遅れてすみません。遅れたのでコメント欄でなく本文でコメレスします。
>>id:mimipannさん
『>この、会場が拍手をするというのも、物事の真偽よりもインパクトや面白さを求める大衆性だなあと思った。仰るとおりだと思います。私自身、「吼えるカントク楽しいなぁ」ぐらいのことを思いつつ手を叩いた様に思います。』
まあ、ボクも笑っていたんですけどね。でも、やっぱり、落ち着いてみると、富野由悠季監督が面白くて大好きで声が大きいからと言っても、それだけでそれが正しい、としてしまうことは怖いなあと思いましたし、逆にソレは富野監督の言葉をちゃんと吟味していないという点で失礼でもあるかなあと思いました。
僕も、富野監督の言葉の全てが同意できるわけじゃありません。特に「平安時代は戦争が無かったから、貴族はニュータイプだ」というのは、どうかなーとか。
あれは惰性の軍事政治だった気がするけどなあ。とか。
富野監督ご自身も
「好きになった瞬間に一番考えなくちゃいけないのは、
「俺はこれを、うかつに好きになってしまったのかもしれない」」
ていうふうにいつも疑って行くとそう言う事が、今度はものつくりのプロフェッショナルになっていくことの一番のモチベーションになるのではないか。」
と、仰っているわけです。
だから、ボクもトミノさんが大好きな故に、トミノと僕の関係を常に自問していきたいと思います。
つまり、恋に落ちるのは瞬きみたいな一瞬の情熱ですけど、愛に続く坂道で強さを覚えたいなあと言う事です。
あと、2年前の京都精華大学の講演会でも、同じような事がありまして、それはKINOにもあまりの過激さにオミットされたんですが、その時は富野監督はこういうやり取りがありました。
アニメが好きだ、と言う事でアニメを作っていたら、過去のアニメ以上の物はできないでしょう。宮崎駿監督の作品以上の物はできないの。
宮崎シュンはアニメフェチで、ロリコンで、アニメーターの手しか持っていない人なんだけども。
(会場拍手)
これだけではない事は間違えるな。
今、喜んで手を叩いた奴は、バカ。
自分でギャグを振っといて勝手に切れるのがトミノなんだよ。富野コエー!
まあ、そういう風に自分が持ち上げられるキャラクター、ネタになるキャラクターと言う事も最近の監督は自覚していると思うんですけどね。
アニメ新世紀宣言とかイデオンのイベントではかなり持ち上げられたらしいし。それで故郷の小田原でサイン会をやってみたりもして、その後ガンダムシリーズで潰れたりもして、それでもオウム事件の時はメディアに露出したり、今は対談や大学教授もたくさんしてる、という経験を重ねられてるんで、持ち上げられる事には自覚的にならざるをえないと思うんですが。
「現在ただいま、こう言うような立場にたたされた、時にこの年齢で作家になりえなかった自分が皆さん方の前に立っているということがかなり、面映い、恥ずかしい行為であるということも自覚している。
で、ですからあの、人気に〜〜えーあの、人気に図に乗って図々しく、こういうような立場で皆さん方にお話をさせてもらっているっていう意識もかなり持っています。」
ということで、受け手の側も、ちゃんと受け止めつつも監督の話は聞き流すと言う事も同時に意図的にやるべきなんだろうなあと。
あきまんも監督の言う事話半分に聞くのが言いと言ってたような。それでいて、監督のオーダーは120%コンプリートするとも。
しかし、何気に書いたらにゅーあきば.こむさんにまでリンクを張られてしまった。富野の言葉は力があるみたいです。
外部に漏らすなと言われたのに、俺は酷い信者ですね。