にバラバラなのも、フォントが俗悪な週刊誌くらいバラバラなのも、大衆がよく見るテレビバラエティーみたいな空気感を感じた。それでも最近の若者はテレビ離れが進んでいるらしいが、その若者が見てるのは、もっと短い、分断されたYouTuberのオモシロ動画です。もうちょっと年齢が上だと、パチンコアニメの演出です。それか殺人事件とスポーツと戦争と不倫が同列に扱われるニュース番組です。文脈とか伏線とか感情の起伏とか関係ない、単に瞬間的に気持ちよくなるためだけの、短時間で興味を惹かれて広告や課金に誘導されるようなコンテンツの麻薬的なスナック感覚の動画ばかり見てるのが現在ただ今の大衆の状況なんですよ。
 なので富野監督が「万民にヒットさせるために、優れた映画にしなければいけない」と言うのは、所詮懐古趣味の映画オタクだと分かってしまったなあ!
(僕は精神が崩壊しているので、「君の名は。」にも富野監督にもブロガーにも知人にも自分の社会的信用にもなんとなく刃を向けてしまう。ギザギザハートの子守歌。だけどヤクザとコミュニケーションするのがなんとなくイライラするのでシャブはやらない。医者に覚せい剤ギリギリの痛み止めを処方してもらう。ウェットダメージで脳が壊れすぎて、もう痛覚を遮断するくらいしか対処療法が亡くなってきたんだ)


 ちなみに、僕はテレビが大っ嫌いなので、夕飯の時に自殺してない方の親がテレビバラエティーに背中を丸めて見入っている(機龍警察自爆条項のライザ・ラードナーの実家みたいな)一家だんらんの時、僕はテレビの反対側の壁に張ってある印象派のポスターをずっと凝視しています。
 普通の人がテレビを見ている時間と同じくらい、僕は名画を毎日毎日見て目を鍛えている。私は障碍者手帳の力で国宝とか海外の美術品はいつでも無料で平日に見に行ける。本物しか見たくないね。だって贋作はのっぺりしてて情報量が少なくてつまんないんだもん。
 だから新海誠程度の背景作画は見飽きてるんだよ。そんなもんをありがたがる段階じゃないの。
 まあ、半端通が一番たちが悪くて、実力もない癖にこういう風に文句ばっかり言って素直に楽しめないクソ、って言う面もある。
 本当に半端目利きだとディズニーランドの衣装の布が安っぽいってだけで楽しめないので。(逆にレンタル着物は意外と着易い機能性があると評価してます)


 アニメのキャラの作画もキャラデザが二人いるので、結構シーンによってバラバラだったりして、あんまり手放しで評価できないんだよなあ…。統一性がないというか。まあ、結果的にエヴァ細田守作品の貞本さんの絵みたいにリアルと萌えの中間くらいのヒットを狙える路線に位置どれたので、そこは良かったんだけど。微妙に細田守の後釜として「あの花」とジブリの良いところ取りをして売れようって言うプロデューサーの意識の方が感じられて、あんまり作家性はないかなーって思う。
(まあ、背景のごちゃごちゃに比べるとキャラクターのアニメーションにはそんなに不快感がなかったんだけど)
 なので、全体的にまとまりがないアニメだと思ってるので、僕は「沖浦啓之さんの走るシーンがカットされた!」っていう作画オタクにも賛同できないなー。


 っていうか、瀧君in三葉がパパにつかみかかるところで足元3Dレイアウトからのミドルショットからの主観カット二連続って言うのが気持ち悪かった。どれを見せたいの?お前は!みたいな。


 でも、パッチワークでも瞬間的な盛り上がりの連続でアトラクション的に楽しみたい観客にとっては、演出の整合性なんて知ったこっちゃないよね。って言う話。
 でも、新房アニメほどワチャワチャしてても、一般人は「オタクっぽい」って思って避けるんだろうね。まあ、最大の一般的なテレビ局のNHKのメジャー枠の3月のライオンで何の脈絡もなく「傷だらけの天使」パロをぶち込む新房昭之監督だからなあ…。いや、僕はショーケン好きだからいいんだけど。自殺した方の親がショーケンのレコードのジャケットデザインをしてたし。


 ただ、富野監督もごちゃごちゃしてる面があって。情報量で言えば、実は富野の方が上。
 Gレコ4話のカットシーwithデレンセンの戦闘シーン

 一見何の変哲もないロボットだが、このロボット、この絵の中で
1、敵(モンテーロ)のビームを避ける
2、G-セルフ(主人公)から離脱する
3、後ろに下がって間合いを取る
4、そのために空気抵抗を減らそうとして翼を折りたたむ
5、右手のビームライフルを敵モンテーロに向けて牽制する
6、左脚に内蔵されているビームサーベルを左手に持ち替える
7、新しく敵モンテーロにロックオンを変更する
8、次の突きの予備動作を開始する
 同時にこの8動作以上の殺陣をしています。視聴者の時間にして0.3秒くらい


