玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

富野喜幸 絵コンテデビュー作 鉄腕アトム 第96話「ロボット・ヒューチャー」

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ロボット ヒューチャーの巻


 なんかママは小学4年生と機動戦士VガンダムをYouTubeで見ているしGのレコンギスタも忙しいんですが、鉄腕アトムが来たので。今まで見てなかったというのもよくないですが。富野コンテだけ見たいというオタクにとっては、地味にめんどくさいんですよね。


 鉄腕アトム、めっちゃたくさんある…。200話以上ある。


 それはそれとして、富野喜幸さんの絵コンテ(ていうか脚本なしのアニオリ)デビュー作「ロボット・ヒューチャー」ですが。


 普通に面白かったな……。なんか他のアトムの回は初期のディズニーやトムとジェリーみたいな伸び縮みアニーメーションをしてたけど、富野コンテ(新田修介名義)は普通に今の感覚でも見れる。スピード感も昔のアニメにしては速い。
 というか、ディズニー的な動きの面白さで見せるアニメーションでは無く、構図と速いカット割りで見せていく。ワンカット内での動画は割と少ない。動画カロリーは少ないけど、カット数は多い目。ディズニー志向ではなくモンタージュ映画志向。(マンガっぽいとも言える?)フルアニメーションでは無くテレビアニメということに自覚的。初の連続テレビアニメなのに、テレビアニメとは何かということを富野さんは既に自覚しつつあった。


富野由悠季 全仕事 (キネマ旬報ムック)


 ていうか、富野喜幸さん、58年前の1964年3月に日大藝術学部映画学科卒業して、虫プロダクションに入社。その月の3月28日の鉄腕アトム第65話「勇敢な脱走者」で制作進行スタッフデビューしている。もう大学の卒業式の前から仕事してたんだけど。


 11月28日放送の第96話「ロボット・ヒューチャー」でアニオリで脚本・演出・絵コンテでデビューしている。
 富野由悠季(1982年ごろ改名)さん、あの、自伝で「原作のストックが足りなくなることが分かった」「自分でストーリーを作って演出家にならないと自分の先がないと思った」と、かなり強行策というか手塚先生社長にいきなりAパートの絵コンテを提出して、「続きを書いて」とオッケーをもらって演出家になったのだが。一応、原作が減ってきたのでアニオリ話募集コンペみたいなのは、あったらしいのだが。
だから僕は…―ガンダムへの道 (角川スニーカー文庫)


 その後、富野さんは鉄腕アトムの演出家の中で一番多いらしい27本の脚本や演出をしたのだが。そのデビュー前。制作進行としての富野さんはたった7本しか仕事してない!は?富野監督の下で制作進行をしてから演出デビューした人は多いけど、半年、7回だけで制作進行をやめるスピード感のあるスタッフはたぶん、あんまりいないと思う。制作進行もアニメ制作に必要な役職です。


 いやー。制作進行として下積みをして演出デビューというのは割とアニメ監督のセオリーのキャリアですけど。ほぼ半年、しかも7本だけしか制作進行してないで早速見切りをつけて演出デビューする。決断のスピード感が速い!
 石の上にも三年とか、辞める前に三年修行しろとか、普通新卒社員には言われるわけですが。半年間、制作進行7話だけやって「これは先がないな」って自己判断して社長にオリジナル企画を持っていく富野喜幸。うーん……。
 若いころから人の言うことを聞かないことに定評がある!


