- 調子に乗った僕
なんか、 @ngctmhr さんが大塚ギチさんと僕に触発されてGのレコンギスタの劇場版第3部について書いたらしいので、 #キネマ旬報 買いました。
— ヌ・リョウグ・ダちん (@nuryouguda) 2021年7月22日
大塚ギチさんと並べられるのはおこがましいのですが、妖怪なので名前を呼ばれたら買いに行きます(チョロい pic.twitter.com/O8W22IEg0I
本稿作成にあたり雑誌「Newtype mk.II」にて当時23歳の大塚ギチが行った富野由悠季インタビュー、およびグダさん(@nuryouguda)のブログから触発を受けました。またアニメ評論家の藤津亮太さんにも相談に乗っていただきました。本稿はバイストン・ウェルへと旅立った大塚ギチに捧げます。
— 野口智弘 Tomohiro Noguchi (@ngctmhr) 2021年7月20日
というわけでトミリンピック初日に劇場版Gのレコンギスタ劇場版第三部「宇宙からの遺産」を見たあとに買ったのだが、トミリンピック二日目に2回目のファイザー製ワクチンを打ったら三日目から五日目にかけて37.4度以下の微熱でダルくて何もやる気がなくて寝ていた。
そして本日から平常モードになったのだが、平常モードでは睡眠障害なので、睡眠導入剤を飲んで寝てからたった4時間で起きてしまい、その後寝たらなぜか薬が入っていない二度寝のほうが深く長く寝てしまい合計で13時間寝た。(睡眠導入剤を飲まなかったら、普通に一度目の睡眠が眠れない)」
いやー、名指しで呼んでくれた割に、寝込んで宣伝としての感想がうまくできなくてすみません。(妖怪は名前を呼ばれると怪異としての存在力が強くなる)
というわけでやっと読んだ。やっぱ、キネマ旬報って僕の世代ではまだ権威なので。所詮、人間が限られたページ数でやりくりしている雑誌だと言っても、権威なので。
そのライターさんの野口智弘さんには「商業ライターは僕みたいな個人のアマチュアに向けて文章を書くより、公に向けた文章を書いたほうがいいですよ」と富野監督を真似たようなことをリプライしたけど、実際はルックバックの藤野が京本に褒められたときくらいガッツポーズしたし実際、買った。
しかし、実写邦画の「ドライブ・マイ・カー」が巻頭特集で、濱口竜介✕三宅唱✕三浦哲哉鼎談「われわれは終わったあとを生きている」とかでたくさんの映画や古典の戯曲が引用されていて、「カメラの前主義」対「心理表象主義」とか書いてあって、「ウッ。大人の人の難しい話だ」って困ってしまった。
Gのレコンギスタは子供向けアニメなので「デカイ宇宙船がめちゃくちゃ速い速度で、クソ広い宇宙を飛び回って、アホみたいにデカイ人工物が宇宙にあると迫力があるなあ」という程度の映画なので。あと女の子が可愛くて美形がかっこいい。そしてロボは強い。その程度の映画ですよ!
なので大人の人が「教育的演劇性」とか「震災以降」とか言ってる雑誌にGレコを載せていいのか、ちょっとビビりましたね。
「パンケーキを毒味する」が現在の自民党政治のドキュメンタリー映画らしく、それも難しい話だなあ〜って感じでした。
- 富野由悠季インタビュー
(取材、構成 杉本穂高氏)
「身も蓋もないな!このじいさん!」というのがインタビュー部分の感想。
そもそも機動戦士ガンダムはスペースコロニーとか言うNASAがイケイケドンドンだった頃に最高に調子に乗って出した未来予想図を世界観の元にして、なんとなく未来に希望があるっぽい感じにしてヒットしたけど、Gレコでは「そういう宇宙科学技術には限界があるし、Gレコで描いていることは嘘ですよ。でも子供向けですよ」と言う。子供に宇宙の夢を信じさせてくれよ!
