玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

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物語作成術者の普遍性とエゴ

僕は京都精華大アセンブリーアワー講演会
石川雅之×幸村誠
〈描くこと〉が世界を創る
対談 石川雅之(マンガ家)×幸村誠(マンガ家)「〈描くこと〉が世界を創る」:アセンブリーアワー講演会
で、
石川先生と幸村先生に

萬画を描く動機やモチベーションについて質問します。
読者の中にある普遍性を刺激して感動させることと、
作者の中にある思想や知識を伝えることと、
どちらにやる気や執着を感じていらっしゃいますか?

と聞いた。



これは、トミノに聞いたことの続きでもある。

トミーノは「物語で一番大切なのは普遍性です」と言った。

「普遍性、です。」

「神話とか伝説とか、要するに口伝として伝わってきた物語がなぜ残っているかを考えてください。そうするとおそらくそれは、どのような地方の人々でも一般的に了解できる、理解できる何かが含まれているのではないかと理解すれば良いのではないでしょうか。」

「つまり、作者の心情を吐露する事が物語だとは思えません。しかし、現今の作品にはそう言うものが多すぎると思います。」

「ただこの普遍的なもの、真理と呼ばれている物が、ではどういうものが真理ですかという事については、お答えできません。僕は神様ではありませんから。」

と言った。


だから僕は、富野に「スタジオワークと小説では普遍性に至る道はどう違いますか?」
と聞いた。
「作家個人の脳の中の情念や執念による小説と、いろんな人の手で一つの話を作るアニメでは世界観にどう違いが出ますか?」と聞きたかった。
2004年富野由悠季精華大学講演 質問コーナー。 - 玖足手帖-アニメ&創作-
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おこたえ

「テレビの仕事に関して言いますと、私は脚本を全部書き直します。他人の筆は入れさせません。」


(手元のメモでは、「ノベルの時は全部一人で書き直す」となっているが、自分で質問した時は手よりも目と耳に神経が行っていたので、メモが間違ってるかも。次の発言とのつながりは、KINOの方が正しそう。が、小説版ファーストガンダムは全部違うしなあ)

「脚本を下敷きとしてしか扱っていない。」

「僕はこの30年間、シナリオライターから徹底的に嫌われている人間です。騙し騙しでなくては、手伝ってくれる人はいません。」

「自我を持ち主張を持ったライターは、僕と一緒に仕事をやってくれません。」

「無能なシナリオライターと一緒に仕事をやるくらいだったら、自分ひとりでやった方が良いじゃないか、という考え方が僕にもあるようですが、それは全く嘘です。」


全く嘘かよ!


「最後にその人のホンを全却下するかもしれないけれど絶対に必要なスタッフなのです。

どうしてかというと、「おまえはひとりでそれほど天才か?」という話です。」

「脚本を全却下にしたとしても、それがあるから考えたというネクストがあるんです」

「(そんなスタッフワークを)この十年で本心から重要だと思えるようになった。」

「さっきの質問で、スタジオワークの事は分かったんですけど、小説の話はしてませんね。
(俺はあなたの心の黒い部分を見たいんだ。白トミノになったとしても、心の奥底に燻っているだろうそれを!)
(という動機で、もっと丁寧に話しかけたよ)」
「私も素人漫画”のようなもの”を書いているのですが、(2004年の引きこもり当時)ある種の人間は頼まれもしないのに何かを吐き出すように表現する事があります。(トミノさんもそのような人種だと思う。)スタッフワークを経た作品を作っても、なお、ノベルを書いて自己表現しようということをやってきましたよね。
それは、つまり、そういうことをする、してしまう人間と言うのはどういうものなんでしょうか?
私小説という物もしっかりと小説のジャンルにはあるじゃないですか。」


富野:それは非常に難しくて私もまだ悩んでいる所なんですが、やはり、スタッフワークというか、「世間の目」にこなされていないものは、゛世の中に出してはいけない゛と思います。一人で書くというのは結局のところ「欲」でしかないんです。


「しかし、小説は、特にファンタジーの古典とされているもの等は一人の作者でも広い世界を描いているモノがあると思います。それは、富野さんにとっては例外なのでしょうか?」


富野:いえ、そう言うことはよくあることです。例外ではないです。でも、それはよっぽどの才能が無くてはできないです。


「しかし、ガンダムの小説版は全然ちがうし、富野分が濃ゆくて、僕は好きですよ。」


富野:あれは、たまたまできたことです。それもスタジオワークを下敷きにしたことのコピーの結果のような物です。





逆襲のシャアは小説版のほうが面白かったので、僕はトミノをぶん殴りたかったが、大人なのでやめた。
でも、僕は富野小説がすごい面白いと思ってるのに、富野自身がそんなことを言ったらボクの気持ちはどこに持っていったらいいんですか!
むかついたから、アンケートに「富野さんがなんて言おうとガンダムの小説版は面白かったと僕は思うので、面白いのは事実です」と書いて提出した。
それが3年前の京都精華大の講演会。


それが、ずっと気になってたので、作者個人の思いと、読者の普遍性と、どちらが真実に近いんだろう?と考えていた。
で、いい機会だから富野以外の創作者にも聞いてみようと思ったので、今回、石川先生と幸村先生に

萬画を描く動機やモチベーションについて質問します。
読者の中にある普遍性を刺激して感動させることと、
作者の中にある思想や知識を伝えることと、
どちらにやる気や執着を感じていらっしゃいますか?

