玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

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機動新世紀ガンダムX第39話「月はいつもそこにある」(最終話)すっげーすっげーおもしろかった!

いやああああ。おもしろかったー!
う〜む。名作だ。

最高。
最初は、結局ガンダムXには悪いけど、∀ガンダムをよりいっそう面白く見るためなのよね - 玖足手帖-アニメ&創作-などという事を書いていた俺だが。
ガンダムエックスもちゃんと面白かったです。
ラストシーンはちゃんと鳥肌が立ちました。ゾクゾクっとグダちんレーダーがビンビンに反応したぞ。よって名作。

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いやあ、ココまで面白かったとは。厨房の時、何となく見てるだけだった俺では全然面白さが分からんかったのが残念極まりない。
せっかく、ガロードと同い年だったのに、ガロードのような強さに共感できない中学生だった。がロードのように人を愛する事の出来ない中学生だった。シンジ君と同じ歳の中二病だった。
まあ、僕は運動が苦手で頭でっかちのアニメオタクだったから、ガロードのようにバイタリティと運動神経がある活発なタイプが苦手だったのかもな。
ガンダムXが当時人気がなかったのは、そういう作品の雰囲気も影響していたのかもしれないな。
アニメオタクには人気を得にくい作品でありながら、ガンダムを知っていた方が面白い作品だからな。アニオタにも一般層にも入りにくい微妙な作品だったのかもしれん。
よく訓練されたガノタで初めて真の味がわかるのではないか。
僕も最近ガノタクンフーを積む事で、やっとガンダムXを見られるようになった気がする。
いや、友人のいおりんは放送当時から今もティファに萌え萌えだったな。うーむ。負けた。
結局、僕が中途半端なガンダムファンだったから、中途半端な知識でガンダムXを拒絶していたのだなあ。
心を開いてガンダムXを一つの作品としてみれば、ちゃんと面白いアニメーション作品だったと言う事でした。
そして、ガンダムXに心を開くために、僕はガンダム信者になり全てのガンダムを見て(エンドレスワルツスターゲイザーだけは見ていないが、近日中に見る)、富野の小説やエッセイやネットでの発言集を読んで、24年前の戦中派の気分を知る事が必要だったのだ。
2年前に、富野小説を読んだ直後に京都精華大学富野由悠季監督と話した時に「富野さんは作家で、天才です!僕もガンダムで未来への希望という刻を見ました!それは事実だ!」と富野に向かって言いました。スゴク痛い行動を平気でするぜ。つーか、あの時の僕の気分は戦中派に近かったのかもしれん。
まあ、戦争が終わった後、ザブングルの年に生まれたものとしては、ガロードのようにまっさらな気持ちでガンダムXを見ることができればよかったのだが。10年前の当時も今も俺はガンダムが好きでガンダムを知ってしまっているので、ガンダムを突き詰める事で愛する道しかないのだな。
つまり、あれだ。今のガノタガノタのオレの生き方は後悔していないぞ。


というわけで、見て、自分の心と知識で考えて受け入れる事は大切な事だと思う。
それこそが、真のニュータイプなのではないかと思うのだ。
「ニュー」タイプを否定するドームの言葉を受け入れた者こそ、新世代を作る者だったように。
僕もガンダムXを見ることで、ガンダムXに対する俗情と結託した評価がガラリと変わった。ガンダムは面白がって見ると、自分の価値観がガツーンとやられる感覚が味わえるので大好きだ。


  • 俗情との結託からの開放

まず、ガンダムXに付いてよく言われる定評について、がらっと印象が変わった。
ガロード・ランの高木渉は親父声だからダメだ、と言われていたが、僕はガロードはちゃんと少年らしいというかガロードらしい演技だったと思うぞ。たしかに、ゲンジ通信あげだまで田中の声をやっていたのだが、ガロードは親父声と言うほどではないと思う。放送当時は30歳か。
もちろん、声というのは個人の感覚だから、僕はそう思っただけなのだが。
ティファ・アディールのかないみかも良かったなあ。キャピキャピなかないみかを無口ヒロインにするのはダメだったという意見を聞いたり、逆に僕は当時32歳だったかないみかがヒロインと言うのはおばさん臭いと思う厨房だったのだが。(エヴァはアスカ派だった)
いやあ、ティファいいよいいよー。
特に後半というかラストのよく喋るようになったティファが可愛すぎる。ぐぉお。
ガロードについていくの?とか聞かれて「はい!」と答えるのとかやばい。一言だけで愛が詰まってる。ラストのガロードと笑いあう所とか「ネッ?ガロード?」とか。やばすぎる。萌えすぎるですよ。
最終回の戦争を終わらせようと言う決意に満ちた物言いも素敵過ぎる。
元気娘が得意なかないみかが9ヶ月間押さえて押さえて、最後に可愛さ元気さを爆発させるという長期作戦演技プランに参った。
新世紀エヴァンゲリオン綾波レイも人間になりたい女の子だったのだが、結局綾波は化け物である自分から逃れられなかった。むしろ、綾波は神である自分の役割を受け入れたように思えるラストだったなと思うのだが。
ティファは超常の力を持つ自分を受け入れつつも役割でなく一人の人間になったのが違いだな。
ティファは綾波パクリヒロインではなかったな。ちゃんとキャラが立ってた。
先入観はいかんよな。
つーか、ティファは目が大きくて睫毛が長くてかわいい。かーわーいーいー。


あと、先入観で多いのはガンダムXは地味と言う物だが。
地味で結構。
演出が地味と言うのは、確信犯的に地味にしているんだろうなあ。これはもう、方針としてそういう演出だと言うのだからなあ。
僕は地味でしっかりと普通の人間の生活の延長としての戦闘を描くのがガンダムのらしさの一つだと思うので、良いんじゃないかなーと思うのだ。
(まあ、Gガンダムはド派手だが大好きなんだがな)
未来少年コナンのようなジュブナイル冒険物を目指していたんだろうなと。そういう方針はスゴク良かったし、面白かった。作品のテーマもそうだし。
ただ、未来少年コナンのほうが冒険物としては面白かったしパワーもあったなあ。うーん。これは事実そう感じちゃったのだからしかたがない。でも、天才宮崎駿や鬼才富野由悠季と同じ路線や土俵で戦おうとしたのは偉いと思う。つか、パヤオとかと比べたらダメだろ。
とは言うものの、よく考えてみればコナンも地味と言われて放送当時は人気がなかったそうだし、今の若い人にもコナンを食わず嫌いする人が多いようだし、よくわからん。


同じく、デザインが地味と言うのも現実的で良いとおもうんだな。本当に居そうなキャラクターばかりだ。髪の毛の色も奇抜な奴は居ないし。赤毛のランスローは・・・。美形だから仕方がないか。(笑)アノくらいの赤毛は実際にもいるか。居るな。
地味だからダメって言うもんじゃないとは思う。
前年に大人気だったエヴァンゲリオンのキャラクターデザインコンセプトはズバリ「地味目」だったと貞本義行氏は言ってるし。ただ、まあ、エヴァ綾波とアスカは派手だったよな。プラグスーツもあざといし。
ガンダムXはそこら辺の、キャラクターを商品として売り込むキャッチーさが足りなかったと言えば、足りなかったよなあ。惜しい。
まー、そこも普通の人間にこそ未来を作る力があるという作品テーマと関連してるんで仕方がない所ではある。
ガロードの服や髪型は現実に居たらちょっとAボーイっぽくてダサいので、Xのデザインは方針の問題ではなく力が足りず惜しいと思う部分も在るがな。
でも、ティファは超萌える。よくよく見たらティファのデザインは矢鱈と神々しく美しいのでやばい。
カリスやフロスト兄弟も良く見たらハデだよな。髪の毛の色とかはアニメっぽい極彩色ではないにしろ。人間らしい色使いの中で、キャラクター性をちゃんと整理してデザインしようと言う感じはすごいある。
でも、ガロードのジーンズはだせえ。


メカデザもそうだな。
厨房の時はおもちゃを売り込むためだけのデザインに見えてむかついたのだが、今回見直したらそこは案外気にならなかった。
逆に、GXの機能美と白と青の上品な配色がかなりツボに入った。
でも、レオパルドとエアマスターはやっぱりおもちゃっぽくてウーンなのだが。でも、中坊のころのように目くじらを立てることがなくなったのは俺も丸くなったなあ。中坊の頃はあざといパワーアップも許せんかったのだが、大人の目で見ると赤と青で判りやすくカッコよくなったので良いかなーみたいな。
ガンダムダブルエックスも大艦巨砲主義で鈍重でメッキパーツいっぱいのおもちゃガンダムでデザイン的にもつまらないし、ヒゲはキモイと思ってたのだが、
演出をちゃんと見てみると大砲はそれほど売ってないし、アニメーターが上手くウソをついたのでリフレクターやサテライトキャノンがまるで羽根のような感じでX型がカッコよかったし、動きが良いのでスマートにも見えたし、ヒゲは・・・まあ、そんなに気にならなかった(意味はわからんが)。
ダブルエックスも結構カッコいいとおもうようになった。
Gファルコンも案外アニメで動いてるのを見るとスマートでカッコよかったし、色も赤と青の割に落ち着いた配色に見えて許せるようになってた。つーか、ファーストのテレビシリーズを見直して見ると、俺はGパーツも許せる人だった。結構好きです。トンでもメカだが、富野も高松監督も真面目に演出してたし。
雑魚メカが地味なのは、初代のモビルスーツも同じくらい地味だし、ファーストガンダムのオマージュなのだからいいと思う。
ま、これも演出やキャラデザと同じで、同じ地味路線でもファーストの奇跡的な完成度にはかなわないのだが。
でも、明らかにミノフスキーフライトを標準装備していそうなモビルスーツもたくさん出てきたんで、Vガンダムの後の時代だと思って見たら結構メカにも興奮できたな。
ガンダムの装甲がルナ・チタニウムというのはVの後ではないのかも試練が、Vガンダムもガンダリウムではなくてガンダリウム合金スーパーセラミック複合材だし、材質は揺れ動いててルナチタニウムに戻ったのかもしれん。ファースト厨のあきまん説ではルナチタニウムはガンダリウムよりもつおいらしい。
でも、ガンダムルナチタニウムは結構ヒートホークでも穴が開いたりしていたんだが。Xのガンダムは異常に固いなあ。(そのわりにベルティゴのビットでGXが半壊するけど)


