ガンダム Gのレコンギスタの第11話「突入!宇宙戦争」の、ベルリ・ゼナムの殺人や戦闘に対するリアクションの考察です。
このブログの殺人考察シリーズは2014年から半年放送されたガンダム Gのレコンギスタの主人公のベルリがどんな気持ちで戦ったのかを2015年のトミノアニメブロガーナイトというイベントで私がプレゼンテーションしたものを2016年からまとめ直したものですが、1年くらいたっても半分行ってないので申し訳ない。でも頑張ります。がんばって老骨に鞭打ってやる気を絞り出します。
- 前回の殺人考察
nuryouguda.hatenablog.com
本放送の時の感想
nuryouguda.hatenablog.com
- やる気のない主人公
ベルリ・ゼナムはやる気がないとか独裁者とか動機が分かりにくいとか、いろいろ視聴者に批判されていますし、Gレコはなかなか人気が出てません。(ファーストガンダムに比べると)
実際、前回の10話では敵を格好よくやっつけたのに、今回のベルリは実は11話のAパートではほとんど出番がない。
nuryouguda.hatenablog.com
前回は痛快に敵を殴り飛ばしておきながら…
今回のベルリのAパートの出番はこれだけ!
もそもそとケルベスとハッパと一緒に、宇宙に出たメガファウナの船体の装甲の修理作業を地味にこなすだけ…。(キャピタル・ガードの教官で戦争に対しては穏健派に見えたケルベスが「戦友」という言葉遣いをすることには一定の留保が必要だが)
ふつう、アニメで主人公が戦争に突入する場合、主人公の戦意の高揚を連続して盛り上げていくのが演出の基本だと思う。
しかし、ベルリ、10話で進撃の巨人の荒木哲郎演出で格好良く敵を殴り飛ばしておいて、11話の前半では地味に船の装甲の補強をしているだけ…。盛り上がらない!(まあ、毎回戦闘シーンがない鉄血が盛り上がったのかどうかって言うのもあるんだけど…)
Gレコが面白くないという意見の一つとして、理解にしにくい、というか連続感がないというのがある。
【Gレコが失敗した理由その1・理解できない】
いやもうコレに尽きるでしょw 大体不親切なんだよイキナリ始まった瞬間から劇中用語を説明も無しにポンポンポンポンと。第一話で出てきた「空気と水の球、チェック!」「チェック!」とかさ、実際に水の球が出て来たのなんて5話ですよ。そっからさらに空気と水の球がパイロットスーツの背中にセットされてるのが明かされたのが15話ですよ。ふざけているのか。しかも別に引っ張ったからって特に意味のある内容でも何でもねえじゃんそもそも謎ですらねえ脇設定に過ぎない訳ですよ。
もうね、徹頭徹尾順番通りに出て来てくれない。設定もキャラもMSも。ミック・ジャックさんとか一体何なんだ何の理由で5話のあのタイミングで初登場だったんだ。新キャラで重要人物かと思いきや一切活躍せずに、次に現れたのは8話ですよ。しかも
ヘ カ テ ー に 乗 っ て な い !
【Gレコが失敗した理由その2・共感できない】
とりあえずさ、Gレコの批判意見の中で最も多いのの1つがまあアレでしょ。「ベルリが何考えてんだか分かんない」とかそういう奴だよね。何考えてんのか分かんねえ主人公の行動を追っかけるのがストレスな人が非常に多い、と。まあ分からんでもない。ただねえ、「ベルリの行動が理解できない」ってのは、えーとある意味では間違いじゃないんだけど、多分微妙に違うんだよね。というのも、ベルリの行動原理を何らか理屈づけようと思えば実はいくらでも出来るんですよ。
どういう事かって言ったらさ、ひょっとしたらベルリはアイーダに本気で心底惚れて出来るだけ一緒にいようとしているだけなのかも知れないし、ひょっとしたらキャピタル・ガード候補生である事を凄く誇りに思ってるからタブー破りをしているアーミィが許せないのかも知れない。そういう風に勝手に理屈付けようと思えば実は結構難しくないんだと思うのよあの少年。だから実際には「理解できない」ではなくて、「正解が分からない」というのが正しい表現じぇねーかな、と。
で、そうやってベルリ君の動機が伏せられているのはかなり意図的であろうというのは、富野発言が無い以上は見た側の予想でしかないわけだけど、それなりに自信もって断言しちゃって良いとは思う。
だってベルリに分かりやすいモチベーション持たせようって思ったらそんなんいくらでも出来るじゃん。海賊船行く前に分かりやすくアーミィに反感持つようなシーン追加して、常々「あんな奴らにタワーを任せてられない!」とか繰り返し言わせればオッケーですよ。アイーダへの恋心とかだって、そんなんもっと分かりやすく「あーこの子、アイーダが気になって仕方無いんだ」てシーンは足そうと思えばいくらでも足せる訳よ。でもそこを一切外形的には見せずに、アイーダのピンチを助けに出撃する直前に「恋を知ったんだ」とボソッとだけ言わす。でもそれが本気で命賭ける程の恋心なのか、シチュエーションの高揚感に調子のって格好つけただけなのかまでは明言されない。俺らが何となく想像するしかない。
d.hatena.ne.jp
前回、キャピタル・アーミィーの武装モビルスーツをG-セルフが殴り飛ばして勝ったので、今回はもちろんベルリとG-セルフがイケイケドンドンで戦いまくると期待するのが普通の筋だが、11話のAパートに主人公の出番これだけ。
