玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

当サイトはGoogleアドセンス、グーグルアナリティクス、Amazonアソシエイトを利用しています

輪るピングドラム8 君の恋が嘘でも僕は洋画や90年代みたいだと思う

今回は第8話「君の恋が嘘でも僕は」
荻野目苹果ちゃんが今回も現実にイリュージョン世界を重ねて、自分なりに現実を理解しようとして幻想的なアニメーションが展開された。
それを僕は映画的だと思う。
僕のみた映画の範囲だと、デビット・リンチイレイザー・ヘッドとか、バッファロー66みたいな。映像による暗喩表現、置き換え表現ですね。あと、キル・ビルとかイージーライダーもそんな感じかもしれん。

超主観的に妄想によって生きている苹果ちゃんの物の見方がイリュージョンとして、西部劇人形劇やぬいぐるみ幻想として描かれているのが、面白かった。
対して、その主観的な苹果ちゃんも客観的にはただの妄想に振り回されてる小さい女の子に過ぎない、っていう写実的な、引きの構図もある。


つまり、苹果ちゃんの妄想や運命日記と言う主観を中心にして、それを尊重して描いているのではない。苹果の主観も世界の一つの歯車に過ぎない、って言う感じなのが、池袋で苹果が「デスティニー!」と叫んだ時に、知らない人たちに囲まれて小さく映るっていう構図で示されてる。
そこら辺の、被写体の熱さと、カメラマンの視線の冷静さのバランスが非常に計算的で面白い。舞台劇的な、第4の壁、映画のカメラの存在や劇中の虚構性を意識させる感じ。
野望に燃える苹果の多蕗への想いも、「薄っぺらな紙人形の劇に過ぎない」っていう、二律背反が面白い。そして、それが苹果ちゃんの空回りっぷりや、みじめさにも繋がってて、ちょっと泣ける。

極めて主観な映像(劇中劇)が、パッと客観的な現実に引き戻される。
この事を糸人間で描かれるモブ、つまりモブは苹果とは関係ないよという
描写をすることで、客観を表現している。
彼女だけ(主観)が一人で盛り上がり、他(客観)は冷めている。
この落差を一瞬で表現していたのは凄いと思いました。
失われた何か 輪るピングドラム 8話「キミは今まで会ってきたどの女の子よりも心が真っ黒だ」(感想)
「失われた何か」

輪るピングドラム」のモブの使い方がジャック・タチさんの映画からの引用だという指摘が某所であった。「プレイタイム」でエキストラの人件費を削るためにやったとのこと。
https://twitter.com/#!/cinema_syndrome/status/109241255376064512

「ぼくの伯父さん」~ジャック・タチ作品集

「ぼくの伯父さん」~ジャック・タチ作品集

こういうカメラの向け方の技法は、洋画とも関連してるのね。ピングドラムはいろんな所から、いろんな要素を取り入れてるんだね。
ピングドラムのアート搾取が悪質で、見ているだけでイライラするって言ってたid:AIYOUYOUNIさんの意見が気になりますね。
寺山修司の影響もあるだろうし。


それで、そう言う演出が、単にテクニカルな技法の陳列や引用パロディではなく、桃果の書いた運命日記に導かれて閉じて行動していた苹果ちゃんが運命を狂わされて身動きが取れなくなっていく苦しさ、っていう輪るピングドラムの本編のテーマの一つを表現する事にうまく繋がるようになっていて、良い。
死んだ姉に従っていた苹果の運命が、多蕗と結ばれたゆりに狂わされたり、高倉陽毬と出会ったり、高倉晶馬と行動を共にすることで、妙な方向に変わって混乱する苹果ちゃんが切なくて可愛い。
苹果は自分を押し殺していたのに、晶馬に「キミは今まで会ってきたどの女の子よりも心が真っ黒だ」って桃果や、役割を演じている苹果では無くて”自分自身に対する”悪口を言われて「うわーっ!!!」って混乱して、下着姿で嵐の中を走るところとか、とっても女の子らしくて切ないです。
なんか、アキハバラ電脳組の20話で大鳥居つばめちゃんが感情を爆発させるシーンに似てる。綾波レイというか、ホシノ・ルリみたいに感情を出してなかった大鳥居つばめちゃんが、幸せな家族を持っている花小金井ひばりちゃんに対して初めて怒るアキ電20話に、今回の輪るピングドラムの苹果ちゃんに似てますね。まー、花小金井家にもそれなりにちょっとした事情はあるんですが。
ここら辺のアダルトチャイルドっぽさ、っていうか思春期の家族への感情を描くのはウテナアキ電ピングドラムっていう、ビーパパス系譜を感じますね。ホスト部も家族の話だったようだし。
あと、苹果ちゃんが死んだ姉の代わりになろうとするって言うのも、死んだ碇ユイの代わりである綾波レイや、人造人間のつばめちゃんやルリルリに似てるね。ただ、ピングドラムは2011年のアニメなので、そういう「運命を仕組まれた子供」という所や「感情を押し殺している」っていう部分は、90年代のアニメほど前面に押し出してないですね。むしろ、苹果ちゃんは感情豊かで、明るく見える。そこら辺の「態度は明るく外交的だけど、内面や行動原理は使命や運命で決められていて目的で行動する」っていうのが苹果ちゃんかなあ。そこら辺は、同じエヴァンゲリオンでも綾波レイと言うよりは、ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破で登場した真希波・マリ・イラストリアスの方に似てる。若い世代って感じですね。90年代だったら、苹果ちゃんはもっと暗い雰囲気で、運命日記の神秘性を感じさせる無口キャラとして演出されてたように見える。


