玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

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でも、倉田英之先生の言うような、

脳内恋人を皆に広めるというのはどうかなあ。いやあ、脚本家の人とかは良いと思うんだが、普通のぬるオタの人にはそれはきついなあ。皆が皆作品を発表できる機会は無いでしょう。
というか、実際、私それでやばい事になったし。
いえね、高校生のころは脳内恋人漫画家になろうと思ってたんだけどね、*1大学に入って、素晴らしく鬱に成ったら、それを諦めがちになったわけだよ。
っていうかばるぼら(1) (手塚治虫漫画全集)っぽくなった。
参考URL:脳内彼女との脳内電波大戦記録(http://moso.egoism.jp/dameningen.html

バルボラは気まぐれにあるじを変える・・・・
バルボラがいついた芸術家にはツキがくる・・・
バルボラが見はなせばその芸術家はおわりなんだ

脳内恋人は妄想癖のある人間にとりつくウィルスなのだ。そして、宿主に模倣子拡散する体力もなくなると死の恐怖を与えてそれを原動力として最後の模倣子拡散をさせ、取り殺すのだ。俺の思考が破滅しそうなのは全て脳内恋人が俺の人格を奪おうとしているせいなのだ。
くそっ!
脳内恋人め!あんなに愛してたのに!むざむざ殺されてたまるか!祓ってやる!
そういう電波大戦なわけで、二十歳の僕は学校を休学し、フェリーに乗って旅に出て四国八十八箇所めぐりをチャリンコでしたのよ。
そんで、高知の桂浜で太平洋を坂本竜馬っぽく見てると、やはり俺の潜在意識が脳内恋人を求めてたという事に気付き、脳内恋人を熱く抱いたら、脳内恋人と歴史的和解を遂げたわけだよ。まあ傍から見たら太平洋に向かってオナニーしただけなんだけどm9(^Д^)プギャー。
そのご、脳内彼女は特に作品がどうとか言うのを諦め、なんだか俺の周りでだらだらとする妙な女になりましたとさ。
というか、ばるぼらを読んだのはつい2、3ヶ月くらい前なんだが。なんで二十歳の俺は素で異常性欲の耽美作家と同じ事をしてるんだ。
やっぱ、俺も手塚治虫の子なのかなあ。後半のバルボラの正体を説明しだしてからはちょっと冷めちゃったかもしれないけど、末路の雰囲気は好きです。
つまり何が言いたいのかというと、本田透先生が脳内妹の素晴らしさを世間にアピールしようとして小説を書いたりロフトプラスワンで露出して営業したりするのはかなりの地獄道だろうなあと、同じような体験で人生を棒に振ったものとしては思うわけなんですよ。
とか言いつつ、おれもホムペで脳内妹がどうとか何してるわけですが。辞められない止まらない。
一度、脳内恋愛のうまみを知ってしまうと抜け出せない。
ああ、まさに阿片だわ。
まあ、本田透先生は本も売れたし、その本を完成させるだけの体力があるので俺のようにブログで駄文を垂れ流したり落書きだけで絵を完成させない人間よりは才能に満ちてると思うので、このチャンスを生かして頑張って欲しいなあとも思う。
でも、電波男電波大戦も俺がナチュラルボーンで体現していた事そのままなのに、印税が入ってむかつくなあ。という嫉妬も感じる。
っていうか、富野由悠季御大将も幼少の頃から、俺と同じくセルフでエロスSM絵を描いて掻いてらして、そのリビドーを電波小説にぶっつけてたんですけど、ご存知のとうり、「そんな自意識だけの作品は書くべきではなかったんでス・・・。君も書いてはいけない!」
と俺にサイン会で仰ったので、本田氏もどうなるかなあ。
あ、しかし、トミノ倉田英之氏のかみちゅ!

劇的展開もスペクタクルもない。描かれているのは、少し前の時代の田舎の中学校に通う、「神様」になってしまった中学生の少女の、ゆるやかなかわいらしさの集積のみである。だが、たわいもない彼女たちの日常の所作への丹念な描き込みは、例えば若冲が水辺の動植物を偏愛ともいえる筆致で執拗に描きだしたように、独特な豊穣さと不思議な普遍性を帯びる。

と、絶賛してるんですよね。
んで、おれはかみちゅ!が映ったにもかかわらず、「これ以上録画番組を増やしてどうするか!」とか言って切り捨てたんだが、惜しい事をした・・・。
http://plaza.bunka.go.jp/festival/sakuhin/sakuhin/anime03.html
やっぱり絵柄で判断しないで1話だけでも見ておくべきだったなっ・・・クソッ!OPの演出とかすごい好みなのに。
アカギも前半切っちゃってたし・・・。1話見たけど。
もう!俺のバカ!審美眼なし!
もっと真面目にレンタルビデオやに通え!ムリョウもマイトガインも最終回だけほったらかしてるしなあ。何年根にもつんだ俺は。

*1:何だそのジャンルは