うーん。
ここで、何が悪いのかというと、もう、構造的にAを描いている間はBを描写できない、っていう動画作品の問題点しかない。別に演出が下手とか作画が乱れているというわけでない。
第11話のAパートはベルリの戦意や殺意よりも、宇宙戦争に突入していくアメリア帝国大統領、アメリアのクリムのサラマンドラ、キャピタル・アーミィーのマスク部隊の殺意や戦意の盛り上がりを描写していくのが主眼なので、物理的に彼ら群像の戦意を描いていくと主人公の戦意を描写できない、という時間経過芸術であるアニメーションの構造的な欠陥にぶち当たる。作中の現実では同時並行的にベルリもマスクもクリムもグシオンも行動しているのだが、テレビアニメの画面で描写しなければならないという枷に縛られたアニメ作品では同時に1か所しか描けない。(それでも、Gレコは場面転換が多いとは思うが)
なので、今回の11話のAパートではベルリの殺人考察ではなく、他の陣営の人々の殺意というか戦意が描かれるのです。
アメリア艦隊の出陣式だったり、サラマンドラで演説をするクリムだったり、クンパ大佐の暗躍だったり、そういうものが描かれる。
しかし、ここで実はベルリの内面がAパートでは描かれていないわけでもない、ということを申し上げます。それがアバンタイトル。いわゆる主人公の特権的なナレーションです。ブレンパワード以降の富野作品は神の視点のナレーションがなくなった代わりに、この主観的アバンタイトルと予告が重要になります。
荒木哲郎とWitスタジオが作った10話からサンライズに引き戻す11話のアバンタイトルですが。
第10話はロボットバトルアニメとして、すごく爽快感のある出来だった。しかし、11話の冒頭で「この10話の戦いはベルリに自信をつけさせたが、結局Gレコの本編では状況が目まぐるしく変わるので大して役に立たなかった」と、出来のいい外部スタジオ制作の10話をばっさりボトルショーとして切り捨てるナレーション。しかも、アバンタイトルでベルリに「状況が目まぐるしく変わる」と言わせることで、地上戦だった10話から一気に宇宙戦闘に行く11話への転換をつけている。また、10話で「恋を知ったんだ!誰が死ぬもんか!」と叫んでアイーダのために雄々しく戦ったベルリが11話の前半では急にクールダウンしていることに対しても、「戦いの自信が役に立つことはなく、状況は変化しているからベルリもついていくだけ」というアバンタイトルの一言二言で、テンションのコントロールをしている。
これは非常に技巧的でうまい。10話で戦ってテンションが割と上がりきっているが、そこからテンションや高揚感を上げまくって戦い続けるのもなかなか作りにくい。なので、いったんテンションを下げて次の戦いに備える予備動作が必要になる。そこで、10話のバトルから直接つなぐのではなく、11話の宇宙戦争に突入するまでに状況が変化して、アニメに描かれていない時間経過があって、ベルリも冷静になってきたのだ、ということをアバンタイトルで示している。
しかし、このアバンタイトルの入れ方が上手いし、時間経過を見せる手法としてもグッドだと思うのだが、問題もある。
大抵のアニメ視聴者はアバンタイトルなんか前回までのあらすじのおさらいだと思って、あんまりまじめに聞いてくれないのだ。僕みたいな富野ファンでも、アバンタイトルはちょっと気を抜いてしまう。映像も前回のおさらいだし。しかし、富野監督はアバンタイトルのベルリの独白でも貪欲に濃厚に情報や時間経過を入れていく演出意図がある。
そこで、なんとなくアバンタイトルを聞き逃してしまう大抵のGレコ視聴者はベルリの戦意が10話の高揚から11話の地味な作業に繋がらないと見えてしまうのではないかな。それで、結局主人公なのにベルリはよく分からないやつだ、と思われる。ガンダムやイデオンのような3クール作品なら、ベルリが10話でベッカーと地上格闘戦をしてメガファウナに戻った後、宇宙戦争に突入するまでに地球から離陸する段取りの話を挟んだだろう。しかしGレコは2クールで駆け抜けた作品なので段どりや時間経過の描写は少なく、視聴者が積極的に理解しようとしないと分かりづらい。
(富野作品で4クールだと中だるみするという事例も多いのだが…)
ともかく、ベルリが恋を知って舞い上がって戦いまくるという展開にならず、他の陣営の思惑や状況の変化があってベルリも興奮しっぱなしではなく、宇宙に上がるためには地味に宇宙船の補強をしなくちゃいけない…。という展開でテンションコントロールをしている。
ここら辺はGレコが感情的に一本筋ではないのでわかりにくい作品だ、と言われる所以でもある。同時に、やっぱり宇宙ロケットが好きでガンダムにオニール計画を入れた富野監督が「宇宙に上がるロケットにはそれなりの手順が必要」という趣味もあるんだろう。
しかし、モビルスーツがトンカチで叩いたら船の装甲と同化するゲルってめちゃくちゃオーバーテクノロジーだな…。金属かセラミックスか高分子化合物である宇宙船の装甲と同化する素材(成形ラバー)はリギルド・センチュリーの大発明というか、ナノテクノロジーを超えて錬金術じゃないの?