人工衛星の勉強をした人ならわかると思うけど、人工衛星は高度ごとに速度が違うのでキャピタル・タワーに144個のナットが同一直線状に並んでるのはありえないし、ミノフスキー粒子という架空の物質を利用したMMFという嘘設定で浮いてます。キャプテン・アースではガン無視されていましたが(スタッフインタビューとかで補完されているのかもしれんけど)。
トワサンガもTV版よりさらに「こんなところに住んでられるか!レコンギスタするぞ!」という宇宙のショボさが倍増しています。
宇宙のゴミ掃除、麗しいけど、巨大ビーム砲とかでデブリを焼き払ってはいけないのか?(クレッセント・シップは隕石をビーム砲で焼きながら金星まで行く)
漏出した土であっても有機土壌は宇宙では貴重なので回収しないといけないとか、そこまで考えているのだろうか。(放射化が心配ではある)(Vガンダムでは植物と酸素について考えていた)
描写的には重要施設にゴミとか破片が当たらなければまあいいかな、という感じではあったけど。(モビルスーツ同士は事故る)
「広いフィルム」と「パーソナルなフィルム」がキーワードで、ガンダムとかバイストン・ウェルとかは世界観から設定するので、富野監督は「広いフィルム」タイプだけど、それを自慢するでもなく、「パーソナルなフィルムを作れない」と富野監督は言う。そして広いフィルムとパーソナルなフィルムのどっちが偉いとか言わない。
劇場版ではベルリとアイーダに視点を重視しているので「パーソナルなフィルム」成分が増しているけど「よほどの馬鹿じゃない限り、一回作ったら欠点くらいわかる」というわけで身も蓋もないな。
全五部作にしたのもアニメ映画としては、わりと空前絶後だけど世相とかを鑑みて会社を丸め込んだ感じのことをおっしゃっていて、身も蓋もない。
ドリカムさんの起用についても褒めてるけどそこまで映画の全体的なものをドリカムに頼っている、みたいには言ってない。
そして、何故かビル・ゲイツと中国軍も批判しているけど、その理由も、有料雑誌のなので詳しくは書かないけど、「金持ちが金持ちなのは税のシステムがそうなってるだけ」とか「中国軍の軍拡が無意味なのは、単に今の軍備でも足りてるから」とか身も蓋もない言い方。
世界の平和のために中国の台頭は脅威だ!とか言ってるんじゃなくて、「今の装備で足りてる」という。うーん。まあ、そうなんですが。やっぱり歩兵揚陸作戦とかをしたいときもあるんじゃないですかね?どうなんでしょう。
もちろんコロナ対策も批判している。それも身も蓋もない言い方。
そして、このキネマ旬報のアニメ特集でGレコと並んでいる「竜とそばかすの姫」、「サイダーのように言葉が湧き上がる」は現在のSNSでの話が物語のパーツになってるんですが。現実の自分とネット上の自分とか、ネットで多くの人の無責任な批判にさらされたり、逆に承認欲求を満たしたり、っていう、そういうはてな村の村医のシロクマ先生が好きそうなメンタルヘルスとインターネットの話がこの2作にはあるらしい。(僕は映画館に行くと基本的に体調を崩すのでトミリンピック期間中は引きこもりたいし見ない)
Gレコ、そんな若者の繊細な気持ちとか最近流行りのインターネットの仮想空間とか、ないから。
ネットはミノフスキー粒子で使えないから。宇宙に行ったら恋人が住んでる星がどれかわからなくなるから。
