玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

当サイトはGoogleアドセンス、グーグルアナリティクス、Amazonアソシエイトを利用しています

ブレンパワード見たよー。オーガニックだよー。サイドバーの長さくらい確認しろー。

やっとゴールデンウィークが終わって、ブレンパワードが見られるようになったも。
やっぱり超面白かったも。
だから感想も書くも。
今日はなんだか眠りたくないので必死こいて書くも。
っていうか、ブレンパワードを見終わった後に気付いたんですが、見ている30分間、ずっとにやけっぱなしでした。幸せすぎて。
一生懸命大学にいって、京都精華大学まで山を越えて、ボールペンの字をきれいになる練習を一生懸命して、誰も文句をつける人の居ないメディアセンターで富野由悠季教授のつくった教材を研究できる喜びと言ったら!
妹も一緒に見ていたのだけど、見終わるまで妹のことを忘れるくらいトミノも大好き。まあ、妹もトミーノ大好き少女なのでモーマンタイだがナ。
家に帰るまで自転車なのですが、その30分間もにやけっぱなし。おかげで歯茎が風で乾いてしまいましたよ。
やっぱり、富野アニメは僕の人生の喜びなんだよなあ。
理屈で考えたらこんな絵と音を見ているだけで何にもならないし、ボクのような無能の人がアニメで人生を学んだつもりになっても経済界や政界や角界の重鎮に敵う訳ないし、低努力ゆえの低所得も変わらないんですよ。
だから、アニメを見ている暇が在ったらその分必死になって資格を取ったり公務員試験の勉強をしたり祖母の介護をしたり新聞や経済紙や論文を読んだりに必死になるべきだという理屈は判る。
しかし、富野アニメを見るだけで湧き上がってくる根拠も目的も原理もわからない至福感はなんだ!
新訳Zガンダム、特に機動戦士ZガンダムIII-星の鼓動は愛-なんか、見てるだけで宙に浮いて腰が抜けるくらいエクスタシーを現実の感覚として感じたし。
それは、人生を賭けてみたくもなってしまうさ!サルのセンズリ!
だから、http://d.hatena.ne.jp/psb1981/20070429さんの言う事は理路整然としているのだが、それは違うぞ!(ちがうぞ!ちがうぞ!)(エコー)と思う。
何が違うのかと言うと、芸風と経験と肉体と魂が違う!

人間、衣食が足りると礼節を知る前に、自意識が疼きだすと思う。もちろんここで目の前の日常、すなわち仕事や恋愛、人間関係に学業が順調で上手くいっていれば特に問題ないのだが、そうでない場合、「こんな日常より、もっと大事なことがあるはず」なんて、モヤモヤと余ったエネルギーを他所にぶつけ始めてしまう。



この三十三話に登場するアンダーフックの人々も、そんなモヤモヤを抱えているのだろう。彼等は食うに困っているわけでもないのに、革命を志しているのだ。




豊かな生活を謳歌しているが故に、暇な時間を持て余してカルトに走る彼等の姿は、かつてのオウム信者や、アニメをネタにブログで政治・哲学ゴッコ(ニュータイプ論とか)に興じる私達の姿とあんまり変わらなく見える。

いやあ、僕は恋愛や学業が順調でないからこうなったわけじゃなくてですね。まあ、第三者からの表層的な状況で判断すると確かに童貞だしバカだし単位は落とすし引きこもりなんですけどね。
あはっはははははっはははははは。


それに、僕は衣食が足りてるんですかねえ?ねえ?
まあねえ、原始時代に比べたら格段に生活の不安はないんですけどね。一応今も全裸ではなくて洗濯された服を着て、ガムをクチャクチャやって意識を保ちながらアホみたいに希少金属と電力を消費するパソコンを弄くってるんですけどね。
でもねえ、僕の持っている服は金持ちの大叔母のお情けでお下がりをもらった物で、ファッションセンスなんかありませんからね。
食べ物だって、仮想敵国からの毒の混じった輸入品を食べるしかない収入しかないわけですよ。食べても食べても食べ物を食べた感じがしないんですよ。
かと言って、自然生活者のコミュニティーに入ったりエクソダスする根性もない体力もないそもそも太陽に当たるだけで体を壊す。
まあねえ、それで満足するべきなのかもしれませんがね。だってねえ。高度経済成長時代のへドラとゴジラが戦ってゴジラ放射能火炎で空を飛んでいた時代よりはよっぽど空気はきれいになりましたからね。
うん。そういう風に、左翼勢力や資本主義広告代理店のプロパガンダに騙されずにとりあえず今は死んでいないというだけでそもそも生物は満足するべきなのかもしれませんね。
なんだかテレビを見たりすると地球温暖化原子力を地層に埋めたら地底怪獣が目覚めるかも試練とか格差社会仮面ライダーまでが戦わなくては生き残れなくて、隣の国がガンダムという言葉を奪ったりその北の国が300人くらい殺せるだけのミサイルを配備していたりテロをやってるんだか犯罪をやってるんだか戦争をやってるんだか憲法9条が良いだの悪いだの、オナニーするとバカになるだの、おおきく振りかぶってで田島くんがオナニーしないとチンコが破裂するといったけど破裂するのはキンタマの方だと言う事をひぐちアサはわかっていなかったり、国も地方自治体も企業も不正が横行と言う以前に普通に仕事をこなす事も出来なくなってて、ゆとりはバカで、僕が当にゆとり!という漠然とした不安。確証はないのだが生きていけない行き詰まり感。
まさに、「オルファンが浮上したら人類が滅ぶ!」と敵も味方も信じて殺し合いをするブレンパワードの作品中ような、曖昧なイメージを信じ込んで行動するような状況です。
食うに困っているわけでもないのに、食うに困っているような感覚がするのだ。
人は感情の動物ですとファ・ユイリィ言ってたのだが、彼女は睫毛が長いので可愛いな。