そういう点でもロボットアニメからでも子供の宇宙とか理系への興味を導きたいって言う啓蒙主義的な富野監督の考えを感じ取れる。
また、このアバンタイトルは「どっちを向けば、明日があるんだ?」とベルリが独白している所で、「ベルリが見つめるアイーダさん」を入れている文学的センスもいいよね。ベルリ弟はどこかで姉を「向かう明日」の指針として頼っているのか、それともスケベ心なのかって言う。
また、武器と修理道具は違うと言うケルベスにとって、ベルリの呼び方の生徒と戦友はどう違うのか?っていうのも考えどころとしては面白い。(この絵のキャラクターとMSが並列になっているような全天モニターの描写も面白い。ジョジョのスタンドと本体のようにキャラクターとMSが重なっている感じがする)
- 戦意の少ないアイーダ
私もブロガーなのだが、文章を構築するのは手間なので、11話の描写の時系列に沿って書く。アバンタイトルでベルリがアイーダに明日の指針を求めたような直後、ラライヤを止めて船長にクリムをけん制するように求めるアイーダが描かれるのも興味深い。Gレコのテレビ版(と、この時点では言っておく。劇場版はいつか?)、においては行動するベルリに対して指針を作るアイーダという対比があったと思うが、絵的に派手に戦うベルリに対して、精神的に成長していくアイーダはアニメーションという媒体の性質上、分かりにくい面があった。
しかし、今回、明確にドニエル艦長に対して「カーヒル大尉の立てた作戦はやる意味がなくなった。キャピタル・アーミィが守りに入ったのですから」とアイーダが言葉にしたことはやはり、重要だろう。思い人であったカーヒルの意志を継ぐという単純なことではなく、状況を見てそれはもう無意味に変化したことを受け入れるくらいの頭の良さや判断力のある姫だ、ということを視聴者の僕らはアイーダさんを分かってあげるべき。
ただ、戦争を嫌うアイーダが暴走しかけているラライヤを縛り上げて生体活動を低下させる、つまりうっかり殺人未遂をしている。なので、戦争反対!って言っている女たちも無自覚に殺しをするかもしれない、って言うメッセージがあるのかもしれないし、単にSM趣味の富野がラライヤを縛りたかっただけかもしれない。
ここまでで11話のAパートの1割なのである。密度が濃い。
Gレコは(TV版ではわかりにくかったかもしれないが)女王誕生を描く物語なので、アイーダ・スルガンの知性は他のキャラクターよりも高く描かれている。一応ダブル主人公の姉だし。で、前述のとおりアイー ダは「戦う意味はない」と一種悟っているのだが、大きな目で見て戦う意味が無いとわかっていても、勝てば官軍という気持ちで戦いたがる人々がいるのがガンダム。
理性的で知的な大人の代表がアイーダとベルリの養父母。グシオン・スルガン(アメリア軍総監)とウィルミット・ゼナム(キャピタル・タワー運行長官)である。彼らは理性的に大局の利益を考える要職についているエリートである。そんなトップエリートから見ると戦争などは愚かで無益なことだ。だが、人はそれをする。
ウィル長官は「大陸間戦争をしているアメリア帝国軍であっても、タブー破りをして宇宙艦隊を発進させて、しかもキャピタル・タワーを襲うことはないだろう。キャピタル・タワーは人類共通の財産であり、それを攻撃することはないのだ」と考えている。
その彼女の眼前を、まさに彼女が乗っているキャピタル・タワーの宇宙エレベーターのクラウンの貨物車両から、彼女をあざ笑うかのように、彼女の国で新設されたキャピタル・アーミィの新型MS・マックナイフが出撃する。しかもタワーの高度と位置エネルギーを利用してキャピタル・テリトリィから大量の物資を持ちだし、成層圏を上昇している宇宙戦艦スペース・ガランデンに届けている。ウィルのタワーが軍事物質の密輸に利用されたのだ!(キャピタル・タワーが聖地であるので、そこから軍事物資を横流しするというのは物理的な位置エネルギーの利用と同時に、宗教的なタブーで検閲を逃れてゴンドワンとアーミィの共同の戦艦のガランデンへ集団的自衛権の後方支援をすることでもある。憲法9条のある安倍政権の下で育った若者たちはこういうアニメから現実に対する見方を養ってほしい)
戦争ではあらゆる人があらゆるものを利用して殺し合いをするので、安心はできないしウィル長官のように安心している人の財産がいつの間にか軍事利用されることはある。殺意や戦意が薄いウィル長官は自分に戦意がないと思っていても、その足もとでマスク部隊やアーミィの戦意は芽生えているのだ。
非常に戯画化されているシーンだが、お分かりだろうか?
ロボットアニメなどを見ている昨今の若い人は統帥権という言葉をご存じだろうか?(THE ORIGIN世代の方などは安彦良和先生の歴史漫画などで読んだ方も多いかと思う)
キャピタル・タワーからはマスク部隊の他にグシオン・スルガン総監がウィル長官から譲り受けた大気圏突入グライダーが発進して、アメリア帝国のニューアークに向かっていた。それがあろうことか、アメリア帝国軍宇宙艦隊の先鋒のサラマンドラの機関砲に冗談半分、訓練半分で撃ち落とされそうになった。しかも、そのサラマンドラの部隊を指揮している大隊長はアメリア帝国の大統領の息子、クリム・ニックである。
グライダーを戦艦が冗談半分に撃つというのは、メカ戦闘としては軽いのだが(実際にWWIIでは日本の民間人が空爆帰りの飛行機の冗談に殺される銃撃の事例は複数あるらしい)、アイーダの父を大統領の息子のクリムが知らずに殺害しそうになったというのは無茶苦茶政治的にヤバいシーン。これ、死んでたらどうなってたんだ…。誰も遺体確認できないので完全犯罪になるぞ。
グシオン・スルガン総監は割と頭がいい人だと思う。なので、軍のトップにも成れたし軍を自分の理性で動かせると思ってもいる。統帥権とはざっくりいうと軍隊全体に対する指揮権のトップで、軍事的行動や殺し合いの責任者としての判断する権利みたいなものなのだが。グシオンは理性的に考えて統帥権を政治家が侵害することは組織の判断力を破滅的に間違わせるので良くないと思っている。
しかし、大統領とその息子は自分たちが権力に物を言わせて好き勝手して軍隊を利用して世界を自分の思い通りにしたいと思っている。クリム・ニックはそういう軍隊を利用して鼓舞するために民間の(と、クリムが思っている)小型グライダーを殺害しようとした。結局、テレビシリーズの終盤でグシオンはやられてしまうのだが、テレビの中盤でもグシオンは割と命の危機にさらされている。現場主義の指揮官は銀河英雄伝説のラインハルト皇帝みたいに格好良くなくて、割と地味に殺されかけるんだよなーって言うGレコの死のリアリティラインがある。
戦争での殺意や戦意は対象を認識していなくても、主体に覚悟がなくても、客体を容易に殺傷するのだ、という殺意の本質を付いた尖ったシーン。文学的ですらある。しかし、アニメとしては「機関銃をグライダーが避けた」というくらいの動画の印象しかないし、グシオンもクリムに殺されかかったことを大統領にセリフで告発したりしないので、視聴者は流し見しがち。
