玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

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ブレンパワードはじめました。第1話「深海より発して」「俺、17歳になってしまった」

ブログを書くのは辞めたいというくらいなのでさらっと書くつもりなのだが、僕は書きたいことが多すぎる。3行で感想をかける人たちが羨ましい。
とりあえず、起承転結で。
起(なれそめ)・・・放送当時は16歳。伊佐未勇と同年代。だから、見ていたらスゴク感情移入できていただろうと思う。だが、wowowは入っていなかった・・・。そして、当時の俺はエヴァ厨で富の由悠季の偉大さにも名前の読み方にも気付いていなかった。だから、9年経って今ごろ見るのが正解なのかもしれない。
こないだまで、ガンダムシリーズを年代順に、0080と0083をはさんでVまで見た後、ガーゼィの翼とガンダムXを見た。その他にトリトンダンバインと新訳Zとリーンの翼を見た。
で、ここ一年近くは鬱富野の酷い時期の作品を多く鑑賞していたのだ。やっと白富野がリバイバルしました。
流石にネットで大富野教信者をやってると大雑把な知識も入って来るんだが、スパロボもやってないし、初見なのでダンバイン以上にどんな話かわからないで、ワクワク常態です。
承(設定)・・・宇都宮比瑪が妹にそっくりでやばい。可愛すぎる。あきまんが「超美人宇都宮比瑪」と形容したのも頷ける超美人ぶり。
伊佐未勇もイケメンだ。声も最高。舞台俳優出身なのでブレン当時は台本を離して暗記で演技したそうだ。
設定で色々と考える事があるが、一番大きいのは、比瑪の連れている孤児3人組。
アカリと言うのはトミノ監督の娘さんで演劇集団・円の演出部の富野アカリさん?
ユキオは富野喜幸か?
クマゾーはトミノが飼ってる犬・・・。
あと、伊佐未依衣子ってのも、富野の娘さんがエッセイに登場する時の仮名。
これは、適当なのか?何かメッセージが?
ぼくはこの間、富野に会ったときにどうやって鬱病を直したのか秘訣を聞いてみたのだが、こう言われた。

えー、秘訣はありません。

で、秘訣はなくってーあのー。毎日の中で努力をするしかない。と、思います。

で、この場合の努力と言うのは、どういう努力かと言いますと、

「他人」「第三者」で、僕の場合は、あの、奥さんでした。その次に娘二人でした。

つまり、その第三者、その、「他人」がいる、その、他人がいてくれるから、自分が今えーとぉ〜生きられるっていう×××(聞き取れない)で、こういうことです。

他人がいるために、この時のとても激しい「めまい」が少し治まった。

だから、「ああ、今は奥さんに、それから娘に、甘えていいんだな」って言う、そういう心を育てていくって言う事です。

そして、特に目眩的な自覚症状が生まれたときには、えーと、自覚症状でなく目眩が止められません。

で、あくまでも肉体的精神的なものですから、自分の意識を中立(?)に持っていくっていうのは、これはフィクションではないので、気合では止められないわけです。

それで、意識をだんだん下げるのは止められません。

で、実はそういう意識を育てていくためにどうするかというと結局、「他人がいるんだ。他人に縋っていいんだ。他人に甘えていいんだ」ということ。

それから、そういう他人がいる事によって、今自分が生かされているんだから…。

ここが難しい所です。

「自分にこもるな」って言う事をどう自分に納得させられるかっていうことが「縋りつく」ていう行為なんですけど。

自分の中に在る、自分を見つめる、自分の中に内向していくっていう気分をともかく外すということしか、僕の場合には方法がありませんでした。

ですから、えー。このことを、あくまでもその、観念的に考える、ではなく、ないということでどういうことをするかということで言えば、僕にとっては、ただ、玄関を一歩どうしても無理して出るんです。

一歩出るときに、・・・・・・奥さんの肩につかまってられるっていう肩があるっていうことがとっても嬉しかった、という風に思ったと言う事です。

おそらく、鬱がもっと激しい時には、他人の肩につかまるということでさえ、実は気持ちの悪い物かもしれませんし、それを拒否するのかもしれません。

で、僕の場合にはありがたい事に、そこまで、あのー、重症ではなかったので、奥さんの肩につかまらせてもらって散歩をするということを、一ヶ月続けると気持ちが違ってきたっていうことは間違いなく言えます。

