玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。


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無敵超人ザンボット3第4話 世界名作劇場プロメテウスの火

集結!キング・ビアル
脚本:吉川惣司
演出:四辻たかお
絵コンテ:斧谷 稔
あらすじ↓
無敵超人ザンボット3を全話語ってみる(第4話) これって何か、よくないっスか?/ウェブリブログ
前回の私の感想↓
無敵超人ザンボット3「1〜3話」まどマギを35年前に超越 - 玖足手帖-アニメ&創作-


なんというか、今回は「プロメテウスの火」というか、「子供に刃物を持たせる」とか、「人間は武器を使う事を覚えた」という感じである。しかも、割とここら辺は富野喜幸の文明批評的SF作品群のライフワーク的なテーマである。虫プロ系だし。手塚先生もそういう所あるよね。
今回のあらすじは、神ファミリーの御三家が駿河湾東京湾、信州で発掘(サルベージ)した3隻の宇宙船ビアルI世〜III世が合体して巨大母艦キング・ビアルになるというのがメイン。それと並行して、怪獣とザンボット3が戦う。


ネタバレ(と言うか死にざまを知ること)が怖いので、wikiを見る事もままならないのだが、ザンボット3の主人公は神勝平という小中学生です。で、ザンボット3は3人乗りなので、従兄弟の神江宇宙太(うちゅうた)と従姉妹の神北恵子も乗ります。みんな名字に神が付きます。ちなみに、彼らのご先祖は江戸時代に地球から42光年離れたカペラ星の惑星のビアル星から宇宙海賊(?)ガイゾックに追われてきた難民です。
神北兵左衛門がお爺さんです。
神梅江さんがお婆さんです。
あれ?夫婦じゃないの?
よくわからん・・・。でも、ネタバレが怖いので、とりあえずネットで調べずに本編を見るぜ!


キング・ビアルとは、三世代家族が乗りこむ、三世帯合同住宅が宇宙船になったようなもので、今回は寄せ棟する話だと思うと分かりやすいでしょう。
祖父が全体の指揮を取り、お婆さんはそのサポート役(あといろいろ)。
三家の孫世代がザンボット3のパイロットの3人。あと、勝平の兄の一太郎は若い指揮官として、戦闘ロボットのパイロットの勝平たちと祖父の間に入って指示をして、戦艦の各部署にいる大人たちにも説明書の読み方を教える役割。
一太郎ブライト・ノアとか宇宙戦艦ヤマト古代進(初代)みたいな立場だろうか。パイロットではないが、彼も睡眠学習で戦艦の操り方や戦術を学んでいたのだろうか?
で、3人のパイロットの両親の6人の中年男女がキングビアルの各部署のエンジンや武装などの操作を行う役割。彼らは戦闘指揮をやる気満々でやる神北兵左衛門(声:永井一郎)や戦闘を直接する若者に比べると、普通の一般人っぽく見える。あまり戦闘のプロフェッショナルと言う感じではなく、普通の民間人っぽい。やはり、一般社会生活を営む事を優先したのか?あるいは大人は脳の柔軟性がないのか?
パイロット3人のように睡眠学習を受けてマインドセットをしている感じではない。
戦闘局面での動きが遅い大人たちが、若い子供たちから注意を受けたり、大人が操作に手間取る描写もある。大人の癖に、ちゃんとしてないって気がする。


