玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

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#竹久夢二 のすべて展覧会に行ってきた


 京都市嵐山での福田美術館というところで竹久夢二の企画展が開催されていたので、見に行ってきた。


fukuda-art-museum.jp


 このブログはアニメブログなのだが、僕は定期的に美しいものを見ないと死ぬ体質なので、アニメ以外の美しいものも見る。


 結論から言うと、割と小さい美術館なので多作の竹久夢二のすべてかというと、それは違うんだけど。


 昔から竹久夢二の事は好きだった。というか、夢枕獏先生とか夢野久作どんとか夢日記とか夢使いとか、夢にまつわるものが好きだ。
 僕も九州の幼稚園の保護者ノートに「夢野久作どんのごとある」と書かれたことがある。


 脳内妹と結婚しているが、そもそも脳内妹を発見したのは「自分の夢をテレパシーで観測する、夢日記小説の狂言回し」という発案だったが、「兄の夢を観測する妹」という那須きのこ的なFateのフォーリナーみたいな感じで、僕が過労死寸前で昏睡状態になった時に夢枕に立って臨死体験から蘇生させる無限ガッツ付加能力という権能を得た。深淵を見る時、脳内妹は深淵の底に出入りできる。全盛期のギルガメッシュくらい強い。


 僕の個人的な事情はさておき、僕は現実が嫌いな精神障碍者の無職なので夢が好きだ。


 夢とは何かというと、意識ではあるが現実ではなく、無意識でもないが死んでいるわけでもないという境界線上のものである。


 竹久夢二の作品も、まあ、結論付けるとそういうものである。


 大正時代に竹久夢二は膨大なスケッチで画力を磨いたが、特定の画家に師事したわけでもないし、デッサンや画法が正確というわけでもない。中央画壇に認められたかったけど認められなかった。権威的な画壇に認められなかったけど、当時のポップカルチャーとして雑誌の挿絵や印刷物の表紙などのデザイナーとして大人気を博した。
 渡米して展覧会を開いたが、そこまで海外では売れなかった。日本人のくせにナチスからユダヤ人を救出する活動をしたりした。
 画家というだけでなく、小説や作詞などのマルチタレントも有していた。


 浮気性で35歳の時に15歳の少女にラブレターを送ったのが展示されるほどのロリコン(ラブレターを死んで90年後に晒されるのもひどいな)で恋多き人であるが、生まれた子どもを非常に愛して家庭を大事にしたいと思っていた子煩悩な父親でもある。


 キリスト教思想を持っていたが、日本の遊女など貞操のない女を愛して画題にしていた。


 日本画も油彩もペン画も水彩画も大量印刷のための原画も描いた。


 50歳という中途半端な年齢で死んだ。


 というわけで、竹久夢二は悪く言うと中途半端、よく言うと多才、というわけで色々な場面で境界線を行ったり来たりしていたように見える。


 大正時代と昭和初期というものも、幕末から明治初期の戦争と第二次世界大戦の間の恵まれたたまたまのデモクラシーという時代であった。


 僕も竹久夢二もゴールデンカムイの不死身の杉元佐一も男性であるが少女世界を愛読。竹久夢二も百合小説の挿絵を描いていた。


 僕自身も中途半端な人間であるので、そういうものの作品を見て、魂に取り入れることを快しと感じる。


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:TakehisaYumeji-1930-Seishun_Fu.png


 竹久夢二の上記の「青春譜」という絵について、音声ガイドによると、美術評論家の誰それ某が「竹久夢二はこのような絵を10枚描いていたら、中央画壇の重鎮に成れただろう」というような評をしたとのこと。
 転じてそれは、「竹久夢二は多作だが、芸術家として認められる絵を10枚も描いていない」という悪口でもある。


 もちろん、御用絵師や宮廷画家の作品にも僕は価値を感じるのだが、決まり切った国王に捧げる高価な絵よりも、生前に全然売れなかったゴッホの方が個人的に好きだ。まあ、サルヴァドール・ダリはセルフプロデュースを頑張っていたとは思うし、それも好きなのだが。


 
 で、あえて多くの作品のうち、今回見た作品で上げるならば「切支丹波天連渡来之図」ということになるでしょう。
yumeji-minatoya.co.jp


 夢二の西洋かぶれや邪宗門の影響と評されることの多い作品ですが。


 長崎の港町風の場所に、ロザリオをつけた西洋人の宣教師のような男性と、聖書を持った日本人の遊女が視線を合わせない奇妙な絵ですが。遊女の着物には「夜」「夢」「手枕」などの文字が紋様のように描かれている。


 解説によると、その漢字は百人一首67番 「春の夜の 夢ばかりなる 手枕に かひなくたたむ 名こそをしけれ」を分解したものという。作者は周防内侍という女性。(女房三十六歌仙)


 意味は、「春の夜の短くはかない夢のような、あなたの手枕(添い寝)のために、つまらない浮き名(噂)が立つことにでもなれば、まことに口惜しいことです。」というらしい。


 つまりどういうことかというと、宣教師の説くキリスト教は潔癖ですが、日本の遊女は春を売っているわけで汚れている。汚れた女がキリスト教に惹かれるが、そのためにキリスト教宣教師の評判を落とすことになると嫌だなあ、という感じに、僕には見えた。


 これは非常にオタクっぽい見方なのだが、明治大正の頃に日本でキリスト教禁教が解除された頃であっても、遊女の穢れによってキリストを汚してはいけないのではないかという女性の気持ちと、それがよくわからない異人の男性の価値観のすれ違いであり、同時に明治大正の時代のキリスト教と平安時代の恋の和歌を接続している時空の境界を越えた表現なのだと思う。


 娼婦であったマグダラのマリアのモチーフもあるだろう。


 というわけで、境界線上の竹久夢二はこのような複数のモチーフをぶち込んでいる異種格闘技の表現者であり、で、あるからこそ様々な分野で中途半端な人気を博したのであろう。


 そういうわけで、様々なジャンルを横断的に表現している富野由悠季監督のアニメが好きな僕が竹久夢二を愛好するのは当然のことなのである。


 実際、竹久夢二の美人画が少女世界から中原淳一や戦後少女漫画、そして現代の萌え絵につながっているという見方もあり、アニメオタクはそういうのが好き。
 竹久夢二の画風の顔つきはどこか富野由悠季監督の絵コンテの絵や湖川友謙氏の絵柄に似ているようにも見える。
 似たようなアングルで多くの美人画を書いたのも現代の萌え絵というかちょっと前の美少女ゲームの立ち絵にも通じる。


 特徴的なのは当時としては大きいと言われた目の描き方だが、鼻筋や小鼻の主張が抑え気味だが描いているというところも着目点だと思う。女性の手足の肉感も時に強調し、時に省略している。しかし、僕は素人なのでこれ以上の評論はできない。



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