ですから、基本的に自分の気持ち、それから何より自分の体を外に向けて、あの、踏み出していくということだけは、これは、極めて、その、意地、意地を張ってでもやって見せなくちゃいけないことではないかと思っています。

ただこれはあくまでもボクの場合ですから、えー。全部の方に当てはまるハウツーだとは思えません。

が、あのー、自己管理のあり方として言えるのは、自分が、要するに自分がいる事が一番決定的に大事なんだと言う風に思わずに、他人がいるから自分が生かされているんだという風に思うことが僕にとっては一番の薬になった。

で、つけくわえます。作品に関して言えば、その後の作品に関しては、その気分を絶えず、えーっと、投入していくような人物関係を作っていく、そういう人びとの、リアクションをしていくキャラクター。

それから、悪人と言われてる人たちはそう言う他人に対して極めて冷淡である。という風な規定をするようになってきたって言う「自覚症状」が在ります。


ということなので、僕はトミノが家族的なものを作品に持ち込む事で、作品を積極的に愛する努力をしたのではないか?もっというと作品に温かみを持たせたかったんじゃないかと思うわけです。
それが白トミノなのだろうか?それは退化であり甘えなのだろうか?
だが、トミノはおそらく自分がニュータイプになれないという事に気付いたということなのだろう。Vガンダムのラストでサイキッカー達は外宇宙に飛んでいったし、∀ガンダムでもニュータイプは外宇宙に出て行っている。トミノや僕たちにとって、悔しいけれどもニュータイプは他人でしかなかった。それは認めなくちゃならない。新訳Zのカミーユニュータイプはまた違う段階なんだけども。


そういう生々しい家族の暖かさを拒絶して、というか知らずに、個人の勝手な集合としてしまったのが現在の家族の問題を引き起こしてるって、インセストの本で読んだ。現代では家族が家族ではなく独立した男女になってしまってるから近親相姦のタブー意識が薄れるとか。
まあ、それはあれなんだが、トミノブレンパワードを通じて、甘えて、また甘えられる関係性から生まれる力を信じたくなったんじゃないかと思う。