それに、地味目にしなければならなかったという必要条件もあるように感じた。
なにしろ、コロニーレーザー級の兵器を積んだガンダムが主役だしな・・・。充分派手だろ。演出とかで盛り上げなくても。
モビルスーツをビットで操るのとかやりすぎだろ。
逆に派手派手しくやったらガンダムSEEDになっちゃうよ。
まー、ガンダムシードは売れましたけどねえ。そこら辺はガンダムXを上手く反面教師にして売る事には成功したと思うんだけど、SEEDはどうも僕にとっては売れただけの印象。全部見たけど他のガンダムで感じた、価値観をガツーンとやられる感動はなかったな。
機動戦士ガンダムSEEDは「サイレント・ラン」という異常に地味な話だけは大好きだったのだが。
シードはハデ路線に行っちゃったしなあ。
なにしろ、キャラクターデザインが秀逸だというだけの理由で人気を得たイザークが難民船を撃ち落したのにお咎め無しだからな。イザークはキャラも声優も好きだが、許さない。
まあ、シードの悪口はいいや。
アレはアレで大人が軽く見るのにはちょうどいいし、大人になりたい中学生が大人っぽく考えた気分になるのにもちょうど良いし、子供が単純に絵が動いているのを見るだけで面白がるのにもちょうど良いし、僕の口には合わないけど悪くはないとは思う。ただし、あんな低俗プロダクションフィルム、大ッ嫌いです!


えっと、ガンダムXが地味にならざるを得なかった条件として、後はやっぱり戦後の空気を描くためだろうねえ。
これは、単に物資がなくて地味って言うだけじゃなくて(その割にトニアはお洒落さんだったな)、ハデにしたら逆に陰惨になるからな。
つまりどういうことかというと、1話でガロードに取り押さえられたモヒカン族が町の人に釘バットとか柳葉包丁とかで取り囲まれて「助けてくれー」なんだが。
あそこを派手にやってしまうと、手塚治虫の自伝萬画とかガンダムSEED竹田菁滋プロデューサーが好きな路線になっちゃうよ。
っていうか、釘バットを見ただけで俺は気持ち悪くなったし。絶対あいつ惨殺されるもんな。
そんで人が簡単に死ぬ時代設定だから、地味に、淡々とした雰囲気を作らないといけなかったんだろうなあと思う。
が、そこが逆にモビルスーツに乗ってる一般兵の死を全く描写しなかったとか、主役連中に銃撃された兵士をぼかしたりとか、味方には銃弾があたらんとか、ガンダムの強さが演出によって変わりすぎとか、やっぱり気になるところも在るには在るんだし、こういう人死にとかの演出はデリケートだなーと思う。
ただ、ガンダムSEEDのように頭や手足を撃てば殺した事にならないよー。と言う演出ではなく、最低限キッチリ敵の兵士は殺していた所はよいと思う。
特に、最終戦でランスローが新連邦のモビルスーツを撃墜しながら「無駄死にをするな!」というのはガンダムっぽいしグッド。ガロードが撃ちたくないけど反射的にカリスを撃つのもグッド。つか、絶対カリスは心臓を撃たれてるのに頑丈すぎる。でも、カリスはいい奴なので生きてて良いか。
つーかメインキャラは死なねえな。そこら辺も見ててストレスがないように計算されてるんだろうなあ。センセーショナルな感動はないけど。
その分逆に、カトックとかマイルズとかロアビィの元カノとかルチルとかニコルとかのサブキャラの死がちゃんと重い。人がちゃんと死ぬ世界観だと言う事は厳然と在る。


そう考えると、ガンダムSEEDガンダムXは真反対の作品なんだなあ。


ガンダムXが地味だと言うのは確かに、やっぱり地味だな。いろいろと惜しいところもあるし。でも、地味だからダメって言う事はないな。
極少ない要所要所ではちゃんとカタルシスのある演出もあったし。サテライトランチャーとツインサテライトキャノンのラストシューティングは、サテライトキャノンを打ちまくらないからこそ、重みのある一撃だったし。



というわけで、長文スマン。
ガンダムXは先入観を取り去って見たら面白かったと言う事が言いたいのだ。

その、ガンダムXはドラマとしても面白かったんだけども、監督自らが「ガンダムを考えるガンダム」と銘打っているし。最終回のファーストニュータイプを巡る対話はものすごいガンダム的にショッキングなので、ちょっと書いてみようと思う。
つーか、D.O.M.E.の出現はオープニングからちゃんと匂わせてあったので当初の予定どうりだとは思うのだが、デウス・エクス・マキーナもいいところで反則過ぎる。
それに、ドームがどうこう言ったところで、所詮言葉に過ぎないわけで、現実を動かす事ではない。(これはちゃんとフォローされていたが)
いくらファーストニュータイプの力が強いからといって、その言葉を鵜呑みにして正しいと認定するほどでもない。
ティファが「この戦争がニュータイプを巡る人々の対立で起こっているから、それが何なのか皆に知って貰いたい」というのだが、アノ戦争はニュータイプだけが原因で起こってるわけじゃないと思うんだが。事実、ニュータイプがどうこうと言うのは指導者の方便で、国家の対立にはもっと利害とか怨恨の方が大きいと思うぞ。
ニュータイプを巡って動いてたのはジャミルとフロスト兄弟くらいの物ではないかと思う。
そういうわけで冷静に考えると、ドームを押さえた方が戦争に勝利するとかいう展開になって、終局の盛り上がりをドームにもっていったのは反則っぽくて微妙。それはずるいんじゃないかと思う。
結局、戦争を終結に導いたのはドームやガロードではなくてフロスト兄弟が首脳を殺したからのような物だし。
どうも、構成としてニュータイプを否定するという展開は、ドラマにとって必要だったのか疑問に思う。


なのだが、本放送時にまじめにガンダムXを見ていなかったのにこの最終回を見たときにはえらい衝撃を受けた覚えがある。
この時、マイトガインとゴルドランの最終回を見逃していて、エヴァンゲリオンの最終回もビデオリリースの遅れから見ていなかった僕は、初めてメタフィクションのアニメ最終回を見た気がするのだ。それに、いくら当時の僕がぬるすぎるガノタでも、ニュータイプと言う言葉は知っていた。そして、その言葉を捨てろというドームの言葉は刺激的だった。
それからガンダムXはいつかちゃんと見なければいけない作品だと思って、10年経つのがおれのアレなところなんだが。
やっぱり、この展開が在ってこそのガンダムXだなあと、理屈を越えた所で思う。
反則だとは思うのだが、それ以上に面白いと思っちゃったんだから仕方がない。


というわけで、最終回を再見。
にしても、ファーストニュータイプの声ってスゴク優しくて良いな。光岡湧太郎さんは俳優メインで突入せよ! あさま山荘事件とかにでているそうだが、声優としての仕事は少ないみたいで残念だ。この声のいうことなら何でも聞いてしまいそうだ。
では、彼の言い分を聞いてみましょう。