うーん。Gレコはヤバいことをやってるのにいちいち音楽や台詞で盛り上げないでやばいことをスルーしがちに演出する。テレビ的な演出なら「ここは感動するところですよ!スリル・ショック・サスペンスですよ!!」ってガイドライン的な演出をつけるのが常道だと思うが…。50年もテレビ漫画をやっていた富野由悠季がそれを知らないはずがないのに、なぜそれをしない…。戦争ではかくも容易に人が死ぬということの意味を戦争を知らない子供たちの後世に伝えたいとでもいうのか…。
このように、理性的に頭のいいウィル長官やグシオン総監のような大人が「いや、戦争とか誰も得をしないしやらない方がいいだろ…」って思っていても殺意や戦意を抱いて行動に移す奴はいるのだ、ということをGのレコンギスタは描きたいのかもしれない。
じゃあ、それを現実の自民党とか集団的自衛権とか経済発展とかに対して富野由悠季がどうしたいのか、って言う意見書ではないし、やっぱりガンダムは物語なのだと思う。未来の戦争を舞台にしてそこで生きている人を描いた物語だけど、それを現実の思想でどのように利用してほしいのか、ということは富野は特に限定していないようにも見える。これはマナーの問題かもしれないのだが、創作家の矜持として現実の政治に対して後付けする思想的意見として作品を作るのではなく、現実を資料として創作をしたいという気持ちなのかもしれん。主従において現実ではなく物語の方が主である、と言うのがある意味創作家の狂気かもしれんが、まあ物語と言うのはそういうものだ。
- 殺意繁れる・衛星軌道上戦艦の恋人たち
で、ベルリとアイーダの親たちの殺意への感受性の低さを嘲弄するかのようなシーンの後に、ベルリとアイーダの同級生であったマスクとクリムが戦意高揚していくシーンを入れるのが「構成力」として強い。というか、このAパートの半パートだけでもなまじのアニメの情報量なら1話作れそうなものなのだが、Gレコは半年しか枠がもらえなかったからなーーーー!(まあ、半年以上この作画を保てたかって言うとアニメーターが死んでたかもな…)
組織のトップに上り詰めたエリートの親たちが「戦争とか損するだけなので無い方がいい」って殺意薄く思ってるのに、これから登っていこうって言う若者たちが「よっしゃたくさんぶっ殺して出世するぞ!」って殺意を盛り上げていっててヤバい。しかもそれが戦意とか憎しみとか政治的理由じゃなくて「女子にモテたい。カッコつけたい」という本能レベルの闘争本能になってるのがヤバい。また、政治とか戦争とかの話をするとミリタリーとか社会学のオタクっぽい頭でっかちな議論になりがちですが、ここで男女の痴情のもつれをぶち込んできて親近感が沸くようにテレビアニメーションらしい肉感を持てるようにGレコは努力している。努力はしてた!でも富野監督本人も「肉感が薄い作品になってしまった」と言う風に反省している。これでダメだったらどうしたらいいんだよ!未来オリジナルSFの世界観の説明をしつつメッセージを盛り込みつつ劇としても盛り上げるのは、本当に匙加減が難しい…。
まず、キャピタル・タワーから新型モビルスーツ・マックナイフ6機とともに大量の軍事物資をガランデンへ輸送したマスク大尉。
軌道エレベーターについて調べた人ならわかると思うが、聖地のキャピタル・タワーから降下して宇宙船に新型MSと軍事物資を持ちこんだ手腕はすごい。宇宙船は重いものを持って宇宙に上がるのが苦手なので、軌道エレベーターから補給を受けるとすごい助かる。それを以ってマスクは連敗を払拭して勝つことを宣言してキャピタル・。アーミィーの士気を高揚させる。
キャピタル・アーミィーの士気を高揚させて、マスクは自分の殺意や戦意を増幅させる。ここでマスク部隊が単純に戦意を高揚させるだけでないのがヤバい。
マニィとルインの関係がヤバい。
マニィは宇宙戦艦スペース・ガランデンの雑用係のリーダーになるくらいがんばってる。そこに、8話ラストででガランデンにいったん着陸した後9、10話でキャピタル・テリトリィに戻ってマニィと離れていたマスク大尉が戻ってくる。戦場に行った友達を探すために女子高生から兵隊に転職して、配属された軍艦で恋人のルインが変装しているマスク大尉と再会して、マスク大尉の正体を自分だけが知っているっていうすごい乙女のロマンスをモチベーションにして、マニィはマスク大尉がガランデンを離れても一生懸命戦艦での仕事をしていた。
この8話のロマンチックな対話がマニィのきつい軍艦での仕事を支えていたと思う。雑用班のリーダーになるくらい頑張った。えらい。そこで
自分だけが正体を知っている恋人でエースのマスク大尉が仕事ぶりを褒めてくれる。マニィ、すごくうれしかったはず。
雑用班にエース(実は恋人☆)が直接「よろしく頼む」ってのも、マニィの乙女心をくすぐるだろう。それで、マニィは「戦争の仕事を頑張ろう!」って思ったと思うのだが、その直後に。
「誰よ、この女!」
である。
「雑用係として従軍してるけど、実はエースの正体が私の彼氏って知ってるのは私だけ!」っていう滅茶苦茶乙女チックな状態のマニィに、いきなりバララが横から入ってきて「ルインが私の知らない女の足を撫でてる!どういう関係!」って落とされる。富野監督はお子さんが二人とも女性だからなのか、たまにすごく少女漫画みたいな展開をぶち込むよな。
で、マニィもなんだかんだ言ってまだ女子高生の子供だし、自分の恋心とか嫉妬心とか、うまく整理できない年頃。女子高生からいきなり軍艦勤務っていう異常な状態だし、ルインが他の女と近づいてて腹立つ、っていう個人的な感情が「クンタラの名誉を賭けたはずなのに…」という階級闘争的な怒りとごちゃまぜになってしまう。ここら辺がラストでのベルリとの対戦への伏線になってて、構成としては分かりにくいけど巧い。個人的な恋心や鬱憤と軍事的な戦意がごっちゃになるのはガンダムではよくあること。
で、11話のBパートを飛ばして戦闘シーンの後のラストのマニィの台詞だけど。マニィはこの時点ではまだベルリがG-セルフやメガファウナに乗っていることを知らないけど、「大尉のマックナイフを傷つけたG-セルフはひどい奴」という印象を深める。こういう細かい所から徐々に殺意の芽が育って行っているんだなあ…。
- 殺意繁れる・衛星軌道上戦艦の恋人たち2
クリム・ニックとミック・ジャックのシーン。
兵士の殺意をあおるクリム・ニック。
民間グライダーを演習で殺せって、めちゃくちゃ殺意を煽っている。クリムも知らないが、そのグライダーにはグシオン総監が乗っていたのに…。
生存競争!動物的な権力欲と性欲と出世欲を煽って殺意を盛り上げていくクリム。
(あと、どうでもいいけど、今回はMSがジョジョのスタンドのようにキャラの後ろに立っていて誰がどのMSに乗っているのか分かりやすい。というか、MSが拡張身体って感じ)(また、Gレコは塗りがキャラクターはベタ塗で、MSが筆のタッチが筋状になっていて、背景のメカはパネルとか格子状に筆のタッチがあって、そこら辺の描き分けが地味に存在感があっていい)
海賊船にいた時はアイーダを利用して出世しようとしていた(と、アイーダが言っていた)クリムだが、補給部隊のミック・ジャックと深い仲になってからはアイーダではなくミックを女王にして人心掌握しようとしているようだ。アイーダを利用するのはあきらめたのか。ミックを女王にしたくなったのか?
