玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

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ブレンパワード第19話「動く山脈」


ブレンパワード 第19話 動く山脈(B-ch)



脚本:富野由悠季・高橋哲子 絵コンテ:香川豊 演出:渡邊哲哉 作画監督:しんぼたくろう・中田栄治


今回もまた変なタイトルだ。ブレンのサブタイトルは変だなあ。というか詩的。
成層圏まで到達する山脈のようなオルファンが中国大陸に上がったと言う事と、山間の村での出来事、と言う意味があるんだろうな。
っていうか!オルファンでか過ぎだろ!そりゃ、中国も無法地帯になるわ。もともと天変地異の時代だったので、中国がどういうものかはよくわからんが。
そこら辺の混乱具合を俯瞰の描写(国の指導者同士が出てきたり)ではなく低いカメラで描くのは結構好き。



ガンダムSEEDなんかは、そこらへんをちょっと冗談に振りかぶりすぎてたんだよなあ。その割に間合いが遠い。
竹田菁滋プロデューサーさんはとても頭の良い人だという感じ。(富野由悠季の文脈での意味において)
東京大学文学部でテレビ局のプロデューサーになったような優秀な人ですから、アメリカの問題や、在日問題を仕事を通じて急に知ると、それをなんとか衆愚の我々に知らしめてくれようとして、手に入れたアニメ制作というツールによる万能感を駆使して頑張ってくれてるんだよなあ。
えーっと、ここまで書いても皮肉が読み取れないと言う坊ちゃんがいらっしゃるでしょうから、言いますと、学生運動をはじめたばかりの子供のようなはしゃぎ方が感じられるんでスネ。
「こんなに酷いことが世界にはあるのか!一生懸命勉強していた僕が知らなかったんだから、皆も知らないだろう!教えなきゃ!世界を変えなきゃ!」というアレルギー。
だから、中学生とか高校生辺りの知りたがりには受けるんだけど、という。
アニメ制作ではしゃぐから!はしゃいじゃうから、そうなっちゃうんでしょうが!お調子者が!
すさんだ心には、アニメ制作は危険なんです!
憎しみだけでアニメを作らないでね。
僕も劇団時代に、学生運動をテーマにした芝居を見た事があるが、なんだか、シチュエーションとして消費される記号と言うか書き割り以上のモチーフではないんだよなあ。
えっと、まあ、何かに打ち込めた最後の時代に対する羨ましさと軽い侮蔑のような感情はありますね。
竹Pはそういう自分の高揚感に酔ってるのかなあ。まあ、それは人のエネルギーになるのかもしれないが、100年残る作品にはならないよね。その、
「冷戦構造は古い!アメリカの悪さを描くのが今の時代!」って、アメリカは200年前から充分ウザいわい。
(まあ、そういうウザいアメリカでもビリーズ・ブートキャンプのような軍事品の民間転用技術を生み出しているわけだし、アメリカで生きていかないといけない人も居るのだから、そんなにいじめたらダメだな。)



閑話休題


富野喜幸はそう考えると、竹田菁滋とは真逆の思想的立場なんだよな。
まず、あまり頭の良くない大学で仕事をはじめる前からリアルに学生運動に関わり、しかも右翼。で、そこを命からがら脱出して、アニメ夜になったり放浪したりして、自分自身が衆愚であると言うコンプレックスが強い。
だから、衆愚に教え諭すと言うよりは、自分自身が衆愚の一翼として知恵を吸収しつづけようと言う姿勢があるんだよね。
で、それを65までやって、最近は正論を言うジジイになったのが驚きです。しかも、正論は正論だから、正論を言っておいた方が受けがいいだろうという正論ではなくて、本当に正論を吐くのだから恐ろしい。
昔は暴論だったのになあ。
ううーん。そこらへん、竹田Pは逆すぎてトミノと似通っていると言うか、むしろ硬直したガンダムをいじるには都合のいいパーソナリティーなのだろーか?なら、竹田Pも年齢を重ねたら、それなりの人に成れるのか?
時間が経てば、ちゃんと評価される作品なのか?
富野の作品も、元々は若者に評価されて出てきたのだから、と言う考えもあるな。


