玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

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富野由悠季はエヴァを1話しか見てないそうだが。

どの1エピソードかは知らないけど。

「と言っても、オンエアの一本しか見れなかったです。

それ以上は見られなかった。

エヴァが、僕みたいな年代とか、僕みたいな感覚を持つ人間から見た時に、あのキャラクターは生きてるキャラクターではない、と感じます。

ドラマは、生気ある人によって描かれるはずなのに、その根本を無視している。かくも腺病質なキャラクターとメカニックで、ドラマらしいものを描けるというのは、頭の中で考えていることだけを描いていることで、短絡的に言えば、電脳的だと。

セックスにしたって生きているから出きることでしょ?その境界線を分かっていない年代、つまり、ビデオとかインターネット上のオマンコ見てセンズリかいているだけで、生のセックスに興味を持てない、本物の女性を怖がる病理現象があるだけで、さっき行った『死ぬこと』が実感出来ないっていうことが一緒になった感性の人々の実在を見せつけられただけで、そう、あれはカルテに見えるんですね。」

しかし、ボクのようなアレにしてみると、自分が生きてるということもあやふやだから、そういう、綾波のような「生きてるんだけど生き物として扱われてないけど、生きようとする。でも結局潰れる」というキャラクターの方が「生きてる」と感じてしまう、シンパシーを感じてしまうという所があります。
綾波にはそういう魅力というか、そうだな、カルテかな。同病あい哀れむみたいな。綾波ガンバレ綾波頑張れ。(そういうのが2次創作に行くんだろうなあ。結局どうにもならんけど)
そこら辺はすげこま君のソレともからめて今度考える。