パイロットはおだてて使うものだとクリムは言うが、ミック・ジャックもパイロットで、おだてられているのか?この二人の関係はどうなんだろう。最初はミックはクリムの腕前を観察していて、最後はクリムとミックは結ばれたように見えるが。この11話のころはまだ利用し合う関係だったのか。
おりしもアメリア帝国が宇宙艦隊の発進式をして、大統領が旗艦ラトルパイソンの甲板で演説をしていた。
ズッキーニ大統領が軍を動かす理由は長く続いている大陸間戦争を止めさせるための戦争だと言っている。平和のための軍事行動だと言って大衆の支持を得ようとするのは政治家らしい。
しかし、そうやってヘルメスの薔薇の設計図で急速に10年間で機械化して宇宙艦隊とMS部隊までを作り上げているアメリアとゴンドワンはどちらもクンパ・ルシータに踊らされているのか。しかし、クンパだけでなく設計図をばらまいて喜んでいる宇宙人の技術者もたくさんいるのだろう…。アメリアはラトルパイソンやサラマンドラを作りキャピタル・タワーに侵攻し始め、ゴンドワンはガランデンを建造してキャピタル・アーミィに貸与し、キャピタル・テリトリィでぶつかり合う。クンパの立場では弱肉強食戦争をさせるために両陣営を敵対させ、宇宙世紀時代の機械技術を与えたということだ。最近は核兵器の脅威が現実のニュースでも流れているが、技術はどこからどう流れているのやら。戦争をすれば景気が良くなって老人を減らしてベビーブームが起こせると思うような人間もいるだろう…。
そこへ、グシオン・スルガン総監がグライダーからパラシュートで降下してくる。出陣式の面子をつぶされた形の大統領は怒る。
「今までどこで何をやっていたのか?」
「事実を確認してきたのです」
このグシオンはGレコファンにとって、なかなかヤバい。
Gレコのキャッチコピーは「君の目で確かめろ!」だったのだが、まさにグシオンのこの「事実を確認してきた」と言うのがそれを体現している。体現しているのだが、では自分の目で確かめれば正しい判断と行動ができるのか?と言えばできないでずるずると大人の人間関係や組織関係に飲み込まれて行く、って言うのがグシオンの姿でリアルは地獄って感じ。
グシオンは自分の目でキャピタル・タワーに入り込み、ウィルミット・ゼナム運行長官や法皇とも話し合いキャピタル・アーミィの現状を確かめた上で、宇宙艦隊の出陣を取りやめてほしいと大統領に言う。が、聞き入れられない。
大統領は「グシオン自身がキャピタルタワーを占拠する作戦を立てたのだから、やれ」と言う。グシオンにとってはキャピタルタワーを占拠しようと思っていたのはカーヒルが生きていて、キャピタル・タワーで運行長官や法皇と話し合う前の自分の考えで、事実を確認した今は違う。違うのだが、過去の自分の行動に縛られる。
今さら取り消せない軍令にグシオンは縛られている。で、その軍令の重みはどこから来るのか、と言うと、まさにグシオンの背後の兵士諸君の人々の圧力、空気。
先ほどのクリム・ニックが兵士を煽る時に、背後にクリムの乗る宇宙用ジャハナムがあって、それがクリムの自信を後押しするような形だった。
逆に、このニューアークのシーンではグシオンが総監だからこそ、部下の兵士や将官を「背負っている」と言う暗示になっている。グシオン・スルガンはモビルスーツのパイロットではないので、その力の源は総監としての立場や総監を支える軍の組織力なのだが、それがしがらみになって、グシオンに「自分の目で見てきたからと言っても、行動を軽々しく変えられない」という圧力になっている。
また、逆にズッキーニ・ニッキーニ大統領の背後にはラトルパイソンの艦橋がそびえたっている。大統領は大統領で「これだけの予算をかけて軍艦を作っちゃったんだから」という大人の事情を背負っている。だからグシオンが個人的に対話をしても出陣は止められない。
この、グシオンの立場は本当に微妙で、自分の目で確かめて対話をしても、それは所詮個人的な経験にすぎず、動き出した組織の軍事行動は止められない。
SEALDsの「もし戦争になったら北朝鮮と酒を飲んで止める」という発言があったのはGレコ以前だっけ?