でも、海のトリトンとかを見ると、やっぱり個人のセンスなのかなあと思う。
つか、どうも、若い時に衝撃を受けた作品は気恥ずかしい思い出に変わるものですが、トミノ作品は今だに現在進行形の40代の人が居たりするからなあ。どうなんでしょうか。まあ、ぼくはまだ15年くらいありますが、あっという間ですか。
まあ、ボクも最近はニュータイプ論はわりとどうでもいいというか、ちゃんとしろというだけのものだよね、という認識。なのは、新訳Zのおかげ。
ユニコーンはどうなるかねえ?
まあ、福井晴敏はまだ作家なのでいいか。富野監督は西崎義展プロデューサーとかバンダイ村上克司を見て、「作家じゃないのに作家だと思ってる人うぜえ」って言ってる。
竹Pは声優よりも監督になればいいのに。


閑話休題


つまり、ブレンパワードで中国人の奥地の盗賊と言う人たちを、政治的意図というよりは生活感を重視した感じで中国の小さなお針子とかっぽく出した富野監督は頑張ってるなあと思った。こういう細かい描写の方が大変だからなあ。あの集落のデザインとか。(畑や風力発電機のレイアウトとか建物の砦な感じとか)
その、イデオンで旗の色がどうとかいう話をやっていた頃よりはだいぶ成長したなあと言う感じだ。
機動戦士ガンダムSEEDレジスタンスとかを見たときは、すごく記号的で気持ち悪かったんだけど、ガンダムSEED関係の人も20年経ったら判る明日が来るかねえ?


で、アメリカである。中国の地付きの人に絡めて、アメリカ合衆国である。
こういう、重心のバランスの取り方は本当に上手いと思うし、カメラのフォーカスを動かす事で視聴者にドラマの躍動感を感じさせてて本当に嬉しい。
つか、Wellcome to U.S.A.うぜえ。
オルファンと言う超自然的な物体に、そう言うペインティングをしてしまうアメリカと言う国の軍隊、という描写だけで、作品内でのアメリカのうっとおしさを表すのは簡潔にして見事。
まあ、日本人観光客も桃山時代からアンコールワットに落書きしてますけどね・・・。
スケールが違う?
オルファンと言うわけのわからないものにコンクリートを流し込んで基地にしてるんだもんなあ。
軍事力を背景に横柄だし、その土地の人間に対していつも上から物を言うし、アンチボディの使い方も愛情がないし、アメリカと言う組織は嫌だね。
と、アメリカンのナッキィ・ガイズが憎憎しげに言う。
ここら辺、僕の大学の受け持ち教授もアメリカが嫌いなアメリカ人で中国文化を研究している人なので、そういう感覚は分かる。うーん。僕があの研究室に入ったのは、偶然なのだが、ブレンを楽しく見るためなのだな。つまり、僕の人生の目的は富野アニメを鑑賞する事だというふうに天が導いているのであり、トミノ最高。


でも、アメリカに対する反応は人それぞれなんだよな。
中国人は中国に上陸したオルファンをアメリカの属州にされてしまっても、中央政府は機能していないようで(と言うか元々中国人は個人主義が強いけど)アメリカマンセーでオルファンに難民として乗せてもらおうとしたり、アフリカ出身のシラーはアメリカナイズにはしゃいでみたり、源野さんのように利用してみたり(ノヴィスに出戻り?)、ノヴィスは今回は偵察に徹しているのか?
逆にアメリカ人のジョナサンの方が軍に対して嫌悪感を抱いているのも、アメリカ内部の人の意識が想像できて面白い。
ここらへんの一面的でない見せ方もいいと思う。思想の押し付けに成らないようにしつつ言いたい事を言うような。逡巡のない思考はつまらないと感じる。



