玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

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富野由悠季のコーヒーブレイク:恋愛論(どっかで拾ったファイルの転載)

▽▽▽恋愛論を聞かせて下さい。

▼"恋愛する"ということは、情の発露の行為です

 物語を作る自体が恋愛をテーマにしていると思えます。

その感情が作劇の基礎になるものですから、恋愛のことを考えない作家はいないわけがないと思っています。
(中略)
 少なくとも、ものを作るクリエイターでありたいとかアーチストになりたいと思ってしまうような人にとっては、恋愛衝動とか、セックスに対する衝動をきちんと持っている人が結局クリエイターの立場に立っていけるものです。
 そういう人が語り、表現する情が、フランクでみんなに解るものであれば、みんなが支持してくれます。どういうことかといえば、恋愛感情、恋愛衝動はノーマルな人であればみんなが持っているものだからです。

 そこに共通項がなければ、ひとりの人間が創ったものを百万人の人が観るわけがない、聴くわけがないんです。解らないからです。解るっていうのはどういうことかというと、そこに共通項があるからです。勿論文化の違いもありますが、日本人が解るオペラだってあるわけですから。文化的なにおいの違いがあっても解るというのが、文化だということになりましょう。

 もう少し、格好良く言うと恋愛衝動というものは、他の文化を理解しようとする衝動までつながってきます。そこまで知的行為を含めた情を持ったのが我々です。

 年相応の恋愛感情を持ったら、それは大事に経験してください。失恋も含めてきちんとやってください。
   そういうものに目を塞いだら、不完全な人間への入口に立つことになります。

(中略)

▼失敗を繰り返して、情愛を育む

 当然、恋愛というのは1人ですることではありませんから、相手からとんでもないしっぺ返しもあるでしょう。そういうことも含めて、きちんと経験して頂きたいと思います。恨んでストーカーをするというのは、心や情を育てることにはなりません。

 「無惨な結果な訳だから、いい恋愛経験じゃないよね」というかもしれないけど、そういう失敗を何度か繰り返さないと、ほんとの意味で情愛を育むとか、慈しむ心は育ちません。

 では、恋愛とか恋愛感情とか、訓練しなくちゃいけないものなのでしょうか。

 「なんとなく本能的に好きになったら、好きになったで、嫌いになったら、嫌いになったで、そこには努力するとか、育てるとか慈しみし合うなんて面倒なものじゃないんじゃないの?」という理解があると思います。

 恋愛というのは、そういうものじゃなくて、育てていくものです。

 ある時には徹底的に我慢しなくちゃいけないときもあります。

 ただ、本能的に直感的にその時だけの感情かもしれません。その瞬発的な感情を恋愛とは言いません。 恋愛の衝動を素直に認めなくてはいけないのだけれど、問題なのはその衝動をどう相手に伝えたら、相手は認めてくれるか、認めてくれないのかです。

(中略)

▼恋愛と結婚と不倫の違い

 僕は基本的に恋愛と結婚とは全く別のものだと思います。

 結婚というのは知的動物の集合体をつくっている社会で、システムに組み込まれている行為なんです。恋愛というのは社会的な行為を目指すものではない。恋愛は恋愛。浮気と同じように聞こえるかもしれませんが、浮気とはセックスをするという意味合いになります。恋愛は、セックスをすることに結びついていません。 

こういうことを言った方が居て、僕の好きな表現があります。

「男と女の関係で一番いいのはね、一年に一度、会ったときに両方で、今夜は寝てもいいと思っていても寝ないで別れる。そして、会うときにとても嬉しく会いに行ける。これが恋愛です。」

 みなさんは、これくらいの覚悟がありますか。逆にいうとそういう風に好かれているパートナーをお持ちですか?恋愛ってそういうことです。

 気持ちがいいけど、ちょっとだけ辛い。それが大人の恋愛でしょ。

 結婚する前に不倫はありませんからどうしてくれてもいいんですが、やはり結婚してなくても不倫と恋愛の違いはあります。だって、想いがなければ、なんでも不倫みたいなものですから。

 情の置き所の問題です。自分が好きだ嫌いだのというのは、個の問題ではなくて、相手が居て、相手と自分の気分がひとつところにポンと乗って、揉んでいられる関係です。揉んでいていいんだよね。それを両方が共有できる関係。穏やかであるし、そういう関係で、食事をしていたりして、ちょっと肘と肘が触れ合っただけで気持ちがいい。そういう恋愛をしましょうよ。

 不幸なのは、そういう異性と出合う機会が極度に少ないことです。だからとりあえずの気晴らしをしてしまう。とりあえずの気晴らしは独身であろうと不倫です。 不倫を認めないわけではありません。セックスだけが好きな男と女もいますから、それはそれでいいんです。ただ、その時に一つだけ礼儀があります。病気は移しちゃいけません。自分にヤバイなって病気があるときは、人間はおおむね、目の前の人には隠しますからね。

▽▽▽夫婦や恋人の間での暴力や、殺傷事件が目立ちますが、、、

  両者の気持ちが一つのところに乗った関係でなければならないとお話ししました。これは結婚であっても基本条件であるはずなんです。

 暴力が週刊誌の記事になるのは不幸以前の問題です。恋愛関係ではないんですよね。エゴをぶつけ合うのは、恋愛的な行為ではないのですから。

 恋愛の凄いところ、素敵なことは、極端な言い方をすると、自分のエゴを全部捨てても相手のことを見てても、それでいいって思える心です。

 自分の欲っていうのはないんです。やらせろって事もないんです。相手の姿、形、言ってること、考え方とか体臭とか、ものの挙動とかものの食べ方とか、全部許せることです。

 そこになんで自分のエゴが入るのでしょうか。自分のエゴが入るのは愛してない証拠です。だから恋愛ではありません。

(中略)

▼夫婦になってからも相手の顔を見て

 セックスのことも俗にいうオーガズムを体験することができる夫婦がどれくらいいるかって言ったときに、思っている以上に少ないと思います。

 人の行為そのもの、アクションするということは、理念の反映です。理念が粗雑になってますから、お互いにオーガズムに行くまでしないんじゃないでしょうか。それもエゴです。相手の顔を見てセックスをする夫婦がどれくらいいるでしょうか。

 面倒な事じゃないんですよ。みんな見えていることなんです。みんな解り易いことのはずなんです。

 とりあえずのところで話が落ちついてしまったり、結婚をしたり、とりあえずのところでセックスをしたりして、こんなもんなんだろうなっていうところで、みんな歯止めをしてしまう、利口さ、小利口さが恋愛を育ててないのです。

 とても損なことですから、もっと素直に好きだ、嫌いだって、なってほしいですね。 

(後略)


で、だから僕は↑こういう覚悟もヤッパリビビるわ・・・。恋愛できる人は世界とディープに関われてすげえナ。とグロテスクの美少年のように感嘆。して、富野の言葉を借りて分かって振りして逃げているだけでレポートくらいさっさと書けよ。

そーいえば、機動戦士ガンダムF91―クロスボーン・バンガード〈下〉 (角川文庫―スニーカー文庫)で、「頭のいいザビーネは巧妙に隠しているもののアンナマリーはオーガズムにいたる直前の動きからザビーネの自己中心的な性格を見抜いていた」というような描写があって、おもしれー。