玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

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情報化という側面もありますよね。

世界が一つになっちゃったからナー。
携帯電話の部品を安く手に入れるためにアフリカの土人どもが殺し合いをしてくれてるんだからなあ。そう言う人も同じ人類だと思っちゃったら、殺し合いをしてくれて、有り難うと感謝するしかない。
石油とか木材とか。温室効果ガス取引とか。
で、悪いことしてる人も、情報化のせいで、同じ人間で、自分の生活を支えてくれてる人なんじゃのう。と言う情報を投げかけられたら、エンターティンメントでの人殺しも躊躇する雰囲気になっちゃうのかも。時代の空気として。
昔の敵は何だか悪い奴で、訳わからんやつだったんだけども。何だかわからん上に何だかひどい事をしくさるので、悪い。死ね。
ヤマトは敵が分かる人に成ったのはぶちのめした後だったし、シリーズが続くと次から次にわかんない人が出てきてくれるし、わかる人になった人は味方に成ってくれたので良かったよなあ。
ガンダムのザビ家も微妙にわからん人だったし。
(オリジンではギレンのファザコン&ダイクンラブが萌えて、人間らしい面白さが出てきた。安彦良和でっち上げと思ってた過去編も終盤間近になって許せるようになってきた。
セイラさんが6キロ上空、コロニー外のザクを識別できるのは異常だが。ニュータイプサンコン?)
で、90年代に殺してまでやりたいこともなくて、みんな同じ人権を持った人という情報を与えられた視聴者、そのうえ、環境汚染とか経済取引で間接的に人を殺しつづけているかもしれないと言う現代日本の、しかも自分でそれを手に入れたのではなく生まれた時からそう言う国だったというもやしっ子のアニメオタクが自分を正当化して守るには、人を殺さないエンターティンメントが心地よいわけです。
というか、機会さえあれば死にたい。こんな自分は死んだほうがいい。
シンジ君はお母さんに助けてもらっちゃうけど。
ていうか、あれも殺しの構図を作ったのは親だから、親がやってくださいよ。と言うような時代の雰囲気だったのか。
カヲル君を殺した時は暴走したかっただろうなあ。
でも、カヲル君はシンジ君以上に、死にたがりであったのだった。