と、言う風に世界観の整理をしつつ、と、同時に比瑪とナッキィとの会話の中で勇がネリーとの邂逅で受けたショックを整理する、と言う構成の話にもなっているわけだ。今回は。そういう緩衝材のような話は必要だな。


比瑪と勇が仲良し描写があったり、ロマンチックをやってみたりする中で、オルファンやアンチボディに対する考察が行なわれてたりするのは、メッセージの圧縮を頑張ってるなあと思う。流して見ているだけの視聴者にどれだけ伝わるかと言う問題があるが、トミノ的には、WOWOWアニメなのだから、しっかり見てくれるだろう。という思惑があったのだろうか?
とりあえず、僕は必死で見てますが。初見ですが。1回しか見てないが。
つか、理屈よりも比瑪が萌えて燃えて仕方がない。あああああああ。はなぺろり。
絶望なんかするもんか!
ネリーで傷心しているブレンと勇と視聴者を立ち直らせる萌え力だな。


そんで、ナッキィもひねた奴だが、すごくいい奴だということがわかった。
ナッキィって、制作途中で急遽生み出されたライバルキャラと言う話だったが、メチャメチャはまってるじゃないか。
こいつのおかげでアンチボディと人の関わり方の幅が広がってるなあ。
この事件で、人間はオルファンとアンチボディのいさかいに巻き込まれているだけじゃなくて、何か積極的に果たせる役割があるんじゃないかと言う事も見えてきた。
つか、黒ビキニパンツ。ナッキィは冬馬由美さんなので、女かと思ったのだが、もっこりパンツだった。
それで、アンチボディをとても愛している男だ。



で、思い出に区切りをつける伊佐未勇がラストに来て、クライマックスの戦いに突入する予感を感じさせる。
以下、ややネタばれ。





勇 「ネリー・キムさんの形見なんだ」
比瑪 「形見?亡くなったの?その方」
勇 「ネリー・ブレンが俺のブレンとリバイバルするときにね。情け容赦ないんだ」
比瑪 「怖かったんだ」
勇 「ああ。オルファンが浮上する時に、ネットが歪んだりしたらああなるかもな」
勇 「・・・可能性はある」
比瑪 「そんなに怖い事があったんだ・・・でも再リバイバルした時、ネリーと勇のブレン、一緒になったって・・・そう言ったよね?勇!」
勇 「そう言った・・・そうか!地球の問題やオルファンの事って全てが絶望的な事じゃないかもしれないんだな?」
比瑪 「そうよ!ブレンは空を飛んでんだもの!」
勇 「上手くいくって事だ!」
比瑪 「そうだよ絶対!」
勇 「そうだよな!誰が絶望するもんか!」
比瑪 「ふふっ、そうそう!」

とか、


勇 「気持ちは分かるけど、ネリーブレン!・・・ブレスレット一つの記憶より、お前と俺の中に染み込んだネリー・キムの思い出を大切にしたいな、一杯あるだろ?ここにいる宇都宮比瑪って、良い子なんだぞ。こういう事をちゃんと分かってくれるんだ。お前の体の中にはネリーも、俺のブレンもいるんだろ?これで十分じゃないか、ネリー・ブレン」
比瑪 「ありがとう勇。でも私、人を愛せない人って嫌いだよ」
勇 「ありがとう。ネリーはね、ジョナサンとバロンとバロン・ズゥがオルファンに入ることを恐れてたんだ」
比瑪 「バロン?バロン・ズゥ?」
勇 「ああ」
ナッキィ 「一つの記憶を封印するかい?」
勇 「そうする」

