グーグルがスパイダーマン:スパイダーバースを安く見れるチケットをくれたので、見た。同時にレンタルビデオ店もクーポンをくれたので平成ジェネレーションズFINALとFOREVERを見た。
スパイダーバースはアカデミー賞を取ったけど、仮面ライダーも負けてないと思う。
不眠症の割に昼に寝てしまって、エイプリルフールだと言うのに執筆時間が夜になってしまって困るのだが、FOREVERの感想を書く。
ちょっと忘れた面もあるので。雑に。
- ヒーローの名声
スパイダーバースではスパイダーマンは市長に追悼されるくらい社会的地位を得ていた。
仮面ライダー冬映画の前作「平成ジェネレーションズFINAL」では「仮面ライダーは誰に頼まれたわけでも、誰かに感謝されたりするわけでもないのに戦う」と言うやつだったのだが。
FOREVERでは全然違っていて「人々の記憶に残っていれば仮面ライダーは現れる」という、ぶっちゃけ、Fate/GOみたいなものになっていた。英霊じゃん。
なので、方向性が前作から違ってるじゃん!とは思うのだが、現実とか虚構とか、そんなの厳密じゃなくていいよっていう映画なので。
というか、まあ、虚構の存在だろうが人類史の記録の残滓にすぎないとしても、ヒーローは存在する限りかっこよく活躍するのだ!という正義のカッコよさをアピールする方針は一貫していると思う。
あと、この映画では仮面ライダーが虚構の存在でテレビ番組の一つとされる世界が描かれるが、その世界自体が、「自分が君臨するために仮面ライダーの消滅を願うタイムジャッカーのティード」と「仮面ライダーの記憶をたどるために過去に干渉しようとするイマジンのフータロス」という怪人が仕組んで作られたものなので、完全にこのスクリーンの此方側の基底現実と同じではない。怪人や怪異が存在するのが前提の上で、仮面ライダーが恣意的に抹消されている世界なので、「仮面ライダーはテレビ番組に過ぎない」というネタはインパクトがでかいけど、よくよく考えるとそれも現実とは違っているという微妙なズレが有る。
というか、タイムジャッカーのティードは君臨するために仮面ライダーを抹消しようとしたけど、怪人の力は使うので。怪人がいる限り、アンチボディである抗体の仮面ライダーが駆けつけるのは当たり前だろうが!
ティードも結局アナザー仮面ライダーの力に頼ろうとしたしな。リアルに考えようとしたら、仮面ライダーより自衛隊や米軍を消したほうが君臨しやすいと思うのだが、これは仮面ライダーのかっこよさを見せるための映画なので。
- 大衆と仮面ライダー
大衆が「仮面ライダーになんとかしてほしい」と思って仮面ライダーを呼び出して頼るのはちょっと身勝手な気がしたのだが、仮面ライダー同士の関係のドラマもある。
この映画の時点ではまだそんなに仮面ライダーに慣れていない仮面ライダージオウの常磐ソウゴが、クールな先輩の仮面ライダービルドの桐生戦兎に「なんで戦えるのか?」と前作の万丈のような疑問をぶつけて、「そのうちわかるよ」って返されて、それで納得するのがかっこよかった。ソウゴは理屈は関係なく「なんか、行ける気がする!」で王様になるライダーなので。大衆は仮面ライダーになんとかして欲しいって思うけど、高貴なコスモ貴族主義の仮面ライダーは自分が仮面ライダーになる。そういう継承と成長譚の部分はスパイダーバースと共通してあるし、負けてないと思う。
スパイダーバースのスパイダーマンは保安官やカウボーイのように街の治安を守るという点で政治家に認められて社会に組み込まれているが、FOREVERの仮面ライダーは、個々の人々の「かっこいいヒーローの記憶」から呼び出される英霊や多神教的な神のような存在で、そこもアメリカと文化の違いを感じた。
- 家族の話
僕は脳内妹の世界じゃない方の基底現実の家庭が崩壊しているので、スパイダーバースの親子の話はちょっと苦手だったのだが。
FOREVERの仮面ライダーの家族の話は親子ではなく兄弟だったので、まだ見れた。
仮面ライダークウガの放送前日に怪人に誘拐された当時7歳の兄と、その日に生まれた仮面ライダーオタクの18歳の弟、という微妙なSF感覚が面白かった。
