玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

4年ぶりに「花の詩女 #ゴティックメード 」を2回見て泣けた

ドリパスで4年前に見たんですが、正式なリバイバル上映としては11月1日から10日まで全国52館で10年ぶりに再上映です。ゴティックメード。
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萬画のファイブスター物語が萬画の文法をガン無視している異常な作品なので、その劇場版のゴティックメードは当然映画の文法を無視しているからなのです。

 4年前に見たけど、この感想は間違いですね。

  • 映像の原則に忠実

 確かに、ロボットアニメというジャンル映画としては型破りなんですけど、映画としてはとても富野由悠季監督が提唱した映像の原則に忠実なアニメだと思いました。



※引用もと
highlandview.blog.fc2.com


 いつもの、ですけど。


 マジで映像の原則に忠実。というか、ラストカットの黒騎士のドヤ顔と都に向かう4人の右上に向かう構図から逆算して、ファーストカットでベリンたち詩女が右下に向けて歩き出すところから始まっている。
 右上に向かうラストカットやエンディングテーマの構図が多分構想の最初期からあって、そこに向かうエンディングまでを逆算して、ファーストカットからずっと映像の原則、特に部分の左右の構図や全体の方向性の流れが決め打ちされている感じ。これは永野護先生の師匠の富野由悠季監督の得意とする総集編映画では割と無理で(テレビ版にはテレビ版の1話ごとの流れがあるので)、70分で一貫して最初からまとまっているロードムービーであるゴティックメードだからこそできる演出だと思う。


 で、ベリンたちが左上から右下に向けて歩き出したところで、それに対するように右上からトリハロンの軍艦が強圧的に登場するっていう出会いのシーンの対立感も非常にスタンダードなレイアウト。
 ボーイ・ミーツ・ガールものとしては初対面の印象で対立するのはスタンダードなので。
 各カットごとにそういう対立関係がわかりやすく絵として構図化されているけど、動画映画でもあるので、それの積み重ねとラストに向かう流れとしての画面の方向性もコントロールされていて、非常にうまい。


映像の原則 改訂版 (キネマ旬報ムック)

 各シーンでもダブル主人公の詩女ベリンとドナウ帝国第三皇子トリハロンのどちらが左右に描かれているか、とか、その会話の途中で左右の位置関係がどう変化するか、というレイアウトでの力関係がものすごく、富野由悠季監督の映像の原則に忠実で、そこを念頭に入れているととても面白い。
 ボーイ・ミーツ・ガールものとしても、ボーイとガールのどっちがその場の会話の主導権を握っているのか、どっちが攻め気味なのかを見るのはとても面白い。(トリハロンがそうであるウォーキャスターについて説教をするべリンの声を聴いているトリハロンの背中の角度とか)


 べリンとトリハロンの旅路の船の動く角度とかもジグザグで色んな土地を巡っている感じだけど、ちゃんと敵がどういう角度から来るのか、主人公メカの最強のカイゼリンがどっちから出現するのかっていうのもわかりやすい。


 そして、その戦闘シーンも含めた長い旅の左右の映像の原則に忠実なカットや構図の連続変化が、数千年後のラストカットの美形ドヤ顔(永野護テロップ)に収斂するのは、もう、許すしかない。顔がいいので。
 ダブル主人公のトリハロンもベリンも顔がいいので映画館の大画面で見ると、ひたすらに顔がいいので満足度が高い。(ちょっとラブロマンスっぽいシーンでは瞳が大きめに描かれるのもな)


 老害っぽくて申し訳ないが、最近の何でもかんでも被写体を中央に置きたがる単純なテレビアニメに比べると、ちょっとでも左右のレイアウトに芝居の意味を付加しているアニメは面白く思える。まあ、それは永野護先生がアニメーターとしてデビューしたけどメインは萬画家、という特異なキャリアによるものでもあろう。


 そういうわけで、映画で70分という中編映画レベルに凝縮されているので、2回連続で見ても全然ストレスにならなかったし、2連続で席の距離感を変えて見ると、よりおもしろさが実感できた。
 70分だけど、ほとんどダレ場がないのでポップコーンを食べたり水を飲むタイミングがなかった。