グシオン・スルガンは優秀で賢い人だけど、そういうエリートのトップが個人的に戦争の相手国のトップと対話をして、冷静に戦意を捨てても、組織や国家に蔓延する殺意を止めることは難しいのだ。というエネルギーやベクトルの話がある。
結局、「世界を解放する」という大統領の美辞麗句と組織の圧力でグシオンは艦隊出動に反対なのに、艦隊司令に復帰することになってしまった。
ここら辺は第二次世界大戦を分析しながらも、空気に流されて停戦をできなかった日本軍のインテリ軍人のメタファーかもしれない。
また、アニメの絵としても、自分の目で見て確かめても何もできない、と言うグシオンは未来のベルリの姿かもしれない……髪型が似てるし。っていう怖さもある。「君の目で確かめろ!」というキャッチコピーだが、自分の目で確かめられるグシオンの行動がすべてうまくいって平和につながっているか、って言うとそうではないという展開を入れるGレコの奥深さよ。
- 大人たちの殺意
傍観者を気取りながら、戦争の火種を撒いて地球人に無差別に殺し合いをさせようという殺意の塊なのに、日常的に虐殺の種を20年も撒きすぎてて殺気が無いように見えるヤバいクンパ大佐。
そして、彼が黒幕だと分かっていながら自国の利益のためにクンパを利用していると思っているジュガン司令。そして戦線は拡大する。
前回、第10話でベルリは「メガファウナに戻ることを母も許してくれます」と独り言を言った。しかし、その母であるウィルミット・ゼナムは理性ではベルリがメガファウナとG-セルフに乗って宇宙で戦争に参加すると予測できたが、「ベルは私が育てたのよ!」という感情でベルリが戦闘をするわけがないと殺意を否認している。
ウィルミット・ゼナム長官が法皇と一緒にザンクト・ポルトに向かうクラウンに乗りながら、ベルリと連絡を取り合おうとしない、ベルリの現在の位置を知らない、と言うのは常にLINEで相互監視しているスマホ世代にはちょっとわかりにくい。ミノフスキー粒子もあるんだろうけど、宇宙エレベーターは有線通信で地上と連絡できないんだろうか?
一応第2話でデレンセンとルインがスマホみたいなものを持っていたので、個人通信端末はあるんだろうけど…。まあ、互いの位置が分からないし連絡できないからこそできるドラマ、って言うのは昔の方の「君の名は」でも常套手段だったしなあ…。
キャピタル・テリトリィに戻ったのに、ベルリは前回メガファウナに乗ることを選んでしまったので、ベルリはキャピタル側に自分の位置情報を知らせるようなことはしないだろうけど。海賊船だしジャミングやステルスの性能はあるだろうし。しかし、デレンセンが出撃目的にしたベルリ救出がキャピタル側でうやむやになっているのはどういうことなんだろう。ウィルミットの命令でベルリは保護観察処分になってもおかしくないが、海賊船に乗ってしまう…。
うーん。キャピタルの世論やマスコミではベルリの生死や行方はどういう扱いになっているんだろう…。Gレコはあまりマスコミが描かれないのかもしれない。∀ガンダムでは新聞記者のフランが活躍したのだが。
とにかく、ウィル長官はベルリが殺意や戦意を持っているとは思いたくないようだ。
対して、ズッキーニ大統領は息子の殺意を自分の殺意を込めた艦隊で守らせようという父親としての振る舞いを部下に隠そうとしない。ゼナム家とニッキーニ家の対比がある。
CMを挟んで
キャピタル・タワーから急きょ艦隊司令に復帰したのに、堂々と命令をするグシオン・スルガン。
だが、法皇を人質に取る、と言う時は顔を伏せてどうも嘘をついているかのような演出。出陣式での大統領とのやり取りを見ると、グシオンは艦隊出動自体に反対だったが、出動を止められなかったので、しかたなく艦隊が戦争しすぎないように自分が最短でザンクトポルトに行って戦争を終結させよう、という意志を持っているように見える。グシオンの目的は戦闘ではなく収拾だが、しかし大統領の言葉や今後の展開を見るに「法皇を人質に取る」という言葉だけが独り歩きしてしまっているようだ。グシオンにとって法皇を人質に取ることは「トップを抑えて戦争の拡大を防ぐ」ための方便なのだが、組織では彼のその意図は伝わらず、「法皇を人質にするレベルでタブーを破って戦ってもいいんだ」という逆に取られて殺意が拡大してしまっている。
グシオンが「ザンクト・ポルトへ向かう」って言った時にラトルパイソンの艦長は「そんな無茶な!」と反応した。しかし、グシオンは戦線を拡大させずにトップを抑えたいのでザンクト・ポルトに直行したい。だから「法皇を人質に取るという方法もあります」と言う方便を使った。ザンクト・ポルトに直行するのは作戦としては無茶なので、それを将校に納得させるためには法皇を人質に取る、くらいのはったりが必要。
ラトルパイソンの艦長はそれで「こちらが一方的にキャピタル・タワーを蹂躙する展開になる」と考える。ラトルパイソンの艦長はまだキャピタル・アーミィーと戦った経験がないのでアーミィーから損害を与えられるとは考えていない。グシオンは「そうなりましょうな」と軽く受け流すが……。グシオンはキャピタル・アーミィーを見ているので一方的に勝てるとは思っていない。しかし、艦長にそれを正直言わない。グシオンは自分の真意を部下に伝えても仕方がないし、それより黙って艦隊を効率よく動かすことで自分の目的を達成しようとしているようだ。
人が分かり合えるかどうか、っていうガンダムの続編なのに、そういうオカルトじみたコミュニケーションではなく腹の内を隠して身内でも利用し合うGレコ…。
- 宇宙・ベルリの殺人考察
そんな風に第11話の前半は各陣営の殺意の増幅を点描して整理していったのだが。
後半はベルリがどう戦ったのか、という本来のこの考察の本筋に戻る。文字通り宇宙戦争がとっ散らかっているので、ベルリ以外の陣営を考察すると疲れる。
