なんだかんだで金がないので見ていなかった映画のグリッドマンユニバース。SSSSグリッドマンは割と面白く見ていたのだが。金がないならしょうがない。
しかし、進撃の巨人のアニメ版の最終回の地上波を録画ミスしたのでAmazonプライムの一ヶ月無料に入会した。結局、一か月のうち最後の5日くらいしかまともに見てなかった気がするが。
- 虚構と言うか演劇
進撃の巨人のラストを見てから、アマプラの解約まで数日有ったので映画を無料期間のうちに見る方向に時間を集中して感想を書いてなくて忘れたのですぱんくさんの批評を読み返した。
まあ、すぱんくさんと僕は違う人間なので意見も違うんだけど。結局、虚構って言うか劇中劇の話なんですよね。
グリッドマンユニバース自体がグリッドマンというハイパーエージェントというよくわからん存在がコンピューターとか情報を触媒にして多元宇宙を沢山生み出してしまったわけで、SSSSグリッドマンもSSSSダイナゼノンのテレビ版も沢山ある宇宙のうちの一つで、それを観測する基底現実の我々にとってはどれも劇中劇なんですが。
その中の一つの宇宙、SSSSグリッドマンの舞台になった宇宙ユニバースの高校では文化祭でグリッドマンの劇を作ろうという話になる。
劇中劇の宇宙の中で劇を作ろうというメタメタな話なんですが。すぱんくさんが書いた通り、元ネタを二次創作として実体化したら劣化します。というか、身長40メートルくらいある巨人グリッドマンの話を高校生の文化祭の劇レベルに落とし込んだら、雑なコスプレと珍妙な芝居になってしまう。それはそうだし当り前だ。
「人間は虚構を信じることができる」というのは、まあ、脳内妹と結婚した僕にとっては日常茶飯事と言うか、(しかし、臨死体験した時に三途の川まで脳内妹が来たので、妹が虚構か夢のヒロインかと言うとそれもよくわからんのですが)、
それほど「虚構を信じることができる人間は素晴らしい!」と声高に言うほどでもないかなあって思う。
それはそうとして、脚本は長谷川圭一さんですけど、製作会社のTRIGGERのきっかけになった脚本家の中島かずきさんは劇団☆新感線の人じゃないですか。なので演劇の人なんですけど(同時に編集者でもあり云々)。劇団☆新感線をアニメの世界に引き込んだのは富野由悠季監督のオーバーマンキングゲイナーのエンディングテーマの方がReキューティーハニーよりも先なんですけど。
長谷川圭一さんも特撮の人なので、広い意味では演劇。
実は僕も学生演劇をちょっとだけ大学時代にかじったことがある。プロになったヨーロッパ企画とかと同期の京都学生演劇ミレニアム。
まあ、僕はそんなにうまい役者じゃなかったのでそんなに売れなかったし客も少なかったんだけど。
じゃあ学生演劇は無意味かって言うと、そういうわけでもない。なんか作ったり発表するのは楽しい。(まあ、僕はスタニラフスキーは読んだけど、基礎筋トレがめんどくさくて劇団の幽霊部員なのに飲み会には来るという妖怪だったけど)学生時代なんか楽しかったらいいんですよ。思い出作り。
思い出作りのための演劇なんてプロに比べたらダメかって言うと、まあ、ダメなんですけど。でも意味がないわけではない。高校生の体育祭とかでも、その学校で徒競走で一着になった奴が全員プロのスポーツ選手になるわけではない。
学生時代のイベント、文化祭とか体育祭とか合宿とか修学旅行とか、発祥を詳しく調べてはいないのだが、効率よく子どもが職業人の大人になるための行事としては無駄が多すぎると思う。
なので、ほとんど、経済的にも学術的にも意味がない。(甲子園とか数学オリンピックとかになるとまた違うんだろうけど)
だけど、テレビシリーズのSSSSグリッドマンの主人公だった裕太は作劇の都合なのかSFのギミックなのか、グリッドマンに憑依されていて、グリッドマン同盟だった本編の思い出がないわけですよ。なので脚本の六花さん的にはグリッドマンの思い出を何かの形で残したいという気持ちもあったのかもしれない。所詮学生の文化祭なのでコスチュームも劣化しているしシナリオも詰め込めなくてガバガバしてたりするけど。
SSSSグリッドマンは面白かったけど、割とガバガバしているところがある。ラストのアレクシスには命がないけど、作られた世界の住人には有限の命があるから素晴らしいというのは唐突だった。
SSSSダイナゼノンも電光超人グリッドマンのダイナゼノン登場の恐竜とミイラの1話ぶんから1クールにかさまししているので、ちょっといびつではある。