機動新世紀ガンダムXの精「アレがガンダム。放送から10年以上経ってもなお存在するファーストガンダムと呼ばれるものの意思。」
X大好き視聴者「ここが、ガンダムXの求めた最終回なんだな」
X「私はグダグダシリーズ延長と言う過ちを繰り返させたくない。このアニメシリーズがガンダムを巡るファンとか製作者の利害で起こるのなら、それがなんなのか、みんなに知ってもらいたい。
それに、ガンダムX自身もまとめたいの」
機動戦士ガンダムの精「よく最終回までたどり着いたね。ガンダムX。」
X「スタッフが頑張ってくれたから」
G「拒絶した人も居るようだけど」
X「ええ、良作よりもヒット作の名声を求めているんです」
G「ヒット作か、よくも飽きずに続ける物だ。
ガンダムを聖書のように崇拝する者、グッズに封印しキャラクターブランドだけを利用し儲けようとするもの。かつて劇場公開をせしめた力を持っていたもの。みんなそれぞれにガンダムという言葉を捉えている。
そしてそれがまた、次のガンダム論争の引き金になろうとしている。
でもそれは、ある意味では仕方がない事かもしれない。僕らはガンダムという幻想で繋がった世代なのだから」
ガンダムシリーズを戦後15年見つづけてきたファースト世代ガノタガンダムが幻想だと言うのか!」
スポンサー「馬鹿な!」
アニメ制作会社「ファーストガンダム自らがなぜその様な事を言う!己を幻と定義するなら、ガンダムの大ヒットはどう説明する!」
G「それは、僕にある力によるものだ」
ファースト世代ガノタ「その力こそアニメの革新、アニメ新世紀と呼ばれる力ではないのか!?」
G「そう思いたい気持ちは理解できるけど、残念ながらそれは違う。
アニメを越えた面白さと、アニメの革新とは別の事なんだよ。」
G「かつて、日本文化は全ての価値観を失っていた。道を示すべきメインカルチャーは停滞し、平和と豊かさの中で、僕らは何かを求めつづけていた。
そんな世界にアニメが起きた。やがて、ガンダムが生まれた。
ガンダムになぜ力があったのか、それはガンダム自身にもわからない。人が言うように、時代が生んだ突然変異だったのかもしれない。だけど、ガンダムのヒットは新たなる価値観となってしまった。それが、アニメ新世紀(ニュータイプ)と言う言葉だった。
ガンダムの終わりとともにニュータイプという言葉も消えるべきだった。
けれども、それに囚われてしまった人びとは、その次のニュータイプ作品、ガンダムのシリーズ化を求めてしまった。」
スポンサー「ガンダム新シリーズは未来のヒット作を作らないのか」
G「そうだ。それと同時に、旧作の売上にしがみつき、それを利用しようとする事しか考えなかった物にも未来は作れない」
スポンサー「うぐぅ・・・」
アニメ制作会社「私にとって、ガンダムシリーズとは信じるべき物なのだ!今になって否定しろと言われても、それは不可能だ!」
G「アニメ屋自身がガンダムっぽかったら売れるみたいな信仰に陥っている限り、アニメ業界にも未来はない」
アニメ制作会社「はわわ」
ファースト世代ガノタ「では私にも答えをくれ」
Xファン「30代ガノタニート・・・」
ファースト世代ガノタ「私はあの時、少年だった。自分がニュータイプだと信じて戦ったのだ。そしてアニメが文化として認められる刻を見た。未来を感じた。それがすべて幻だったと言うのか。」
X:Gを見つめる
ファースト世代ガノタ「答えてくれ!たのむ!」
G:戦中派なら誰でも涙する津波を起こす。(ジャミルは前期OPのガンダムXと同じアングルに立つ)
G「そう、全ては幻(気の持ちよう)だ。例えどんな未来が見えたとしても、それを現実のものとしない限りは、それは手に入らない物なんだよ。
ガンダムシリーズを求めてさすらう時代はもう終わったんだよ。そして、君たちは新しい未来の文化を作っていかなきゃならない。」
ファースト世代ガノタ「新しい未来を作る・・・」(30代ニートにはきついっす)
G「それは不可能な事ではない。そこにいる少年は、それを繰り返してきた。
そうだろう?周りの不評を気にせず最終回まで付き合ってくれた我が道を行く視聴者(の理想)!」
Xファン「え?オレ?」
G「君は、ガンダムXガンダムシリーズゆえに陥りそうな展開をことごとく変えてきた。」
Xファン(であり、Xの主人公、であり脚本?)「俺はただ、ガンダムXのことをおもしろいなあと思っただけで、特別な力なんてないし」*1
G「その心の強さが君に展開を変える強さを与えたんだ。そして、それは80年代の乱痴気騒ぎを知らない世代に共通した希望の光だ(といいなあ)。古い作品の固定観念に縛られず、新しい作品を楽しむ力がある(ようになってくれよ視聴者)。」
ファースト世代ガノタガンダムシリーズは新世代の文化という肩書きにこだわっていたのは、スポンサーや制作サイドだけではなかった。私自身が、誰よりも新世紀アニメという言葉に縛られていたのか・・・」(グラサンを外して特に美形でもない普通の人間の顔をさらしてみる)
(ファースト世代仲間やアニメスタッフやおたくサークルの後輩が30代ニートの素顔をありのままに認めて温かく見守ってくれる。)
ファースト世代クリエイター「ガノタ・・・」
G「ガンダムXの人。」
X「はい」
G「君は、Xのファンをゲットして初めて、自分のガンダムシリーズとしての力を求めたね。ヒットしたいとすら思った」
X「Xファンと生きる未来を悲しい時代にしたくなかったから」
G「今も、自分に与えられたガンダム力を認めているかい?」
X「しかたのない事だと思います。でも、できることなら普通のアニメとして暮らしたい」
G「なら、ガンダムシリーズという固定観念を捨てればいい。それで願いはかなうはずだ」
X「うん」
G「これで、ガンダム「シリーズ」と呼ぶべきものはこの世界(ガンダムXの作品世界か?アニメ界か?)にはいない。そして、ボクもビデオ屋の棚に帰る。」
スポンサー「待て!これほどの経済効果を見せながら!」
アニメ制作会社「行かないでくれ!新世紀のアニメ文化がなければ我々はどうなる!」
ファースト世代クリエイター「おやめください!そんな物はなかったですよ。はじめから。
そうだろ、ガノタニート
ファースト世代ガノタ「(うむ)」
0083世代女子(やっぱりガノタはカッコいいわ)
0083世代男子(ファーストガノタにはかなわん。ちぇっ)
G「ガンダムXに関わったみんな。古い時代はこれで終わりだ。(ガンダムが面白いからって15年も「ガンダムはそれ以前のロボットモノには無いリアルで革新的な作品」とか「ガンダムらしさこそが重要だ」とか「宇宙世紀以外は認めない」とか「これがリアルガンダムだ」とか言いつづける事の方が古臭いッちゅうねん。バカジャネーノ。ガンダムはただの面白アニメ。Xも面白アニメ。)」
何か光って説教タイム終わり。

原文は載せないでおく。
非常に面白いなあ。非常に思想ゲリラ的な尖った言葉だな。そして暗号としては非常に判りやすい。
まあ、ニュータイプの言い換えとしてガンダムシリーズとアニメ新世紀宣言と、その後のガンダム模倣アニメがごっちゃにしているんだが。
僕にはこういう風に聞こえました。
にしても、直接的な視聴者へのメッセージでありながら、記号的な暗号ではなく、ちゃんとキャラクターが言いそうなセリフになっているところが上手いなあ。それは9ヶ月間のキャラ描写の積み重ねの成果でも在るな。
そんで、ニュータイプ理論もメタ部分だけで無く、ちゃんとティファたちに対するメッセージになってるのがいい。
ティファは強い子だけど、決して他の人類とは違う新しい進歩した物とか次の時代の責任や希望を押し付けられる物じゃなくって、ただ単にそういう個性のある子なんだからのほほんと自分の幸せを求めたらいいよ。
ティファはみんなにニュータイプニュータイプと言われてたけど、ティファは「ニュー」タイプじゃなくてティファタイプ。だから、人と比べて新しいとか、人類全体にとってどうだとか考えなくていいよ。
これが、解体されて個人の幸せをつかめずに、ずっと15年間月からティファを見守ってきた男の言葉だと思うと、泣ける。
それで、ニュータイプは人の革新ではないから、「ニュー」タイプだけに人の革新を押し付けないで皆で毎日明日を「ニュー」タイプにするために頑張ろうよ、とガロードや他のキャラクターにも語りかけていて、ファーストニュータイプはいい奴だなあ。


そんで、「ニュータイプはただの超能力者だ」と言ったとされる事が多いガンダムXですが、僕はそうは思わなかった。
だって、ティファはただの超能力者以上に魅力的だし、ファーストニュータイプもいい奴だった。だから、「Xのニュータイプはただの超能力者。踏み込みが足りない」という解釈はしたくないの。
ただし、ニュータイプに超能力的側面もあるということもちゃんと描いていたとも思う。
つか、ファーストガンダムでも既に「ニュータイプ=エスパー」という見方はあったわけだし。
と、同時にファーストは「ニュータイプ=戦争なんてせんですむ人類」「ニュータイプ=宇宙に出た優良種」「ニュータイプ=未来を感じられる人」「ニュータイプサイコミュ兵器適合者」「ニュータイプ=誤解なく分かり合える人」「ニュータイプ=権力に翻弄される道具」という後のニュータイプ観が全て出ているし、しかもごちゃごちゃ。
しかも、ニュータイプという言葉自体は単に「新型」。どうとでも取れる。
富野も罪作りなネーミングと設定をするよなあ。まあ、それがトミノの凄い所なんだけど。本能的なマーケティング戦略か。
んで、高松信司監督自身もそれは判っていたと思うのだな。そこらへんはザイデル総統やブラッドマン卿が単なる制作会社やスポンサーのメタファーというだけでなく、今までガンダムに登場したニュータイプに関わる人と同じようなセリフを吐くということからもわかる。
高松監督自身もガンダムオタク世代だろうし、監督自身がガンダムについて本気出して考えてみた軌跡がわかる。
それは他にも、全39話に出てきた強化人間とか地球至上主義者とかZZに出てきたような地方の小国民とかエゥーゴもどきとか戦場において覚醒する歴代ニュータイプ能力者達のメタファー(白い悪魔アムロ、多重人格はカミーユ、重装甲はジュドーをキモくしたメタファか?覚醒したアベル・バウアーはロンドベルアムロか?あるいは、子犬を愛でるのはヒイロ、死にたがりはシャアやトレーズをイメージしていたかも?)等等によって、ガンダムの世界の総括を執拗に行なおうとしていた点から感じられる。(∀に先駆けて同じ事をしていたと言うのは驚きだ!)
それくらいガンダムに本気だった高松監督が(ある意味トミーノよりも本気だったかもしれない。ガンダムで人生が変わった若者という点で)、ガンダムXにおいて「ニュータイプ=ただの超能力者」というだけの論法だったとは思えないわけだ。高松監督は多分俺よりもよっぽどガノタ
ガンダムXにおいて、超能力者がニュータイプと呼ばれてしまったが、だからと言って超能力者がニュータイプではないとは思いたくない。超能力は超能力として、人の革新もあるのだと思う。