こういう、高度に圧縮された感情とメッセージをセリフと行動と表情だけで語らせる。
まあ、現実の人の顕れも、セリフと行動と表情で読み取らないといけないんだが。テレビ萬画でそれをやると言うのが頑張ってるなあ。
でも、そのせいでブレンパワードは感情的な物語なのに、訳のわからないセリフの応酬の駄作、とか言われるんですよ。



僕はトミノ信者であり、富野のことを全部信じていると言うわけではありませんけど、富野の全部を愛したい。だから、「駄作」と切って捨てる前に愛する努力はするのである。
つまり、トミノ語の翻訳というか、デコードなのであるが、もちろん、その作業ができる事は信者の喜びだ。
その、人の言葉を考えて、判りたいと言うことが、ニュータイプではない僕の愛情表現なのね。
機動戦士ガンダムSEEDも、ニュータイプのような共感じゃなくて、話して分かり合うことの大切さを描くと言っていた。
でも、結局は種ガンダムは降って沸いた暴力で終わった。
ブレンパワードニュータイプではない人の察し合いとか感情のふれあいを言葉と心と動きで描こうとして、SEEDの方が売れるんだよなあアアア。
まあ、俺はブレンは購入決定したが、SEEDは買う気にはならないなあ。映画もテレビの深夜にやるのを待つ。


閑話休題


比瑪は、「ネリーさんと勇のことは想像できない。あたしは、見たものしか分からないし見えないものなんかに興味ない。人を理解するって、それでいいんだって思う」
と言う女の子なんだ。
小説版によると、比瑪はネリーのことを語る勇に対して嫉妬を感じたそうな。
それは、他の異性を意識した勇に、ではなくて、勇も自分が知りえないところでの体験をするんだ、という事に気付いたから。
見えない物には興味がなくても、人には見えない部分があるんだって言う事。
そういう風に、比瑪が意識を変えるのはドラマとして感動を生む。
(比瑪の意識の問題なので、フィルムをチラッと見るだけでは電波にしか受け取って貰えないと言うのが・・・)
それでも、比瑪は自分の感じた嫉妬の感情に流されて、怒ったり拗ねたりするようなマンコの穴の小さな女ではない。
なんとか、勇のことを理解しようと、ニュートラルな言葉をかけて、勇の体験を容認しようとして反芻してくれる。
大切だった人の死をオルファンに対する心配として語る勇に、ただ、「怖かったんだね」と。
その上で、ネリー・ブレンの可能性について新しい視点を提示してくれて、もしかするとアンチボディには再生を生み出せるんじゃないかと言う発想を勇にもたらしてくれるし、そうできる勇も賢い。
そういう風に二人の考えがはまりあって新しい考えを分かち合えるのは喜びだし、単純に再開してキスするだけよりもロマンチックだ!
ほんと、宇都宮比瑪っていい女!
全アニメ、全世界を見渡しても、こんな風に人を理解しようとして、希望を持って人とかかわれるような女は、少なくとも僕の乏しい経験上は脳内妹しか居ない。
つまり、僕の脳内妹もいい女!
まあ、僕の世間が狭いだけかもしれませんが。
比瑪はすごくタイプの女性なのである。



で、ネリーの思い出を封印しようとする勇に対しても。


勇 「気持ちは分かるけど、ネリーブレン!・・・ブレスレット一つの記憶より、お前と俺の中に染み込んだネリー・キムの思い出を大切にしたいな、一杯あるだろ?ここにいる宇都宮比瑪って、良い子なんだぞ。こういう事をちゃんと分かってくれるんだ。お前の体の中にはネリーも、俺のブレンもいるんだろ?これで十分じゃないか、ネリー・ブレン」
比瑪 「ありがとう勇。でも私、人を愛せない人って嫌いだよ」
勇 「ありがとう。ネリーはね、ジョナサンとバロンとバロン・ズゥがオルファンに入ることを恐れてたんだ」
比瑪 「バロン?バロン・ズゥ?」