転(作品論)・・・エヴァのパクリ。新世紀エヴァンゲリオンを意識しすぎ。エヴァンゲリオンはアダムとリリスの設定を本編ではものすごくぼかしていたのですが、まとめサイトさんhttp://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1010847085のすっきりした解釈によると、宇宙からアダムとリリスという命の種が飛来して、使徒や人類を生み出して、最後にエヴァが新しい命の種となって、人の記憶と共に宇宙に飛び出していくというパンスペルミアSFなわけです。俺もこれに気付くのに、こないだ見返すまで10年かかった。エヴァは演出としてぼかしすぎだ。まあ、設定状況よりも状況に振り回される主人公の困った感情とかを描きたかったんだろうけど。
んで、オルファンさんも女の顔をしてるって言うのでパクリ。銀河を飛ぶのでパクリ。オルファンから生まれて世界各地でリバイバルするアンチボディは使徒のパクリ。人が考えただけで動く生体ロボットはエヴァンゲリオンのパクリ。ノヴィス・ノアのピラミッド型はネルフ本部のパクリ。ジョナサンが「人の記憶はオルファンの中に残る」と言うのもパクリ。父と母が研究者で息子を道具に扱うのもパクリ(でも、元は富野作品を庵野秀明がインスパイア)。積極的にオルファンの道具になる姉、クインシィ・イッサーは碇シンジの妹としての綾波レイのパクリ?
こってこてのポストエヴァ作品。しかも、見た目やキャラ属性レベルでなくエヴァンゲリオンの設定や要素の本質を理解した上で高度にパクっている。
なのだが、エヴァンゲリオンと同じ小道具を意図的に配しながらも、その構成や雰囲気は真逆の印象。もちろん、これも意図的だ。
まず、エヴァンゲリオンはペニスのイメージのエントリープラグを母親のエヴァに挿入して操縦する。ブレンパワードは子宮の位置にあるコックピットにパイロットが乗り込む。
似たような関係なのだが、ブレンパワードの場合は、むしろパイロットの方が「どうしたらいい?」と子供のように問い掛けてくるブレンに対して親のようになだめたり叱ったり励ましたりしながら操縦する。まるで、子宮から逆転して裏返ったような親子関係だ。
ブレンパワードがリバイバルした時に近くにいた人間がパイロットになると言うのも擦り込み親子関係的だ。
これは、母親と子供が脳を繋げて一体化して操縦するエヴァンゲリオンとは全く違う。エヴァンゲリオンは普段は子供の言う事を聞いているが、本当のピンチになると子供を取り込んで自分の意思で行動する。最後には子供をただの触媒として使って勝手に人類を滅ぼした。シンジはただ、人の再生を願っただけだ。その彼が最後にできるのは同級生の首をしめることだけだ。
また、ブレンパワードの敵となるグランチャーもエヴァンゲリオン的だ。
伊佐未勇は「心も体もグランチャーに合わせてアンチボディーになるのは辛いんだ」という。
グランチャーはパイロットの精神を侵食して、パイロットのほうを自分に合わせて操縦させる性質があるのかしらん?
そして、グランチャーは母親であるオルファンに従順らしい。
グランチャーはエヴァっぽいな。
で、ブレンパワードはオルファンを憎んでいる子供らしい。
それで、自分で考えて、パイロットを仮の親として、支配したりされたりではなくて対話しながら、髪の毛まで使った全身で対話しながら成長していくようだ。
まだ見始めたばかりでどうなるかわからないのだが、このような違いだけでもエヴァンゲリオンに比べてブレンパワードのアイディアの深さと絶望しない意思がわかるというもの。まあ、2番目のカウンターだから掘り下げもできるのだが。しかし、少なくとも僕が見た他のポストエヴァ作品はエヴァ劣化コピーにしか過ぎなかったのだが、ブレンパワードはその先を作り出しているように思える。
結(感想)・・・僕はエヴァンゲリオンでオタクに目覚めた25歳だ。だが、こないだ、新訳Zの方が好きになった。そして、ブレンパワードはもっと好きになりそうな予感がする。
エヴァも今でもおもしろいし、悪い作品ではないと思うんだけども。キャラクターのデザインもいいし。
でも、アスカ・綾波レイと宇都宮比瑪では、惣流・アスカ・ラングレーとレイの方が萌えるんだが、オマンコを舐めたいのは比瑪のほう。
キャラクターとして飾りやすいのはエヴァのヒロインなんだけど、命そのものの力と体温を感じられるのは比瑪。
比瑪!大好きだ!
オレの脳内妹に似ているところとかも!
つまり、オレの脳内妹はオレの太陽だ!



えっと、そんで、ブランパワードを見始めた感想ですが。
こないだ仮面ライダークウガを見たときに「クウガは面白いけど、こんなの見てる場合じゃないよね」と思って鬱になって心臓が痛くなったんだけど。
ブレンパワードを見たら!とにかく体が軽くなって笑顔になって嬉し涙までこぼれた!!
ブレン大好き。
やはり、富野作品は俺の人生の本来の目的だと感じられる。
その中でもブレンパワードはかなり好きな部類になりそうだ。
第3話まで見たノだが、ニヤニヤしっぱなしだったからな。幸せで。
つか、DVD欲しくなってきた。マジで。

DVDといえば、パッケージがリバーシブルなので、エロい方を表に直して棚に戻した。
あと、あまりにもブレンと比瑪が可愛いんでアニメーターの重田敦司さんのホームページの画像を全てローカルに保存して壁紙にした。比瑪が可愛すぎる。
http://www2.hi-nobori.net/eironui/
俺もこれくらいかけたらもっと脳内妹の写真を上手く念写できる。



短めに書いたつもりで、書きたいことや1話のストーリーはほとんど書いてないのだが。もう4時になってしまって3時間しか寝れないので寝る。やっぱり、富野ブログは民衆の阿片だ。



追記、訂正。
ユキオは監督の次女の富野幸緒さんから取られたそうです。

http://d.hatena.ne.jp/nuryouguda/20070427/1177667281