それで、トミーノ自身の言うニュータイプの定義で、僕が一番納得できるのはやはり

真のニュータイプとは、今までのニュータイプ論で描いた精神的な共感に加えて肉体的な体感を持ち、それらを隣の人を大事にするために活かすことができる人である

という、ゆるい物だ。最新版定義ファイルだ。
「誤解なく分かり合おうとする人」だ。その観点で言うと、ファーストニュータイプは正しく思惟を伝達できる物だし、ティファ・アディールは最後にはガロードと心を通わせた。なら、ニュータイプといってよいんじゃないか?と感じる。
とすると、ティファはニュータイプであったのではなく、ニュータイプになったという見方もできるか・・・。
最初のティファは超能力は使えても、人と交わる事を怖れている子だった。それが、だんだん、愛の力で、心を開いて!キスして、相手の心をもっと知りたいと思う!
これこそニュータイプじゃネえの!
それは僕がトミノ信者だから、面白いガンダムを富野に引き寄せて考えて認めたいという欲による物かもしれないのだが・・・。
たしかに、ティファは夢で予言をしたり、心を読んだり、超能力的な部分はある。それはニュータイプと呼ばれるものの一つの要素でもある。
そして、それは幻、ただの力だとファーストニュータイプは否定した。
ただし、だからといって人の革新としてのニュータイプは否定されたのか?ファーストニュータイプジャミルが超能力で見た刻は幻だと言った。だが、自らの力で幻を現実にして行く事は否定していないし、それこそが希望の光だと語っているじゃないか。
ならば、新しい時代を切り開く事と新しい能力は別だといっているだけで、ニュータイプの力も、人が変わっていく事も否定はしていない。
むしろ、オールドタイプでも、超能力とかニューエイジっぽいアレを求めなくても、地に足をつけてがんばればニュータイプな世界を作れるんだよ。という非常にまっとうな主張なんだよなあ。
当時のオウム真理教に対するカウンターにもなっている。高松スゲエジャン。



で、僕が言いたいのは、ティファは「ただの超能力者」であると同時に「人の革新」。ガロードは「ただの人間」であると同時に「人の革新」なんじゃないかということです。
それで、ティファのラストの笑顔は可愛すぎるのでやばい。


つーか、ニュータイプって言う言葉が何重もの掛詞になってるのがやっぱりややこしいいんだよ!
すげえつかれた。



にしても、同時期の富野由悠季によるニュータイプの否定、クロスボーンガンダムと、僕の中ではビックリするほど矛盾を生じないのがすごいな。
僕は、クロスボーン・ガンダムも(あとVガンダム外伝も)非常に感動したので、ガンダムXがクロボンと矛盾をしないかどうか、極個人的な心配をしていたのだが。どちらも面白かったので嬉しい。
(悪役の歪みップリは甲乙つけがたいし、どっちも自己中過ぎるが、今はフロストの方が萌えるかも)
クロスボーンガンダムで、ニュータイプを衝撃的に評したトビアの手紙が少年エースに掲載されたのが、1996年12月号。

あなたは12kmの山道を歩くことができますか?
それは僕たち宇宙育ちから見ればとんでもない能力なんです。
でも、それは”進化”したわけではなく人間がもともと持っている力───”環境”に合わせて身につく人間自身の力───
だからカンが鋭かったり先読みがきいたりするNTの力も単に宇宙という環境に適応しただけで、ぼくらはまだ昔と同じ”人間”なのでしょう。


しかしもっと長い長い年月をかけていつか人は”ニュータイプ”に進化するでしょう。
でも、やがてくる新しい力に期待する前に、僕は”人間”としてやれることがまだ残っているのじゃないかと思うのです。

富野由悠季御大と長谷川裕一先生も高松信司監督と川崎ヒロユキ氏とほとんど同時期に、ほぼ同じ見解に達している。ガンダムXの最終回が1996年12月28日。そして、どちらもXを冠するガンダム
つかシンクロニシティ?こいつら、ニュータイプか?
ガンダムXの設定協力に「長谷川裕一カトキハジメ」とあるが、これはXというのが似ているので、パクリではないという政治的理由でクレジットされただけと言うことがwikiガンダムXの欄に書いてあり、二つの作品のスタッフ間の交流はなかったと思える。
で、ありながらまるで謀ったように同じ刻に同じ理念の作品が生まれているのだ。
だから、富野信者である僕も、だからこそ、ガンダムXにはビビビーン!と鳥肌が立ったわけだ。
と、すると、やはり信者としては、
ガンダムはただのアニメ作品ではなく、刻が生み出す、その時代最強のアニメロボ!
といういささかオーラ力的な信仰を感じてしまうところでもあるわけだ。
ガンダムXは「ガンダムシリーズだからって特別扱いすんなよ」という主張をしたわけだが。
うん!それはわかった!
ちゃんと作品としても面白いと思う!
でもね、やっぱりガンダムはアチキにとって特別なのらあああああアッー!
ガンダム大好シ!


つか、やっぱり、地に足をつけて俺も頑張らんと、、、こんな深夜までアニメについてブログを書いてる場合じゃない・・・。
でも、ガンダム大好きすぎる。ガンダムの事になると俺は頭に血が昇りすぎる。
ガンダムが美少女なら結婚したい。



あと、こう考えてみると、フロスト兄弟もニュータイプと自分たちを思えば、ニュータイプとなれたんだろうな、と思いついた。ニュータイプという言葉を捨てる事でティファは救われたが、彼等は逆で。
フロスト兄弟はカテゴリーFだが、同じような能力を持つ双子の鋼鉄の七人のカリスト兄弟はニュータイプ養成学校のエリートであり、サイキッカーを自認している。言葉の定義はそんな物だ。
単に、フロスト兄弟はそれがニュータイプと認められない環境に居たというだけなのだ。
周りからニュータイプではないという幻を強制されたのが不幸だな。
他人がどういおうと、自分がどうだろうと、そもそもニュータイプかどうかなんて気にしないで、できる事を頑張れよ。
そういう風にドームに言ってもらえれば、よかったのにねええええええ。かわいそうだ。
ある意味、ニュータイプを殺していた彼等が一番ニュータイプにこだわって、ニュータイプに憧れていたようにも見える。


あと、今思うと、ザイデル総統が「ティファは力を持っているけど、地球生まれだからニュータイプとは認めぬ!」というのは、間違いすぎて逆に正しかったのか。


ニュータイプについて語ると軽く3日は徹夜できるな。もうやめたい。

  • ザイデルとブラッドマン

軍事的には、ダリア作戦を失敗させた月マイクロウェーブ送電施設を宇宙革命軍が占領を狙うのは正しいし、そこに集合した革命軍に戦闘を仕掛ける新連邦軍もありえそうなんだが。
あくまで、マイクロウェーブであって、ファーストニュータイプが眠るドームにザイデルとブラッドマンが個人的にこだわる理由が良くわからなかった。ティファに心を読まれたときに、二人ともドームをキーワードにしていたんだから、すごくドームを気にしてるよな。
やっぱり、ドームの説教タイムを描きたかったという楽屋の論理か?
だって、ファーストニュータイプって、もう解体されてるし、手に入れて何かメリットがあったんかねエ?
新連邦は能力としてのニュータイプの研究を熱心にしていたので、そのデータを手に入れたかったのだろうか?
ザイデルもブラッドマンもファーストニュータイプが生きているとは思っていなかったっぽいし。
でも、ドームに触れれば戦局が有利になるとか何か利益があると思っていたっぽい。
ブラッドマンはファーストニュータイプが解体されていたことを知っていたが。
どうするつもりだったのでしょうか。
ちょっと見直してみた。
ブラッドマンが言うには、ファーストニュータイプのデータを保管したのは、「地球に対して劣等感を抱くスペースノイドが、ニュータイプの発生を宇宙移民と結びつけた思想を阻むため」と言う。
つまり、ブラッドマン側の見解では、ファーストニュータイプは宇宙移民とは無関係のメカニズムで発生したと立証できているという事になるか。んで、それをコロニー側に公表することで、ニュータイプを宗教として結束した宇宙革命軍の士気を殺ごうという作戦があったのだろうか。


うーん。でも、まだ理性的で利益を問題にしていて、個人的なこだわりというには弱い気がする。


老人達にとっても15年前のニュータイプの発生は衝撃的だったという事なのだろうか?
あ、そうだ。
15年前は劇場版公開の年で、それが終戦なんだが。
ファーストニュータイプはその前から生まれているので、テレビ版かなあ。



