玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

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1000円ケチって #シンエヴァンゲリオン の葬式2回目(納骨)

samepa.hatenablog.com
 庵野秀明作品を全部見たさめぱさんが、1日目は僕と同じくショックで2回目を見れなかったけど、次の日に2回目を見たという記事を読み、また、水曜日は普通に暇だったし、そもそも水曜日に見るつもりでチケット(障害者割引1000円)を買ってあったので、まあ、無駄にするのもどうかなって感じで、4時間しか寝てなかったけど10時の回に見に行った。
 でも、8時に起きてから劇場に着くまで、あんまり寝てなかったので想定以上に動きが鈍く、トイレも我慢しないで見る前に済ませたので、遅刻して第三村のアヤナミレイ(仮称)1回目の風呂シーンから見た。(なのでパリは2回も見てない)


 私事ながら、初日初回の一回目の葬式鑑賞の記事がはてなブックマークを多く集めて自己新記録のブックマーク数となり、数万アクセスを久しぶりに達成した。
nuryouguda.hatenablog.com
 Amazon広告を貼っておいた富野監督の「アニメを作ることを舐めてはいけない」も売れたし、広告収入もそれなりに入ったので、まあ、いいかなって感じでちょっと気分が良くなって、どうせチケットも購入してあることだし、映画館に向かった。



 たしかに、さめぱさんの言うように2回目はアクションシーンの情報量が多少は分かるようになった。でも、やっぱりエヴァ新2号機や8号機が大ぶりのスイングや回転射撃をしている感じで、そこまで精密な殺陣や戦術という感じはしなかった。(そもそも敵のエヴァンゲリオンにキャラが立っている物が少なく、大勢の雑魚を薙ぎ払う感じだったので)


 前回の1回見た記事では「第三村でのドラマまでは、退屈でローテンポながらもレイアウトはきれいだった」と書いていたが、2回めを見ると宇宙に停泊しているヴンダーの出撃直前シーンまでは作画もレイアウトも芝居も良かったと訂正しようという気持ちになった。


 ただ、やっぱりその後の南極に進行するシーン以降は前回の記事と同じく距離感や巨大感がよくわからない感じだったし、ノーラン作品のように時空を飛び越える演出をエヴァでいまさらやってもなあ…という感じはあった。初号機と13号機の戦いにおける、虚構っぽさを強調したウルトラマンのような特撮舞台セットはオタクとしては意味合いを感じる面もあったが、それが映画として美しい場面になっていたかというとそうではない。旧劇場版の人類補完計画シーンの挿入歌、音楽、イメージ映像も含めて張り詰めた美的レイアウトよりも、粗雑で、やはり失笑にちかいトンチンカンな印象を受けた。
 夢や虚構を描くなら、もっとそれらしく芸術作品らしい、ファンタジックと言うか、美しい夢を見せてほしかった。(まあ、夢を見ることのみっともなさを描きたくて、現実回帰を強調したかったのかもしれないけど)


  • エヴァに死んでほしかった僕

 かなり私事ではあるが、ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Qで渚カヲルの首が飛んだ一週間後に母親が首吊り自殺している。
 そのために僕はシン・エヴァンゲリオン劇場版の序盤のシンジくんのような抑うつ状態(もっとひどく、終日臥床状態)に2年くらい陥っていた。
 それで、日にち薬というものも結局効かなかったわけだし、そろそろ8年以上経つので母親の死に区切りをつけたいと思っていたし、精神科の医師からもそのような指導を受けていた。
 なので、シン・エヴァンゲリオン劇場版の完結編に対しては「母親のモチーフが色濃いエヴァンゲリオンに決別して、擬似的な葬式をして、母親の死に対する切断操作をして、母親が死んで泣いていた30才ではなく、何もかもどうでも良くなって傷つかないアラフォーおじさんに変節したい」という気持ちと思惑があった。
 そのために、シン・エヴァンゲリオンという作品に失望したかったし、死んでもらいたかった。という、個人的な事情があった。個人的な精神的防衛のために映画を利用したかった。
 そのために、「シンエヴァンゲリオン 劇場版 の葬式で死んだと思った点」という記事では死んでほしかったので心理的評価が下方修正を受けていたのかもしれない。


 そういうわけで、前回の記事ではシン・エヴァンゲリオンのつまらなかった点を列挙して「もう僕はおじさんだからエヴァのことはどうでもいい」というマインドセットをしたかった。なので、公平な批評文ではなかったかもしれない。また、つまらなかった点を長々と列挙していたので、逆にブックマークやコメントで「エヴァに執着して大人になってない」などと言われた。


 まあ、メンヘラで過労を数回経験して就労不可の診断がおりている僕としては大人になるということがよくわからないのだが。でも、おじさんになったので他人からコメントでなんと言われようが、どうせおじさんだからどうでもいい。