Gレコも科学技術について描いているけど、ネットでの交流で思春期の承認欲求、とかそういう平和な悩みじゃなくて、「スペースコロニーが事故で壊れた。資源を運搬する宇宙船に瓦礫が当たるとみんな死ぬ」とか
「すごい戦争と環境汚染で一旦地球は滅びたけど、宇宙世紀の生き残りの技術者が宇宙船やモビルスーツの設計図(ヘルメスの薔薇の設計図と呼ばれる)(もちろん紙の設計図ではなく電子データだろう)を地球人に売ってたらいきなり技術が進歩して大陸間戦争が勃発した」とか
「ちまちま弾道飛行の実験運転をしていた主人公たちが乗っている宇宙船に薔薇の設計図のデータをインストールしたらバージョンアップして月まで行けるようになる(ここはまだ僕もよくわかってない)」とか科学技術について、生きるか死ぬかの所の描写なので。
(若者の恋愛描写はネットは関係なく、直球で下半身の事情として描かれる)(いや、ビー玉のシーンはいいんですけどね)
まあ、それが「広いフィルム」ということなのかもしれないけど。「インターネットのサービスの仕組みの中での悲喜こもごもとリアルとの対比」というのではなく、そもそものネットを含めた科学技術を優先する考え方自体に疑問を呈している。そして青少年のなやみとはあんまり関係なく人はガンガン死ぬ。
かと言ってGレコではコンピューターが描かれていないというわけではなく、主人公が持っているアイテムによってクッソデカイ宇宙船クレッセント・シップの人工知能が反応するけど、主人公がいなかったらどうなんだ?というシステムのブラックボックスっぽさも描かれていて割と怖い。
元気のGの登場人物たちは基本的に蛮族なので「よくわからないけど宇宙船が速くなった!やったぜ!」みたいな感じですが。
(そして宇宙船が速くなったせいでレコンギスタ作戦の納期が繰り上がって新作メカの戦力が整わないまま、蛮族を乗せたクレッセント・シップを迎えることになったジット団は悲しいことになります)
Gレコの感想で「フォトン・バッテリーが話の軸なのに、フォトン・バッテリーの実物が1,2回程度しか描かれていない」という不満というか不安がTwitterで流れているのを見たりするけど。でも、今の人類もスマホの電池は見ない設計になってるし、発電所と変電所と電信柱と自分の家のWi-Fiのエネルギーの流れを理解している電気技師の資格のある人は少ないよね、って僕は思う。なので、フォトン・バッテリーやキャピタルの資本がブラックボックスになっていることこそが風刺性があると思っている。(フォトン・バッテリーの運搬船のカシーバ・ミコシはTV版より圧倒的にでかくなって輸送船としての説得力を出していますが。本当にTV版の3倍くらいでかくなっている)(TV版のカシーバ・ミコシ、大きいのは大きいけど、どこにバッテリーを積んでるのか謎ではあった)(クレッセント・シップはバッテリーそのものではなくエネルギーをなんかこう、構造体のエネルギーフィールドに閉じ込めて運んでいるのかもしれない)
で、富野由悠季監督自体はそんな感じですごい未来のメカを描きながら、その欠点とか嘘くささも描いていて、「Gレコは嘘です」って身もふたもないのですが。
「50年後の子供(生まれてない)に見てもらって、自分たちの世代が思いつかない反論をGレコに対してしてほしい(その頃には富野監督は死んでる)」という投げっぱなしです。うーん。身もふたもない!
