でも、この部分は別に書いていいともう。鬱病はプライベートな事だけど、作劇論はオフィシャルだ。
毒をくらわば皿まで
鬱病を経験したことで作品に何か影響したり、気をつけるようになったことはありますか?と私ヌ・リョウグ・ダが質問してみた。
「作品に関して言えば、その後の作品に関しては、
その気分(人がいるから自分が生かされている事。他人がいるんだ、他人にすがっていいんだ、他人に甘えて良いんだ。
そこで、ここが難しいところです。自分にこもるなって言う事を、どう自分に納得させるかという事が、すがりつくという行為なんですけれども、自分の中に内向して行く気分をともかく外す(ただし、富野の鬱病治しは富野の場合なので全ての人に当てはまるハウツーだとは思えません、とも言われた)という事)
を絶えず、えーっと、投入していくような人物関係を作っていく、そういう人びとの、リアクションをしていくキャラクター。
それから、悪人と言われてる人たちはそう言う他人に対して極めて冷淡である。という風な規定をするようになってきたって言う「自覚症状」が在ります」
とりあえず、これでもうトミノテキスト起こしは時間がかかりすぎるので止めます。
アマチュアダンサーとプロの芸能人の対比とか、ガンダム文化は退廃であってマイナスに考えると限りなくマイナスだが、新しい文化を生み出せる世代だ、という風に考えたい、とか、いろいろ興味深い所はあるけど、もうしんどいので勘弁してください。