玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

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初めて劇場で機動戦士ガンダムII哀戦士編を見た

新宿ピカデリーでリバイバル上映をしている。三十周年だから。
私もガノタとしては機動戦士ガンダムをキチンと劇場で見るべきだと思い、7月4日の土曜日に見た。
先々週にアニマックスの録画で見たのにね。
京都でやったオールナイト一挙上映の時は哀戦士編から半分寝てしまったリベンジ。
夜九時半の回を見たがレイトショー割引は無かった。客は二十人弱。カップルや若い女性も居たし、オッサンも居た。
一番前の席でもスクリーンから適度に離れてのびのび見れた。

しかし、微妙だった。ついこないだ見たばかりだからなのか?
あまり楽しめなかった。
テレビで見た方がまだ楽しめたかも。
新訳Zガンダムの方が興奮したし、チャクラが開いた。
今回はそんな体の底からの喜びは感じなかった。いつも富野アニメを見た時はもっと元気になるのに。


  1. 自分が微妙

日中に二週間ぶりに掃除をした。疲れた。仕事があるのにガンダムを見に行く後ろめたさ。終電が不安。
アニマックスで先週からザブングルが、四日からテレビ版機動戦士ガンダムが放送だが、見るのを忘れた。
そして、チューナーの不調でザブングルの5話6話とガンダムの1話2話が録画出来てなくて不幸過ぎて凹んだ。
だから自分のコンディションが酷かった。

  1. 絵が微妙

大スクリーンで見れば、冒頭のホワイトベースの近くにジオンの兵士が死んでいたり、ミライとブライトに話しかけてるゴップ提督の隣の人がうつらうつらしてるのもわかった。その細かい描写は人間ドラマらしくてよかった。
だけど、最前列で見たからだろうか?
セル画の質感がわかりすぎた。背景と人物の境目が気になった。
セルがズレて揺れていたり、セルをスライドさせたんだろうとか、見ていて撮影の舞台裏がわかって、物語世界の中に入り込み難かった。
「これは、ただの絵だ」
「しかも、あまり良い絵ではないのです。動くはずのない絵なのです」
とか、思った。
戦闘シーンも新訳Zガンダムに比べなくとも、あまり興奮しなかった。見慣れたから?
先週にヱヴァンゲリヲン新劇場版:破を見たから?
ビスタサイズじゃなくてテレビサイズだから?
せっかく劇場で見たのに、DVDで見るよりも嬉しくなくて、悲しかった。俺はガンダムオタクなのに、ガンダムを楽しめなくなったら終わりです。
やはり、所詮、僕は若手の第三世代オタクに過ぎないのか。
丹念なセル画よりもCGの方に現実感を感じてしまうデジタル世代だったのか。
セル画の暖かい質感とかよりも、CGの統一感の方が良いと感じてしまう。
(まあ、ヱヴァ破のモブシーンのCGキャラがコピペ臭かったり、モンスターVSエイリアンのテクスチャーは気持ち悪いと感じたりもするが。問題は作り物臭さだな。かといって、作りすぎな実写や舞台もあるから難しいのだが)


先々週の、六月末に、氷川竜介先生の「アニメの楽しみ方講座、作画編」を池袋のコミュニティカレッジまで受けに行った。
そこで、「昔とは違い、現在の動画マンは外国人で、意味もわからないで原画の線をなぞっているだけ」
「だから線も均一になって質感がない。デジタル塗りのために線を閉じなくてはいけないから、鉛筆のタッチや勢いのある線は減った」「今の動画は全盛期の塩山のザンボットは描けない」
「現在のアニメは、線ではなく、色と面で作られている。」
と、習った。
僕はなんだかんだ言っても、新しいアニメ好きなのかなあ。安彦良和先生のアムロの線とセルの質感がちょっと湿っぽく感じてしまった。
とか言いつつ、その氷川竜介先生本人が、最新アニメでCGを使いまくりのヱヴァンゲリヲン新劇場版を絶賛して宣伝部長というのがへんてこりんで面白いな。
道具がなんであれ、氷川竜介的には、意図を伝えられれば良いのか。
訳もわからずなぞるだけの外国人はダメだが、演出意図を再現するためのCGや、さらに上手く動画レベルやカメラワークもこなせる原画マンのアニメはいいとか?
グレンラガンの鉛筆タッチもCGテクスチャーらしいし?
それも時間と予算ありきなんだよなー
トミノが真の意味でそれに恵まれた映画はないかも。
かろうじて、発動篇が執念の映画になってるか?
今週末にめぐりあい宇宙は見に行くが、面白がれたら良いな。