富野監督の第二作目の「勇者ライディーン」で最終回は絵コンテを書いたものの監督としては長浜忠夫監督(富野監督よりヤバい人)に譲って降板したわけですが、ラストが「戦いが終わったのでライディーンの無限エネルギーを平和のために使うぞ!」って科学者が宣言するやつで、まあ、「嘘くさいエンディングだな」って思ったわけですが。
そして、数年後、無限エネルギーを扱いかねて科学者はアル中になり、文明ごとダメになる伝説巨神イデオンですよ。
そう考えるとまあ、40年前から身も蓋もなかったかもしれんのだが。発展する未来の希望をあんまり信じさせてくれないよね、富野由悠季監督。
人の心の光を見ても大抵の人は自分の目先のことしか考えないし、逆に人類の未来のことを考えたハサウェイはテロリストのマフティー・ナビーユ・エリンになるしかないし。
宗教的な希望を信じたまま祈りながら死んでいきたい、って言うオウム真理教の影響を受けつつ、サリン事件の前年に完結した機動戦士Vガンダムも結構な地獄でしたからね!(富野監督はVガンダムを黒歴史にしたいようだけど、僕は小学生で主人公と同年代で直撃世代でした。ターンエーガンダムも微妙にロランと同い年)
でも富野作品はシニカルというわけではなく、リアルは地獄で、地獄は地獄だけど、その中でもキャラクターは元気なので、元気をもらえる。
(僕も大学生時代に鬱になったけどZガンダムやVガンダムを見返してゲイナーくんみたいに引きこもりを脱出したぞ。そして六本木ヒルズに就職して、やっぱり過労で地獄を見て壊れたけど)
いやー、地球人類の文明は100年持たないかもしれないけど、50年後の子供たちは地獄の中で新しい発見をしてほしいですねー。(諸星大二郎の暗黒神話かよ)
いいかい、学生さん、元気のGをな、元気のGをいつでもはじめられるくらいになりなよ。
それが、人間プライド過ぎもしないサクセス過ぎもしない、
ちょうどいいくらいってとこなんだ。
- 『Gのレコンギスタ』は、なぜガンダムではなくGなのか
文・野口智弘氏
で、これが僕と大塚ギチ氏に向けて書かれたという文章で、まあ、1ページしかないけど気合を入れて読んだ。熱も下がったし。(先に映画のパンフレットを読みました。富野監督の近著の「アニメを作ることを舐めてはいけない」は「サピエンス全史」が途中なので読んでない)
まあ、ザックリいうと富野監督はガンダムの生みの親だけど、ガンダムによって派生したものと戦っているって話。
富野監督は怒りっぽい(そして急に押井守監督に謝ったりするDV彼氏的な)人だし、作品も基本的に闘争を描いたものが多い。
その戦闘的な人となりを知っている読者なら、まあそうだよねって思うんだけど、野口智弘さんの文章もガンダムの歴史とかも含めて知識がないと読みにくい文章だなあという感じはした。もちろん、文字数との兼ね合いで覚悟の上だと思うけど。
でも、他のキネマ旬報の記事も読者に過去の映画の知識を要求していてガンガン引用しているので、マニア向け雑誌というのはそういうものかもしれん。
追悼特集を組まれている原正人プロデューサーについてはアニメオタクは哀しみのベラドンナ、銀河鉄道の夜、あしたのジョーをちょっと知ってる、程度だし。逸話について読んでもほぼ知らない。
ガンダムの話に戻ると。
ガンダムも原正人プロデューサーの関連作品くらいたくさんある。アニメーション作品は、ちょっと減るけど、小説やスピンオフコミックを含めると本当にめちゃくちゃたくさんある。
でもGのレコンギスタの劇中からすると、ガンダムシリーズや宇宙世紀は千年以上前の古代の話なので、源氏物語が現代の恋愛劇とあんまり関係がない、という程度には関係がない。
Gのレコンギスタを見るに当たって、過去のガンダム作品を見る必要はないが。まあ、流石に劇場版第三部を見るなら第一部と第二部も見ておいたほうがわかりやすい。ヴンダーがあんまり移動しないシン・エヴァンゲリオンと違って、Gレコの第三部の拠点となる宇宙船のメガファウナは第三部で旅の途中を切り取られていて、めちゃくちゃ移動のダイナミズムがある映画なので。第三部の初っ端から第二宇宙速度を突破してるっぽいので。(第一部ではチマチマ弾道飛行実験してたのに、第三部は冒頭から宇宙を飛んでる。戦闘ロボアニメなので戦力はインフレする)
スター・ウォーズほど各部の間に空白があるわけでもなく、つながっているので。でもまあ、メガファウナの現在位置が各部の時間経過によって変わっているので、そこをうまく目印にしたら各部の区分けはわかりやすくなる、という程度の構成は出来てる。(えらそう)