第11話の序盤で「アイーダは殺意が少ない」と書いたが、それは「キャピタル・タワーを占拠する作戦はやる意味がなくなった」と言っているだけで、逆に「サラマンドラをクリムに任せておけない!」という方向でやる気を出している。
一方、ベルリは殺意ややる気はない。自分から何かしたいことはほとんどない。アバンタイトルでもどっちを向けば明日があるのかわからない状態。
ただ、第10話の経験から、とにかくアイーダさんを守りたい、アイーダさんを危険から遠ざけたいという気持ちがあるようだ。前回、ウーシァからG-アルケインを救った経験からアイーダさんを守るべき保護対象として認識し直したようだ。それはアイーダ本人にとっては迷惑かもしれないが。ともかく、ベルリはアイーダを前線から遠ざけようとしている。でも、アイーダは突貫娘なので出撃したがる。
なので、間を取って「G-アルケインはメガファウナに居たまま、混戦から抜け出した敵を狙撃してください」という方向でベルリはアイーダを説得する。それで、ベルリは自分には戦意や殺意がないのに、アイーダに戦わせないために自分が宇宙用バックパックでガンダムに乗らなくてはいけない、って言う状態に追い込まれる。
- マスクとの会戦
今回、ベルリ・ゼナムはマスク大尉と戦闘をしますが、これは全く不幸な事故としか言いようがない。
nuryouguda.hatenablog.com
本放送中の感想で、マスク部隊とサラマンドラ部隊が同じ方向から同じようなタイミングで発信する演出は敵味方が分からなくなるから良くない、邪悪なコンテだ。という感想を述べた。
一応、放送当時も「キャピタルタワーが画面の右方向で、左から右へそれぞれの部隊が進軍している」ということを整理はしたのだが。
未だにここでサラマンドラ部隊とガランデン部隊が同じ場所にいるように見えるのは問題だと思っている。(宇宙なので方向が似ていても高度は違うのだが)富野アニメは宇宙空間の広大な立体空間を存分に描いているので、もしかしたら二次元のモニターで表現するアニメーションという媒体では表現しきれないものを描いているのかもしれない、って言う気持ちもある。
入り乱れている。
今回の大きな枠としてはキャピタル・タワーに侵攻をかけるアメリア軍のサラマンドラ部隊とクリム・ニックに対して、キャピタル・タワーから防衛部隊が出て、そこにガランデンのマスク部隊が増援をして対戦する。というのが二大対戦。で、メガファウナがその間にいて、後ろからラトルパイソンが上がってきている。
なので、本筋としてはマスクとクリムが戦うべきなのだが、マスクとベルリが戦うことになった。
マスクはキャピタル・タワーの部隊に光信号を送ったが、その直後にメガファウナに反応して転身する。
地球の低軌道宇宙空間で飛び続けるには、遠心力の慣性で重力を振り切るように地球に沿って円運動をし続けなければいけないのだが、なんと、マスクはキャピタル・タワーに向かっていたのに強引に正反対の方向に進路を逆転する。
これはスペースシャトルがいきなり方向転換するようなもので、めちゃくちゃなのだが、とにかくマックナイフはそれができる性能があるらしい。しかし、アニメーションとして見た場合、マックナイフの方向転換はセリフの合間の1秒にも満たない間に行われるので、いくら尊敬する富野監督の演出でも、これはどうなのかな…とっ散らかりすぎてないかな…って思うんだが…。
ともかく、方向転換したマスクはメガファウナから真っ先に発進したケルベスのレックスノーを捕獲する。
マスクのマックナイフ部隊は本来は海賊船ではなくサラマンドラのクリム達と戦うはずだったのだろう。でも、ベルリ・ゼナムにこだわりのあるマスクは転進してメガファウナに向かう。
クリム・ニックはその間にキャピタル・タワーを通り過ぎながらキャピタル・アーミィーと戦うのだが。
大活躍。
しかし、クリムも「ガランデンから出たMS部隊の動きが妙だな?」と、いったんは転進している。しかし、キャピタル・タワーからの砲撃で再度転進してキャピタル・タワーに向かって戦った、という微妙にややこしい挙動を見せている。初見ではクリムが2回もUターンをしたのは分かりにくい…。映像の速度がGレコはちょっと早すぎる。
レーダーで左後方のガランデンから出た部隊を察知して、
(ここでブレーキをかけて←に方向転換するが…)
(キャピタル・タワーからの砲撃を受けてまた→に進みなおす)
マスク部隊を気にしてはいるが、軌道を戻るのはエネルギーが足りないので流される。もし、マスクとクリムとベルリが同時に対戦したら無茶苦茶になっていただろう。
- マスクとベルリの交渉
マスクは本来は、キャピタル・タワーに侵攻をかけるアメリア帝国軍のサラマンドラを迎撃するのが任務だったはず。しかし、急転進してメガファウナのG-セルフと戦う。そして、ケルベス中尉のレックスノーを人質にしてメガファウナに「G-セルフとラライヤを差し出せ」と電文を送ってくる。
非常に偶発的な要素が強いのだが、マスクの単独行動ではなく、光信号はバララ・ペオールも了解して送ってきている。
また、第6話のデレンセンは「G-セルフとベルリの奪還」を目的にしていた。しかし、今回はベルリではなくラライヤを差し出せとマスクが言ってきた。なぜ、今回はベルリではなくラライヤを要求してきたのか?クンパ大佐の指示か、マスク大尉の個人的な感情か?
マスクは第10話のラストでクンパ大佐から何かの指示を受けていたようだが、今回の宇宙での会戦は非常に偶発的だ。しかし、マスクの個人的な行動ではなく、バララも同じ光信号を了解していた、って言うのが謎だ。ルインのベルリへの個人的な恨みでの行動ではないのか?クンパ大佐からマスクとバララは海賊船と接触したらG-セルフとラライヤを奪うように指示されたのだろうか?マスクはベルリを逮捕してキャピタルの囚人にするつもりがなかったのか、そもそもベルリを殺したかったのか、追放したかったのか?