  • メタアニメ業界’96

一方その頃、ガンダムに似てるけどガンダムではない烙印を押されたオリジナルロボットアニメ(たぶんバルディオスとかの怨念、もしくはガンダムの鬼子のエヴァンゲリオン)が過ちを繰り返そうとして、ガンダムシリーズのエネルギーを横取りして最終兵器(皆殺しエンド)を使用しようとしてました。
某ロボアニメ「さあ、やろう兄さん」
某ロボアニメ「われらのセカイに栄光あれ」
そこに、ガンダムの呪縛から開放されたガンダムたちが出てきます。
某ロボアニメ「作戦変更だ」
スポンサー「あれ?ロボットアニメは一時中断じゃなかったのか?」
アニメ制作会社「くそっ!謀ったなバンダイめ。エヴァにも資本提供してたのか!エヴァは潰す!」
スポンサー「サンライズ、こちらにケンカを売っています!」
アニメ制作会社「オールドタイプのサラリーマンどもめ!」
超メガヒットエヴァンゲリオン接近!
アニメ制作会社「ぎゃー!」
スポンサー「庵野か、でかした、ぎゃー!」
某「勝利者はバンダイでもサンライズでもない、われわれ変態アニメーションだ」
ガンダムから開放されたかっこいいガンダム「貴様らー!」
どかーん
ガンダム「なぜグダグダにした!味方の会社まで!」
某「やつらはここに来てなおもガンダムっぽいアニメを求めた。だから最終回はぶち壊しなのだ。」
某「逆シャアでデザインを没にされたし、ガンダムは僕らにとって天敵だからね。もちろん、Xも同じだよ。」
ガンダム「お前達ももう一回ファーストガンダムのテレビシリーズを見てくれば!」
某「そんな必要はない!」
どかーん。ガンダム軍団参上!
某「最後の最後まで邪魔をしてくれる」
どかーん
ファーストガノタ「厨房!」
ガンダム「やつらは、15年前の祭りを再現しようとしている」
ファーストガノタ「なんだと!」
0080世代「だったら、ぼさっとしてるんじゃねえ!」
0083世代「あやまちは繰り返さない、なんでしょ!」
ビデオ視聴世代「ここはまかせて!」
SD世代「はやく!」
ファーストガノタ「頼んだぞ!ガンダム!」
某「さあやろう、兄さん。僕らの時代の幕開けだ」
某「ガンダムからパクったファン層、充填!」エヴァンゲリオンの悪魔の翼が光る!
そこへ立ちふさがるガンダム様!
某「あれは!ガンダム!」
ガンダム様「あやまちは、くりかえさせない!」
ファーストガンダムのご加護の元に、ガンダムDXの翼が光る!
某「ば、馬鹿な!アニメファンの人気はこちらの手中にあるはず!」
某「兄さん!」
某「ガンダムXを潰す!」
某「でも、まだ制作が!」
某「かまわん!」
魔法学園ルナ発射!
ガンダム様「させるかぁああ!」
ガンダムエックスこん身の一撃!
どかーん!
イデオンみたく装甲がはげてベコベコになるエヴァガンダムX
ファーストガンダムも吹き飛ぶ。




数ヵ月後、ガンダムに関わった人たちはそれぞれの道を探し始めていた。
放送期間を終えたガンダムXはそのファンと幸せに暮らしました。
あと、エヴァンゲリオンも大きな傷を負ったけど生き延びた。
おわり。

みたいな?
僕自身もフロスト兄弟がエヴァンゲリオンと言う例えになるとは思ってもみなかったが、そう思った今。
まあ、僕はエヴァンゲリオンも見返してみると、演出や気分が気持ち悪かったけど、スターシードに振り回される普通の人を描いたSFとして面白かったし、そういうのに共感した自分も認めざるを得ない。
高松監督がフロスト兄弟をエヴァになぞらえていたかどうかは正直わからんし、たぶんそうじゃないと思うんだが、フロスト兄弟がガンダムに成ろうとしてなれなかったアニメだという推測はそれほど外れてないと思う。
それで、高松監督も勇者シリーズをやってたし、そういうオリジナルロボットアニメを頭から否定する事はない人だと思う。だけど、オリジナルでありながらガンダムっぽさに拘るのは危険だぞ、という自戒も兼ねて、あの二人が登場したんじゃないかと思います。
それに、フロスト兄弟はかなりスタッフサイドに愛されてるキャラクターだなあと思うし。つか、高松監督も作家性ダダもれな傾向があるので、同族嫌悪と自己愛のようなエンディングとして、アレだったような気がするぞ。
だから、殺せなかったんだろうな。
つか、高松監督も最近は円くなったと思うが。銀魂は映らないので見てないのだが。あと忙しいし。
でも、モビルスーツを出しちゃったりしてるか・・・。それでも思想的には丸くなったな。これでも。今もメタやってるの?

  • しかし、その後のアニメ界は

見事に過ちを繰り返して、ポストガンダムのかわりにポストエヴァの粗製濫造が・・・。
じゃあ、やっぱり、「最後の勝利者」はフロスト兄弟的な「ガンダムに似たアニメ」「ガンダムを繰り返したいアニメ」だったのかあああ?
それもグダグダになり、現実のアニメ界は悲しい時代になった。

559 :通常の名無しさんの3倍:2007/03/20(火) 23:06:17 ID:???
エヴァがブームになった時にスタッフが一番頭を抱えたのが
パロディが通じないことだったという。
エヴァはわかる人にはわかるパロディの宝庫なのだが、元ネタがマイナーだったり古かったりするせいか
思いのほか観ている人に通じず、まるでオリジナルの演出であり、尚且つ優れた斬新な手法であるかのように語られて参ったという。
言ってみればダイコンフィルムの直系であるエヴァだったのだが
都市伝説じゃて


今はガンダムですら、昔のガンダムの売れそうな要素を前後の文脈を無視して切り取り、何も考えずにファッションとして張り合わせただけのキメラ・ガンダムとしてガンダムSEEDを作るようになった。そして、視聴者側も何が面白いのか、どうしておもしろいのか、考えないで、興味すら持たないで、条件反射的に「人が死んだから考えさせられる」「おっさんの軍人が語るから渋い」「美少女が平和を願うから正しい」etc・・・レベル。
まあ、昔から大衆はそんな物だったのだが、オタク文化が一般化した結果、その程度の感受性で自分はマニアだと思ってそれを脆弱な自意識のヨリシロとする者がファンを騙る。
そして、そんなものがクリエイターになる。
劣化コピー劣化コピーだ。

だんだん、何故面白いのかわからなくなっていく。どうすればおもしろくできるかを考えずに、「ただ、昔の作品でこういうキャラが居たから」「こういう場面があったから」「こういう構図があったから」「売れると思います」
そんで、事実売れる。
それでは文化も糞もないだろう!
つか、それってアニメ界だけでないよな。官僚の前例主義、ファミレスコンビニのマニュアル主義、科学者だって捏造や盗作を生活のためにやる。大国の軍隊も自衛隊も全盛期の理論を引きずったまま戦争をしているし。政治や外交においても「普通の国」になりましょう、なんていうフレーズが何の疑問もなく交わされている。
どっちを向いても、思考停止。どっちを見ても、利益優先。
おいらは寂しいスペースマン。
後からバッサリだ!
「マニュアル通りにやっていますというのは、アホの言うことだ!」
そりゃあ、たしかに富野由悠季は天才さ。富野由悠季の言葉をコピペするだけで、一寸した事を書いているように思えるさ。
それに、優れた文学と言う物が愚民の思考を成長させる、愚民はそれを見て言葉を覚える、それで思考ができるようになると言うのも事実だ。それが文学の存在意義でもある。



それは、寂しいよね。
人間は自分で考えて、自分の足でうろうろして、自分の手で何々するのが醍醐味なのに。
人の作った言葉、人の作った表情、人の作った思考で生きて、生き甲斐がない、生きにくい世の中だとみんな揃って言いながら死んでいく。
そういう寒い時代が、今なのだ。それを作り出したのは僕たち世代なんだ。
結局、ガロード世代の俺たちに、ガロードほどのバイタリティーや、自分で好きなものを見抜く力、好きな物を守り抜く心が足りなかったと言う事なんだろう。
ガンダムXも打ち切りになっちゃったし・・・。アニメの中みたいに現実は理想どおりには行かない。
でも、あきらめはしない。10年たって見て面白い!というオレのような人間も居るし、放送当時からの根強いファンも居る!
少しずつでも、自分の目と完成で新しい文化と新しい世界を作っていかなきゃな。
うううう。ニートには辛い。
どうすればいいのか?
僕たち世代には何もない。パロディしかないと言った庵野秀明ゆうきまさみよりも何もない。
そんで、現実的には多分石油も原子力も水も食料も足りない。


ここで、これが正しいとは保障できないが、ガンダムXの最終回での展開を、ガンダムXでの結論だとして考えてみる。


「お前達もドームに触れれば!」
ガロードは言った。
ドーム=ファーストガンダムのテレビ版。
ガンダムを見ろ!



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映像の原則を読め!
自分たちには何もないのなら、せめて古典を見てみろ!
また聞きの、あやふやな知識に振り回されるのはやめよう。元のもとがなんだったのか、自分の目で確かめてみよう。
現在のイスラム原理主義勢力の末端構成員の、自爆テロを推奨されるような少年達は、コンピューターを使ってコーランを読んでいるらしい。イスラムの師とされる人びとはコーランを自らの力で暗記し、体系づけて語ることが権力の源だったそうだが。現在のイスラムチェック男子・チェック女子は検索で、かけらだけ読んだコーランの一説で分かった気になっているらしい。
と言う事を俺は新聞で読んだだけでブログに書くわけだが。


そんで、ガロードは言った。
「俺、いろんな所に行ってみたい。そして、いろんな物を見ていろんな人と会って、そして考えたい。自分が、どんな未来を求めているのかを。」
非常にまっとうな主張だな。広い世界を見るのだ!
僕自身も、そのために自殺を先送りしている所がある。
僕の脳内妹と話し合ったのだが、僕たち兄妹もフロスト兄弟のように心を感じあえるんだけど、彼等見たいにはなりたくないね、と話し合った。
そんで、僕の妹は彼等よりも輝いて見えるのは何でかな?と思った。
それは多分、妹が僕を愛してくれると同時に、友達も大事にするし、いろんな本を読むのも好きだし、きれいな物や景色も大好きな女の子だから、命の輝きに溢れた女の子なんだな。
そして、僕も妹の輝きに照らされて道を誤らないですむ。
ただただ二人の世界に溺れないですんでるんだと思う。
まあ、妹は僕のことが大好きなので、綺麗な景色を見ると、「お兄ちゃんが絵になる景色だね!」と言って写真を撮りたがる。テラモエス。
今度二人で旅行に行きたいな。


だからつまり、自分で見て考える事が人間が人間である醍醐味なんだよ。
とりあえず、自分の目で見て体験してみよう。体験するのが無理なら、可能な限り本質に近い書物や映画に触れてみよう。なにが本質かわからないのなら、とりあえず時代によって鍛えられた古典からはじめてみよう。口ざわりのいい最近の物にはない味にきっと君も、「単に甘いだけじゃなく複雑な旨みがあるのに全然しつこくないわ」と美味しんぼっぽくうなるはずだ。