第三部は宇宙エレベーター(キャピタル・タワー)を宇宙船のメガファウナで登りきったら、月から来た敵の宇宙艦隊と鉢合わせして、タワーの頂上の施設でちょっと外交と戦闘をしてから、月まで行って、また外交と戦闘をしてから、月の勢力圏を抜けて次の惑星に向かうっていう話。
なので、Gレコ劇場版第三部を見るのに第一部と第二部を見ておいたほうがわかりやすいけど、ガンダムは見なくていいよ。という話だが。
でも、ジョジョの奇妙な冒険の第三部も旅の話だけど、途中のインド編とかのバトルの巻を抜き出して読んでても面白いのでGレコ劇場版第三部も、ドレット艦隊とバトルして月の裏側でなんやかんや謎の一端が明かされる話って割り切れたら、普通に面白いはず。
あしたのジョーの力石編やカーロス編だけ読んでも面白いみたいな。
Gレコは子供向けアニメなので、子供はもっとそのシーンだけの面白さで乗ってくれると思う。(実際、Twitterで親のガンダムオタクがGレコをブルーレイディスクか配信で見てたら、途中から見始めた子供が乗ってくれたという話を散見する)
ていうか話自体はもうテレビ放送しちゃってるので…。
- ガンダムは商品名です
ガンダムってそもそも、劇中ではRX-78という形式番号の地球連邦軍の汎用人型決戦兵器のコードネームなので。(設計した博士がガンダムが実戦に投入されたら戦争は終わるって断言してたし、実際その3ヶ月ちょっとあとに終わった)
それに顔が似ているモビルスーツのことがガンダムって呼ばれて、アニメのシリーズ名になっているわけですが。
機動戦士ガンダムの続編の機動戦士Zガンダムに登場する後継機のRX-178ガンダムMk-IIは確かに地球連邦軍(のタカ派のティターンズ軍閥)が製造しましたが。主人公のZガンダムはそれに敵対するAnti Earth Union Group(反地球連邦組織)、通称エゥーゴのスポンサー企業のアナハイム・エレクトロニクス社が作りました。ちなみにエゥーゴは「反地球連邦組織」を名乗っていますが、実質的には地球連邦軍の内部の反ティターンズ軍閥の内輪もめ組織です。シリーズ第二作目にして、組織図がややこしい。なのでGのレコンギスタの組織がわかりにくくても、富野監督のアニメは昔からこうなので。嫌ならもっとややこしいファイブスター物語でも読んでろ!作者の永野護先生は富野監督の弟子で、ファイブスター物語は富野監督作品の重戦機エルガイムのスピンオフコミックですので!
Zガンダムの型式番号はMSZ-006です。ファーストガンダムの敵のジオン軍のザクの型式番号はMS-06です。Zガンダム、ザクの方に近いじゃん!でも主人公で設計者の一人のカミーユがガンダムって言ってるのでガンダムなんだよ!
かと言ってRXを型式番号に含むアッシマー、ガブスレイ、ギャプラン、バイアラン、ハンブラビなどのティターンズ所属のモビルスーツのデザインはガンダムに似せようという気持ちが全く感じられない。むしろジオン軍の異形MSに近いデザイン。(ギャプランはギリギリΖガンダムに似てるんだけどネオ・ジオンのバウも似てる度合いは同じくらいです)
ガンダムMk-IIのガンダムブランドでスペースノイドを威圧するっていう政治的計画はどうした。まあ、マークツーは設計者の息子にパクられてエゥーゴの主戦力になるという最悪のスキャンダルを起こしたのでイメージが最悪になったのかな。だいたいカミーユの家庭環境が悪い。
一応正式なティターンズのガンダムのサイコガンダムは2台製造されましたが、ほとんど暴走事故でした。(なぜそんなものを何度も修復してしまうのか)
なのでRX系がガンダムとは言い難いのだが。なぜかアナハイム・エレクトロニクス社が開発した逆襲のシャアの主役モビルスーツのνガンダムの型式番号はRX-93です。(軍の役人がなんか適当に年号や製造工場からつけてるんだろう)
でもその30年後に他社のサナリィが開発したF91もガンダムと呼ばれます。
さらにその30年後に東ヨーロッパと月面を中心に組織されたリガ・ミリティアというゲリラ組織が(アナハイムとサナリィのスタッフなどと共謀して)作ったLM312V04という型式のマシーンはヴィクトリーガンダムと名付けられました。もう何がガンダムなのかっていうと、実質的に言ったもん勝ちなのでオタク以外は深く考えなくていいです!