って、はっきり言って、かけあいとしては全く繋がっていない文章なのである。
つまり、話者の語った話題についての返答になっていない。
だから、パッと見は勝手な事を言ってるだけに見える。だが、逆なんだよ。
感情の流れから言ったら、とても最適な言葉で、感情の進行には沿っている。
上のやり取りをを翻訳すると、

勇「いつまでも思い出にしがみついてめそめそしていたら、戦う力が鈍るから、ブレスレットはここに置いていこう。それよりも、自分たちの体の中に宿った思い出をオーガニック・エナジィに変えて戦うんだ。
ここにいる比瑪はそういう力を引き出せる良い子なんだ。だから、いっしょに頑張ってくれ、ネリー・ブレン」
比瑪「ほめてくれてありがとう勇。でも私、戦うために愛とか思い出を捨てようとする人って嫌いだよ。勇はそんなふうに割り切った人じゃないでしょ?
それとも私に気を使って、他の女の人を忘れるポーズをするのなら、嬉しくないし。私の好きな勇ってそんな人じゃないでしょ?」
勇「俺のことを思ってくれてありがとう。でも、そのネリーはね、ジョナサンとバロンとバロン・ズゥがオルファンに入る事を怖れていたんだ。その思いを叶えるために、今は後ろを振り返らないで自分の力を出す事が、俺とブレンには必要なんだよ。
きっと、ネリーならわかってくれる。」
比瑪「バロン・ズゥって、?」
勇「ああ、恐ろしい敵なんだ。」

長くて説明臭いな。
トミノ語はたくさんの情報量をアニメの時間内、というよりは不自然な説明セリフにならないテンポの中に格納する圧縮言語なんだよな。
その、脚本や萬画を書いてると無意識に気にならないが、人が話をするということも運動なのだから、長過ぎると疲れるし、普通の会話でも言いたい情報量の70%ほどしか出ていないと言うのが実感だと思う。
で、そういう感覚時間の中に100%以上のメッセージ(や世界観やストーリー)を込めるのがトミノ語の特異性であり、面白さなんだよね。
で、信者になるとその情報を解読する事が面白くて面白くてたまらないのです。何度見ても面白いよ。




あと、小説版によると、ネリー・ブレンは彼女と言われているので、女の子のようです。
ネリーが移ったから?
ユウ・ブレンは勇ましかったぞ!一人でも戦う漢だった・・・。
でも、ネリー・ブレンのなかにはユウ・ブレンもネリーも宿っているんだよな。いつまでもめそめそしてたらダメだ。


それからそれから、前回からオープニングのラストカットで比瑪の裸体を隠すように、影が濃くなった。
無粋な!
しかも無意味。もう17回も見た。
裸の超美人があぐらでパイパンマンコ丸出し。マンコ舐めたい(トミノ的に最高の賛辞)
ああ、比瑪のおまんこは色白だし綺麗なピンク色であって欲しい!
クインシィのオマンコはグランチャーの赤色。
それはそうと、アニメキャラで陰毛が生えていると重たい感じがするけど、実写の女性は陰毛があったほうが全体のシルエットのバランスが引き締まると思う。
体全体が肌色と言うよりは股のあたりに黒を置きたくなる。
アニメキャラの場合は顔の情報量が大きすぎるからかなあ。プロポーションも最高だし。
単にもじゃもじゃした物を表現しづらいだけ?




あと、ブレン感想を書くと、30分のつもりが今日も2時なので、またオナニーが出来ない。
田島君!おおきく振りかぶって!ペニス○を!
ああ、明日のバイトでは若い女性の方が多い職場なのに。
でも、この時間になると睡眠欲をもてあます方が問題。
うーん。今回はつなぎの話だから簡単だと思ったのだが。


どうも、僕の感動に比べて、ブレンパワードの世間での評価が低すぎると思うので、なんだか、がんばっちゃうのです。
うーん。ボクも竹田菁滋プロデューサーのように、はしゃいでいる?
おあとがよろしいようで・・・。