玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

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引きこもり化する情報化社会に今何が起こっているのか

過去のガンダムのギミックを流用しまくっている機動戦士ガンダム00について触れた前項で、

最近読んだ(タイトルは失念した)情報化社会についての論文を思い出した。

それによると、アメリカ合衆国では情報の集積と経年情報の放出が一応国家に認められて、その情報を咀嚼してまとめる本もたくさん出ている。
しかし、日本国では情報を収集して流通させる枠組みには熱心だけど、自分でまとめて圧縮して見やすくしたり、それを相互参照して議論したり、そこから自分の意見を組み立てるって言うのが下手。ただ、ひたすら膨大な生データが積みあがる。
日本人はその生データをざっと眺めて「今、何が流行っていて受け入れられるか」っていう数字ばかり気にしていて、「今は間違っているかもしれないが、自分はこれが大事だと思う」って言う姿勢がない。
だから、もっと自分の意見を大事に構築するべき。その過程で周りの意見を取り入れて構築すればいいし、取り入れられるような意見を出していこう。
というのが、その論文の一応の結論でした。
これは、マーケティングなどではなくて、生物学者の書いた論文でした。学会でも自分の意見の正しさよりも周りに認められるかが大事なんですね。
と、暗澹たる。
学者ですらそうなのだから、工業機器も、薬も、もちろん娯楽作品も受けやすさを狙うようになる。


つまり「自分の意見」が認められる
ではなく
自分の「意見が認められる」
事が大事。

と、書いた。
認められないと生存が脅かされるから、ただただ生きながらえるために認められやすいもので擬態する。
ガンダム00は、最初のコンセプトは新しいことをやろうとして好きだったのだが。南米のユニオン脱退とかの地味なゴタゴタなど。出来はともかく。
つまり、「見たことの無いもの、難しいもの」を探るのではなく「今見て心地よいもの」を蟻地獄や雛鳥のように受け手は待ち構えていて、作り手の側も受け手が咀嚼しやすいものを与える。
しかも、それは作り手が咀嚼したものですらなく、作り手が雛だった時に与えられた流動食に食感が似たようなもの。
重ねて言うが、アニメだけの問題ではなく、近年の日本の情報化社会における発信と受信、製造者と消費者の関係のこと。
消費者が「エコな食品がいい」と言うと製造業者が顔写真付きの野菜を偽装したり、など。


それから、これはケータイ小説について先日書いた、「細かい情景描写をすると読者が阻害されたと感じる。なぜなら、読者は情景描写を理解するほどの人生経験が無いからだ」という現象にも触れてくる。
書籍や小説から、あたらしい認識能力を獲得するのが面白いんじゃないか、と思うんだが、一般的な読者は、そういうのはお勉強臭いと思って嫌なのだろうか?大人に価値観を押し付けられる事に対する嫌悪感が自由とゆとりを重んじる若者には多いのかもしれない。


しかし、それでは子供が生まれた時に持っている本能の枠の中や幼児体験の枠の中で気持ちいいと思うものしか認識できないという事になる。
価値観を押し付けられるのも困ったものだが、知らない価値が在るということくらいは知っておかないと引きこもって自分の顔だけを鏡で見る生活のようなものだ。
赤ちゃんの快不快の脊髄反射だけでいると、複雑な味覚は育たない。


では、何故、そのような引きこもり的態度が消費者全般に広がっているのか。それは製造側がそれが一番自らの生存原理に適しているとして、そのような環境を保とうとしているからだ。
引きこもりには養う親が必要。
同時に、製造者側は引きこもりの親と違って、消費者から金銭を貰う側でもある。つまり、製造者側も引きこもり的に「表面的ないい子」「消費者の期待に従順な態度」を装って効率的に金銭を受け取れるような態度をとる。ここに、両者の共犯関係が成立する。
消費者は効率的に、自分の価値観を更新する手間を省いて快感を摂取でき、製造側も低いリスクとコストで利潤を得る。