ただし、ここら辺は子供向けアニメという枠組みで考えると得心がいく。この前年のコン・バトラーVや近年のプリキュアシリーズを見ると、「子供こそパワーを持っている」「子供の純粋な心が正しい」という図式が多い。これはもちろん、子供をメインの視聴者ターゲットにして、感情移入をさせておもちゃを売るためである。あと、戦闘を描いた娯楽作品として、子供が主人公で神秘的な力で戦うアニメの方が優しい印象を作れるし、大人でも安心して見れる。
私は過労で一番鬱病がひどかった時、2ヶ月くらいアニメも何も見れなかったけど、ハートキャッチプリキュア!が始まった事でアニメ視聴が復活した。そして一人暮らしをしていたので、毎日プリキュアカレーを食べて、365日分ほどのプリキュアシール(一つに4枚付いてくる)を千枚以上ダンボール製の家具に貼って祭壇を作って拝んでいた。
また、先日新聞を読むと、パニック障害を患っている30代の女性が職場で辛い事があるとスマイルプリキュア!のシールを貼ってある手帳を見て精神を安定させるという事案が載っていた。つまり、かわいい子供のアニメは辛い心を抱えた大人が見ても癒しになるのです。
プリキュアいいよね。サラマンダー伯爵に感情移入するよね・・・。

話が逸れたが!


・子供向けアニメとしては子供が活躍した方が良いので、大人は脇に回る。
・戦闘を描くアニメなら、大人同士のリアルな戦闘よりも子供が操るSFやファンタジーの戦闘の方が、大人が見てもそんなに深刻にならないし、癒しにもなる


という事です。


近年ではブラック・ラグーンやヨルムンガルド、80年代ではシティ・ハンター、その前はルパン三世といった大人が主人公の戦闘アニメもあるのですが、やはりその場合は犯罪や軍事や人間社会の闇がメインになって、殺伐とした雰囲気になりがちなのですな。もちろん、そこにこそ大人主人公の面白みはありますが、どっちかと言うと、渋い。


逆にハリウッドのスパイダーマンバットマンやアイアンマンやトランスフォーマーアバターは大人が主人公なのに、内容はちょっと絵柄が綺麗なプリキュアスーパー戦隊と同レベルという軽薄さである、にもかかわらずジャパン国民の成人男女が視聴する、大人が視聴しても恥ずかしくない作品として受け止められていて、非常に不思議である。
アイアンマンとか、兵器会社の社長が趣味に走って外国人を殺して暴れるという、カス男の話なんだが。良いのか?ダークナイトはおもしろかったけど、ファイト・クラブやセブンあたりのブラピ映画の方がまだ真面目だと思う・・・。


また話が逸れたぞう!


あと、ザンボットのキングビアルには機動戦士ガンダムのカツ・レツ・キッカみたいな幼児がいる。神江宇宙太の弟(へそ出しショタ)妹(パンツ丸出し)と神北恵子の妹(眼鏡デブ)という、今見てもなかなかキャッチーなキャラです。安彦良和のキャラクター創出画力と相まって、オタク人気の出そうなかわいいキャラです。
金髪美少女戦士の恵子の妹が、ちょっとトロそうな眼鏡デブの幼児とか、人間関係が面白そうじゃん!生き延びたら思春期に美人の姉にコンプレックスを抱きそうじゃん!でも、このアニメ、この子たちが生き延びれるかどうかよくわからん・・・。イデオンの富野だし・・・。思春期、迎えられますかね・・・。


そういう意味で、素人の一般の大人たちや幼い子供たちが突然降ってきた戦争に巻き込まれるという、酷い話です。
素人たちが宇宙人である先祖の遺産と言うオーバーテクノロジーを無理やり扱う、つまり、素人の家族がナイフや小銃を持って生兵法で外人テロリストと戦わされるような、どうしようもない話ですよ。これ。