 そういうわけで、2回目を見て、当然ながら多少は初見よりもディテールが見えてきた部分も合ったのだが、全体的な感想はあまり変わらなかった。やっぱりゲンドウのセリフは冗長でどうでも良かったし、役割に落とし前をつけるという行動原理が共通しているキャラクターもドラマツルギーにしか見えなかった。
ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q 碇ゲンドウ ゴーグルタイプ・サングラス TYPE-GENDO 2

 まあ、おじさんだからね、いまさら10代や20代の若いキャラクターが頑張っていても「年若い子どもが頑張っている」と思うだけで、特に感情移入もないのだが。


 エヴァのない世界になってキャラクターが幸せになったのでハッピーエンドだ、という声もアニメファンの中で聞こえたのだが。


 それなら、じゃあ、そもそも最初からエヴァなんて作るべきじゃなかったのでは?とか思った。(まあ、使徒に滅ぼされるか、使徒に勝って知性を捨てるかの2択という世界観はイデオンよりも糞すぎる高難易度設定だが)


 でも、富野由悠季監督のGのレコンギスタのオタクでもある僕はやっぱり若者には危険なテクノロジーを使ってでも未来に向かってもがいていってほしかった。
 神木隆之介くんに成長したシンジくんがアスカや綾波への執着を捨てて現実世界のような山口県の駅でマリと恋人っぽく振る舞っていても、その町並みは第3新東京市のような未来感覚がない平凡な日本の都市という感じで、「もがきながら失敗しつつも新世紀の未来を模索する若者」というよりは「鉄道やコンクリートのビルに象徴される昭和や平成の日本の現実の過去を追認する」という印象が強かった。


 僕は自分が不幸で捻じくれている人物であるということもあるが、現実の社会が本当に完璧で正しいとは思っていない。だから、アニメの「新世紀」のキャラクターには現実のような実写っぽい町並みのCGやセットに適応してほしくなかった。もっと未来に向けて新しいものを模索してほしかった。


 「アニメのイマジナリーではなく、リアリティーの現実に帰れ」というのがエヴァンゲリオンの古くからのテーマではある。


 だが、それは決して「今の現実が全て正しく、それに無批判に適応する社会性が正義」ではないと思いたい。だって僕が仕事で見てきた過労を押し付ける企業や、きつい長時間のルーチンワークの仕事を僕に押し付けて自分は楽に成果をアピールして出世するKLabの上司や、表面だけの職業訓練施設や、知識の少ない素人を自殺するまで食い物にする銀行員や不動産屋などで構成される現実の社会は、本当に嫌なものだったのだ。僕はそんな人間社会が嫌で嫌でしょうがなかった。


 だから、碇ゲンドウのように現実の社会を遮断するおっさんは弱くてダメで、現実でコミュニケーション能力を発揮して問題を次々と解決する有能で都合のいい少年が正義、みたいな終盤はげんなりした。(この見方も多分にコンプレックスがあるんだろうが)
 ユイも旧劇場版では永遠の命を求めるエゴイストだったが、今回は自己犠牲しようとするシンジの身代わりに、子どもを助けて夫と一緒に心中する母親の役割という感じだった。



 アスカや綾波が恋愛面でのヒロインではなくなることについては、特に異論はない。しかし、乳が大きいいい女ってだけで、シンジの好意を受けられるマリはちょっとずるいんじゃないかなって思った。(もちろん、数年が経過しているようだしその間になにか関係が深まる経験があったのだろうけど)
 ていうか、マリは不老不死の魔女っぽくて、ユイのことが好きなレズビアンで、ユイが消えたあとはアスカとイチャイチャして、アスカがケンスケとくっついたらユイの面影のあるシンジくんに粉をかける、というのはちょっと都合のいい女なんじゃねえかなっておもった。
 もちろん、僕も坂本真綾さんのことは好きだしCDアルバムも全部持っているが。脳内妹にマメシバを歌ってもらって泣くが。坂本真綾さんをFGOみたいに便利に使いすぎてないか?
シングルコレクション+ アチコチ



 というわけで、疲れたのでいろいろな説明を省いて結論を言うが、
「現実に帰るのはいいけど、現実が無条件で正しいなんて思ってほしくない。クソみたいな世界であがいて苦しんで生きたり死んだりするだけだ」
 ということ。
 その他のアニメ作品としての感想は前回の記事と同じだ。しかし、おじさんになってアニメに心を動かされなくなると、それはそれでうつ病だと思っていたが、トロピカルージュプリキュアは雰囲気が楽しそうで良かった。でも、小児喘息だった僕としてはヒーリングっどプリキュアの病気に対する敵意みたいなのもわからなくもないんだよね。やっぱり肺炎になると抗生物質をぶっこんで体温を上げて菌をぶち殺すしかないので。


まあ、プリキュアの話はともかく、エヴァンゲリオンのキャラクターたちは僕たちとは違う世界の歴史を歩むことになったようだし、それはやはり決別なんだと思う。


  • ほしい物リスト。

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