でも、「姉のため、家族のため」と言う所で苹果ちゃんは暴走しているけど、その狂気は綾波系無口キャラのように演技させるより、うわべだけでも明るくふるまっているようにした方が「家族を繋ぎとめようとする切なさ」みたいなのが逆説的に強調される。苹果ちゃんがイリュージョンや妄想の中でも明るく強がっている自己イメージなのが、苹果ちゃんが自分の内面まで偽っている感じで切なさが強調されますね。
今回も西部劇でデスティニーイリュージョンをしてたけど、楽しいギャグシーン、演出や絵柄で盛り上げてる感じのシーンは面白いけど、その裏には苹果ちゃんのダメな女の子っぽさが見えて、良いと思う。
あと、僕はシスコンなので、(脳内妹萌えなので)、「私は家族のために行動しなきゃ」っていう妹の切ない暴走がとても好きです。うおー!苹果ちゃん切なくて萌える!!!!


あと、輪るピングドラムは苹果ちゃんに感情を爆発させられた側の高倉晶馬の家族、兄妹も感情を隠しているって言う所が興味深いですね。苹果ちゃんだけでなく、晶馬の方の家族も微妙なバランスだと。そして、苹果ちゃんは自分の心をある意味抑圧している妹だから、同じような妹である陽毬が「可愛いだけの振りをしている」、って見抜いてしまうし、妹をきれいなものだと抑圧しているような晶馬の事が鬱陶しく思って爆発してしまうのかな。晶馬は純粋というか童貞臭いと言うか、女の子に幻想を抱いているようで、苹果に対しても「人や自分を大事にしなきゃいけない」って倫理を押し付けたりするので。そこら辺が衝突原因なんだろうね。


それで、晶馬の方も、シスコン故に妹を愛して崇拝していて、妹をいつもきれいな物だと思おうとしているし、苹果の「上辺だけの家族を取り繕ってるだけ」っていう告発に対して怒ってしまうんだろうなー。それで、初めて女の子に暴力を振るってしまう。それが晶馬の心の真ん中の空っぽの部分だからな。シスコンはそうなんだよ・・・。妹に幻想を見ちゃうんだよ・・・。すまんな・・・。
そして、晶馬も苹果と同じく混乱しているんで、車に激突する。あるいは、妹や少女に幻想を抱く男への罰か?
晶馬が倫理的なのは、優しいから、と言う事もあるけど、「女の子(ていうか陽毬)は純粋でなくてはいけない」とか「女の子に対しては純粋に接する兄でなくてはいけない」っていうシスコンの深層心理があるのかも。
もちろん、苹果はそれ以上に倫理を無視してクレイジーなんだけど。


追記:
すごく女の論理と感情で生きている苹果と、倫理と少女に対する幻想を持つ晶馬の男女観や倫理観の違いによる争いと、その結果としての事件、っていうのがジェンダー的闘争って感じで、男女のせめぎあいって感じで、ぞくぞくしましたね。
下着姿の少女を嵐の夜に押し倒す少年とか、良いね。燃える。


そして、その可愛い妹である所の陽毬は、今日も元気に、元気な振りをして、運動をする所を兄に見せて、自分の可愛さで二人の兄を家族につなぎ止めようとしている。
可愛いけど、切ない。
妹!
これが妹物語の醍醐味だよなー!
ていうか、陽毬ちゃんは三キロの鉄アレイを持って運動してて元気になったねえ!白くて細い腕で鉄アレイを持ちあげて、オーバーオールでノースリーブで、脇の下が可愛いよぉおおおお!
ペロペロ!


妹が美しいと言う幻想を持つのは罪だとしても!でも、このペロペロは抑えきれない!
冠葉も晶馬と、行動と倫理の件で喧嘩したけど、妹の可愛さでデレデレモードになったし、妹に殴られて鼻血ですよ。シスコンにとってはご褒美です!

DEAR FUTURE

DEAR FUTURE


あと、苹果の日記を奪ったのは女だと言う事がシルエットから分かったけど、夏芽真砂子さんなのかなー。
9話は厳密にはほとんど話が進まないので、小説の続きをまだ読んでないので、私もどうなるかもうわからん。

輪るピングドラム 上

輪るピングドラム 上


あ、あと、西部劇シーンの池田理代子みたいな、荒木伸吾みたいな、ベルばらみたいな、そういう絵柄が面白かったです。ウェスタンルックの時籠ゆりさんのファビュラスマックスにセクシーなガンマン姿と、苹果ちゃんのキュートなアウトローファッションがかわいかったです。
多蕗圭樹王子と、家来の晶馬君はずっとパリっぽい格好だったけど・・・。
西部の娘に扮した陽毬ちゃんや苹果の友だちも可愛かったです。


しかし、ベルサイユのばら的に言えば、家来の晶馬はアンドレみたいに空気からイケメンに昇格するんだよね。多蕗はフェルゼン。
対して、苹果のイリュージョンの中では冠葉は出てこないんだな・・・。苹果の友だちは冠葉のイケメンオーラを2話で見て、その噂をしてるのに、苹果は冠葉の事は全然意識してないんだなー。
晶馬と多蕗は、純朴で素直すぎるから逆にそれが苹果を傷つけてる、っていう点で似てる。多蕗の純粋さや、底意のなさが苹果をやきもきさせる、って小説に書いてあったし。
ていうか、人工呼吸で苹果とキスした相手は晶馬だしなー。すごいベタな恋愛ドラマっぽいわー。