カテジナは酔っている。戦争という過酷な状況(ドラマ)に。そこでは常に目の前にやるべきことがぶら下がっていて、自らの人生の意味や目的がはっきりしている分かりやすい世界なのだ。そして努力すべきことが明らかで、頑張れば頑張っただけ報われる?世界でもある。



たぶん彼女にとってより過酷で残酷なのは、過酷な状況(ドラマ)に手が届かなかった、ウーィッグでの日常の方だ。そこでは人生の意味や目的を自分で見つけ出さなくてはならない。



だが、これはTVモニターの向こうの「他人」の過酷な人生(ドラマ)に自らを重ね合わせすぎる私達にとっても、全く同じことだと思う。

カテ公が頑張ったら頑張っただけ報われたかとは思いません。ていうか、頑張っただけであのレベルのラスボスには成れないだろ。
まあ、カテジナさんの話は今はいい!こないだ早起きした時にあたしンちの母の若いころの声がカテジナさんっぽくてときめいただけだ!


オレの話だ!オレのブログだ!オレが王様だ!
俺は他人の過酷な人生に自らを重ね合わせすぎる私達なのだろうか?
私達は私達なのだろうか?
私はあなたと同じ集団なのだろうか?何の証拠があって!
そりゃあ、あなたはカテジナさんのような人生を送ってきてらっしゃったんでしょうけど、ハンバーガースパイクは日曜に教会に行くような奴かもしれませんぜ。
「私達」と言う言葉を使うと著者は自分の事について誠実に語っているようであり、読者は自分の事として反省する気分に誘導されがちなので上手い表現だなあと思います。
でもさー。
あんたも、僕みたいな脳内妹の絵を自分で書いてオナニーするような変態が私たちの集団に入ってきたら気持ち悪いでしょ?
僕だって、あなたが僕の妹と寝ていたら激怒しますよ。
僕は残念ながらハートマン軍曹のように人格はできていないので

なんてベトコンに拷問されても言いませんし、ベトコンもそんな答えは望んでいない。



で、僕はブレンパワードの人が僕に似たダメ人間振りを発揮してトラウママッチポンプ自己啓発セミナーリハビリテーションアニメーションをやっているから、こんな風な喜びを感じているのでしょうか?と言う内省と自分語りが本題であり、他の事は大して興味がない。


うーん。うーん。
どうなんでしょうね。
たしかに、僕が富野ファンになったのは、
(回想シーン)
ちょうど僕の人生歯車がきしみ始めたころに、アニメージュで「ディアナは幸せである」と見たこともない文体で語る爺が富野監督だと意識するようになり、さらに鬱病が悪化したころにガンダムエース富野由悠季のコーナーを見るようになり、スチューデントアパシーが酷い事になって学校をサボって「コアあきまん脱出せよ」を読んでたら、とあるコテハンが富野の面白さを語っていて、っていうか、それが安田朗さんの名前を意識した最初で、∀ガンダムは好きだったし後半はエアチェックしていたけど、akimanさんは始めはただのオタクだと思っていた。
で、僕は酷い妄想とノイローゼにかかって衝動的に四国八十八ヶ所巡りをしたのだが、何の解決にもならなかった。
そんな経験をしている時にはライ麦畑でつかまえてNHKにようこそ!を読み、富野由悠季は当時の僕の髪型と体型と眼鏡に似たひきこもりの少年がゴーゴーダンスを踊りまくるアニメをつくった。やたらと興味が惹かれた。
ネットで富野のことを調べると、富野由悠季鬱病経験者だと言ううわさを聞けば「∀の癒し」と「だから、僕は・・・」を読んでみて(アニメは見ていたが、監督の名前を意識したのは実はエッセイからと言う)、その僕との性格との微妙な相似を感じた。
そんな彼が、うつ病を克服して、あんなにおバカなアニメーションを作って俺が面白い。


で、そんなおハゲ様の作品を追体験していったら僕の鬱病も直るのかもしれないという、訳のわからない計画を、まあ半分はごっこなのだが、やることにしたのさ。
それで、ちょうど精華大学でガンダムシリーズのほとんどとダンバインとガーゼィとブレンパワードが見れるし、通い始めたら富野由悠季が講演会に来て、僕と5分くらい話してくれて、しかも非常勤講師とかになってたりするので、運命の赤い糸を通常の3倍感じちゃう。



えっと、恋です。


で、他人の過酷な人生に自分を重ね合わせたいのだろうか?うーん。どうなんでしょう?
まあ、虚構と言うのは人の鏡っぽい所も面白いポイントなので、そりゃあそうだよ!とも思うし、別に過酷な人生じゃなくてもふっとした情感の揺らめきに共感を覚える事もあるし、でも過酷な人生じゃないと見ててもあまり面白くないって言う事もある。




と、いうか、うーん。やっぱり理屈では敵いませんね。
だって、富野アニメを見てると気持ちいいんだもん。
始めは鬱病を治すため、と言う損得勘定で、セラピー目的だったんですけど、その予想を越えて富野アニメは快感で面白くって幸せになりすぎるんです。



まあ、半ニートだし、僕が幸せになりたがったらダメになるんで、アニメを見てオナニーする程度がちょうどいいんですけどね。


自分の人生の目的は自分で見つけ出さないといけないんですかー。でも、ナウシカが目的のある生命は悲しいとかゆってたしなあ。
どうでもいいんじゃないですか?
気持ちよかったら。
かと言って、富野アニメばかり見ていると、あまりにも幸せで罪悪感から心臓が痛くなるんですけどね。難儀な体質だ・・・。
妹「富野監督のアニメおもしろいよねー」
一行でまとめるなよ。