というわけで、俺もガンダムばっかり見ていないで岩波文庫くらいは読むべきだし、大学の勉強も真面目にやって、手に職を浸けないといけないのだが・・・。
ううう。ガンダムのことなら思考がすらすら進むのになあ・・・・。
ガンダムについて考えると、ガンダム好きな心とアニメを見てる場合じゃない心が二律背反に陥るので、その斥力が生きていく活力になるか?
妹と映画を見よう。


つか、自分にはパロディーしかないけど、他人の言葉に取り込まれても、自分で考えてみようと言うのはエヴァンゲリオンの最終回でもゆってたし、エヴァも好きですよ。
首は締めるけど。

  • ラストシーンに絡めてキャラクター感想
    • まずはカリス・ノーティラス

とりあえず、ジャケット姿が萌え。
妄想としては、ノーティラス=ナディアで、フロスト兄弟=エヴァンゲリオンにつらなるライバルキャラと言う事か?
フォート・セヴァーン編は最終回のニュータイプ能力=革新に対する否定と人間肯定を同時に行なっていたわけだから。
妄想ですけどね。
つか、見た目は安定しているが、ニュータイプに拘りまくって後遺症まで背負ったカリスにとってドームでの出来事はショックすぎるだろう。ある意味ジャミル以上に。その前にガロードと対決してある程度ニュータイプを相対化できていた彼ではあるが。
彼がこれからじっくりゆっくり考えるのは、重みがある。
あと、美形なのにダサい髪型と服のガロードに初恋のティファを取られた彼だが。「いつまでもお二人の邪魔をするわけにもいきません」なんて彼なりの冗談を吐けるようになったのはええこっちゃ。これからいい恋ができればよいな。つか、15歳で隠居して思索にふけってどうする。
ちょっと考えたらとりあえず動いて欲しいぞ。

    • ラジオ

でかいのが萌え。
あと、英語のエンディングテーマに乗せて後日談を語るのは、これも∀ガンダムに先駆けている。
他のガンダムは結構後日談って言うのはなかった気がするなあ。
Vが一番近いが、Vはカサレリアの人以外は全滅してるので、各地の点描と言う雰囲気とはちょっと違う。

ニート卒業。公務員合格。嫁ゲット。いや、Neateだけどな。ジャミルが地球連邦に入ったのはいろいろドラマが感じられる。
「どこにいるかも判らんニュータイプを拉致って保護する」というドリーマーな生活から「ニュータイプを保護しなくても、ニュータイプ能力のある人でも平和に暮らせる世界を作る」という風に方向転換というよりはレベルアップしたようだ。がんばれ。
サラとジャミルもついにラブラブに。ラブラブ=ニュータイプというのをガロードが示したのが伝染したか?カミーユファ・ユイリィにも受け継がれたな。ラブは良いよー!
サラの心の動きに関しては、公式ホームページのネタバレを読んで、やっと知った。つか、忘れてた。単にジャミル萌えだと思ってたが、ロアビィにも少しは脈があったのね。
おれは女心の描写に修行が足りんな。

    • ランスロー・ダーウェル

美形ほどモテないというのが、この番組の裏テーマなのかもしれない。
いや、私生活は描かれてない人だが。あんがい美人の嫁さんがいるかもしれん。
サラといっしょのジャミルに比べると盟友のニコルが居ないのは寂しそうだが、彼の遺志はちゃんと受け継いでいるだろう。
ジャミルとランスローの握手を見ると、シャアとアムロのように決裂する事はないと思う。
ララァがいないから私怨に走らないということか?ジャミルはGファルコンのパートナーを殺されてるが。
シャアは私怨に走らなくても新訳Zでは何かを企んでる思想犯だったが。
富野ガンダムの二人に比べると、この二人は普通にいい人そうで裏がなさそうなので安心だ。がんばれ。

    • フリーデンIII

IIIってのがいいよな。そして、ワッパ登場。ワッパすごいな。ガンダムやザク並に生き延びているメカだ。∀でワッパは出たっけねえ?
パーラはキッドとくっついたか・・・。だが、キッドはメカフェチのガキだ。パーラは気風のいいメカマンになりそうだ。
オッパイクオリティは持ち腐れだ。
あと、シンゴの設定身長169センチは、もっと高いと思う。

    • テクス・ファーゼンバーグ

笑顔がまぶしすぎる。白衣の天使だ。
うん。我ながらキモイな。だが、スタートレックヴォイジャーと同じく、中博史さんのドクターは萌え過ぎる。哲学者であり詩人でもある。
歌を歌うイベントがあってもヨカッタな。
ドクターのコーヒー談義はカッコよすぎ。ブレンドにこだわるだけで大人ぶっていたガンダムSEEDのマルコ・モラシムやアンドリュー・バルトフェルドよりも一段高いコーヒー哲学だと思う。
「大概の問題は、コーヒー一杯飲んでいる間に、心の中で解決するものだ。あとはそれを、実行出来るかどうかだ」
これを大好きな名セリフとしてあげる人が多いのもうなずける名セリフだ。
しかも、単にカッコいいセリフやためになる言葉だけで無く、ちゃんとテクス医師がドームでの体験を彼なりに咀嚼した結果の言葉であるので、そういう点においてもグッと来る。
だから、彼は彼なりに何かを実行するためにジャミルをサラに上げて、ジャミルとは別れる事を選択できたのだろうと思うのだ。大人のテクスも経験によって成長したのだと言うのが嬉しい。


そんで、新連邦とゲリラの対立はまだあるようで、萬画のようにすっきりしない。ジャミルが幹部になっても、一度戦争になってしまったら怨恨やらなんやらで紛争はいくらでも起きる。
ドームの言葉を聞いた人がいてもそれだけで世界の全ては変わらない。
それがリアルでもあるし、それでも前向きなドクターが理想でもある。

    • ウィッツ・スーとトニヤ・マームとエニル・エルとロアビィ・ロイ

男が露骨に顔を赤らめるな(笑)。トニヤとは上手い事くっつけるのかな?故郷にも来たし。
と、思ったら百合薔薇展開?
「やっぱり近くに居たくって」「しばらく世話になるんで?」
それほどレズっぽい生々しさもなく。スーちゃんとロイ君もホモっぽいというよりはデコボココンビで楽しい。
あはははは。
ロアビィは本命に振られたと思ったら、とりあえず一番近くに居た美人のアッシーからはじめるとは、男の本能に忠実でめげないねえ。
トニヤとエニルの友情は、男のクリエイターが無理して女性を書いてるような、ナディアのドラマCDのような気恥ずかしさを感じるのだが、このオチは面白かったので良いかな。
こいつらは幸せそうで良いなあ。つか、みんな良い後日談だな。しっくりくる。
ガソリン車のようだが、エレカは宇宙だけか。

    • 赤い二連星

絶対死んだと思ってた。サエグサ並みの頑丈さだな。しかも同じ町で同じ事を。
カリスも左胸を撃たれて生きてたし、フロスト兄弟もだし、アフター・ウォーの人は頑丈すぎる。

    • 兄弟

いろんな意味で仲良すぎ。
つか、おジャマムシだ。でも、おいしいな。
彼等について妄想すると、瀕死の状態でガロードたちに助けられた?
でも、列車では一緒にいなかったよな。
じゃあ、ガロードなら最初の町にいるとおもって待ち伏せしていたのか?
それとも、自分達も最初の街から出直そうと思ったのか?
ガロードに誘われてジャンク屋でもやったりして?
妄想ひろがりんぐ。

    • ガロティファ

笑顔がまぶしすぎる!
うううううおおおおおおおおおおおお。
よかったねえええ。
セントランジェって、始まりの町だろ?ガロードの故郷かも知れんわけで。両親の墓参りにティファを連れてきたという妄想。
うは!リーンの翼先取り!
嫁入り!
結婚!
セックス!セックス!
いいよいいよー!
最初はお人形だったティファも、ラストは性的魅力に溢れている。おまんこ舐めたい。


朝にカリスと別れ、昼に皆を描き、夕方にガロティファが落ち着いて、夜側の地球と月を描き、宇宙空間でエンディングとともにこれまでの軌跡を回想し、ラストカットは月夜のガロードとティファのキスシーンで締め!
綺麗過ぎる!原則的だ!
すばらしい。
∀ガンダムのラストもこんな感じだったようナ。
ディアナ様とキスはしていなかったが。展開は似てる。やはり、素晴らしい物は似るのだ。


