第44話 ピカレスク・ギワザ 脚本:大野木寛 ストーリーボード:寺山昭夫 演出:関田修 作画監督:坂本三郎
第45話 リリス・メモリー 脚本:渡辺麻実 ストーリーボード、演出:横山広行 作画監督:山田きさらか
体調がすこぶる悪いので短く書く。
- 44話
タイトルの通り、十三人衆の事実上筆頭のギワザ・ロワウがポセイダルに治外法権特権を認められているフル・フラットと連合してポセイダルに反旗を翻した、ということがポセイダル陣営にもほぼバレてしまって・・・。と言うお話。
主人公のダバの反乱軍もポセイダルを倒したいと思っているのだが、ギワザは悪漢なのでダバたちと連合することもなく、むしろダバたち反乱軍よりも先にギワザが自分でポセイダルを滅ぼさなければ、と焦る所が地味にリアルかもしれない。
で、ギワザ・ロワウの愛人であったネイ・モーハンが死ぬ。
ギワザの愛人であり、その愛情からギワザの野望を知りつつ協力していたが、失敗が続いた為にストーリー中盤で事実上、ギワザから切り捨てられた。スヴェートに招聘された時はポセイダルへの反逆を疑われるも最終的には無罪放免となる。しかし、その事でギワザからスパイの嫌疑をかけられて死刑宣告を受けた為に逆上し、セイバーでギワザの片腕を斬り落とすも、ギワザの反撃で倒された。
ギワザが切り落とされた腕は序盤のミヤマ・リーリンとか世界観の元ネタのスター・ウォーズのルーク・スカイウォーカーと同じく、即座に機械製の義手につなぎ変えられるので、ネイの死に際の決死の叛逆にしては後味が薄く、序盤から主人公たちと戦い続けてきた女戦士のネイが主人公とは全く関係ない所であっけなく死ぬので、物語構造として弱い印象。
一応、ネイがギワザを殺害しようとする時に、ギワザとネイが乗っている戦艦にエルガイムMk-IIがバスターランチャーを撃ちこんで震動させたため、ネイの手元が狂って殺せなかった、と言うのはあるんだが。そういう点では「最後まで邪魔をして…」と言うネイの悲劇性もあるんだけど、撃ったダバの方に自覚もなく艦内でのギワザとネイのドラマもダバは最後まで知らないままなので、自覚したうえでの必殺の意志と言うのがないためヒーロー性が少ない。が、そういう男女が分かり合えない、互いに無自覚なまま傷つけあうという悲劇性をアダルティーに表現したい、と言う面があるのかもしれない。
ネイがギワザにも、昔の副官のアントン・ランドーとヘッケラー・マウザーと見捨てられて殺されると言うのは悲劇的ではあるのだが、女一人を信じることも、精査することもしないで疑心暗鬼になって殺そうとするギワザはピカレスクと言うには小物だ。また、ネイの序盤の忠実な副官だったアントンとヘッケラーもギワザの権力にあっさりすり寄って居て死んだネイを全く顧みないのも情念が薄く、ドラマ性が少ない。
レッシィはスヴェートに潜入して一度捕まるがポセイダルとネイと交流し、女であるポセイダルと「ギワザのような男を女の情熱でひれ伏せさせたい」というネイと言葉を交わす。それで、レッシィは彼女たちの悲しい生き方を見て、ダバへの愛が少し、離れる。「男に対して気を付けたい」とダバに向かってレッシィが言う。
そんな風にドラマ性が少ない点でアダルティーなリアルさを見せたいとか、アニメ的なヒーロードラマ性よりもすれ違いの男女関係が織りなすトレンディードラマ性を見せたいという感覚がある。
が、どうも、そういう「大人ぶったすれ違いの裏切り」を描くために、逆に都合よく疑心暗鬼になるとか、よく調べもしないという点で逆にリアリティーが下がっているというか、取ってつけたような印象もある。もっと言うと、大人っぽいドラマを描きたいと作り手が背伸びをしているせいで劇中のキャラクターの動きがその作り手のエゴについて行ききっていないという面がある。ロボットアニメとしても爽快感が無いし、戦争をやっている戦線のリアルさはファーストガンダムよりもなく、大きな戦線の維持や勢力図がはっきりしない割に小さな男女のすれ違いを優先して描いているので転倒したような印象がある。