(富野監督が関わっていない宇宙世紀のガンダムとか、宇宙世紀じゃないガンダムとか、色々ありますが、それもだいたい言ったもん勝ちです。08小隊の陸上用ガンダムとか性能はジム程度だけどガンダムって言い張っているので)
ガンダムは商品名なので、地球連邦軍のブランドとしては商標登録して正式にガンダムと命名するモビルスーツは限られています。が、反抗組織とかテロリストとかゲリラは無法者なのでその場のノリとか顔が似ているとかブランドイメージを剽窃するとかの理由でガンダムって命名します。
遠未来に作られたシステム∀の端末モビルスーツがなぜガンダムと名付けられたのか、それは黒歴史の謎です。(ハンブラビよりはガンダムに似ています)
もちろん、作品の外では富野監督とかスタッフの人が野口智弘さんが解説したような語呂合わせでガンダムの後継機の名前をつけている面もあります。
オタクなのでガンダムについて長文で語ってしまったが。まあ、ガンダムは商品名というか、戦闘機の愛称みたいなもの。戦闘機の愛称を他国やテロリストが剽窃すると問題になるけど、ガンダムの登場人物は基本的に戦闘状態で憎み合っているので国際法はギリギリ核兵器を(あんまり)使わないということと捕虜を(あんまり)虐待しないという程度。
で、Gレコにとってガンダムとは何か。
僕の持論では、過去にガンダムというマシーンがあった。それはGレコの時代の人から見ると数千年前の歴史上の単語に過ぎない。
例えば戦艦大和とか戦闘機のF-4ファントムとか。漫画の題材になったのもある。
で、それから数百年後の未来で、それに似たマシーンに宇宙戦艦ヤマトと命名するかもしれないし、戦闘機コスモファルコンと命名するかもしれない。
ファントムの後継機が登場する映画や漫画ではファントムとかラプターとかステルスをタイトルに付けるかもしれないし、もっと社会派風のタイトルにするかもしれない。
カラシニコフやM60機関銃は傑作だが、それが登場する軍事ドラマのタイトルにしなければいけないという決まりはない。広い意味での武器を意味するARMSとかのタイトルになるのかもしれない。
ルパン三世はワルサーP-38を愛用しているが、それや斬鉄剣が映画やTVスペシャルの作品のタイトルになることは少ない。
上代に草薙剣という神器があったらしい。かと言って、その後の日本刀がすべて天叢雲剣の後継というわけでもない。しかしながら、権威が必要な場所ではレプリカが天叢雲剣と呼ばれることもある。
大河ドラマで武士を登場させるもののすべてが平家物語の続編というわけでもない。その時代ごとに切り取られている。
また、未来でも超人的な戦闘員はニンジャ、アイエエエエ?ニンジャ、ナンデ?と呼ばれるのかもしれない。
作品名がマクロスだけど、主役ロボットはどんなに時代や場所や変形パターンが変わってもバルキリーと呼ばれるアニメもある。(バトロイドばかりでデストロイドの出番がどんどんなくなるという)
なのでGのレコンギスタは数千年くらい過去にガンダムという商品名のマシーンがあったかもしれないけど、別にその名前を劇としての作品の名前に採用してもいいし、しなくてもいい、くらいのものだと思っている。現代劇の冒頭に「人間劇」「ホモ・サピエンス劇場」とつける必要がない程度にはガンダムをつけなくてもいい。
Gのレコンギスタの時代からみて色んな種類や陣営のガンダムと呼ばれるマシーンが活躍していた数千年前の宇宙世紀のガンダム系のマシーンは、もっとざっくり広くまとめて、ヘルメスの薔薇の設計図のフォルダの一つのG-系と呼ばれるようになっているし、ガンダムの権威やイメージも劇中では薄れている。
もちろん、野口智弘さんが書いたような「Gそのもの」という名称が作品外部に向けてのメッセージを含むというのも納得するところだ。