と聞いた。


答えは、

石「うーん。こんなに大げさに考えてマンガ描いてないなあ。自分がポッと思いついた面白い事を、「ねえねえ、ちょっと聞いてよ」と言う程度で、「感動させるぞ!」なんて言うほどの意気込みはないなあ」
幸「やっぱ、喜んで貰うのが大前提です」
石「自分が書きたいのも大事だけど、人を面白がらせる事が大事だと思うし、そっちの方を気にしますね。読者の反応も気になるし」
幸「まー、僕は滑ったら滑ったでもいいとおもう。
・・・・・・うーん。ちょっと質問が読み解けないんだけど……セオリーに当てはめて描く、とか言う話なのかな?」
石「読む人と自分の考えが一緒になってないといけないと言う事はないと思う(?やや聞き取れず)」

うーん。富野が普遍性が大事と言うので、そういうことを描いてしまったために、分かりにくい質問になってしまった・・・。
まあ、簡単に言うと「うけるものと描きたい物、どっちが描きたい?」ということなんだけど。
いや、でも、そういう簡単な話でもないんですよぉ。
っていうか、プラネテスのハチマキも「世間に対して俺を認めさせてやる!」というキャラクターだったし、幸村先生もそういう部分があると思った。
僕は「読者が楽しんでくれるのが一番です」っていうマンガ家のコメントは奇麗事だし嘘だと思う。やっぱり、作品を通じて自分をわからせたいというエゴは創作者にはあると思う。
でも、やっぱりプロとして仕事で萬画を描くようになると、読者の方にベクトルが向くのかなあ?という印象を受けた。
しかし、「うけるもの」と言っても、読者の普遍性を刺激するには、作者が自分個人の中にあるものをつきつめて微分してそれを再構成するというアプローチがあるだろう。
赤松健みたいな時代を読むマーケティング型の作家もいるのだが、彼だって最初はパソコンから女の子が出てきたらいいなあと言う願望充足萬画だったし、それは自分のエゴがないと実感やリアリティのある作品として描けなかったんではないか?と思う。
それに、プラネテスもやしもんって、情報萬画という側面もあって、思想だけでなくそういう調べた知識を伝えたいと言う欲望もあるんじゃないかなあ?
そんで、読者もそれを知りたいと思うだろうし。
かと言って、竹田菁滋プロデューサーの作る戦争アニメのように、「ジャーナリストで世界情勢を良く知っているオレが子ども達に戦争の真実を見せなければ!」みたいなモノが良いものになったかと言うと・・・・・・。やはり、一人の人間のエゴや知識や思想だけでは偏って狭いものにしかならないのか、?
だが、永野のりこのような孤独な魂を突き詰めて妄想で描くタイプの作家もいるわけだし。
うーん・・・・。
簡単に答えが出ないなあ。
で、幸村先生が最後にこういうことを言った。

「この質問の答えになっているかは分かりませんが、井上ひさしさんの創作心得に、こういう事があります。
『難しい事を簡単に、簡単なことを面白く書く』
僕にも少しは思想とか知識っていうものがありますけど、それはさらっと簡単に伝えて、簡単に伝えた物を面白くして、みんなを楽しませるのがいいんじゃないでしょうか?
その、どっちが重要と言う事ではなくて」

と。
ううーん。井上ひさしはいい事を言うなあ。


で、結局のところはっきりとした回答は得られなかったのだが、何となく得るものはあったように思う。


その、この質問単体に対する回答ではよくわからんかったけど、講演全体で、こういう発言があった。

幸「影響を受けたのは、坂口尚さんです。エンターティンメント以上に、「これを描かないと死ねない」「描かねばならぬ」「これを描くために萬画を描いている」というテーマを持っている人がいる事に気付きました。」
石「でも、どうしても描きたい事って言うのは1個くらいあれば充分じゃないですか?」

石「編集さんは最初は自分を信用してくれないから色々文句を言われましたけど、まず、信用して注文を聞いたほうがいいです。信用させてから最後に自分が勝てばいいんです。
それに編集さんは基本的に頭がいいんで、色々マンガ家に注文をつけて、ちょっとだけやる気を出させてくれる(笑)」
幸「編集さんに言われた事で、印象深かった事があって、『萬画なんてモノを読みたくって読む人はいないと思え』『読者にわざわざ読んでもらうんだから、自分から歩み寄って読みたくさせるものを描け』と言ってもらえたことがありました」

幸「宮沢賢治は好きです。人様の物の考え方を知って、自分が知らなかったことを思い知らされる事があります。
それで、自分とは脳みその中身が全く違う人に出会うと嬉しい。
でも、鬱になるから人には薦めません。プラネテスの時は半分鬱でしたし。
二人のハチマキが自問自答するのは少し文化人ぶりたくなってカッコつけたかったんですね」

そういうことを総合すると、作者のエゴを突き詰めて普遍性に至るのも、読者やスタッフなど周りの人との関係から普遍性に至るのも、両方とも良いことなのかなあ。と。
分離するべき物ではないのか・・・。
うーむ。


僕は強迫性人格障害っぽい部分が在るので、「思いついたアイディアで出来た脳内生命体を現実に生み出さないと、呪われるかもしれない。むしろ、脳内人物を生むために僕は生かされるんじゃないか?」という妄想があったりして、萬画を描いてたりした。
っていうか、僕の脳内妹はきれいでしょおおおおーーーーーーーーーーーッ!





「学びて思わざれば則ち罔し思いて学ばざれば則ち殆し」のさじ加減ってことかなー。
取材もしねえとなあ。