これはZガンダムの歪さにもつながるのだが。逆襲のシャアではスタッフが多少慣れて一定のバランスを得たのかもしれない。(イデオン発動編の方が「完成度」としてはまとまっているのだが)
ともあれ、レッシィはネイが死ぬ所を見たわけではないが、男女の生き方の交わらない所を見て、ダバへの好意が素直になれなくて、多少気持ちが離れたようにも見える。
また、女戦士のネイが壮絶に死ぬんだが、序盤のネイと同じようにリィリィ・ハッシーという十三人衆の女戦士(男嫌い)が暴れまわっているので、ネイが女として死んでも女戦士枠はリィリィに占められているので人物相関図として、ネイが死んだことの喪失感が薄い。やっぱり、男女関係のもつれからの女の死を描くことでアダルトっぽさを見せたいって言う作り手の大人ぶったエゴを感じるし、そのためにネイが死ぬ展開は取ってつけた感じがする。
ちなみに、序盤でレッシィがクッソダサい異世界人とは思えない普通のブラジャーをしていたのがダサかったが、今回はポセイダルの着替えシーンがあり、ポセイダルの下着は割とデザイン性が増していた。FSSではファティマや騎士の下着設定がめっちゃ細かいので永野護さんのファッションデザイナーとしての意欲はエルガイムの序盤で下着がクソダサだったことへの復讐心もあるのかもしれない。
- 45話
残り10話の段階で、冒頭のキャオのナレーションが変わる。
3クール目は「マシーンはひと時でも感情を忘れさせてくれる」と言い、終盤では「人の業はマシーンでも忘れることができない。だから人は和解の道を求めて人のぬくもりを求め合う。だが、人と人の間には誤解がある」と言うので、これがほぼ作品テーマを表しているんだろう。
今回はスターダスト作戦の鍵になる鉱物資源衛星のパラータスターがギワザに攻められる、その上でパラータにある古い原子炉が暴走し、それの停止をリリスが頑張ってやる、と言うお話。
パラータスターの原子炉は前に登場した時も暴走していた気がするんだが。エルガイムの世界では太陽光発電が全てのエネルギーをまかなっている。デブリに覆われたアステロイド衛星のパラータスターは太陽光発電の効率が悪いために原子炉がある、と言う裏設定っぽいんだが。でも、暴走する原子炉は古い物でこの時は稼働していなくて放棄されていたものである。なので、取ってつけたように特に意味もなく、暴走するために登場しているように見える。なので、雑に見える。
40年前から死んでいるはずの原子炉に都合よく起爆装置が付いていて、敵の砲撃から何の理由もなくスイッチが入って爆発のカウントダウンが始まるとか、非常にご都合主義っぽい。
一応、リリスが「私たちミラリーは核で滅んだから、ペンタゴナワールドは核を禁止したのよ」と、原子力技術をどの作品でも執拗に描く富野監督作品らしく、宇宙で核を使わない理由付けをしておきたいって言うのはあったんだろう。
ミラリーのような身長40センチくらいの小人妖精族が核爆弾で焼き払われた過去、と言うのも必然性が無いように見えるんだが。回想シーンでの平和に暮らしていたミラリーたちは核戦争をするような感じではなく、自然と調和した生活をしていた感じなんだが。誰が撃ったんですかね。ファイブスター物語の元ネタなので、裏設定は膨大にありそうですけど。
で、死んでいったミラリーの亡霊のオーラ力みたいな物の力を借りてリリスが謎の超能力で原子炉を停止させる、と言うのも非常にご都合主義なんだが。まあ、ダンバインのミ・フェラリオとエルガイムのミラリーの関係性やペンタゴナワールドとバイストン・ウェルの関連性を匂わせるという所は面白くはある。
また、リリスとメカニックマンのキャオが助け合って原子炉を停止させる行動をするのは最終回後のキャオとリリスの旅の動機づけにはなっているともいえる。
