七女さん(仮)もねー!
相手が脳内存在で俺に逆らえないのを良いことに母親の役割を押し付けるのは、恋人を家畜にする事だ!それは・・・人が人に一番やってはいけないことなんだよ!
女たちのところへ戻れ!
女だと?
男も女もどうして、感じる必要の無い寂しさを感じて困らないで良い事で困るんでしょうなあ。
どうして人は誰かを好きになるんだろう?
幸い、僕はこの人ほどじゃないんですけどね。
の水色の服を来てる人のラストシーンのような感覚はあります。(婉曲表現だなあ・・・)
七女さん(仮)、僕の母さんを紹介するよ。とても若くて強くて、おまけに妹なんだ。
「よかったわね、グダちん」
でもそれって対象が三次元女じゃなくて脳内家族に変わっただけで、この人と同根なんだよな。ドイツもこいつも・・・。フランスも。
小説カミーユは電波男過ぎて話的にはポカーン確定なのだが、気持ち的にはシン・クロニ・シティー!
映画版カミーユ・ビダンはモテて良かった。いや、カミーユほどの男だったらモテないほうがおかしいので、それで良いよ。
ファ・ユイリィもしっかりした子だし。
ただ、そういう依存しどころというか、そう言う[役割]をヤッパリ人に求める事はやってはいけないと思うしやれる人もいないでしょう?アニメや小説じゃないんだから。
なのに、みんなやろうとしてるし、やってるつもりになるから、いらない感情が湧いて来るんだッ!
一人で生きて一人で死ねよ!
俺は一人で死んで見せるぞー−−−−ッ!
でも、ソレが辛いから、トミノほどの男ですら世代を重ねる事に救いを求めてしまう・・・。それは正しい。しかし、正し過ぎるが故に、子供を神聖視しすぎて、親が子供に溺れることにもなろう。
オニババ化する女たち 女性の身体性を取り戻す (光文社新書)
- 作者: 三砂ちづる
- 出版社/メーカー: 光文社
- 発売日: 2004/09/18
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そのためには、男がもっとしっかりしなければならないと思う。
三砂ちづる先生は「私は女だから男の役割はわからん。女に導かれれば?」という。富野はですでに、「女性の尻を追いかけながらも、女たちの内にむかう性癖になんとかブレーキをかけてやる寛容さを持つのが男の仕事」仕事と看破しているので、そんな富野を愛しちゃう。
三砂先生もこないだ男性思想家と対談してて「女は出産、男は武道」とか身体性とかゆってたような広告をチラッと見た。
でもなー、武道かー。へっへっへ。俺は弱いしねえ。すんませんねえ。
女性にブレーキをかけるような立派な制御棒はもってませんし、ヤラハタなので使い方も分かりませんや。げへへ。
冗談はさておき、武道というよりは、規範であろうと思うのだが。規律とかマニュアル。建前。
男は女よりも弱いので、そう言うので行動を限定する事で見かけ上の強さを手に入れたほうが良い。
戦後(?)は建前よりも本音が良いという感じにはなったけども建前というシステム自体は良いものだ。
だが、その建前をちゃんと使えていたかというと、建前に従って行動する事を、本音を押し通したり怠けるための方便にしただらしなさがずっとあるよね。
仕事してるからいいだろうみたいなエクスキューズだけでもないんすけど。
武道を修めた人でも、はたして行動原理として常に背筋を正せていたのかというと、愛国心に溢れていた(とゆわれる)明治の男でも多くは無かったのではないか、いても大勢には影響しなかったんじゃないかと状況証拠から判断できる。なにしろ、現在は過去の結果ですからね。アメリカに怒られたくらいで断絶できるか。
ちゃんとした男をやれていた男は今も昔もあんましいない。
(おたくはできもしないからこそマッチョな事を言うなあ。)
それに、こいつのためになら男をやろうと思うようなパートナーにもなかなか出会えないし。
そもそも、男のほとんどはマザコンで自閉症的性質があるからな。よっぽどいい女ではないとそちらにはむかないで、言い訳程度の資金援助に終始する。
女もそれがわかっているから、自分の女としての情動は他の手段にゆがめて発散する術を当たり前の事としていく。
理想的な男女というのはまさしく理想でしかない。
そう言うわけで、出来ない男はできないんだという事をしっかりと分かって自分を安全に閉じる事が、できる男女と社会に対する最低限のルールと矜持だと思います。
うん。できる人はいるよ・・・。そう言う人は僕よりも次元が高いから僕が認識できないだけで、できる人はちゃんと子供が出来たらしっかり働いて、教育とか地域の活動とかして面白おかしく暮らして環境も守るし戦争もなくなってばっちりだ。
この世界がダメなのはできない子が邪魔しているからだ俺とか。A級戦犯とかテロリストとか(笑)。
優生学だ・・・。
しかし、できる男女の社会からも必ずダメ人間や畸形は一定数生まれるし、エネルギー消費の激しい社会においては、事故(精神的事故も含めて)によってできる人が障害者に変質する。ある程度は絶対。
そういうできない人を許容したほうが安定するし、できる人も結果的に安心してできるように成れると思うんだが。そう言う視点が無かったからナチスは上手いこと行かなかったんだと思う。
でも21世紀初頭の人類にそこまでの悟りは要求はできないし、なんだかんだいって僕は骨の髄から非モテかつキモメンなのでヤパシ閉じます。
そういう拘りから逃れようとしないのが僕という人間なのだ。
そのためには脳内恋人たちの気持ちも利用させていただく!涅槃まで同道していただく!
悪いね!
というと、恋人たちは「私は普通の女よりもよっぽど強いわよ?あんたの粗チンでは傷もつかないわね」
だとさ。
妹はエスパーホムンクルスで対性クローンだし、彼女はクシャナ様みたいな経歴の国際公務員だし。
そこまで肥大した妄想が相手じゃないと満たされないというか現実感が無いんだよなあ。
愛されるという事の。
そういう風にしか自分を育ててこられなかった責任は取るつもりだ。
と、いいつつ、こういうブログを晒す事でかわいそうがってもらいたいとか考えてるんですよ。この私は。
純粋すぎるのよ。嫌いじゃないわ。
ありがとー
しかし、責任を取ってる人はあんまり見かけないので、取らなくてもいいのかもしれない・・・。と思う弱さもあるんだが、それよりもオレには金が無い。
金さえあればこの世のすべてはなんとかなる(と思い込んで死ぬまですごせる)、はず・・・?いや、金がある状態というのはセックスよりも想像がつかないんだが。