玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

当サイトはGoogleアドセンス、グーグルアナリティクス、Amazonアソシエイトを利用しています

機動戦士Vガンダム42回鮮血は光の渦に

今日は調子に乗ってガンダムを2個見たので感想を書ける気がしない。
子供の頃は全く、ルペ・シノという女のことが分からなかった。
もちろん、モラトリアムなのでまだまだ組織の中のキャリア負け犬女とか組織の中で出世争いする男どものことは実感としてはわからないんだが、とりあえず11歳のころとは違って何が起こってるのかはわかるようになった。
しかし、今回はルペ・シノ、ファラ・グリフォンが同じような事をして黒髪の指揮官とねんごろになりつつ、ウッソを気にかけている、なんて同じことをしてくれてるので、子供の頃はピピニーデンと田代の区別がついてなかったりした。
同じようなキャラクターが序盤から並行して登場して、入退場を繰り返しながら生き延びて、終盤にバタバタ死なれると、印象が定まりにくい。
ファーストガンダムはシャア登場、ガルマ登場、ガルマ死、シャア退場、ランバ・ラル登場、ラル死、マチルダ死、黒い三連星死、シャア復活、ミハル死、ウッディ死、ドレン死、コンスコン死、ドズル死、マ・クベ死、ララァ死、ザビ家全滅。
という風に、登場した人がきっちり印象を残したらすぐに死んでいってくれたのでその死を一里塚にして物語にメリハリがついてわかりやすい。
でも、Vガンダムはどーも、序盤からダラダラダラダラ。出たり出なかったりで中途半端な印象のキャラクターが長期間生き延びやがって。で、終盤でバタバタ死んでいくので、グチャグチャ。混沌である。子供はついていけない。
今見ると分かるんですけどねえ。俺は子供の頃からぼんやりしすぎ。
そんで、フランチェスカ・オハラまでウッソを気にかけてて、ウッソは敵味方問わずお姉さんにもてすぎてる。つーか、フラニーはここで死ぬと思った。シュラク隊だからな。
ウッソに体を焼かれたルペ・シノがなぜつまらない男を抱きしめに行ったのか。ピピニーデンとウッソを勘違いしたのか?最後にピピニーデンが可愛く思えたのか?子供が欲しくなったのか?
というか、ファラもなんだが、女の方が男よりも強いのに、なぜ女は男を立ててその影で動くのかという構造が謎。
男は男で暴力だけで優劣をつけられない時代だから、素直に戦って強いか弱いかで人間の器量を量れない時代だから嫌がらせのような権力闘争に明け暮れている。
リガ・ミリティアはザンスカールよりはリベラルだけども、やっぱり男の嫉妬はある。
(ジン・ジャハナムとかコミカルな嫉妬だ。ハンゲルグ・エヴィンは「私にミューラが居たように、ウッソにはシャクティがいる、それで充分なのだ」と言ってウッソをねぎらってあげないのだが。ミューラはもう居ない。ハンゲルグはウッソにミューラを寝取られたと言う風に思っているかもしれない?)
リガ・ミリティアの女の方は男に頼ろうと言う気があまり感じられないな。
でもウッソ好きというのは敵味方共通。
(小説版のジュンコ・ジェンコの恋は、ストレートな恋愛でそれはそれで面白かったけど。)
松本零士先生もガン・フロンティアのような弱肉強食の世の中に行けないから、グダグダと著作権を主張する事でちっぽけな男の闘争本能を燃やすしかない。
ピピニーデンが椅子を尻で磨くだけの男で終わりたくないといったのは、そういう男の戦いをやってみたかったのかも知れんな。もちろん、ルペ・シノに尻を叩かれて興奮したからなのだが。
男と女は難しくてうっとおしいな。
女たちはそんな男を立てなくてはいけない事にウンザリして汚れのない天才少年ウッソ・エヴィンに拘るのだが、ウッソは誰の道具でもないんだ!と拒否する。
ロラン・セアックもだが、トミーノには天才願望があるのかもしれんのかな。しかし、天才は天才として使われるのを拒否するとしたら、凡人になっていくのだろうか。オデロは絵に描いたような凡人予備軍の少年だね。そりゃあ、死ぬさ。
あと、ムバラク・スターン将軍がハンゲルグに説教をするのはうざいというか、なんでそんなに人の家庭の事に口を挟むのだ、レビル似の髭よ。
地球連邦の多国籍軍は確かに戦力は充実している。物量が。一気にリガ・ミリティアが有利に行くのか?
それにしても、僕が男と結婚したくないけど子供は欲しいって言う、女性の意見を知るようになったのは90年代末だったんだけど。Vガンダムの先見性はすごいな。もう居たのだろうか?
つーか、子供番組でこんな女を見せられて、子供だった僕はどうしたらよかったんですか?ぜんぜん理解できてなかった。っツーかわからんかったし、恐ろしい拷問シーン以外は忘れてたよ。