また、人類が扱うには難しすぎる機械設備を生きるために無理やり動かす人々という主題は、「プロメテウスの火」というか、原子力発電所事故や核兵器に対する批評性をも秘めています。チェルノブイリ前の1977年なのにな。もう、2011年の3月11日より前に、富野の中ではとっくに世界に見え方は変わっていたんじゃね?東浩紀に言われるまでもなく、災害があれば人は死ぬし、技術に対するリテラシーの足りない人類は事故を起こすよね。そういう人の歴史は昔からあったよね。
むしろ、「3.11から世界の見え方が変わった」とか「9.11でパラダイムシフトを余儀なくされた」とか「95年のオウム事件阪神大震災で世の中の見え方が変わった」とか言う人は、1970年代から富野や楳図かずお手塚治虫パグウォッシュ会議が口を酸っぱくして言っていた文明への懸念を無視していた馬鹿なのではないでしょうか?平和な日常など、人類が戦争を覚えてから一度も来た事など無い!
そんな現実を無視して日常だけを謳歌する大衆が跋扈する世界だと、そりゃー、1989年にはシャアも隕石を落としたくなるし、91年にはラフレシア計画を発動させたくなるわ。ホント、富野由悠季は71歳にもなって、なんでまだ自殺もせずにこんな愚民どもの溢れている地球で生きてるんでしょうね?


まあ、僕も富野も、ちょっと厭世主義的な所があるので、また話がそれました…。
愚民を殺したくてたまらない富野「バラオ、ブッチャー、シャア、イデ、シロッコ、鉄仮面、迫水、等」と、
愚民のなかにも人の温かさを感じる富野「洸、勝平、アムロ、コスモ、カミーユ、キンケドゥ、迫水、等」という相克がドラマチックですよね。


また、この敵のガイゾックの習性は「一定レベルの科学技術に達した星の知的生命体を根絶やしにする」というものです。これって、幼年期の終わりとか2001年宇宙の旅とかスター・トレック、あと、トップをねらえ!やクロスボーン・ガンダムスカルハート猿の衛星などのSF作品で何度も使われた、SF的モティーフなんだよねー。「人間は武器を手に入れたが、人間自体はそれを使いこなせる知恵と上等な精神を持つほど成長できただろうか?」という。博士の異常な愛情とかね。
ホント、ザンボットはSFだよねー。

↑ガイゾックの土偶型宇宙船→ふしぎの海のナディア・・・SF!



だから、今、朝日新聞でプロメテウスの罠っていう福島原発事故に対する連載があって、人類どもの生活が放射能汚染で脅かされていたり、人類どもが日々の経済生活を支えるために原子力を食い物にしていたり、っていう現実があるのを見ていると、「事実はザンボット3よりも下らないし、つまらないし、バカ」って思う。東京電力も政府も実際的対策よりも1年以上前の事故対応の言った言わないでつまらない争いをして、現在進行形の問題に取り組んでいないし・・・。
ザンボット3はそういう厭らしい現実を戯画化して、分かりやすく見せてくれている作品でもあると感じる。35年前の作品なのにな。ほんと、人類は進歩してないな・・・。ガンダムのラストで「みなさんの未来の洞察力に期待します」って言われたのに、そんな事無かったぜ!

プロメテウスの罠―明かされなかった福島原発事故の真実

プロメテウスの罠―明かされなかった福島原発事故の真実

  • 戦う力を持つ事

「すみ江さん! 我らの先祖のビアル星人が滅びたのは戦おうとしなかった、いや、戦い方を知らなかったからですぞ!」
と、神北兵左エ門が嫁の神江すみ江に言ったのだが、これが今回の主題っぽいな。滅ぼされないように、神ファミリーに嫁入りした一般人のすみ江さんは、不慣れな発掘宇宙戦艦の操作をさせられる。そうしなければ死ぬ。戦場は非情であり、宇宙人との戦いは他の動物との生存権の縄張り争いであり非情。


しかし、人間たちは、私たちは戦う力をもって生き延びる価値があるのだろうか?ザンボット3や神ファミリーが守ろうとする人々は、怪獣との戦闘で街を滅ぼされ、難民になり、事情も分からず神ファミリーを憎む。その程度の認識能力しかない愚劣な大衆を生き延びさせる事が良い事なのだろうか?