 まあ、映像の原則にはかなり忠実なかっちりした映画だったんだけど、「ロボット物」という枠組みに押し込めるにはいろいろとやんちゃをしている映画ではあるし、永野護をロボットデザイナーとか絵描きという枠組みに押し込めるのも無理があると思った。
 いや、むしろ、タイカ宇宙編とか特に脈絡もなく猫耳考察をし始める時点でロボット物の枠組みに入っているヒトじゃないんだから、「ファイブスター物語の連載を止めていたのにロボットがあんまり出てこないアニメを作った」っていう批判は当てはまらないなあって。
 確かにロボットデザインの天才だけど、それだけの人でもないので。


 しかし、永野護先生はアニメ制作から20年くらい離れていたにもかかわらず、滅茶苦茶映像の原則に忠実でビビった。本当に監督なんだなって。確かに変なデザインの巨大ロボットが戦うアニメっていう印象を持たれがちな作品なんだけど、本当に会話する人物同士の映像のカット割りとレイアウト変化の流れが映画的にスタンダードで滅茶苦茶ちゃんとしていてびっくりした。
 しかも、花の詩女の本編での映像の原則のスタンダード感だけでなく、それをファイブスター物語につなげるラストの飛び道具もちゃんと映像の原則につなげていて、本当にすごい。


 花の詩女という映画はまあ、割と地味というか、皇子様と巫女の旅という、富野作品というより、むしろジブリに近いし、背景の水彩画の感じを考えるとジブリよりももっと前の東映動画映画の方に近いクラシックさがある。
 暗転を多用するのは若干出崎統に近いかもしれない。
 情報量が1.5テラバイトあるからBlu-rayDiscにならないという話も聞くが、背景美術はジブリより描きこんでないし、人物描写やメカもそんなにCGや撮影処理で派手にしてなくて、スタンダードなセル塗が多い。なので、BD化されない伝説のアニメ!っていうふれこみも実は見てたらそこまで派手には感じなかったわけで。


 ただ、淡々と物語を紡ぐのに必要なことをしているという王道の作りに感じられた。


 効果音とかもかなりすごいらしいけど、「まあ、爆発したらこういう音がするだろうし、破片の落下音もして当然だな」と、当然起こるべきこと、当然聞こえるべき音を表現しているだけな気がして、そんなにゴテゴテと派手な気はしなかった。(むしろ他のアニメがいろいろと細かい音を省略している方が多い)
 GTMの機動音もすごいんだけど、まあ、GTMは無敵のスーパーロボットなので、それが動いたらこういう音がするんだろうな、って感じで、そんなに派手すぎる気はせず、すんなりと納得できた。生活音とかも丁寧。
 円盤にならないのは、データがどうのこうのより、映画館で見てほしいということだと思う。
 

 今回の映画は席の位置を変えて、画面からの距離を変えて見たけど、音響のいい席(中央やや後方)と画面が大きく見える前の方の席とでは印象が違うなあと。
 かなり細かく描きこんでいるので、後ろの方では細かい模様とかが見えづらい部分も。メカニックだけでなく、衣装や意匠や風景にかなり描きこみがあったね。そういう風に何回も見方を変えて楽しめる映画体験としてはいい作品だと思う。ドナウ帝国の紋章が描かれた絨毯もコピペじゃなくて全部手描きで刺繡を描いているからね…。


 あと、僕が行った劇場は、特別興行なのに学割、シニア割、障碍者割引が使えてお得でうれしかった。Gレコ…。(劇場によって差はあります)


 そういう風に、かなり古典的な皇子様と巫女のおとぎ話なので、本編は結構色調を抑えめだけど、最後のスタッフロールで滅茶苦茶ビビッドなカラーリングをぶち込んできて「未来(三千年後くらい)は明るい!(服装とか色んな意味で)」ってするのはやっぱり構成全体が分かってる原作者監督ならではなのだろうなあ。