というか、僕は仮面ライダークウガの当時17歳だったので、誘拐された少年に感情移入してしまった。僕も当時、テレビくんを立ち読みして「仮面ライダーのテレビ放送が復活!ロボコンはこの布石だったのか!A NEW HERO. A NEW LEGENDが始まる予感!」って仮面ライダークウガを第一話から正座待機してグロンギ語もネットで覚えたりしてクウガのオタクになった。
あの当時のニチアサのメタルヒーローシリーズのブルースワットのリアル路線からビーファイター、ビーファイターカブト、ビーロボカブタック、テツワン探偵ロボタック、のキッズ路線になって燃えろ!!ロボコンが放送されて、策がつきた感じではあった。
(ちなみに、僕は宇宙刑事ギャバンが放送された1982年生まれなので、メタルヒーローシリーズの申し子でもある)
同時に、雨宮慶太監督のリアル路線のゼイラムとかハカイダーとか、グロテスク路線の真仮面ライダーとかがあったり、ZOとJで原点回帰か新作要素かを映画で模索したり、ゴジラVSシリーズが終わったりミレニアムシリーズが始まったり、樋口真嗣監督による平成ガメラ三部作が大成功したり、90年代の特撮界は色々あった。ティガのヒットによるウルトラシリーズの復活とか。あと、新世紀エヴァンゲリオンとか。
現実にもオウム事件とか、キレる17歳(僕の世代)とか、世紀末感があった。
そこで、満を持して出たのが警察ドラマとしても怪人シミュレーションとしてもヒーローのオモチャの良さやドラマとしても本格的だった仮面ライダークウガ。
僕は当時からオタクだったのでそういう中高生の頃になぞっていた特撮の流れから「本格派の仮面ライダーが復活する仮面ライダークウガは超楽しみ!」だと思っていて最初からハマったのだが。
この映画に登場する7歳にして仮面ライダークウガが始まる前日に誘拐されたので見てないのに、「仮面ライダークウガ超楽しみ!」っていう少年・・・。オタクエリート過ぎないか???
で、その少年が誘拐されたせいでクウガの第一話の前日に生まれた弟は電王からハマって仮面ライダーにドハマリしてグッズを部屋中に集めるオタクになった。
誘拐された弟のことばかり考える親のせいで、自分は仮面ライダーで現実逃避するっていう高校生に育ってしまった。しかし、現実逃避にしてはクッソ高いグッズを部屋中に集めてて、バイトもしてなさそうなので親からかなり金をもらってたっぽいし、すごく羨ましい。
僕は変身ベルトアークルとビートゴウラムしか買えなかった。
仮面ライダーになんとかして欲しいって思っていた幼児が、「仮面ライダーなんか現実逃避」って言う高校生になるの、辛さがある。でも、未来から来たイマジンに一つだけ願いを叶えてやるって言われて「仮面ライダーに会いたい」って願うので相当なものだ。
というか、この映画は仮面ライダーという概念がかなり絶対的な価値を持っているように描かれている。
敵ですら最終的に仮面ライダーの力で怪獣になったし。仮面ライダーなんだよなあ。
で、仮面ライダークウガからの平成ライダーのオタクとしては、7歳にして放送前からクウガに期待しているキッズとかメチャクチャオタクとして見どころしかない。実際、7歳にして、タイムトラベルして年上の弟を守ろうとするなど、ヒーローの哲学を内面化していてすごい。
だから、仮面ライダーオタクの兄弟を軸にした話なので、スパイダーバースよりもオタクっぽい映画かもしれないけど。平成ライダーというものの文脈の映画なので。社会に認められるかどうかより、兄弟で気持ちよく特撮のオタクするために戦うっていうほうが、オタクとしては価値を感じた。
あと、スパイダーバースはスパイダーマンになってヒーローになって社会に貢献して、人間的に成長する、というアメリカの社会の文脈が感じられたが。
仮面ライダーは巨悪を倒すけど、特に社会的なものではなく、ただひたすらかっこよかった。(ライダーの社会性は各ライダーのTVシリーズで描かれてはいたわけだが。ビルドは内紛の話だったので社会性があったけど、ジオウはタイムジャッカーと未来のレジスタンスというふわふわしたものの争いなので、あんまり社会性はなかった)