- 秘伝としてのGの伝統
ではリギルド・センチュリーではG-系の権威は希薄化しているか失われているのか?というと実はそうではない。
一般レベルでは宇宙世紀の技術はタブーであり、ガンダムとかも古代の歴史上の単語。だが、宇宙世紀からの記憶を保管継承してきた人々にとっては違う。
G-セルフはYG-111という形式番号で、月のレイハントン家のシンパによって、ヘルメスの薔薇の設計図から作られていて、製造者は単にG系の試作機の1号機だからYG-111と命名していた。これもわりと仮名称に近い。
しかし、月の田舎で小規模なレジスタンスをしている製造者の技術レベルを超える、ものすごい性能を発揮している。なぜかというと、レイハントン家の子孫が乗り込んだときに、絶対に守る、という裏プログラムが組み込まれているからだ。(モランにコンペで負けたのはパイロットがレイハントンではなかったからか、偵察に回されるための八百長か?)(ていうかインビジブル・チタニウムのフォトン装甲という素材を作ったときに、ロルッカさんは「すごく強いものを作ってしまった」とか気づかなかったのか。レイハントン・コードの仕掛けのことしか考えてないとか・・・)
レイハントン家は主人公たちの両親の代で政争に破れて取り潰しになったけども、本来は千年くらい前に金星と月と地球を結ぶフォトン・バッテリー経済圏構築に重要な役割を担ったであろう王家。それくらい重要な王家は宇宙世紀のガンダムという超高性能機の事は知っていただろう。秘伝としてガンダム伝説は受け継がれていたのかもしれない。
なので、G-セルフはG系の中でもかなりスペシャルな主人公マシーンで、ガンダムの名を継いでもいいのかもしれない。
しかしながら、ここでさらに富野監督作品らしくひねってあるのだが、「G-セルフ」という名前は、自分がレイハントン家の関係者だと知らない時期のアイーダ・スルガンによって「G系に似ている」という彼氏とクリム・ニックの言葉から思いついて、見た目が似ているからガンダムっていうF91と同様のノリで軽くつけられた名前で、ヘルメスの薔薇の設計図に記録される前の本来の設計、製造者によって付けられた機体名称は謎。
なので、「Gそのもの」という名前でありながら、それはそうではないのかもしれない。(実はブレンパワード以降の富野新作の主役ロボットは正式名称が不明。パイロットの名前をつけただけの外宇宙由来のブレンとか古代のシステムターンエーとか、古代のXANとか名無しとか)
G-セルフは姫によってそう名付けられたし、実際に強いのだが、実は何者でもないのかもしれないという面もある。
野口智弘さんの言うように「これはガンダムではない、しかしガンダムそのものである」と同時に「そんな名前は適当に希望や連想から名付けた嘘であり、本来はもっと広い無限の可能性を持っているのかもしれない」という、ガンダムという枷と、無銘ゆえの自由さの両方を持つ。それがG-セルフだ。
そして、野口智弘さんの文章では一言しか出なかったマスク大尉だが。もちろん、劇場版第三部のコラムとしては最終盤の話は書きにくいと思うが。
彼が最後に乗ったモビルスーツのカバカーリーこそガンダムである。
秘伝としてG系を伝えていたのは、レイハントン家だけではなく、金星の近くのヴィーナス・グロゥブにある技術保全局のGIT(ジット)団で、劇場版第4部はジット団が繰り出してくるG系の最新鋭モビルスーツとの激闘が期待される。(ジオン軍水泳部の伝統もある)
G-IT団はその名の通りG系そのものの研究と技術保全をしている組織。地球とは違って、宇宙世紀からの技術がある程度継続している。(ビーナス・グロゥブのオーシャンリングも近年になってやっとすべてのコロニーに水が満ちたらしく、宇宙も、ある程度は滅びかけたようだが)