 というわけで、4年前の初見時では「ロボットアニメっぽくない変なアニメ」という印象だったけど、落ち着いて見たら、「非常にスタンダードで落ち着いた王道のアニメ」という印象に変わっていた。まあ、ロボットとか超能力者とかは尖っているんだけど、映画の作りとしてはスタンダード。
 ほら、実写映画でもスタンダードな落ち着きを持った戦場映画とかもあるわけで。そこに登場する戦車や銃器のデザインの機能性を持った形態(あるいは刀剣やピアノや建築物など)は素人には構造がよくわからないけど、映画としての美しさを表現してくれている。


  • ていうか、泣けた

 富野由悠季監督のファンなんだけど、Gのレコンギスタの劇場版とかでも、そうそう泣かないし、他の感動映画とかに関してもかなりドライというか、涙腺は固い方なんだけど、泣いてしまった。
 もう、中盤でトリハロンに種をまいている話をするベリンの段階で泣いてしまった。70分で短くてストレートな話なので、展開は4年前に見て覚えているので、泣いてしまいました。
 僕以外の周りの観客の人からもすすり泣きの機動音が聞こえました。
 ロボットアニメなんだけどな?泣くような要素あったっけ?デザインが尖ったロボットが戦うロックンロールアニメだと思ったんだけど?もう、普通に泣けたんだけど。
 トリハロンとベリンの会話の回数ごとに涙の量が増えた。
ユリイカ2012年12月臨時増刊号 総特集=永野護 『ファイブスター物語』の普遍、『花の詩女 ゴティックメード』の衝撃


 まあ、ファイブスター物語のソープダッシュの初登場シーンでも「戦争を起こさないようにちゃんと選挙をしろ」っていう話だったし、基本的なベースは手塚治虫系列の日本漫画の伝統を汲んだ反戦です。(まあ、三木眞一郎が言うように世界中が戦争し続けている世界だからロボットが戦う漫画ができてるっていう世界観でもあるけど)


 まず最初に泣けてきたのはやっぱりべリンが種をまいているのを見たトリハロンとの会話ですかね。
 「君が種を蒔いた花が踏みにじられるのは、君自身が踏みにじられることだ」って、滅茶苦茶くさいセリフを皇子様が言うのがヤバかった。佐々木望王子の声でな。
 まあ、トリハロン殿下もそのセリフがくさすぎるのはわかっていて、声色を変えて、「ま、そう考える人が増えたら、争いも減るんだろうけどな」って軽く言ってるけど、それはそれで軍人でもあるトリハロンが戦争というものをどう考えているのかということの過剰過ぎない描写で、泣ける。


 トリハロン殿下も軍人で最強の騎士だけど、別に戦闘狂というわけではなく、国や民を守るために戦争を仕方なくしている、っていうスタンスが描かれている。


 それで、永野護先生の奥さんでありヒロインの声優の川村万梨阿さんが作詞した歌が流れながら、種を蒔きながら美しく踊るところとか、それを見ているトリハロンとか、泣ける。
 (その踊りも川村万梨阿さんのモーションキャプチャーらしい?川村万梨阿さん、奥さんというだけでなく、多才すぎないか?)


 トリハロンがべリンの種まきを尊重しながら、「自分はそれをしない」と言うのもまた泣ける。
 軍人と巫女の違う視点から戦乱の世の中を見ていって、双方の視点を擦り合わせる話だけど、惑星カーマインにトリハロンは種まきしないけど、トリハロンは自分の国にその種を持って帰るっていう絶妙な距離感が泣ける…。


 トリハロンが戦うことの痛みも、自責の念にかられるところも、べリンと違う場所で同じ志を持とうというところも、ラストの花のシークエンスも、滅茶苦茶泣ける。


 いや、枠組みとしてはSFファンタジーロボットバトルアニメなので、泣く要素は予測してなかったけど、泣いてしまった。
 忌むべき古代の技術で生み出された超能力者同士がなんとか自分の力で平和を求めようとする所とか、少しずつ歩み寄っていくところとか泣けた。


