さーてやってまいりました。2週間に一度の「グダちんが精神科医と喋ってみた」コーナー!
前回のカウンセリングで「母親が自殺して8年経つのでそろそろ区切りをつけよう」という主題を出されました。
それで、今回は「母親と思春期の象徴であるシン・エヴァンゲリオンと決別して葬式をして、俺は生まれ変わった、いわば滝沢2!!というか1999年の読み切り版の社会人滝沢(無職)!」という気持ちでカウンセリングに臨んだ。
思春期を引きずっていたので母親が自殺したことについて「自分はもっと助けられたのでは」などとPTSDを発症していたけど、「母親はかわいそうな人だったな!事実はそう。それでこの話は昔の話!」という切断操作をした。
かわいそうなのは死んだ親であって僕はかわいそうではなく、僕はそんな過去を持っていてもダメ人間の無神論者(グノーシス主義)なので、ダラダラとオタクをするおじさんという自意識をマインドセットしていくことに。
そして、新世紀エヴァンゲリオンについても「若い頃は好きだったけど、今はどうでもいいな!終わった話!今の僕はおじさん」と葬式を済ませた。
若い頃はエヴァンゲリオンみたいなアニメが好きだったけど、今は進化心理学や娯楽アニメに対する認知心理学に興味があるおじさん。
それについて、精神科医から評価された。
「おじさんはいいぞ。おじさんはいろいろ気にしなくて済むから、楽だよ」
「お前もおじさんになるんだよ!」
「素晴らしき才能を持つ者がおじさんになって醜く衰えてゆく。でもおじさんはそんな事はどうでもいい。耐えられる。おじさんはダラダラ生き続ける。若さを失い気持ち悪くなりながら」
- おじさんは測定不可能
先日、「一生懸命描いたブログよりも雑に書いた記事のほうがアクセスがいい」「しかし、僕を評価してくれる人もいる」「僕はどっちなのだ?」などと迷う記事を書いた。
しかし、エヴァを卒業し、おじさんになった俺にとっては、そんなシンジくんや少年みたいな人に認められたいとか褒められたいとかいう、他人からの評価、すなわち生殖本能の変奏は無意味。なぜなら生殖しないから。脳内妹で十分だ。
ブログが受けるかどうかも時の運だ。精神科医によると今は情報が多すぎるので、タイトルのインパクトとサムネイルがキャッチーなら受けやすいとか、その程度のテクニックらしい。
それで、シン・エヴァンゲリオンに決別するために雑に「エヴァもつまんねー普通のアニメになったな」と書いた記事が「エヴァの葬式」というタイトルのインパクトがうけて、現在600はてなブックマーク。現在歴代1位更新。今までのはてなブックマーク1位の記事はラブライブ!スクスタのKLabで過労になった恨みからその会社の役員による株式売買などの醜聞を書いた記事。
「エヴァンゲリオンに失望して、俺は思春期を殺しておじさんになる」という記事もあまりポジティブではないし、本当はもっとGのレコンギスタの演出分析を読んでほしいのだが、まあ、ラブライブ!スクフェスのKLabへの憎悪が一位というよりはめんどくさいエヴァオタ記事が1位のほうがアニメブログにはふさわしかろう。
あと、たった一日でグーグルアドセンスの広告料が2000円です。まあ、もっとブログで稼いでいる人はいるんだろうけど。1000円(障害者割引)で映画を見て、疲れたのであと2枚チケットは買ったけど見ないで2000をドブに捨てたけど、雑に日記を書いただけで2000円もらえるならまあいいかなー?
水曜日、午後に稼働できそうだったらチケットを取ってあるので2回めを見に行ってもいいし、家でFGOをしてもいい。
しかし、おじさんになった俺にとっては、ブログにアクセスが集まろうが、数千円儲かろうがどうでもいいのだ。なぜならおじさんはおじさんなのでパチンコやヘルスでカネを使うからです。(実際はパチンコはアニメの映像の断片しか見れないので面白くないし、風俗は腹筋が割れるまでは恥ずかしくていけない)
キモくて金のないおじさんはお金の使い方が雑だし、モテるかどうかとか女性に評価されるかどうかも関係なく風俗に行きます。
でも、本質的におじさんは人生を諦めてどうでも良くなっているので、我が心は不動。しかして自由にあらねばならぬ。即ち是、無念無想の境地なり。『剣術無双・剣禅一如』
というわけで、他者からの評価を気にするよりは、「おじさんはおじさんだから」と開き直ってテキトーにフラフラしていくのが、精神科医の知見でも、精神衛生上楽だそうです。
ブログが受ける日もあれば受けない日もある。雨が降るのと同じ。
昼から酒を飲んでいてもおじさんだからいいのだ。2日にいっぺんしか風呂に入らなくても、おじさんだからいいのだ。カシミヤのスーツを着ていようがユニクロの服を着ていようが、どっちにしろおじさんだし、オーダーメイドスーツはブランド品じゃないので古着屋で値段がつかないし…。(タケオキクチのジャケットは普通に学生時代からのお気に入りだし、未だに縫製が崩れてないので売らないが)
おじさんは、他人からの評価の圏外に存在する!おじさんの社会とのシンクロ率は0ではなく無限大!