 そして、三年後の1967年に富野さんは虫プロをやめてCМ制作会社のシノ・プロダクション(オオタキ・プロとも?)に行ってたり(そこでもアニメを使ったCМを作っていたらしいが現物は見たことない)、実家のコネで東京デザイナー学院のアニメ学科の講師をしたり、バイトでちょろちょろっと冒険少年シャダー、アニマル1、夕焼け番長の絵コンテを書いて、1969年の杉井ギサブロー監督の「どろろ」でアニメ業界に本格復帰。
 その後、あしたのジョーや、みなしごハッチなど多くの会社の作品にかかわり、コンテ千本切りとなかば蔑称として言われ、1972年の「海のトリトン」で監督デビュー。大体三年くらいでキャリアを変えていっている。


 いや、まあ、昔はアニメスタッフと言えばアニメーターで制作進行の地位は低かったらしいけど。っていうか、そもそも鉄腕アトムは日本初の連続放送テレビアニメなので。スタッフのキャリアプランとか常識とかできてない時代なんですが。何もルールができてない世界で立身出世を狙う富野さん。実質シャアだな。通常の三倍。


  • ヒューチャーとアトムと富野

 まあ、演出デビューがかかったアニオリだし、処女作にはその作家のすべてがあると言う。


 なので全力で書いたアニオリだと思うけど。


 ロボット・ヒューチャーさん、頭の変な突起が「大人になったアトム」という感じだし、そもそもこの話はヒューチャーが誕生してから死ぬまでの話。ファーストシーンもアトム誕生シーンをリフレインしたかのように博士が機体にエネルギーを注入して起動させるところから始まるので。富野版アトムとしてのヒューチャーなんだろう。
 というか、富野作品ってだいたい主人公の影みたいなライバルが魅力だったりするし。偉大なる手塚神が作ったアトムに対して、富野喜幸が作ったヒューチャーをぶつけようという気持ちがあるのだろう。


 ロボット・ヒューチャーは名前の通り未来を予見できるロボットだけど、実は特に超能力というわけではなく、単に「たくさんデータを分析して高速演算したら予見できる」というスパコン。


 まあ、その予測スパコン自体が自我を持っていたり、自分の一生が分かっていたり、自分を作った博士が金儲けのために自分を利用して犯罪をしてたり、ということを自覚している、というおはなし。


 なんかこう、自分がどうやって死ぬのかとかわかっているヒューチャーは哀愁というか諦観があるんですが。それに対してアトムが「切り抜けていくんです!」と富野作品らしく励ますわけだが。まあ、ヒューチャーは自分の運命や死ぬまでの全行動が分かっているし、それは変わらない。
 あと、通信圏外で密談したり、民生用の道具を戦闘に流用したりなど、わりと富野っぽい。
 ヒゲオヤジがアトムとヒューチャーが別の場面で活躍して多層的なのも面白い。


 あと、ヒューチャーの製作者のアクタ博士は悪ということなんだろうけど、芥は富野さんが若いころ(中学生のころ)から使っていた俳号というかペンネームの「芥子」なんですよね。なので、富野さん自身が作ったオリキャラとしてのヒューチャーへの距離感もある。アクタ博士は火星で(別に火星までいかなくても…)金塊泥棒をしますが、演出デビューを狙う野心家の新卒社員の富野さんとしては「人間はロボットと違って金のために行動するんだ!」という自省があるんだろうね。
 ていうか、シャア・アズナブルも富野さんの分身ですけど、金塊マン……。富野さんが脚本を書いた第98話「ゼオの遺産」も工事現場で予算をケチったり観光利権の話。富野さん、働くことに一生懸命だけど、金のために、っていうところが結構ある。文化功労者も非課税の年金がもらえるし。


 いや、人間とロボットの違いは鉄腕アトムの原作からのテーマですが。


 「ロボット・ヒューチャー」のテーマはロボットの能力(ひいては発達しすぎた科学)は果たして本当に人間の役に立つのか?という疑問なのだが。割と富野作品ぽいな。あと、ロボットに自意識はあるのかというテーマもある。ロボットは生物ではないので、別に自分がどうやって死ぬのかを分かっていてもそれを恐れることはない。感情はない。


 まあ、ヒューチャーは割といろんなことを諦めているし運命に従っているロボットだが、鉄腕アトムは主人公のアトムを魅力的に見せる番組ではあるので、ヒューチャーには自意識がないけど、ヒューチャーの末路を見たアトムは涙を流しながら戦う。
 というか、主人公だけどロボットであるし基本的に人間に逆らわないアトムに戦う決意を決めさせるには死んで見せるくらいの覚悟が必要、みたいな。これも割と富野作品ぽいけど、まあ、主人公を魅力的に見せるためにゲストキャラは死ぬっていう。ランバ・ラルとかもそんな感じ。(まあ、アニオリキャラが生き続けてもめんどくさいのでその話で退場させるのがセオリーですが)