  • 自分で体験する旅

 ロードムービーとしては、体験することが重視されるんですけど。
 ドナウ帝国第三皇子のトリハロン殿下は人望があり、同時に最強の騎士であるけど第三皇子という身分なので貧乏くじの任務を押し付けられがちという軍人で戦場を見てきて、「普通の人が平和で居られるのは俺たち軍人が命をかけているから」って思っていると同時に、自分が皇帝になるのは無理でどこかの戦場で死ぬだろうって思っていて、割と拗ねてるっぽい。最初は。
 もう一人の主人公のべリンも詩女(数千年にも及ぶ歴代の詩女の歴史の記憶を覚えている巫女)という超越者だけど、知識として「ゴティックメードは美しいけど危険だ」とわかっているけど、実際にゴティックメードを見たら感嘆する。なので、そういう教えられた情報とリアルな体験とでは違いがある、ということを師匠の富野監督のGのレコンギスタのテレビ版の2年前に描いているんですよね。
 トリハロンも軍人が前線で戦っているから平民は平和でいられると思っていたけど、ベリンとの旅と色んな部族との交流を通じて平民が日々の農作業とかで支えてくれているから軍人が成立するってわかって、たんなる軍人から為政者になる予感を見せる成長をする。それが本編が終わってからの歴史に通じていく大河ロマンでもある…。


 そういう若者のロードムービーとしての基本はものすごく基本的で、ともすればロボットのデザインばかりが注目されがちな本作だが、そういう尖った部分だけでなく、男女の若者の成長とか、相互尊重とか、すごく映画的に基本的な部分も描いている。
 (まあ、超帝国の女帝の子孫とか、巨大帝国初代皇帝とか、スケールは大きいけど。それはそれで大河ドラマ的というか)
F.S.S. DESIGNS 5 LITTER.pict


 それで、べリンとトリハロンが共通点を持っているという話になるんだけど、単に超能力者という点で似ているというだけでなく。
 べリンとトリハロンの両方が互いに自分の将来について「こんなことをするのは子供じみている」っていう理想を応援しあって、それを叶えるというのがカッコいい。恋愛ではないけどそういう風に支えあう関係も泣けるんだよなあ。なので、ラストシーンが痛快。


  • 必要十分な大塚明夫

 トリハロン殿下の一の忠臣として、艦隊指揮官でもあるボットバルト・デュー・バルバロッサ大王を大塚明夫氏が演じている。
 その中年男性のボットバルトも数少ないメインキャストだが、物語の中で成長を見せている。
 辺境の惑星カーマインでは自分たちドナウ帝国の強さが伝わっていないのだろう、と、当初はちょっと舐めた態度だったのだが。
 主君のトリハロン殿下がべリンたちカーマインの神官集団の女性たちに心を開いていくのと同様、彼も考え方が、トリハロンほどわかりやすくはないが、変化している。


 GTMの戦闘シーンでボットバルトがちょっと説明過剰にも見えたが、永野護先生がティーガー戦車等のWWIIの模型のマニアだと考えたら、狙撃された母艦と通信が不安定な時に自分が目視確認したGTMの情報を叫んで記録しておく、という戦車兵のような行動をするのは理にかなっている。(最悪、自分が死んでも録音は残る可能性があるし)
 カイゼリンが必殺ビーム兵器を使ったという説明も、「これでGTM戦闘は終了」という風に記録すると同時に、母艦とアデムたち女性神官たちを安心させるためだと思えるし。一つのセリフにも複数の意味を持たせるのは富野由悠季の弟子という感じだ。
 割と、説明セリフは説明セリフだけど、それだけではなく、それをキャラクターが言う必然性やドラマ的な要素はちゃんとある。


(べリンがトリハロンに対して認識が柔らかくなった後に、トリハロンが部下に対して優しい面を見せる、というのも観客の印象のコントロールとして、うまい)


