玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

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で、世間がエヴァで描かれてるのか描かれてないのかだが。

この話では友人も描いてるし、ネルフ保安部員が奥で苦笑していたりと、脇役を通じた世間もまだ書けてはいるな。
ただ、シンジ君が新箱根湯本駅の電車に乗らなかった後に保安部員の姿が消えて、ミサトとシンジの見つめ合いだけに焦点が絞られたのは、やっぱりエヴァンゲリオン的だなあ。群像劇ではないね。登場人物は多いけど、ある意味皆メインキャラだから。
で、背景キャラは背景。ただ、エヴァンゲリオンは魁なのでそこら辺の脇役差別は機動戦士ガンダムSEEDほど自覚的ではないと思う。で、ちょっぴり脇役のリアクションもあったりする。
で、話が進むにつれて、脇役は記号に?
戦略自衛隊のぼやきとかは人間っぽかったんだけど・・・。映画の総理大臣は記号的だったなあ。
あ、アニメ夜話で言ってたんだけどもエヴァでの世間は「成長した時に入っていける世間」ではないってことだったなあ。
機動戦士ガンダムの世間は「いろいろ問題もあるけど世間に入って大人になろう」という感じがあった。
端的なシーンでは、アムロ連邦軍のスパイを暴いて、殺されそうになった後に、人間大人の汚さを描いた後に、名も無い連邦士官が「アムロ君よくやってくれた」みたいに言って、よかったなあ、と即座にバランスを取るシーンが有るわけで。あと、ニュータイプって言うのもファーストガンダムの時点では希望的だったし。ニュータイプの洞察力を持って大人社会に入っていければよいというのがあったよなあ。
で、エヴァンゲリオンはなんか、「社会にそんな価値があるとも思えないし、無理して大人社会に入りたくないし、社会を良く変えていこうなんていうのも無理だし、社会の汚い一部にもなりたくないし。そもそも自分自身にもそれに耐える力も価値も無い」的な、・・・。そのなれのはてが引きこもりですよ。
エヴァガンダムの違いは世代的にハングリー精神が無いからかなあ。貧乏だとか言っても、アニメを見たりご飯を食べたりはしてるし。むしろ、未来には資源が枯渇するし日本の対外的な地位も低下、というか今までが不当に高かっただけかもしれないし、これからは奪われるだけなんだから欲しがらない方が良い。というような。
どちらも、能天気に世間の一部になるのが大人の男に成る事だし、男に成るのがいいに決まってると決め付ける価値観に対する疑問には自覚的なんだけども。自覚した後の気の持ちようが違うな、と。
それはエヴァにシンクロしてると勘違いした俺が自分のいつものソレを鏡を見るように見てるだけかしら?あー、そういうふうに視聴者に近いと思わせる戦略は売れるよなあ。
つーか、そんな事をグジグジ考える暇が合ったらソープに行ったほうがいいのかもしれんがな。ははは。中ニ病だから風俗で存在論的に悩んじゃうぜ。つーか、俺先天梅毒擬陽性だしー。(笑)
それはそうと、鈴原トウジの妹ってトウジに説教する程度には元気なんだ。どうなんだろう。脳がどうとか言われてたけど。エヴァ参号機のコアは妹か母親か?母親かなあ?
鈴原と相田は良いよなあ・・・。映画にも出ればよかったのに。うーん。アレなテーマ優先だったんだな。
そういえば、高校に入学した時、クラスの自己紹介で「趣味はエヴァンゲリオンです!」とぶちかましたなあ。滝本竜彦の大学入学時と全く同じ。
ははははははっははははははははははっはははははははははははははははっはははははははははっはははははははっははははははははっははははははははっははははははは。
高校は何とか3年間まともに通えてよかったな。逆に不思議だな。おれ、ヤバい奴だったんだなあ。
部活のおかげかなあ?
高校は地学部だったけど、ほとんど部室でトランプとかウノとかガンダムの話をしているような部活で、NHKにようこそ!的な青春の空回りだったなあ。(たまに化石を掘ったり星を見たり活動はしてたけどさ。俺は観測会でいつも風邪を引いて欠席するダメ部員だった)
やっぱ、思春期といえば、空回りだよ。
相田ケンスケのサバイバルゲームの空回り感もいいね。10年前は単に楽しそうだなーとしか思わなかったけど、青春が過ぎ去った今から見ると、ノスタルジックな空回り感を感じたり。
相田ケンスケは人付き合いのスキルが高いけど、彼もまた捨てられた子供の一人のように見えて、良いキャラクターだな。と。
ケンスケが人付き合いが上手いように見えるのは一人芝居をしながら、他人に向けて芝居をするスキルを付けて行ったからなのかも。ケンスケのセリフって言葉を選んでるというかどこか芝居がかってる。
そういえば、2話でシンジとミサトが和気藹々と同居するシーンもお互いに探りあいの演技だ的なモノローグがあったし。
エヴァンゲリオンにおいての円滑なコミュニケーションっていうのは上手な演技の連続ってことなんだろうか。でも、それでは破綻する。
かといって、本音でぶつかり合うのも破綻するのと同じくらい疲れるし、つまり破綻するんだよなあ。どうしたもんか。そもそも本音でやりたい事なんて何にもねえんだよ。本音でぶつかり合う価値なんて無いんだよ。
アニメはフィクションだから、本音でぶつかってるという物語上の演技をさせることができる。現実と違って。でも、エヴァはそこら辺を真摯にやっちゃったのかも。
実際、本音を言っていいことなんてめったに無いというか、少なくとも僕は経験が無いですね。まー、童貞だけどさ。