 それでそれは数秒前のモンテーロが別のモブパイロットのカットシーを虐殺する攻撃が伏線になってて



 キャピタル・アーミィー兵士とデレンセンとクリム・ニック(強気になった千と千尋のハクみたいなイケメン)の力量の描写になってんのね。




 ↓もモンテーロがサーベルを盾と肘で防御したから、胴体を切られずに指だけで済んだ、って言う滅茶苦茶細かいアクションをしてるからね。






ここら辺の戦闘終了後のコメントも神がかってる…。


 ゼロコンマ数秒で滅茶苦茶アニメーションするからね、Gレコ。この圧縮密度のデコードに慣れちゃったら、「君の名は。」は止まって見える。

  • SFの話

 SFとしても、思想としても本当に「君の名は。」は大衆向けの俗悪趣味でさあ
 世界線リセマラガチャとしてはシュタインズ・ゲートの方が誠実なんだけど、大衆は成功した1番しか相手にしないし、無視する。失敗ルートの三葉の父親をオタク向けの小説版で補完するという狡猾さ。
 まあ、ファーストガンダムも最後のカツレツキッカのカウントダウンがパチンコっぽいガチャ演出だったんだが。

  • 世代の話

 メインはヤング女性だが、幅広い年齢層の大衆に媚びている「君の名は。」大衆の自意識に不快にならない程度のポリコレ。舞台装置。キャラ設定。
 存在しないかもしれない未来の世代のエリートに願いを託すGレコ。

  • 家族の話

 隕石回避の計画とかリアリティはないんだけど、ババアと妹がいる前で町長の親父に婿in娘がなんか言ったら何となくみんな助かって、地域の伝統とか家族の問題とかがハリウッドの脚本術みたいに肯定されるっしょ。
 ベルリはレイハントン家にめちゃくちゃ葛藤するし最後まで葛藤するじゃん。レイハントン!
 そんなの、大衆は望んでないんだよなあ。クソみたいな自分のリアルの家族をアニメで埋め合わせして、デートムービーを一緒に見る彼氏に「おまんこしたかったらおまえもあたしの家族を救えや」って忖度させて、結局自分では何もしないのが女と言う生き物なんだよなあ!

  • 女の話


 なーにがスター・ウォーズ最後のジェダイよ!
 なにがフェミニズムのヒロインよ!
 女であることを喜んでる女なんていやしないんだよ!女は男の力にすがるだけの売女なんだよなあ!男に入れ替わったら何でもできるって思ってんだろうが。そんなに甘くねーんだよ。
※追記

 でも、Gレコは「私は人類の女性として健康!」って男の監督が女のキャラクターに言わせるでしょ。
 大抵の日本人の女は女である自分を被害者のポジションにおいて楽をしようと思ってるようなゴミクズばっかりだよ。そんな愚民の女たちが女性である自分を東京のイケメンではなく、自分自身で肯定するようなアイーダは感情移入できないじゃん。
 Gレコの女性たちは恋愛してるけど妊娠もするけど独立心が強いじゃないですか。何人かシングルマザーやるし。「君の名は。」を見てデートムービーしてイケメンと入籍して救ってもらおうって思う地獄の亡者みたいな雌餓鬼どもにはGレコは受けないんだよなあ。
 むしろイケメンポジションのベルリが「女性ってすごいな」って言っちゃってるんで。女は男に尊敬されても嬉しくないんだよなあ…。男に助けてもらいたい生き方をするのがほとんど。男組織がーってフェミニズムを言うけど、女は連帯して組織を運営できてないでしょ?そういう所だぞ。

 まあ、Gレコの女性ファンは結構いるんだけど、ああいう女性はデザイン系オシャレ女子が多いので、絵師とか腐女子系の女性は、また一般女性とはちょっと違うから…。男をホモにするくらい自意識が強いので、ちょっと普通の女の子とは違うから…。・
nuryouguda.hatenablog.com


  • 社会の話

 失敗したルートのことも考えてるふりをしながら切り捨てるのがこの社会なんだよなあ!俺の母親は自殺したんだよ!お前たちにもそれを味合わせてやろうってんだよ!
nuryouguda.hatenablog.com
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  • ブランドの話

 大衆向けヒットアニメブランドをジブリブランド→細田守からうまくスライドさせた新海誠
 対して
 ガンダムのようでガンダムではないGレコ
 ファーストガンダムで「あなたたちはわかり合えるニュータイプですよー」と新人類世代をちやほやしたけどZガンダムで切って0083とかUCのジオニズムの懐古趣味のミリタリーオタクに流した富野。
 Vガンダム∀ガンダムで人類を滅ぼして宇宙世紀の未来の可能性を断った富野!