スパイダーマンは大いなる責任を背負って大人になる、という文脈があるけど、仮面ライダーはかっこよければいいので。というか、仮面ライダーは単純に大人になればいいという話でもないというか、むしろ大人の仮面ライダー同士が揉めたりするし…。
でも、ヒーローの文脈として「仮面ライダーになんとかして欲しい」を「自分でやるんだよ!」が打倒するのは正しい。
- 映画の面白さ
仮面ライダーは現実逃避って言っていた少年が仮面ライダーになる経緯や、クウガウォッチの入手法など、結構凝ったシナリオをやっていて面白かった。クウガのオタクとしても納得できた。(でも、明光院ゲイツがクウガウォッチを作った次の日に発掘現場は・・・)
あと、とある人物のカラーコンタクトとか、細かい演出が憎い。
また、タイムトラベルと言えばやっぱり電王なのだが。今回は変身前の姿が出てくるのはビルド組とジオウ組以外では電王組だけなのだが。電王の主人公野上良太郎を演じた佐藤健の演技力が今回も光った。
電王の使い方も上手かった。逆に、タイムジャッカーのティードが他のタイムジャッカーと全然連携してないし、そもそもタイムジャッカーが何なのかいまいちよくわからなかったので、ラスボスとしては微妙だった。でも、ティードがラスボスというより、暴走するアナザーライダーというのが重要に見えたので。クウガはヒーローであると同時にラスボスになる可能性も秘めているやつだったからなあ。プトティラコンボとかもそうだけど。
また、映画の撮影としても序盤はホラー展開だったので、微妙に暗いライティングで雰囲気があった。仮面ライダージオウの主人公のソウゴの身の回りの人が次々と記憶喪失になったり、ビルドの新世界のように存在が不安定になったりとホラーだった。
しかし、そういう自分の実在の不安に対して、SF的とか理論的に存在証明するとか、どうこうの理屈ではなく、桐生戦兎が「自分も作られたヒーローだ」って言って心の持ちようとして「虚構であっても自分の全力を尽くす」ヒーローとして戦うのがかっこよかった。
論点すり替えではあるのだが、仮面ライダービルドの戦兎個人やスカイウォールの世界の不安定さがテーマとしてあった作風が立脚点に成っているので、理論はともかく説得力はあった。
まあ、戦闘員レベルの怪人はともかく、敵の頭数が少ないので、そういう盛り上がりは少なかったのだが。
しかし、戦闘員はたくさんいるので、クウガから全部集合した仮面ライダーがそれぞれの見せ場をキチンと見せて戦ってくれてすごくかっこよかったので良かった。
変身前の顔を移さないライダーも必殺技ボイスをなるたけ本人が演じていてよかった。
バイクが集合するのが仮面ライダーのかっこよさだが、バイクで採石場に行けない龍騎もちゃんとライダーしていてよかった。
そして、クウガのバイクアクションはやっぱり頭一つ抜けててかっこよすぎた。
まあ、このクウガはオダギリジョーではないので、なんでバイクを運転できるのか?なんでサムズアップするのか?とは思うのだけど英霊クウガとして概念の存在なんだろうなあ…。
平成ライダーも20作になって、僕もおじさんになってしまい、人生の半分がクウガ以降になってしまったので、必殺技の連続はややオトナ帝国的なノスタルジーや懐かしの番組、というようにも感じたのだが、まあ、かっこいいものはかっこいい。
- まとめ
おじさんになってしまい、ヒーローを見る目線がノスタルジーになってきているかもしれない。でも、やっぱり単純に格好いいライダーがジャンプしてキックするのはかっこいいと感じる、ピュアなハートは持ち続けていきたい。
仮面ライダーにかこつけて社会論とか言う人もいるけど、僕はかっこいいものはかっこいいというボンクラオタクの単純なメンタルでエンタメを楽しんでいきたい。
エイプリルフールはビデオ店から歩いて帰った筋肉痛で寝ていたけど、万丈龍我は僕よりもずっと年下の俳優さんだけど、好きなので借りてきた仮面ライダークローズを見ていこうと思う。仮面ライダーグリスもかなり本編で泣けたんだけどスピンオフが出たし人気があるんだろうなあー。
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