こういう、「そこまでして戦う価値が、俺たちにはあるんだろうか?」「敵を殺してまで生きる価値があるのだろうか」という哲学は戦闘を描いた映画や小説でも、何度か描かれたものです。


また、神ファミリーだけでなく、勝平の悪友の香月真吾少年13歳がこの話のキーパーソン。というか、彼はスパロボにはほぼ出てないので、僕も本編を視聴して初めて存在を知ったんだけど、狂言回しとして全編において重要な役割っぽい。
見た目もイケメンだ。
カイ・シデンの声と目つきで、服装はアムロ・レイ。そばかすはハヤト・コバヤシ。イケメンだ。

で、妹思いなのはミハル・ラトキエを思い出させる。フラウ・ボウと同じように主人公の幼馴染だし。
機動戦士ガンダムの普通の少年少女の要素をまとめたのが香月と言えるのではないだろうか?


で、今回、彼は神勝平の秘密を探ろうとして、キングビアルにボートとオートバイと猟銃を持って乗りこんでくる。神ファミリーに対して発砲をして、取り押さえられる。揚句、そのせいで避難困難者となった妹から離れて妹を危ない目に合わせる。
彼は何でこんな事をしたんだろう?
ドラマツルギー的には、神ファミリーが宇宙人であるという出自の説明場面をつまらない説明ではなくドラマとして描くために、こういうドラマをひっかきまわす場面が必要と言う事であろう。
それだけではないのが、富野の演出技法の深いところと、ドラマを詰め込む圧縮技術である。


ドラマ的必要論以外で、香月がなぜ、こんな事をしたのか?

「全く迷惑な話よ! 
ガイゾックが狙っているのは
あんた達ビアル星人だろ!

あんた達が出てってくれりゃ
地球は安全なんだよ!」

という建前もある。人間を守るため、ビアル星人を追い出す、と言う理屈はある。
だが、これは建前だろう。


むしろ。
「自分の弟分のように思っていた勝平が、地球の命運を左右する力を持ってしまって、自分が持っていないので悔しい」
「勝平や神ファミリーが強くなる事で、余計自分の無力感、みじめさが強くなってしまうので、それを忘れるために怒りに身を任せる」
という少年特有の自分でも意識できない感情的な高ぶりがあるのではないだろうか?
香月は地元の不良グループのリーダーで、それなりに自己顕示欲もあり、地元の祭の奉納剣道で試合をするような、近藤勇のような腕っ節の強い餓鬼大将であった。


追記:
香月がキング・ビアルに自殺覚悟で猟銃を持って殴りこんでくるのは、彼の怒りと正義感と功名心がやり場を失って、出てきたものだろう。また、これはこれで「子供や素人が武器を振りまわして暴走する」というプロメテウスの火のようなテーマのリフレインになっている。


で、1話〜3話では香月は勝平と決闘したし、1話冒頭では勝平に自分の舎弟に成れって言って決闘した。つまり、勝平の力を認めているから好きだったのに、勝平が自分の思い通りにならない事に腹を立てているのだ。
あくまで香月は自分の力を証明して、生意気だけど強い少年の勝平を自分の子分にして自分のグループを強くしたいのだ。だけど、勝平がロボットを手に入れてどんどん香月から遠くに言ってしまい、腹を立てる。
そして、4話では香月の妹のかおるが香月の実家の灯台に取り残されて、避難が遅れてしまい、怪獣の被害に巻きこまれて死にかける。だが、かおるを助けるのは香月ではなく、勝平のザンボエースなのだ。これは悔しい。
勝平も実家を怪獣に今回破壊されているので、被災者としては同レベルであるべきなのだ。だが、神ファミリーは巨大戦艦とその中の多大な補給物資と災害と戦う力を持っている。被災者格差は2011年の地震くらいしか思い出せない近年の人々も分かるでしょう。
それで、4話ラストで、助けてもらった礼を香月の妹が勝平に言うのに、香月はそれを「やめろ!」と言う。彼は悔しさや自分の無力さをごまかすために、精神を神ファミリーへの差別心や怒りに変換しているのです。
(こういうのを台詞の説明ではなく、状況の変化とちょっとした表情だけで演出する富野は非常に巧みである。逆に、分かりやすく説明するか、全く浅いか、SF設定ばかり描いていた、というのがポストエヴァあたりの幾つかのロボットアニメだろう)