これはビジネスモデルや生存戦略の選択に過ぎないので、それ自体が悪、と言うわけではない。
が、これが一般化し、また、このようなものしか知らない受け手と作り手が集団の中で多数を占めるようになると、文化や行動様式の雰囲気も変わってくる。


具体的には、受け手が傲慢に成り、作り手が気概を失う。
何も知らない子供であっても、金銭さえ払えば品物が手に入るのが資本主義というもの。そして、金銭がなければ生きていけないのも資本主義。
つまり、受け手は生殺与奪の権利を持っているのである。
そして、生殺与奪の権利をアピールする事が、作り手から自分の望むサービスを引き出す交渉術だと、本能的に分かってしまうのだ。お客さまは神様です。
それを交渉術だと自覚していればまだよいのだが、神様として振る舞う事が集団内で一般化、陳腐化し、一般的な振る舞いだと刷り込まれた世代になると、神様の望む捧げ物が得られないとヒステリックに怒る事を当然と考える事件が発生する。
結果、ヒロインに元カレが居たと言う萬画かんなぎ」の作者に単行本を破いた物を送りつけると言う暴挙を起こす。個人的にどうこうというよりは、そのような振る舞いが許される雰囲気の濃い部分が突出したケースだろう。
モンスターピアレントなども同様かもしれない。
自分の振る舞いを反省せず、それが当然の権利だからと責任も無く攻撃性を高める。


作り手側も我を通して潰されるよりは、みんなの好むものを出していくって。
それで、最初に言ったように「認められる」ために「自分の本気」が見えなくなってくんだわ。
見えなくなるばかりか、分からなくなっていって、残らなくなって、何が大事だったのか何をしたいのか何でやってるのかもわからなくてただ生きながらえるだけのものになる。
自我を捨てて肉体を生かすものに。


うーん。でも、これ、情報化社会だからって言うわけでもないか。昔からある構造か。
などと、書いてる途中で考えを変えたり。(笑)
結局は生存本能の問題だよなあ。お客様が神様で、そういうお客をだまくらかすのもよくあるよくある。


あーはーはー。


まあ、もう、グダグダなんですけど、(仕事の集中力維持のためにやってるが、明け方)
一応、対策めいたものを書いておくと、受け手が「僕の知ってるものしか食べたくないよ」っていう態度をとるのが損だと思わせるくらい、美味しくて知りたくなるような何かをドーン!と。こう、やっちゃうしかないんじゃないの。っていうのもイノベーション頼りで無責任かもしれんが。
でも、受け手も作り手も自分で手に入れたものを大事にしたがるっていうのは変わらないと思うんで、やってかないとなあ。
んで、めんどくさくても手に入れたり、手に入れたがってもらうには、やっぱり本気にならないといけないし。本気が見えるものはやっぱり欲しいと思う。


つまり、何が言いたいかと言うと、本気で作ってあるガンダムガンダムは面白いなあ。って、そんだけ。
なんだけど、ファーストガンダムにも受けるための方便みたいなものもたくさんあるので!だけど、方便をも利用するような本気パワーがよかったわけで。
僕も消費者として商業主義の中に在るかもしれない本気を感じ取れるように注意深さと熱情は本気で持っていたほうが良いな。もっと気持ちよくなるんなら、最初の口当たりが悪くても上手く食べる作法を練習したり。
しかし、気持ちよくなるために内省して苦労するって、マゾじゃん。マゾかー。
うーん。直感的な部分も大事だと思うし、直感は経験で作られる部分もあるし。
そこらへんはバランスかなあ。ぬぁー
っていうか、俺は本気で生きているのか!サーカディアンリズムが死んでいる。


ただ生き延びるだけじゃなくて、これをやらないと死ねないからやって死ぬ!っていう本気。タナトス主導のエロス行動でっていう。
ほら、僕はすぐに死ぬとか言うー。
最近、逆上しないと何にも出来ない癖がついてるから、本気って言うか逆ギレで生きてるなあ。反省反省


あ、あと、今現在の心地よさと延命だけじゃのーて、将来予測っていうのも大事か。米百票って小泉純一郎首相期に流行ったなあ。あの米はどこへ行ったのか。