メカデザイナーの安田朗さんによるとG-IT団の研究所は複数あって、いろいろなガンダムの技術を研究しているらしい。安田朗さんのイメージでは金星はガンダム王国で、技術の進歩をタブーにした地球とは違ってガンダム(G系)がたくさんいるらしい。
で、そのジット団の使う汎用量産型MSはRe-G-IT(リジット)で、ビーナス・グロゥブの中央政府ロザリオ・テンの警察テン・ポリスが使うモビルスーツはポリジット。
そして、ベルリのG-セルフと最後の激闘をするカバカーリーはパイロットのマスク大尉がクンタラの魂の聖地カーバの守護神カーリーという自分の希望を込めて名付けた愛称で、正式名称は「G-IT」(Gであるそれ)である可能性が高い。(サンライズの公式ではリジットに似ている、という程度で断言はしていない)(カバカーリーは色をちょっと変えて角を伸ばすと、かなり顔がガンダムに似ている。少なくともツインアイタイプのディジェより似ている)
※追記
(なんでマスク大尉がG-ITと呼ばずにカバカーリーと名付けたのかというと、主人公のことが嫌いで、G-セルフにも何度も負けたのでG系が嫌いだからです)
なので、野口智弘さんがいうように富野監督が生み出したのに富野監督の手を離れて巨大化したガンダムと戦う富野監督のGという作品外の文脈もあるんですが。
作品の中では「もしかしたらG系ではないかもしれないが宇宙の伝統を受け継ぐ家の姫によって、(偶然)そうあれかしと名付けられた白い騎士G-セルフ」と、「G系の本来の伝統技術を受け継ぐ組織で建造されたが、乗り手のマスクによって名を上書き(マスク)された黒き戦士カバカーリーの決闘」がラストに来るわけですよ!
家柄はレイハントン家が正統、技術はジット団が正統。しかも裏設定ではカバカーリーもG-セルフのようにバックパックを交換できるらしい。
一方は主役だけど真名を過去に喪失して姫による仮の名付けで、もう一方は本来の名前をライバルによってマスキングされている。
野口智弘さんのコラムでは富野由悠季監督の濃厚な作家性を浴びるのがGレコ、という結びなのだが。
ラストバトルは思想や作家性を超えて単純に面白いと思う。(もちろん、思想と作家性もあるのだが)
「Gの名を上から塗られたG-セルフと、Gの名を隠されたカバカーリーのどちらが本当のGにふさわしいのか決闘」は喧嘩バトルアニメとか騎士道物語などのレジェンド神話バトル、どちらが偽物で、どちらがコピーなのか論争とか、光と闇のバトルとして、非常にわかりやすく、カッコいいし、僕はテンションが上がる。(ベルリとマスクたち、本人はそんな象徴性を気にしている余裕はないだろうけど)
宇宙世紀から続くレイハントン家の血筋でガンダムの正統なる後継者を期待されているのがガンダムなのか、最底辺のヤツとバカにされながら何度負けてもどんなに苦しくてもやりとげる反骨精神がガンダムなのか?
というわけで、僕がキネマ旬報で語られている映画の歴史についてほとんどわからないのと同じくらい、ガンダムのことを知らない人にとってはチンプンカンプンであろう妄言長文を書いてきたので、説得力はないのだが。
あえて言おう、「Gレコのバトルはめっちゃカッコいいし、匂わせられている要素(師弟対決とか、男女パートナー連携とか)も含めるとハチャメチャにエモいしテンションぶち上がる、超楽しいアニメ」であると!
- ほしい物リスト。
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↑グダちん用
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