 まあ、ボットバルトと折笠愛さんが演じるアデム神官がその後、結ばれたのかどうかは、トリハロンとべリン以上に謎だが。
 べリンが雨の中で周囲を警戒しているトリハロンの実直さに心を奪われたシーンと同時に、トリハロンと逆の左舷で同じように黙って周囲を警戒しているボットバルトを見て、アデムがキュンとする感じもある。
 ボットバルトが戦闘時にアデムを抱きかかえる前フリでもあるし、同時に、「ちゃんとトリハロンと逆の位置でもボットバルトが警戒をしていて死界はない」という戦術的な必然性を描いているシーンでもある。


 なので、GTM戦闘の破片音とか、GTMのデザインポリシーとも同じく、「必然で必要なことを当然のように描く」という意識がこの作品では徹底されていて、単にロボットがカッコいいとか、ファンタジーとしてよくできているとか、という以上に、「この作品において必要なことをちゃんとおいている」という無駄のない構成が、70分という短い尺で説得力のある世界の構築に成功している要因だと思う。


※追記
 ボットバルトがなんでも解説するわけではなく、ヤバいものを見つけてしまったときは、それとなくジェスチャーをして人払いをする。


※追記2
 GTM戦闘シーンが短いという不満の声もあるが、索敵、発見、対人ビームをよける、艦隊戦、カイゼリン起動シークエンス、敵ビームの防御、カイゼリンのガットブロゥでの破壊、ボルドックスのガットブロゥの防御、カイゼリンのカウンターパンチ、カイゼリンの必殺ビーム、敵艦隊殲滅、など、主人公GTMカイゼリンの活躍に絞っているという点では必要十分なことを描いている。
 この映画での永野護先生の製作ポリシーは「必然性」なので、その点では十分。メロウラとかも交えた複数戦闘になると、トリハロンとベリンの物語っていうのがちょっとボケるし。


※追記3
 GTMがなんで強いのかというと、強いし目もいいウォーキャスターが乗って、同じような武器を拡張身体にしてるから、ってのをバトルシーンの前で細かくやってて、本番のバトルでは余計な説明を省いてテンポを良くしてるよな。
 割と天丼が基本というか、師匠の富野監督がガンダムのGアーマーを登場させる回の前半でド・ダイYSを出して、大きな嘘を出す前に小さい嘘で慣れさせるっていうテクニックがある。
 トリハロンがガット・ブロゥを子どもの前で振って岩を割るのはGTM戦闘への前フリだし。そのトリハロンが何で子どもの前で剣を振っていたのかというと、ボットバルトに惑星カーマインの人には自分たちドナウ帝国軍の恐ろしさ(強さ)が伝わっていないと言われたので、嫌がらせというより、警護の実力をべリンに見せる必要を感じたのかもしれない。
 割と展開ごとに、前の部分での行動を受けて、それを理由に動く、というのが徹底されている作品。これもやはり「必然性」の話だな。
 ラブを投げるのもギャグなんだけど、あれくらい瞬間移動に近い速度で走れるし、直線的に動物を投げられるけど柔らかくキャッチできるという騎士の力と視力の能力を描写して、だからその拡張身体のGTMは強いって説得力を出している。(ボルドックスのパイロットはトリハロンよりも騎士として格が落ちるので、ちょっと動きがもたついている)
 もちろん、危険を顧みず動物を助けるトリハロンの優しさがあるから、テロリストを殺害して喜ぶような人間ではないという前フリだし。
(また、自分で体験する物語なので、べリンも知識としてトリハロンは帝国で人望が高いと知っていたけど、実際に同行してどういう人物か自分の目で見るまでは、心理的距離が遠くて信頼が低かった。仲良くなる家庭にも一個ずつちゃんと理由がある)


 そういうわけで、派手なロボットデザインが宣伝やポスターでも印象的で目立ってしまいがちな作品だが、「花の詩女 ゴティックメード」は人間関係の繊細な変化とか必要十分で無駄のない美しい作劇構成としても評価できる作品だと思う。


  • ほしい物リスト。

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↑グダちん用


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