それは少年の心情のドラマとして非常にわかりやすい。同時に、神ファミリーが力を持つ事自体が恨みを買う、ということから、「力とは何か?」という哲学命題や「抑止力それ自体が戦争の火種になる」という血を吐きながら続ける悲しいマラソンっぽさという社会的命題、「文明を発達させた人類は、それを操るに足る理性と精神を持っているのか?」という文明批評SF命題を描きだしていると言える。
少年の心情ドラマから、重層的なテーマを描きだしているのである。子供向け娯楽巨大ロボットアニメなのになー。深いよなー。ヤバいよー!!!


香月は勇者ライディーンの荒磯やマジンガーZのボスのポジションなのに、荒磯やボスとちがって、わかりやすい三枚目のコメディーキャラではなく、自意識と自尊心と、そこから来る妬みを持った普通の少年として描いているのがリアルだなあ。リアルで、非常に扱いにくい登場人物だ。富野アニメのリアルロボットっぽさは世界観のリアルさもだが、こういう人間の心情のリアルや、必然的に怒ってしまうめんどくさい人間関係をアニメだからと言ってごまかさずに自然主義的に描くところがリアルだよな・・・。


ちなみに、∀ガンダムではパン屋のキースとジョゼフが香月のポジションだと思う。ロランが発掘したガンダムで活躍してるのに、自分は・・・っていう妬みを持っていた。でも、パン屋のキースとジョゼフは彼女をゲットして自分の小さな家庭を持って自立することで大人になって妬みを消化した。
リーンの翼のロウリィと金本はそういう自己実現ができないまま大学生になってしまった青年か?



プロメテウスの火という命題は、富野監督の処女作の海のトリトンでも在った。初期富野は割と一貫して、このテーマだ。イデオン∀ガンダムリーンの翼でも、道具と人の関係性をしつこく描いているので、作家的テーマなのだろう。
トリトン族はオリハルコンと言う超エネルギー兵器を持っていたが、戦う力を持たなかったためにポセイドン族の反逆により滅ぼされた。
ライディーンムー帝国はムートロンと言う超エネルギー兵器を持っていたが、戦う力を持たなかったために、妖魔帝国の反逆により滅ぼされた。
ビアル星人は文明力を持っていたのに、戦い方を知らなかったのでガイゾックに滅ぼされた。
そして、トリトン、ひびき洸、神ファミリーは地球の人間の中で育ち、戦い方を身に付けた。
人間の凶暴な闘争本能は危険だが、それゆえに防衛力にもなるのか?と言う簡単に割り切れないジレンマ、罪を抱えながら戦い続けるしかないという哀しみ、そういう人の業を感じさせる。
富野作品の系譜は深い・・・。

んで、だいぶ上の方で述べたが、今回は安彦良和っぽい作画が子供たちの健全性、世界名作劇場みたいな暖かさを醸し出している。
わんぱく大昔クムクム(原作, 安彦良和. 監督, りんたろう 制作, 創映社 1975年)っぽさである。
80年代に挫折するまで、安彦良和先生は今やカリスマとなった宮崎駿と並ぶスターアニメーター兼演出家だったんだぞ!細田守さんはあんまりアニメーターとしての感覚はないね。庵野秀明さんや摩砂雪さんやエフェクトアニメーターとしては今も現役だけど、宮崎ほどキャラクターアニメーターとしては認知されてないっぽい気がする。貞本義行さんはアニメーターだけど演出って感じでもないし、イラストレーターっていう分量の方が大きいしなー。
沖浦啓之がどう出るか・・・???