外形にとらわれず、その都度の最も有効なおじさんムーブをし、道に即してブロブを書く。決まった書き方にとらわれず、正しい道を教えて、読者の癖や思い込みを捨てさせ、読者自身がおのずとオタクの真の生き方となり、疑いないキモオタにするのである。
- 本物でも偽物でもない、おじさんはおじさん
グダ氏 (id:nuryouguda)が、ブロガーとしての性質にも関わる部分でもあるけど、文章の明るい部分と暗い部分を切り離したほうがいいのじゃないか?と思っている。
元記事は、一生懸命書いた記事が伸びずに、適当に書いた記事が伸びるって悩みだから、その部分のアンサーにはなってない訳だけど、かねてから考えていたことを書いてみる。
氏のブログには、光と闇と闇がある。多分、闇の方が多い。氏の人生に関わるネガティブな部分、就職や家族に関わる闇天下一のような記事が、度々、バズっている。私も、40歳記念エントリで書いたような闇記事を年に数回放逐するけど、その分野でも、私の遥か上空を飛び越えていくグダ氏のことは、一時期は、「文章の巨神兵」と表現したこともある。
ブロガーとは、その人生も含めて、ブロガーであると思うが、元記事に含まれるようなネガティブな部分、つまりは、はてな間のID大バトルのような部分というのは、人を遠ざける部分でもあると思う。
グダ氏が自身を「本物のブロガーか?」と問うのであれば、人生的背景、人間味の部分を切り離して、新しいアカウントでブログを始めればいいのではないだろうか?
僕の「自分は本物なのか偽物なのか」という記事のレスポンスを知人のヤルキメデスさんが書いてくれた。ありがたいことだ。
しかし、人に好かれるために闇の部分を隠すのが果たして正解なのだろうか?
例えば過労死寸前になった経験があるとか、親や親戚や知人が自殺しているとか、うつ病がひどくて、入眠障害であり過眠症ということを隠して、淡々と映像分析に徹するべきだろうか?
では逆に問うが、アニメも含めて芸術作品に対する感動を述べる時、人は自分の自意識や経験からどれだけ乖離できるのだろうか?
芸術に対する感動は芸術作品それそのものだけから発するものではない。受け手の人生の蓄積によって構成された自我との共鳴の間に起こるものであろう。
畢竟、どうしても作品と共鳴する自分の経歴、経験談を書く必要が出てくる。その際、「自死遺族だから黙っておこう」とか「精神科に通院しているから黙っておこう」とか書き方を変えるのが、果たして是であるのか?
僕は親が自殺したことも、自分が(まあ、過労の他にもいろんな要因があって)精神科に通院していることも、自分の経歴の一部だと思っている。
また、政治的にも自死遺族は口をつぐむべき、とか精神障害者の発言は信用に値しない、などという風潮は嫌いである。なんでコソコソしないといけないんだ。
親戚が死のうが、病気になろうが、やっていくしかないんだよ!
はてなブログで有名なシロクマ先生は精神科医である。逆にADHDであることを売り物にしている借金玉のような人もいる。
彼らがその属性や自分の経験談(そして、そこから派生する説得力)を抜きにしてフラットな文章を書くのが正しいのか否か?
(まあ、はてな匿名ダイアリーとかもあるけどね)
他の人も多かれ少なかれ、自分の仕事の経験とか、家庭環境とか、夫婦仲とか、学生時代の思い出とか恋愛経験を引用してブログを書くことが多いと推察する。
それに比べて「自殺」とか「過労死」とか「精神疾患」ってのは果たして隠すべきものなのだろうか?
俺はそうは思わない。俺が「はるしにゃんが俺との同人誌の打ち合わせの最中に自殺したから企画が宙ぶらりんなんだよ」っていうのと主婦ブロガーが「夫と喧嘩したからプレゼントを渡せなかった」っていうのと、どこがどう違うんだよ?
「そばアレルギーでそばが食べられない」って言う人と、俺が「社会恐怖障害で企業に就職できない」っていうのと、どこがどう違うんだよ?
ちゃんと境界線を引けるように言ってみろよ?!
だから、ヤルキメデスさんのアドバイスには申し訳ないんだけど、やっぱり僕は闇の人生を生きている怪人のおじさんだから、今更生き方を変えられないんです。(竜の騎士バラン)おじさんとはそういうものだ。
まあ、僕はもうおじさんだからね、自殺や過労や精神疾患のネット上での正しい取り扱いなんてどうでもいいし、それで僕が嫌われようがバカにされようが、どうでもいい。だってどうせどう取り繕ってもキモくて金のないおじさんだもん。
悪口を言われても「ああ、こいつはツイッター運営に通報してほしいんだな」って思うだけで、なんとも思わんね。おじさんだから。
もはや誰かに好かれることを望むでもなく、体裁を気にすることもなく、ただ命が終わるまでみっともないおじさんとして好きなことをしてテキトーな文章を書いて、流れていく。
シン・エヴァンゲリオンの記事で、はてなブックマークが増えてアクセスが増えた。エヴァンゲリオンに対するセンシティブな記事なので、読者を辞める人もいるし、新しく読者になる人もいる。
でも、そんなのは全部他人の行動。おじさんはおじさんなので、ブログの読者が減ろうが増えようが、自分に対する評価は変わらない。ただの気持ち悪くて金が無いどーでもいいおじさんなのだ。
太るのを気にする
健康を気にする
そんな大した
人生じゃないだろう
- ほしい物リスト。
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nuryouguda.hatenablog.com
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