 Gレコで「ガンダム世代が還暦を迎えるにあたって、彼らは所詮ニュータイプになれなかった」と見捨てた富野!
 だから「ガンダムファンだけどGレコは苦手」っていうオッサンを生み出すんだよなあ!だれも否定されたくないもんなあ。自分の糞みたいな現実の埋め合わせをアニメにしてもらいたいんだよなあ。本当は誰も原発やミサイルからお前を助けてくれないし、お前も誰も助ける気がないしその能力も資格もない愚民に過ぎないのになあ。
 震災以降の想像力で自分は未来の社会のことも考えている、みたいなことをふわふわした舞台装置にしか過ぎないキャラクターにエピローグで言わせて、それで気が済んでしまうのがお前ら大衆だ。そんなやつが数を集めて観客動員だ、社会現象だ!ハ!笑わせる!

  • 大衆の無責任で俗悪な自意識の話

 人ひとりには洞察力がなくても、総体として堆積し凝縮された意思は、民意といわれるものになって、ときに時流に敏感かつ狡猾に発現する。
 まして、自分たちの総意を代弁してくれる一人の英雄が現れれば容易に荷担する。そして事態の進展がまずければ総意を代弁してくれた英雄を生贄にしてすますこともできるから、民意は意思の代弁者を容易に祭り上げるのである。


 その英雄が民意の代弁者として立ってくれればそれでよく、次の新たな征服者があらわれれば、その英雄をスケープゴートとして差し出すことによって。民意自身は免罪符を手に入れて、新たな征服者に唯々諾々と屈服してみせるのだ。
 そうすれば決定的な根絶やしにあうことはなく、次の機会を狙うことができる。


 これが一般大衆といわれる集団の意思のありようなのだ。けっして自らが頭領にも大将にも統治者になることもない。
 これが大衆の総意がもつ狡猾さである。
 だから、突出しない大衆を指弾することはできないし、また向上心をもてと命令することもできないのは、大衆はたえず頭を下げ続けているからだ。


 しかし、人の上に立つことが成功の証であり、立身出世の印であることを疑わない者はスケープゴートの役割がくるまで一時の自己満足に浸る。
 生来、人の上に立つように運命づけられている人びとは永遠に安楽というもののないことを承知しつつ、その地位に立ってみせる。
 隠れていれば狙撃されない。

 人の上に立とうとしない大衆は狡猾である。が、それは生きてゆくうえで必要な皮膚感からきている知恵であるので、何人も指弾しえないのだ。
 そして、突出した人びともまた、いつか大衆という隠れ蓑のなかに安息の場所をもとめようとするから。その存在をゆるすのである。つまりいつか有効な存在になるのだから、根絶やしになどできないのである。

リーンの翼 2

リーンの翼 2

  • クソアニメの話

とか、ラーメンを食いながらいろいろと5時間にわたってGレコと「君の名は。」の比較について構想を執筆してたんだが、4時間くらいぶっ続けでバンダイチャンネルニコニコ動画で今期の覇権アニメ「星色ガールドロップ」をエンドレスでループしてたら、どうでもよくなった。


星色ガールドロップ コミックアンソロジー (WINセレクション)


 Gレコを良くする方法は富野監督が自分で想像しなさい!

 そんじゃーね!


 ストロングゼロウォッカで割って寝るわ。アサヒスーパードゥラァアアアアイ
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出会い


 新海誠の「君の名は。」みたいな俺以外の他人が評価してるクソアニメよりも、俺が直感で「小倉唯ちゃんいっぱいちゅき・・・」ってなった星空ガールドロップを100回ループした方がよっぽど楽しい時間なんだよなあ…。
小倉唯写真集 yui memory


 いっぱいとみのょしゅき・・・
富野に訊け!! 〈悟りの青〉篇 富野に訊け!!
大川ぶくぶさんによる「2016年サンライズ大忘年会レポート」その1 | 矢立文庫


 ていうか後半すっ飛ばしたのに2万文字も書いてしまった。クソアニメ愛好家の心の闇は深い。新年からクソをひり出してしまった。今年もクソアニメについて語っていくぞい!



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