また話が逸れたが。
同時代の世界名作劇場宮崎駿近藤喜文や、ガンバの冒険大塚康生のような、シンプルだが躍動感のある子供を描いた作画ザンボット3の安彦良和である。
だが、世界名作劇場は暖かいだけの作品ではない事は、見た事のある人は分かるだろう。


ハイジ(名作ではないが)は教育格差社会だし、フランダースの犬は経済格差と芸術の厳しさだし、母をたずねて三千里は経済不況と移民の残酷物語だし、あらいぐまラスカル赤毛のアンでも疫病の恐怖が描かれていたし、若草物語では南北戦争があったし・・・。とにかく酷い話でもあるんだよ!


追記
世界名作劇場の気分を富野に叩きこんだ師匠の高畑勲監督は、その後、第二次世界大戦に翻弄される少年と妹を描いた一大残酷映画巨編、火垂るの墓を作ったしね。世界名作劇場はダークですよ。その精神はザンボット3にも受け継がれている。柔らかな絵柄で酷い話を。(まどかマギカにもな)
(ちなみに、クレヨンしんちゃんもそういう側面があって、オトナ帝国の逆襲やクレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ アッパレ!戦国大合戦はあの簡単な絵柄だからこそドラマが重くてもバランスが取れていたんだと思う。ヘンダーランドとかも結構重い展開があったしね。ドラえもん映画もそんな所がある。あれを実写でやったら、あまりよくないんじゃないかな)

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だから、氷川竜介先生やアニメ様などの∀ガンダムを評して「世界名作劇場のような牧歌的なガンダム」というのは、ニュアンスとしては分かるんだけど、でも、世界名作劇場∀ガンダムも、温かみと同時に人間のどうしようもない不幸な側面も描いてたしなあ・・・。どっちもどっちだよな。って思う。
むしろ、こういう可愛い絵じゃないと、やってられないほど酷い話なんだろうなー。
リアルな絵でザンボットをやると、本当に陰鬱になるだろう。イデオンとかな。
そういう側面での世界名作劇場っぽさでもあるし、愚民どもの大衆の差別感情を描いているのも、世界名作劇場のダークサイドに似ている。

20年目のザンボット3 (オタク学叢書)

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  • ロボットの話。

ロボットアニメの割に、ロボットの話を全くしてない事に気付いたんだが。
主人公ロボットのザンボエースの運転席は、変形する戦闘機ザンバードの機首であり、ザンボエースの左足の甲から左胸に移動する、エレベーターになっている。
ロボットの足に運転席があるのは、非常に危険であり、バカな設計だと思っていたが、10メートル級のロボットが経ったままでも簡単に乗り降りしたり、地上の人と話したり載せたりする事ができて、非常に運用の取り回しが理にかなってると感心した。
富野は、こういうロボットの生活感を出すのが上手い。∀ガンダムのコックピットもエレベーターだったし。他にも、富野作品は毎回、ロボットごとにコックピットにコンセプトデザインがあって、それが演出やドラマにも生かされていて、好きだ。
エレベーターと言う事は、ザンボエースの足の中はすっからかんの空洞って事なんだが、それもザンボエースがザンボットに変形するときに手足を入れ子にする描写にマッチしていて、理にかなっている。強度や動力の問題は・・・まあ…宇宙の科学で何とかしてるんだろう!

超合金魂 GX-23 ザンボット3

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1974年に讀賣テレビ放送日本テレビ放送網で放送されたテレビアニメ及び、1977年に劇場公開されたアニメーション映画作品
と言う事で、ライディーンからザンボットと同時期であり、微妙なライバル関係にあった作品であるが。ハイジとかも。
なんか、ガイゾックのブッチャーの部下の悪の宇宙人の着てる服が、古代進の赤い戦闘服に似ているような・・・。
いやがらせか?どちらにも安彦さんと富野が参加してるし・・・。