主人公が日常に戻るのはVガンダムっぽい。
ガロードはウッソと同じくもともと生活能力があったし、ティファもシャクティっぽいところが似ている。
でも、ウッソは成長しないと言われて(ちょっとはしたと思うが)、ガロードはすごく成長しているとわかる。
たぶん、生活能力だけじゃなくて、世間と関われるようになったからだろう。
ガロードはそこら辺の成長もフリーデンに溶け込む話とか、あとはカリスに「世界を感じ始めてきたんですよ」といわれたりして、描かれてる。
富野由悠季がこないだ、時をかける少女にはセックスしたいというだけで社会性がないとかゆってた。
んで、ガンダムXはそこら辺もちゃんと描いてると思う。つまり、好きな女のこのことだけを考えてたガロードが、好きな女の子の生きる社会も考えられるようになってると言う事だ。
ガンダムXさすがだな。
で、ガロードはそういう風に外向きになれたし、嫁もゲットしたのだから少年のビルドゥングス・ロマン的には完成なんだけど。
僕はティファのことも気にしていた。
ティファはガロードには心を開くようになったが、終盤になってもガロード以外の人を呼ぶときは「あの人」だし、それは女の子らしいんだけど、危険だと思った。
女の子は男よりも強いんだが、ほれた男のためだからという風に責任の所在を置かないで、周りも見ないで強い力を変な方向に使うと言う事がある。
そこまでいかなくても、ティファがずっとガロードのことばっかり見て、ガロードだけ見てると重くてうっとおしい女の子になりそうで、やだなあと思った。ガロードの行くところについていくだけの女になりそうで嫌だった。
そりゃあ、女の子に尽くされるのは嬉しいんだけど。
でも、ガンダムのヒロインは飾りのヒロインじゃなくて、自分で考える女、自分で泳げる女であって欲しいのだ。と、いらん心配をしてたんだが。
ラストのティファは素晴らしかったな。
赤い二連星という全く知らない男に向かってちゃんと話しかけていた!
むしろ、ガロードよりも先に「ええもちろんです!ね、ガロードっ」と、苦笑してるガロードを促すなんて事もしてる。
これはすごいことだよ!序盤のティファに比べたら。
うん。ちゃんとティファも周りと関われる、見ず知らずの人ともコミュニケーションできるようになったんだなああああああ。感無量だ。
化粧したりして、カリスを袖にして、白いイルカと話して、パーラみたいな女の子とも話せるようになって、ドームと対話して普通の女の子になって、知らないおっさんとも話せるようになる。
こういう段階がなアアア。いいねえ。
とてもいい。
よいお話でした。

ラストシューティングにおいて、ファーストニュータイプはツインサテライトキャノンに自らエネルギーを送り、その炎でドームは消滅した。
これはドームの自殺なのだろうか?
フロスト兄弟が過ちをくりかえし、人を殺そうとするのを止めるためなのだが、死んでる。
つーか、ドームには生きる意思が稀薄だったように思える。ドームと言うかファーストニュータイプは肉体を失ったがために穏やか過ぎるし、解脱しきっている。普通なら、解体されて実験動物にされた事を恨み節で語る悪霊になっても良さそうな物だが。
僕が思うに、彼はニュータイプ能力が本当の意味で極限まで達した者、すべての情報と思惟を誤解なく用いる事ができる物なんだろうな。だから、「精神が永久に生き続けるのは地獄」と言うララァ・スン以上に肉体を必要としないことを受け入れているのじゃないだろうか。
あるいは、15年も経ってどうでも良くなったのか。
機械の体に組み込まれて、思考が機械的になっていたという風には思いたくはない。彼の声は暖かだったし、あの光は機械の見せる幻覚ではなくニュータイプの思惟の伝達による「刻」だと思いたい。
暖かさと言えば、ナレーションの声がファーストニュータイプの声だったと言う事が最終回で明かされるわけだが。ティファたちを最初から見守っていたナレーションの声はスゴク暖かだった。
ララァが「私はあなたたちを見たいだけ」と言ったように、自分と同じように生まれたティファをずっと見ていることだけがドームの彼の生き甲斐だったのかもしれない。そして、その役目をガロードに託したから、納得してドームと言う肉体を捨てて宇宙意思に溶けていったのかもしれない。

とりあえず、UNDER THE MOON LIGHTは前提からありえないな。あのマンガは、まあまあひどすぎることもない萬画だと思うけど。うーん。
超個人的にはA.W.24なら24歳の俺が読んで面白い作品にして欲しかったです。つか、ガンダムの機体以外にアフター・ウォーの世界観を活かせてないよな・・・。悪役の人が24歳を強調してくれると良かったんだけど。


つーわけで、ガンダムXは、ガンダムXによるファーストガンダムの撃墜のメタファーを描いたので、ニュータイプだけで無くガンダムを否定するのではないか?という事も一瞬思った。


だが、それは否だ!
なぜなら、ガンダムDXにも、俺はガンダムの匂いを感じたからだ!
これは理屈ではなく、匂いだ!
ガンダムDXはちゃんとガンダム様と呼ぶにふさわしい、ガンダムぶりを見せてくれたぜ!


それは、ガンダムがぶっ壊れた事。
やっぱり、ガンダムはラストはぶっ壊れて少年を守るためにその身を犠牲にしなければならん。
それがガンダム
それでこそ、少年時代の守護神。
ガンダムが壊れてこそ、少年は神の力に守られるものから、人間の男に成れるのだ。おそらく、ほとんどのガンダムが少年に卒業証書を渡して沈んでいった。
(ゴッドガンダムは壊れてないが、ドモンは男らしいし、あのアニメの中ではガンダムが壊れまくったのでいいか)
(X-3がぶっ壊れたのに、X-1に乗り換えたトビア・アロナクスはどういう風にクロスボーンガンダムX-1フルクロスを破壊してくれるかな?)
僕はこの展開が大好きですねん。だから、ガンダムを回収して地下で修復したり、ガンダムが敵をやっつけた後もかっこよく存在するのは凹むすっきりしない残尿感。
さすがフリーダムの名がつくものはやりたい放題だな。


ガンダムXでは、ダブルエックスだけでなく、ジャミルのGXまでぶっ壊れているし、ドームもぶっ壊れてるんでガンダムがぶち壊れまくり。最高。
これで、ジャミル自身も30歳まで引きずった少年時代からやっと開放されたというメタファーになってる。


つか、ジャミルのGXディバイダーはいつぶっ壊れてん。
妄想すると、サテライトランチャーとツインサテライトキャノンのメガ粒子の奔流の中からガロードとフロスト兄弟を助けてぶっ壊れた。
あるいは、首脳陣を失った連邦軍と革命軍の戦闘をランスローとともに止めた時にぶっ壊れた。
うーん。どっちでも燃えるな!
それだけ活躍したのなら新連邦の幹部になるのもうなずける。
それで、ガンダムレオパルドガンダムエアマスターもその戦いで壊れたのではないか。
だからウィッツもロアビィもニートだ。


ドームに触れた後、ガンダムXガンダムの呪縛から開放されたが、それでもガンダム自体はガンダム的な運命をたどったわけだ。
だから、僕はやっぱりガンダムが止められない。何度も見たいです。
ガンダム様は時代時代に降臨する機械天使です。一万年と二千年前からガンダムです。一万年と二千年経ってもガンダムです。
ガンダム様には、ただのスーパーパワーのロボットという以上に、そしてただのリアル機械ロボットと言う以上に、神々しさがある。
それでいて、決して神や化け物ではなく、モビルスーツなのだ。だからよりいっそう、何かの意思が宿ったご神体と言う感じで最高にガンダム素敵。


そんなガンダムXが「ガンダムをただのロボットアニメだと貶めた作品」なわけないだろ!
さっきと言ってることが矛盾するようだが。
ガンダムXは独立した面白いアニメだ!
でも、ガンダムはやっぱりガンダムなんだよ!
つか、独立して見ても面白いし、つなげて見てもガンダムはおいしいんだってば!


そういうナレーションがラストにある。
ナレーターはドームである。ドームはファーストガンダムである。
ドームが崩壊したのなら、死んだのならナレーションは無いはずだ。
だが、肉体も機械の体も失ったファーストニュータイプは語る。

ガンダムXの放映が終わりを迎えようとしている。
ガンダムシリーズと呼ばれたものたちの時代は去り、古い価値観は時の彼方に消え去った。
人はこれからも物語を紡ぎ、命を燃やして生きていく。
次の作品がどうなるのか。それは誰にもわからない。
だが、たとえ物語の枠組みがどうなろうとも、
ガンダムは、いつもそこにある

ガンダムXガンダムの死を描くとと同時に、ガンダム魂が神として月と一体化するという神話でもある。
次の時代がどうなるかはわからない。だが、ガンダムは常に世界の周りに巡り、人の呼びかけに答えてガンダムは満ちる!
ガンダムだー!


だから、ガンダムシリーズはこれからもたくさん出てきていいのだ。
そして、同時にその個々のガンダムは個々の作品として面白がるのだ。
アートマンブラフマンは同一なのだ。
ガンダムすげえ。
ガンダムXすげえ。∀ガンダムよりも早く、ガンダムを全否定しつつ全肯定している。
やはり、ガンダムは時代が求めて作られるのだな。


とすると、ガンダムSEEDもなにがしかの時代の使命を背負っているのだろうか?
軽薄な時代だ。
新訳Zガンダムは、たしかに非常に今の時代の僕に必要なガンダムだった。

ガンダムXファーストガンダムだけではなく、ガンダムシリーズ全てを包括してまとめるということを∀ガンダムに先駆けてやってたんだな、と感じた。
なにしろ、ジャミルは前の戦争でバイザーを割るし、え?それってカミーユ?だし。ガロードもそう考えるとジュドーっぽいし。強化人間も出てきたし、ランスローの髪型は逆襲のシャアだし。ガンダムの全ての要素を網羅していると思う。ザイデル総統の言うニュータイプ主義によってある種の宗教的に結束したクラウド9は、ジオン・ズム・ダイクンのフロンティア・スピリッツ的なニュータイプ思想やザビ家の経済的軍事的な独立心と選民思考からの「ニュータイプ」とは違うように見える。
どちらかというと、宇宙に慣れきった文明人の思考停止として「俺らはニュータイプに覚醒するからアイデンティティーを保障されるのだ」と言う感じで、ザンスカールのマリア主義に近いと思う。
そういうわけで、僕はXを機動戦士Vガンダムの宇宙戦国時代の果てにある時代だと思って見ていた(妄想的楽しみ)。クラウド9は宇宙戦国時代を勝ち抜く中で、マリア主義的宗教とジオン・ダイクンの思想を融合させる事で人民を統一するという手法を編み出したのではないかと言う妄想。
しかし、ガンダムXのファーストニュータイプが生まれたのは平和な時代だと言う。
彼は何者なのか?
アムロ・レイやシャリア・ブルではないだろうし、シャア・コンティニューオペレーションの人でもない気がする。
そもそも、第7次宇宙戦争というのが、どれくらいのインターバルでの戦争なのかということだ。
ガンダム