  1. 話が微妙

まあ、細かい所を言うと、テレビ版をむりやりつなげた齟齬が気になる。
具体的には、ホワイトベースがいつも傷ついているが、テレビ版の毎回の戦闘をはしょっているので、なんで修理されてないのかがわからない。それは、ランバ・ラル戦、オデッサジャブローという大きな戦いの合間の時間感覚がわからないからだな。テレビならだいたい感じ取れるが。映画はインターバルがないから。
そこら辺は、逆襲のシャアZガンダムの方が、上手い。修理したいが、敵の攻撃に追い立てられたという切迫感の見せ方は、後年のトミノの方が上手い。
だが、テレビ版ガンダムイデオンの毎週の必死さはガチ。




大きな所はやはりニュータイプだ。

というか、∀ガンダムを見直してる時期に、ファーストガンダムを見たらニュータイプの持ち上げられぶりがキモい。
人類が半分死んで、絶望しないために新人類を求めるという、宇宙世紀の初頭の時代の気分という作中の理屈はわかるが、それ以上に新人類と言われた当時の若者のはしゃいだ気分が伝わってきた。それを煽るアニメ屋の作為を感じます。
アニメの青春と言われる時代だが、どこか幼く見える。
「大人は分からず屋だけど、新人類は認識力が拡大して分かりあえる」っていうのがあまりに、八十年代の浮つきに繋がる感じで、今となってはバカバカしい。
やっぱり、アニメは時代を映すなあ。
そんで、その時代の幻影を真摯に振り返ったガンダムXクロスボーンガンダムはオタクを楽しみたいオタクには不人気だった訳だ。
ガチヲタには感動を与えたが。


そんな感じで、ファンと作り手が一体になってニュータイプという、新しげなお題目を盛り上がるのが気持ち悪かった。
彼等が四十にもなって、ニュータイプになりえたのかと。
ジオン・ダイクンも、シャア・アズナブルも、マチルダもなんかキモい。
おれはオールドタイプなのかなあ?OVAに出て来るココロザシを持ったジオン軍のオールドタイプの親父キャラは変に薄い考え方のロマンチストだから好きじゃないんだけどね。
つか、ジオンがオールドタイプを売りにするのは歴史に反してるだろ。
ティターンズでさえ、政治的理由からだがニタ研を取り込んだり、シロッコを中心としたニュータイプ部隊を編成した訳だし。
まあ、それはいい!


それよりも許せんのは、幽霊みたいなニュータイプ描写を入れるためにマチルダをハモンより先に死なせたことだ。
そういう思想を描くためにキャラクターを奴隷にするのはいかがなものか。
だいたい、映画版の描写では、ホワイトベースのエンジンの不調によって、黒い三連星の猛攻や爆撃を裂けられなくなるという切迫感が伝わりにくい。マチルダがミディアで突撃したのがただの神風に見えてしまう。
やはり、テレビ版が神。
というか、映画は全部新作にしてほしかった。
イデオンは割り切った。



そんな感じで、ニュータイプが気持ち悪かった。


だけど、アムロレビル将軍ニュータイプ議論をしてたら、カイ・シデンも同じように気持ち悪くなって軍を抜けたから、すごく共感できた。
カイ・シデンはいいキャラだなあ。
まあ、ミハルとのエピソードはイタリア映画の自転車泥棒を下敷きにしてるから、構成が上手いんだな。
ミハルが死んだときは素直に泣けた。(;_;)
幽霊が出てきたときは必死にカイの脳内彼女だと思った。
ニュータイプやなんだと言うより、ともすればそういう作品テーマに逆行するかも知れない人間模様が入っている真摯さが、ガンダムの良いところだと思いたい。
映像やなんだと言うより、映像に描かれない行間や、動画と動画の間の虚空に無限を感じるのがアニメなのだ。
それがわからないで作画のよさだけにこだわる奴は、人生の機微を感じ取れない貧しい人間なのだ。


とか、いつもの僕が言いそうな電波な事をプロの先生が言ってたからビビった。
僕の鑑賞法は間違ってなかったのか?

  • あと、よかったところ

作画に文句を言いまくったが、金髪さんの作画は大満足です。
セイラさん、ハモンさんといった金髪さんが大画面にいる存在感はすごい。
どんなに偉そうでもわがままでも電波でもブラコンでも(ブラコンはいいけど)、金髪さんだからゆるす!
もう、それだけで十分です。
ああ、ガンダムは所詮、金髪萌えアニメなのかもなあ。
F91を劇場で見たら、小学生の癖にセシリーが脳内彼女になったし。
∀ガンダムは精神的不調で劇場で見てない。損した。
大画面で金髪さんを見たいですよおっ!
ディアナ様のプラチナブロンドくんかくんかしたいお!
つぅぅううきのたまよぉぉおお!


てなわけで、七月十一日の夕方にはめぐりあい宇宙を見に行きます。
作画の粗が気にならないように、ハッキリしたコンタクトレンズではなく、緩いメガネをかけて真ん中辺りで見よう。
Zガンダム 星の鼓動は愛みたいに腰が抜けるほど感動できたらいいな