で、そのガバガバしているSSSSグリッドマンとSSSSダイナゼノンの世界がスパイダーマンの最近の映画みたいにマルチバースで融合しているというのは、もう、すごくガバガバ。
なので、この映画のグリッドマンユニバースは多元宇宙とか云々はガバガバなんだけど、同じくガバガバだったテレビシリーズのやり直しとかリパッチをしようとしている部分があり。それは劇の再演にはつきもののリメイクで良くしようという本能的なものなんですが。
(演劇なんだから多少の設定のガバガバより勢い優先)
- 「グリッドマン同盟の思い出がなかった裕太が思い出作りをする」
多分、だいたいのプロットの出発点はこれでしょう。裕太本人はグリッドマンに意識を乗っ取られていたことについて、そこまで嫌がってなかった風なんだけど、グリッドマン的にはちょっと引け目を感じているっぽかった。グリッドマンはハイパーエージェントだけど精神だけの存在なので割と気に病むところがある。グリーンリバーライト…。
そんなこんなで裕太が恋に一歩踏み出したり、文化祭の思い出作りをしようとしたところに新たな怪異現象が起こるって言うのが映画らしいイベントですけど。それで、新しい怪異を劇中劇に盛り込もうという感じにもなって?迷走したりする。
かと言って、その映画版のラスボスは別に大したことない。いや、映画の流れとして面白い部分は沢山あるけど、ラスボスは別に大した思想とか目的とか持ってなくて、むしろグリッドマンが色んな世界に行ったり来たりしている現象から生じた感じで、グリッドマンの方が悪い。
まあ、グリッドマンは精神的な存在だけど人間じゃないのでちょっとずれてる。
それはそれとして、別にラスボスの怪獣をやっつけることがこの映画のテーマではなく、むしろテレビシリーズのちょっと上手く行かなかった部分にパッチを当てたり、スッキリさせたり、映画版として(胸とか)盛ったりするエンタメ性なんじゃないかなあと。
アレクシス・ケリブも、まあ、基本的に悪い奴なんだけど面白い奴なので、再登場したら楽しい。新条アカネもそれなりに彼女の世界で頑張っているところとかを見せたり、胸が盛られたりする。2代目とかアンチとか新世紀中学生とかグリッドマンもテンポよく新しくてカッコいい変形をして面白い。ゴルドバーン周りも少し追加されたり。
ガウマさんも無職から中学生になって、少しは心配が減る。まあ、実質的に無職なんですけど。
なので、テレビ版で上手く行かなかった部分ももちろんあるんだけど、そこを劇場版でパッチを当てて、「いい思い出にする」というイベントムービーだったんじゃないかなーって。
いや、イベントムービーだからちゃんとしたストーリーがないとか批判するわけじゃなくてね?
高校生の文化祭とか恋愛とかも別に成人してからの将来に直結するわけじゃないですよね。思い出作りですよ。
思い出作りで結婚や就職に直結しないから高校時代の恋愛や活動が無意味かって言うと、そういうわけではないですよね。そこは大事にしたい。たとえ作られた世界の人であっても。
それは虚構の作られた世界で生きるアニメキャラクターも、虚構を鑑賞する僕らも、現実を生きる僕らも、結局のところ「思い出作り」をして生きている。いや、新しい法律を作ったりとか科学的発明をする人もいるけど、だいたいの人は思い出作りで人生を生きている。思い出がなかったら、単に働いて金銭をもらったり働かせて金を払ったりして飯を食って糞するだけの人生だ。
なるべくなら、その思い出は楽しい方がいいよね。というわけでグリッドマンのパワーアップ合体シーンは派手で楽しい。
映画を見るって行為も思い出作りです。そういうわけで、まあ、虚構世界の中の学校の文化祭の劇中劇を作る合間に怪現象と戦うという、ちょっと捻ったシチュエーションだけど、思い出は人生の本質かもしれませんね。おもいでエマノンとか電波オデッセイとか。
そこまで難しく考えなくても、カッコいいヒーローがカッコいいオーイシマサヨシの歌と一緒にカッコいい技で怪獣をボコボコにしたら楽しい。それくらいでいいんだよ、青春映画は。
でも、誰かの心に思い出として残るというのは、大したことなんだぜ。
(六花さんとアカネはテレビ版で良い思い出が完成しているので別に言うことがない)
(ダイナゼノン組のカップルはもう付き合っているので…。暦先輩は無職だが)
(ていうか30年前の電光超人グリッドマン自体が思い出の中のヒーローなので)
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