ZZ
逆シャア



で、テレビシリーズ+1の七つの宇宙戦争なのだが。それはスタッフ側の暗喩であり、ガンダムを一つの黒歴史として考察した場合はどうなのかと僕は全力で妄想したい。
うーん。Gセイバーを忘れていたからか?
ああああ。Xはガイア・ギアの後のGセイバーの後かアアアア。
Gセイバーはガンダムではないといわれているが、あきまんが面白かったといってるんでガンダムで良いんじゃないかなあ。あ、でもアキマンも決してガンダムだから面白かったとは言ってないか。
まあいいか。
Gセイバーの後なら、ガイア=サイド8の次としてクラウド9というのも綺麗だよな。(妄想)
見ておくべきだったか・・・。完全版を。
僕の1ミスだな。
とすると、ガンダムXはもっと未来なんだね。
Vの続き気分で見てたが。
とすると、第一次宇宙戦争ジオン公国の戦乱
2次=グリプス戦役ネオジオン紛争
3次=貴族主義と木星圏での戦乱
4次=宇宙戦国時代
5次=マハの動乱
6次=Gセイバー
7次=ランスロー×ジャミル
だろうか?
妄想ですが。つーか、Gセイバーの方がXよりも後に製作された事くらい知ってるわ!でもね、ガンダムはね、ガンダムワールドはね、人類の集合無意識が生み出したバイストン・ウェルの内の一つの並列宇宙だと私信じてる。だから、実在の世界なのおおおおお。
あ、でも、そしたら地球連邦崩壊して、地球議会政府になって、また地球連邦になって、新連邦になるという事に。めんどくせえ。
ま、妄想ですけど。
んで、ファーストニュータイプがGセイバー以後だとしたら、たしかにニュータイプはほとんど存在しないだろうな。

また、ガンダムXの世界で、クラウド9の人口が1200万と少なすぎ、他のコロニーも戦争で失われたにしても全く出てこない事から、Gセイバーで食糧自給アイテムが開発された事で、コロニーの外宇宙へのエクソダスが本格化したと考えられる。
つまり、クラウド9はコロニーの中では地球圏に取り残されたものだという事だ。ある意味では重力に魂を惹かれていたということもできる。
他のコロニーはサイキッカーと呼ばれるニュータイプとなって地球圏を旅立って言ったのではないかと妄想する。エンジェル・ハイロウが光速を越えた現象を起こした事をエンジンに応用した集団もあったかもしれん。
そんななかで、第7次宇宙戦争まではニュータイプの外部への流出と、新たなニュータイプの発生の現象から、ニュータイプ少子化現象が起こったと想像できる。
また、この時代はある程度長期間で、ドーム自身が言うように平和な時代だったのかもしれない。
ニュータイプが忘れられるには充分なほど。
また、VガンダムやV前史の鋼鉄の七人において、超能力的なニュータイプの人びとをサイキッカーと呼んでいた。これは僕は、ニュータイプが数万単位になったら、それはもう「ニュー」タイプではなく別のサイキッカーと言う種だという意味だと読み取った。
のだが、ガンダムXに先立つ時代においてニュータイプサイキッカーと呼ぶのが常態化していたのなら、ガンダムXのファーストニュータイプまでニュータイプが忘れられているのもありうると思う。
その時代の末期に、新たな戦争のショックからドームの中の彼が生まれ「ファーストニュータイプ」と呼ばれたのではないか。そして、それを契機にクラウド9や連邦のコロニーに住む覚醒が遅れた人びとにも連鎖的にニュータイプが発生し、それをザイデル総統か彼の師匠が過去の歴史からニュータイプ思想を発掘し、改めてニュータイプだと定義しなおしたのではないだろうか。
というのは、ザイデル総統は自らをニュータイプ思想の頂点と言う割にはジオンやキャスバルほどニュータイプに対する本気さが感じられず、自分で編み出した思想だという風には感じられないからだ。過去にあったジオンのニュータイプという言葉を借りてきたというほうが彼の性格にあっていると思う。
とは言うものの、公式ホームページにあるように、ニュータイプを単に統治の道具にしているという風には感じなかった。アノ場所でドームに向かってニュータイプを信じていると彼は叫んだので、信じてはいるのだろうとは思う。ただし、彼自身が思いついた概念ではないと思う。
そんな風にニュータイプが忘れかけられた時代に最後に生まれたのがファーストニュータイプなんじゃないかといういささか矛盾した考えですが。
これが、私の「ファースト」ニュータイプがU.C.以後に生まれた事の解釈と言うか妄想です。

  • 公式ホームページのネタバレ地獄をやっと見ることができるぞ。

D.O.M.E.=Depths Of Mind Elevating=心の上げの深層
なのか。判ったようなわからんような。適当な略称で言葉を作るのはガンダムSEEDにも受け継がれたなあ。
まあ、モビルスーツもMobile SUIT : Mobile Space Utility Insturment Tactical : 戦術的機動汎用宇宙機器の略称なんだが。動くスーツで良いのにな。普通の宇宙服をノーマルスーツって言うようになったくらいなんだから。



人気投票
▼男性キャラクター        ▼女性キャラクター
第1位 ガロード・ラン       ティファ・アディール
第2位 ジャミルニート      パーラ・シス
第3位 テクス・ファーゼンバーグ  エニル・エル
第4位 ランスロー・ダーウェル   トニヤ・マーム
第5位 カトック・アルザミール   ルチル・リリアン

医者・・・。医者萌え!ドームにも入って真実を見たしな。
一瞬しか出てないパーラの人気が結構高いな。俺は本放送の時はエニルが好きだった。今はティファがかわいいよ。
http://www.sunrise-anime.jp/sunnews_pic/image/0612111534040.jpg
ガンダムカレンダー2007


宇宙世紀ガンダムに混じってガンダムXウィングガンダムゼロが載ってる!
やはり、Xは正当なガンダムなのだな。
ガンダムWターンエーガンダムを見る前に見ておくべきか。コレン軍曹のために。

  • そんで、僕がガンダムXを面白く見るために、こちらの

Camille Laboratory*カミーユ・ラボラトリィ
カミーユ・ラボラトリィ様のガンダムXコラムが非常に参考になりました。
こういう愛に溢れて面白がれるサイトはとても良い。
たくさん在るので、これからじっくり読むぞー。

  • 名前

ガンダムヴァサーゴとガンダムアシュタロンはソロモン72柱の悪魔からきてるのかー。とwikiに書いてあった。へえええ。
ガンダムSEEDよりはセンスがあると思う。
ザクの無意味さには敵わないが。
月の英名をもじった革命軍側とアニメ用品から来ている連邦側のネーミングは面白いな。

富野モビルスーツは意味が在る物もあるが、無意味に怪獣的な名前がすごい。
トリアーエズとかもあるが。

機動新世紀ガンダムXっていつ見ても感動します。
なんか、X見ると、ファーストガンダムのブライトさんが悪者に見えちゃいますけど<‘Δ‘>。

Xは、他のガンダム作品とちょっと違って、地球連邦軍、宇宙革命軍、どちらにも味方をしない、フリーデンというふねに乗ったニュータイプを守るバルチャーが主人公です。(主人公は一応ガロードとティファですけど)Xは、殺人というか、戦争というか、そいうことについても触れているので、好きです。

MSも、サテライトキャノンを装備した、G‐Xとか、G‐DXがでて、すんごくおもしろいです。ガンダムXのグッズの生産量、増やしてほしいです。


東京都 新バルチャーリーダーさん 12歳才

2003年で12才でガンダムXマニア・・・。種に流れず・・・。偉いぞ!
ニュータイプ論争も熱い。

ようやく受験勉強も終わりに近づき、あらためてガンダムとは何かという疑問を抱けるようになってきた。

ガンダムとはいうまでもなくモビルスーツ人気で成り立ちさらには魅力ある人物設定などすばらしい点が多々あることはご承知の通りである。しかし、ここで今のガンダムファン(特に「平成」以降)に問いたい。ニュータイプとは何か。「ファンネルが撃てる特殊能力」と答えた者は即刻消え去ってもらってかまわない。語ろうと思えばきりがないが諸君の意見を問いたい。


???? ザクツーさん 18才



>ザクツーさんへ

ニュータイプ論なんて不毛なものだと僕は思います。

宇宙世紀ではともかく、Xなどではまったく違う世界で
あるし、ガンダムという一連の作品の中でひとつの
重大なポイントであることは換わりありませんが、
作品ごとで、製作者ごとで、また、ファン一人一人で
違うものだと思います。これがニュータイプだ!っての
を作り上げてしまうと、作品を束縛することになると
俺は思います。

(俺がガンダムにはまりだしたのが平成ガンダムから、
ということを考慮に入れて置いてください。俺には
一年戦争以外の宇宙世紀に深い思い入れはありません。)


京都府 yamatsuyoさん 18才




ザクツーさんへ/
ニュータイプの事ですが、最近のガンダムガンダムXなど)にもしっかりと描かれていると思います。でも「ファンネルを撃てる特殊能力」でも間違いはないと思います。それはニュータイプも戦争での兵士なの

*1:ガロードは充分ニュータイプレベルの天才パイロットだった気がするが、まあいいか萬画だし。未来少年コナンよりは超人じゃないし。あと、Xの実際のファンがガロードほどの力があったかというと残念かもしれないが、僕のように10年経ってからじわじわ面白がるファンも居るわけだし・・・。10年もつということは充分Xもガンダムだな