で、主人公のダバ・マイロードは今回はあんまりいいところが無く、なんとなーくパラータスターでリリスとキャオが爆弾解体をしている時間を稼ぐためにエルガイムMk-IIで地味な戦闘をしているって言うだけで特に敵将を討ちとるわけでもない。うーん。存在感…。
ダバの座乗艦のターナは割と小型の駆逐艦クラスなんだが、空母クラスのホエールのレッシィを帰還にする、ってダバが言うので、ますます主人公としても将軍としても小さくまとまっている印象…。ダバは「僕たちターナはホエールの補佐なんだから」と言うので、将軍らしさは薄い。もちろん、カモン・マイロードとして反乱軍の象徴として祭り上げられているし、パラータスターの少年兵のアジーンに慕われたりもしているんだが。
で、ホエールが旗艦なのかと言うと、それを指揮するレッシィもHMのヌーベル・ディザードで戦っている方が似合っているって自他ともに認めているので指揮系統に混乱が…。もちろん、主人公がメカに乗らなくてはいけないロボットアニメだから将軍として指揮官にはなれない、という縛りはあるんだけど。エルガイムMk-II、エルガイム、ヌーベル・ディザード、ディザードが揃い踏みするところはそれなりに格好いいメカの絵ではあるんだが。
どうも、ダバが全責任を負うという感じもなく、なんとなくマシーンで戦うことに逃げている感じがあって、それは翌年のZガンダムのクワトロ大尉の煮え切らない所にもつながるんだろうなーって思う。これはすっきりしないし、あんまりよくない要素だと思うんだけど、富野監督はどこまで狙ってやっていたのか?こういう煮え切らない大人の事情とかはっきりしない指揮系統とか名ばかりのトップが「リアル」だと思っていたのかなあ。クワトロ大尉のダカール演説やシャア総帥の道化演説の嘘くささとかはそこら辺をかなり自覚的にやっていた感じはあるんだけど。
そう考えると、ギレン・ザビやドバ・アジバなどの指揮官に徹したキャラクターというのは富野作品でも少ない方なのかも。味方キャラでは皆無かなあ。ブライトも戦術家ではあるけど戦略家ではないし。
ていうか、富野作品って人の組織を敵視するようなところがあるので組織経営をちゃんとやるキャラクターって少ない気が。
ディアナ様も家出したり特攻したりするし。サコミズ王は騎士王としてカッコよかったけど民を掌握するには至らなかったし。ハマーン様もしょせん二十歳の娘だったし。キングゲイナーのキッズ・ムント総裁もアニメでは幼稚さが目立った。(中村嘉宏先生の萬画バージョンでのキッズ・ムントはスパイ上がりと言う設定が追加されてダークな政治家と言う大人のニュアンスが増えていたが)
まあ、そこら辺の割り切れない所が富野作品の人物の魅力ではあるんだけど。
ガンダム Gのレコンギスタの主人公、ベルリ・ゼナムの母親でキャピタルタワーの運行局長という指揮官で政治家であるウィルミット・ゼナム氏はどうなるんですかねー。
ちなみに、パラータスターでダバを慕う少年兵のアジーンは翌年のZガンダムでカミーユを演じる飛田展夫さんが演じていて、ガンダムZZのジュドーの前に矢尾一樹さんがゲーツ・キャパを演じたような予行演習っぽさがある。
フル・フラットの土井美加さんが前年の聖戦士ダンバインのマーベル・フローズンから続投しているとか富野監督作品は声優が微妙に共通している一座っぽい所がある。まあ、サンライズの連続作品でのスケジュール調整とか事務所の都合とかもあったんだろうけど。Gのレコンギスタでも嶋村侑さんがリーンの翼からかなり時間をおいてヒロイン続投。80年代の毎年テレビで富野作品を作っていたころとはもちろん事情は違うだろうが…。
島田敏さんと子安武人さんは非常に便利だった印象。
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