 大人でいろいろなことが分かっているヒューチャーはアトムが大人になった姿かもしれないけど、それを見たアトムはどうするのかという。アトムは大人になれないというのが最初から出ていたテーマだけど。

  • ロボットの自意識

 まあ、アトムはロボットなんだけど人間的な感受性を持っているという点で人間に近い変わったロボットだし主人公ですが。
 果たしてロボットに自意識があるのかというのは鉄腕アトムのテーマであり、同時に富野アニメでも割とある感じ。


 というのは、最近、機動戦士VガンダムとGのレコンギスタを見返していると、人工知能を積んでいるはずのハロやハロビーのノベルがめちゃくちゃ虐待されている。具体的には主人から投げられたり蹴られたり挟まれたりパチンコで撃たれたりする。
 最近、『Vivy -Fluorite Eye's Song-』(ヴィヴィ フローライトアイズソング)とか「境界戦機」など、人工知能AIが出る作品が多い。まあ、90年代の勇者シリーズのマイトガイン以降とかもそうなんだけど。
Vivy -Fluorite Eye’s Song- 1巻 (BLADE)



 人工知能AIのほうが人間より倫理的で優しさを持っているので、人間より人間らしいとか、AIも人間のように尊重されるべき、みたいな感じがある。


 でも、富野作品のハロとかハロビーって人工知能を積んでいるけど、全然尊重されない。しょせん道具だし、しゃべるパソコンくらい。いや、パソコンをあんなに投げたり蹴ったりしたらあかんやろ、とはおもうけど。まあ、頑丈です。
バンダイ ハロプラ ガンダムビルドダイバーズ ハロ ベーシックグリーン 色分け済みプラモデル BAN228374


 で、機械に自意識があるのかというと、どうやら富野作品では機械は機械だし人権を認めない感じです。GのレコンギスタではG-セルフやクレッセントシップもしゃべるけど、レイハントン・コードに反応しているだけで主体性はない。


 富野監督は以前、アメリカ空軍の無人機オペレーターの女性が「無人機なら私でも戦争できるわ」みたいに言ったドキュメンタリーを見て憤慨したらしいが、あんまり富野作品には無人機や人工知能を出さない。まあ、ファンネルとかあるんですけど、あれは思念を飛ばしている拡張身体なので。モビルスーツとか、他の富野アニメのロボットも拡張身体だし。
ブロンコモデル 1/48 アメリカ 無人偵察機プレデター MQ/RQ-1 プラモデル CBF48003


 ていうか、ミノフスキー粒子散布状況では無人機の遠隔操作はできないので人間が戦場で戦うのが富野アニメの基本。(まあ、ザンボット3のガイゾックの兵士や中枢は人工知能っぽいんですけど。イデオンの第六文明人は神代の亡霊みたいな感じだし生物かな)


 やっぱり、富野監督は「機械に知能があるのか?」とか「人工知能に人権はあるのか?」というより人間同士の闘争や意地とプライドのぶつけ合いの方に興味があるようです。別に機械同士が壊しあいをしても面白くないし。まあ、機械に人間が壊されることもあるけど、それはその機械をそのように設置した人間のせいだし。


 機械は機械で、インプットされたことの反復しかできないけど、人間にはランダムな自由意志があるというのが富野監督の倫理観なのかなあ。∀ガンダムにはロランを逃がす程度の知能はあったようだけど。


 なので富野監督としては、機械に主体性を認めるかどうかという以前に、人間が人間としてしっかりしろって感じなのかなあ。


 まあ、ガチでロボットが人間に反旗を翻す青騎士編も富野演出なんですけどね。



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↑グダちん用


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