玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

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おいおおい!

ブログのネタにしたというのに、ママンに怒られるのに忙しかったので島津さんの手記は途中まで読んでおいて置いたら、サーバー落ちてるーッ!
富野の発言碌はいつもローカルに保存してるのにっ!クッソ!早くしておけば・・・ッ!
田代砲
くっそー。ママンめ!
菊次郎とさきもなんかダメ人間の北野武に共感できるなあ、というのも、単にダメな自分を有名なビートたけし様や富野監督に同一視するという防衛機制行動にしか過ぎないということを覚えておきなさい。
でもなーっ!昇華と知性化だけが良いと思うなよ!生物の進化の結果手に入れた機能には必ず意味があるのだ!
ダメ機能だけどナ。
それに、たけしや富野は才能があるという以前に社会情勢が違うもんね。
あの頃はなにも無かったけど、未来があった・・・。
そして、彼らが食い尽くした!
富野はすぐに「僕たちの世代の責任」というが、言葉で謝って見せられても仕方がない。
もう、僕らの未来は無い!火の鳥未来編で言う所の折り返し地点を越えた所ですよ。
リバイバルブームだしね。三丁目の夕日を見たら怒りと恨みしか湧いてこない。
こいつらが何も考えないで無軌道な開発をしたせいで・・・。
僕たちはもう死ぬしかない!そうなのだ!僕らがすぐにニートになって死ぬのはこの環境に適応した新人類だからなのだ!
僕たちは未来にまかれた種だ!
といった漂流教室も既に古典であり、本当に先が無い。
どうせ資源もなくなるし、今の反日も戦争に向けての予行演習なので、戦争で死ぬか、資源がなくなって餓えて死ぬか、自殺して死ぬか、なんだかんだで追い詰められて泣きながら死んでいくかしかない。
苦しい死に方が怖かったら自殺するしかない。
兵隊に取られた人は自分だけは助かると思って戦っても確実に死ぬ。死ぬ死ぬ。
あ、でも第二次大戦での日本人の総死者数は310万人しかないので、案外戦争になっても死なないのかもしらん。
でも、俺は死ぬよね。運がないから。
それに僕が生きるために人を殺してもその人の方が価値の在る人だったら僕が死なないといけない。
かといって、僕が死ぬといっても僕の周りの人が死ぬとか言うとムカツクと言うか、死ぬのは俺の専売特許でおまえは生きて幸せになれ!とエドワード・エルリックみたいな事も思わないではないが。
僕が誰かを守るといっても、人間一人が偶然知り合った程度の人に本当に守る価値があるのか。死ぬ状況があるならその状況に流されて死なせたほうがいいのではないか。
ああ、もうダメだ!
死ぬしかない!
というのは、俺が魔界都市京都で生まれて1歳で平家の怨念が渦巻く屋島に行き、広島長崎の原爆教育で幼少期を過ごしてまた京都に戻ってきたというだけかもしらんが。
僕以外の人はもっと世界に適応してるのかなあ?
僕は子供の頃から飛行機が飛ぶたびに原爆が落ちるイメージを見て死を覚悟していたよ。ヒグマの大将みたいにすぐに死を覚悟するよ。
でもガンダムとか響鬼見たかったら死ねないという心理もある。お恥ずかしい限り。
ていうか、富野も100歳まで現役なのであと40年は生きなければならんのだ。
そのとき、おれは63かよ!今の富野かよ!ていうか、俺とトミノはたった40しか違わないのか!
なら、ほとんどトミノも死ぬときは俺と一緒に痛い目に会う世代なのかもしれん。トミノはまだ諦めていないのかもしれない。あるいは、死んで行く世界に対して富野が何をぶつけてくるかと言う興味もある!
なら、富野のネクストステージが在る限り私も生きねば・・・。(ナウシカ
でもその前哨戦であるゼータガンダムに広がるこの不穏な空気はなんだっ!トミノ!
なんだ!このざらっとした感覚は!
「永遠のフォウは島津冴子さんです」と富野喜幸は言う。しかし、フィルムができた時点で監督は責任を認めたことにもなる。
まあ、ゆかなうんぬんは見てから考えるので。10月まで生きねば。