玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

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昆虫物語みなしごハッチ第62話 富野喜幸の親殺しナレーター丸投げがひどい

サブタイトル「幸せはママの願い」
今回は絵コンテ演出が僕らの富野由悠季です。
脚本 柏戸比呂子
サブタイトルではママの願いと言っているが、ゲストキャラは親の死を体験している虫けらが多いこの作品において、珍しく父母の両方がそろっています。ハッチの手足は四本なのに、クモは八本か。いきなり赤ちゃんの親の両方からに坊やを襲う悪党呼ばわりされるハッチ 。突き飛ばされるハッチ。奥行きのある富野。
そしてヒステリックで怖い母親。
ハッチが敵ではないと釈明すると、会話が成立するようになったが、言葉の端々から、「ハッチも親に捨てられたの?」と。父も母も子を棄てるフラグ伏線である
ですが、このゲストの子供はなんとかという蜘蛛で、体が弱く、自分の周りに居る親を殺して食べる習性があるらしい。それで、ハッチがいつの間にかその坊やと友達に成った次の日に、親は子供を棄てようとして逃げる。
蜘蛛の親は歩いて巣穴から遠ざかろうとして、その途中で母親が未練がましく振り返り、父親が戻ったら殺されると諭す。そこへ、空を飛べるハッチが二人の会話を盗み聞きして、先回りして、夫婦が逃げる方向の道の遠く、ど真ん中の木の枝に座って見降ろして待ち伏せしていました。子供の正義漢の強引さが強圧的な構図。
ハッチも小さい頃に親と別れた経験を持っているみなしごなので、「親が子供を棄てるなんてありえない!」と、わざわざカメラを回り込ませて1カットでイマジナリーラインを越えて、両親の上手から下手まで回り込んで、子棄てを糾弾する富野ハッチ。こういう妙に凝ったカメラワークを富野はするなあ。
そして蜘蛛のカニバリズム習性の真実を聞かされるハッチ。その蜘蛛の両親は自分が喰われるのが怖かったから逃げだすのではないという事。彼らも分別のない幼児の頃に自分の親を殺して大きくなったこと。彼らはそれを大人に成って子供を儲けた今に成ってもまだ後悔しているという事。子供には自分とは同じ苦しみを味あわせたくないために、逃げ出すのだという事。子供の巣の近くにはまだ食べられる物があるから大丈夫だということ・・・。
しかし、親と子の絆が固いという事を信じている一心で旅をしているハッチは、子捨てには過剰反応する。「嘘だ!そんなの信じない!」


ハッチは毎回お通夜みたいだな。子棄て。子供は重荷で親を潰す。



子棄てをしようとする親に平然と嘘をつくハッチマジ富野「きっと、なにかいいほうほうがあるはずだ!」それで一応は親は巣に戻った。だが、坊やは離乳食を食卓から放り出して、ぎらぎらとした目で母親をにらんで「まんま・・・まんま・・・」とだけ泣く。それでも今晩一晩だけは・・・というハッチのたのみで、ハッチが坊やを抱いて、両親と別のベッドで寝ます。


ハッチが寝てる間に親が逃げた。親が失踪とかテレビの前の子供には恐すぎるだろ。
起きて空っぽのベッドを見て、ハッチは大人の嘘と言うものを実感した。


親が逃げていると、通りすがりのバッタが「イナゴの大群が来る!」とか言う。イナゴが、坊やがまだいる森をくいつくせば、当然坊やは喰われるか、周りの草も喰い尽くされて飢え死にだ。イナゴに踏み殺される事もあるだろう。
親は選択を迫られる。無視して子供がイナゴに食われるか、イナゴがたどり着く前に戻って自分が子供に食われるかもしれないが助けるかという親の選択。どっちにしろ不幸にしかならない予感。
両親は、子供を棄てたのは、子供を殺すためではなく、子供に親殺しの罪を背負わせないためだ、と言う結論で坊やを助けに急いだ。


そして飛来する、無機質で大量の怪物イナゴの不気味感がバジンだ。アバデデ様逃げてーっ!
前回の富野回のみなしごハッチでもあったが、富野の時は、圧倒的捕食者が不気味で意思の疎通のない自動機械に近いモノの群れであり、会話ができる普通の虫とは別の生き物として描かれている。いつもハッチにやり込められるやくざな肉食大人の男の虫は今回出ません。


イナゴが去り、地平線まで死体と枯れ葉の荒野。その中で、ハッチは坊やを胸に抱いて何とか守っていた。
オフ台詞で坊やを呼ぶうめき声。それを聞いてたハッチが両親を掘り起こして助けた。再会を喜ぶのもつかの間、
夕日を背負って地平線から親を食いによろよろと飢えて進んで来る坊や。赤ちゃんだが、立派な死神にしか見えない。その表情は陰に成ってうまく見えないが、目だけがギラギラと輝いているようで、「まんま・・・まんま・・・」と呻いている。
イナゴの群れに巻き込まれ、重傷を追ってもう長くないから、両親はハッチに自分を坊やに食べさせてと願う。
瀕死の親を見下ろしながら、「まんま・・・」とだけ言う死神坊や。
前回の富野コンテの58話では親を殺された少年が殺した相手たちに向かって「お前らが死ぬ所を見ていてやる!全員死ね!」って叫ぶって言う地獄であり、普通の地獄でなく、メルヘンアニメでは守られるべきイノセントな子供が、狂気や飢えにさらされたら、簡単に相手を殺す悪魔に成れるんだっていう、富野らしい善悪の逆転です。
逆転ですらないのかもしれない。
富野は「仇とを目の前にしたら殺すのが当然」「飢えている時は親でも喰うのが当然」というたんなる現象を、倫理的に正しいかどうかよりも、「実現可能か」というだけで可能なら描いているようだ。その結果として、世の中の現実の汚さ恐ろしさをフィルムにしみこませている。


そして、ハッチは悩む。ハッチのアップにカメラが跳び、坊やの「まんま・・・」と言う声と、親たちの「食べさせてください・・・」の台詞が反響して、アップのハッチは苦悩する。


いつの間にか背景が夜。
ハッチはその頼みを聞かずに、墓を立てるシーンに飛んでしまったらしい。喰われたかどうかは最期まで画面に出てこない。
ナレーターによると、土壇場でハッチは「いくら習性でも、子供が親を食べるなんてあってはいけないと叫んで、埋めてしまったとの事。」
坊やは親を食べないと砂漠でハッチとこれからどうするんだ。ナレーター「ハッチは蜘蛛の坊やをきっと食べ物の有る所につれて行くでしょう」オチはナレーター丸投げ!
予告には坊や出てない。多分、来週までに棄てる。富野……。
多分、富野の頭の中では坊やはカットされたシーンで親を食べたが、ナレーターが放送コードに収まるように上手いこと言った印象。
。ここで実際に親が食い殺されたかどうかは絵では分からず、ただ、ハッチが墓を掘るシーンしかないので、空想するしかない。それで視聴者は「自分なら親を殺すとどうなるか」「子供を棄てるのと自分が殺されるのと、どちらが良いのか」と無理矢理連想させられて困る。
今週もハッチは順調に地獄でしたね!
富野の性格の悪さが垣間見える編集マジックでしたね!でも富野の相互不信はフィクションでも嘘が少なくて好きだ。


虫けらには普通の人間の生活は当てはまらない。
虫けらは虫けらに成ってしまったのだから、虫けらのまま動くことに迷いもなく、それを侵害されることに抵抗する権利もある。
まどか☆マギカのさやかもりっぱな魔女狩り虫に成って欲しい物です。