と、マスクの行動原理が分かりにくいが、ともかくベルリはケルベス中尉を人質に取られて困る。
「どうする、ベル?やるか やめるか…」
と自問自答するが、ベルリは戦友のケルベスを人質にされているのに、「やるかやめるか」と自問する程度には冷静だし、「やる!」という一辺倒ではなく、戦意が少ない。そして、やるかやめるかという主体性があると思うくらい強さに自信がある。
が、結局は先にマックナイフの指ビームバルカンに撃たれる。シールドで受けたものの、結局は「やるか、やめるか」ではなく「シールドがもった」という所で判断が分かれる。
で、ケルベス中尉の交換交渉になる。ここら辺は偶発的なので、クンパのシナリオというよりはマスクのアドリブだと思うのだが。
G-セルフのシールドにワイヤーを打ち込んで有線接触回線で「G-セルフを渡せ!」とマスクは要求してきて、コックピットから出てくる。生身のマスクを殺害すればいいだろう、って思うし戦艦で何十人も乗っているメガファウナをマスクが一人で制圧できるとは思えないのだが。ともかくマスクはコックピットから出てくる。
それを受けて、ベルリもG-セルフから出てくる。ケルベス中尉が人質になっているというのもあるが、ベルリは生身の人間をモビルスーツで殺害するのは嫌だ、という気分があるのだろう。リギルドセンチュリーのマナーの問題もあるかもしれないが、生身の相手にはベルリも生身で出てくる。そこを撃たれる。
マスク大尉の「これが実弾だったらお前は死んでるから投降は決まりだ!」という謎理論は謎なんだが、この11話の時点ではマスクはベルリを独裁者として処刑するというよりは、自分の方が上だと分からせたうえで遠くにやればそれでいいと思っていたのか。まだ学生の時の後輩という気分があるので、マスクはベルリを殺そうというほど憎んではいないのか。でも、キャピタル・ガードに保護して逮捕してやろうという気分はなく、G-セルフのパイロットとして接収するのはラライヤだけでいいと思っているようだ。ラライヤが記憶喪失のままということは分かっているが。
まあ、そんなマスクの事情とは関係なく、ベルリは宇宙空間での腰が入らない殴り合いでマスクを撃退するし、
ケルベスは生身(しかも元教え子)でもマスクを後ろからMSで蹴り殺そうとするので、マスクの下手糞な交渉は失敗に終わる。
ベルリはマスクはメットの下もマスクの異常者、という印象を強く持つので、続く13話のエレベーターのシーンでマスク大尉と対面しても「マスクの異常者」がルイン先輩という発想にはならないようになったんだろうな…。しかし、マスクの通称がマスクということはケルベスもベルリも知らされてないはずなのだが、自然に「マスクやろう!」って呼ぶということはよっぽどマスクがマスクなんだろうな…。
バララはバララでモブだと侮っていたルアンかオリバーのグリモアの体当たりに吹っ飛ばされる。それでマスクはレックスノーを手放すし、バララもメガファウナを上手く攻撃できなくなる。
マスクは今回の対戦の前まではベルリを殺さずに見逃してやろうという気持ちだったが、殴り合いで負けたのでヘイトがたまったようだ。
そしてバックパックとラライヤがいるせいでメガファウナを攻撃できない、という言い訳をする。
ベルリはアイーダさんに宇宙戦争をさせるわけにはいかない!とアイーダが罪を負うことを避けようと頑張るが、
G-セルフの援護でアイーダのG-アルケインは珍しくバララのマックナイフに攻撃を当てて撃退した。(ここでバララが死んでいたらグシオンは…)
ベルリは今回、突然湧いて出てきたマスクのことは特に意識していないで、アイーダさんに戦いをさせたくない、ということが主な目的だったと思う。しかし、ベルリが戦ってほしくないと思った時こそ、ポンコツなアイーダさんが珍しく敵にビームを当てるっていうのが。ベルリの「なんでもできる優等生だけど肝心な一番やりたいことは上手くいかない」という雰囲気になるんだな。
マスクも一応頑張ってG-セルフのビームライフルをバルカンで弾き飛ばすが…。
ミサイルの爆炎の中から飛び出してきたG-セルフがちょっとした簡易変形の隙をついて関節技…。
普通のMS戦闘ではビームライフルを破壊した時点で、セントラル・ビーム・システムを内蔵しているマックナイフが圧倒的に有利になるはずなのに、G-セルフのベルリはここで爆風の裏から突撃と関節技を迷わず決めてくるので滅茶苦茶ヤバい。G-セルフも強いんだが、ベルリの反応速度もやばすぎる。
そして股間に膝蹴り。これはひどい。∀ガンダムなら即死していた。強すぎる…。
マスクはガランデンの艦長にこういう顔で言い訳をするが、低軌道コースの癖は関係ない。完璧にベルリの異常な戦闘力に圧倒されたせいだし、それとマスク自身がメガファウナを占拠するプランを練らないまま、サラマンドラ狙いの作戦を急きょ変更して突撃したのが敗因。
そんなわけで、特にどちらも損害を受けていないのだが、マスクのベルリへの憎しみだけが増す対戦になった。ベルリはマスクと対面して、ルインだとは思わず、キャピタル・アーミィーの異常者に襲われたという気持ちになる。こういう細かい恨みが積み重なって最終回の激闘になるんだろうな。
ベルリはただ目の前の事件に対応しているだけだが、ベルリが意識していないところで、マスクという他人にドンドン恨みがたまっていく。ベルリが敵をなまじ殺さないで生かしておくから恨みだけが募っていく…。でも、ベルリは天才だからそういう所まで意識がいかない…。
- ザンクトポルトへ
キャピタル・タワーの終端のザンクト・ポルトにメガファウナも向かう、という時にベルリは反対するが、ドニエル・トス艦長もアイーダさんもスコード教の祟りを信じてくれない。
ベルリと同じ地方のキャピタル・テリトリィ出身のノレドだけがたたりを信じてくれているが、ベルリはアイーダさんに惚れているのでノレドと連帯することがない…。
そして次回、聖地で見たものとは?
つづく!
- あとがき
久しぶりにブログを書けた…。体調に考慮して、時間のある時にコツコツGレコの解説をしていきたい。劇場版公開までに26話まで行きたい。とりあえず、ベルリが全戦闘でどんな気持ちで戦ったのかを考えていきたい。
しかし、すべての戦闘行為に解説を加えるって、意外とめんどくさいってことに11話にして気づいた…。数秒の台詞やアクションに対して数分かけて解説文を添えるので、割と大変。でもオタクなのでがんばります。
著者へのプレゼントはこちら
nuryouguda.hatenablog.com
- 次回の殺人考察
nuryouguda.hatenablog.com
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- Gレコ感想目次
nuryouguda.hatenablog.com
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