監督=富野由悠季/脚本: 富野由悠季
絵コンテ: 斧谷稔、吉沢俊一
演出: 吉沢俊一
作画監督: [キャラ]菱沼義仁 [メカ]戸部敦夫、片山学
戦艦作画:仲盛文
作画監督補佐:黒崎知栄実
前回
Gのレコンギスタ第17話「アイーダの決断」事故と人災に対する姫政治とは? - 玖足手帖-アニメブログ-
粗筋は公式サイトにすごく詳細に書いてあるので。そちらを。
https://www.g-reco.net/story.html
あらすじ:G-セルフを奪取しようとメガファウナに乗り込むマスク。トワサンガからも新たなモビルスーツが出撃してG-セルフを狙う。ベルリが囮になる中、メガファウナはフォトン・バッテリーを運ぶ輸送船に逃げ込もうとする。
以上。
わかりやすいじゃんね!「みんながGセルフを欲しがってるんだなー」「それくらいG-セルフってすごいんだなー」くらいのふんわりとした理解で全然イケると思いますが。行けませんかね?
https://b.hatena.ne.jp/entry/togetter.com/li/775985
っていうブックマークのコメントを見るとフムフム。
id:solaris_almagest 「Gレコは誰と何の為に戦ってるか分かりにくい。各勢力のイデオロギーとかそれぞれのキャラの背景が理解し辛い。」
id:atoh 主人公の立ち位置がはっきりしてる無印と“お前今どっち向いてんだ”のGレコとでは全然違う。ミノフスキー粒子で躓くのは中途半端に頭でっかちな連中で普通の子供にはロボットがつばぜり合いするのは当たり前の風景
id:norixto キャラの行動原理が不明すぎて訳が解からない って話しを設定が難解なのとをごっちゃにしてるね
id:A-WING インタビューは、メカの理屈付けが出来ない解らないという意味で、Gレコの「解らない」とは意味が違うんじゃない。
id:reachout 富野ガンダムはどれも難解な政治的な背景を持っているので、ぱっと見てわかれというのは無茶過ぎる。
など。
なるほど。ミノフスキー粒子とかスペースコロニーとか、フォトンバッテリーとかキャピタル・タワーとかの設定ではなく、Gレコはキャラクターの行動の理由が分かりにくいという話か。
で、分かりにくいと面白くないという意見とか、そもそもつまらないという意見とかあるのか。
まあ、面白さは個人差があるし、つまらないならしかたないんじゃない?
あと、世界観の設定はキャラクターの行動原理や性格にも影響するけど、ネットで”今回の「オーマイスコード!」をもっと早くやって居たらわかりやすかっただろうに”って意見を見たけど、1話の冒頭から宗教の法皇様が出てきてベルリも「スコード!」て念じていたし。色々と分からせるためのきっかけは散りばめられていると思う。それに気づくかどうかはそれぞれの人の運もあるし。僕もデレンセンがG−セルフをベルリが操縦していると気付いたのは「動き」ではなく接触回線だったと誤解していたし。理解できるかどうかはそれぞれの人の注意力もあるし、個人的な経験則とか、その時の体調や運もあると思う。分かりやすくはっきりと何度も繰り返す、って言う手もあるけど、そうすると生っぽさやスピード感が失われるからGレコはそれをやりたくないという取捨選択の話で。
富野アニメは昔からそう言うスピード感とつめこみが癖だから、「また今回も手癖でやりやがって」という気持ちはあるし、同時に「そう言う癖の強い所が好きなんだよなあ」と言うのもあるので。まあ、癖が無いのが持ち味のアニメは他にもあるので。原作付日中系とか。いや、なんだかんだ言ってワールドトリガーも見てるんですよ。ワートリ、安定感があるなあ。ワールドトリガーってすごく説明しているように見えているけど世界観の謎はGレコ以上かもしれんのだが、どうなんだろうねえ。
神様はじめました◎も安定感がすごいなあ。神道って奥深いんですけどねえ。
僕も富野由悠季って言う人は自分では普遍性を強調するくせにやってることは偏っていると思う。ガンダムの前のザンボット3とか開幕で主人公が無免許バイク運転で地元の不良と武器で私闘して、宇宙人が来た後も地元の不良に猟銃で撃たれるとか異常なアニメだったし。
富野監督のアニメはハマると宗教的に最高の気分を味わえるけど、ぶっちゃけた話さあ…、人型ロボットで暴力を振るい合うなんて言うストーリーに普遍性やわかりやすさがあるわけないだろ!ってファンの僕ですら思う。いや、僕は好きですけどね。でも富野アニメは頑固親父のラーメンみたいなクドイ味付けと珍素材だと思っているので。万民が理解する必要もないというような…。宇宙ロボットに乗った未来人が未来の政治的利害から殺し合うシチュエーション自体が、冷静に考えると異常事態だろ。なんでこんなものが流行してしまったのか。ファンだから好きなんですけど、好きだけどなんで僕以外の人にも流行するのか理解に苦しむ。学園ものとかは学生経験者が多いから、と言うのは分かる。
ガンダムの人、基本的に序盤で学校辞めますからね。だからこんな変なアニメが流行っているということ自体が異常だし僕は理解に苦しむ!
あと、ここ6年くらい富野監督みたいな絵コンテと編集と世界観コンセプトのセンスがちょっと常人より優れている社会人経験が少ない偏屈者が文化人面して講演会に出てたのも謎だった。なんであんな人が公共に受け入れられてしまったんだろう???富野監督が変人だということはちょっと文章と作品を見たらわかるはずなのに…。(そういう点で、富野監督が文化人として褒められる事態よりアニメ監督として叩かれる方が真っ当ではある)
だから別に皆は分からなくていいけど、僕は「分かられなくてもブログを書く」という異常者なので書く。いやー、異常者なので異常者が作る異常なアニメ面白いな―――っ!!!!
(ここまで書いたところで関東でGレコが放送されてTwitterで実況する)
と、今週はGレコが分からない人にも配慮して、Gレコの陣営の思惑や行動理由などについて冷静に解説するつもりだったのだが・・・・。
あさり よしとお氏”Gレコの何が良くて何が駄目か、ちゃんと言えるライターや評論家はどんだけいるのかな?” - Togetter
こういう情勢にも配慮したかったのだが…。
関東放送後にいきなりみんなマッシュナー・ヒューム中佐のバブみに夢中になってしまって、今晩は何も書けなかった…。tweetばっかりしてしまった。マッシュナー・ヒューム中佐の中の人の、たかはし智秋さんはTHE IDOLM@STERの三浦あずささんのころからバブみがあったし。
ロックパイ「司令、ボク一生懸命頑張ったんですよ!」
マッシュナー「そーぅだろう、わかっているよロック!」
赤ちゃんプレイ!バブみショック!
とりあえず、まとめ。
富野アニメの女性キャラと「バブみ」の魅力 - Togetter
マッシュナー・ヒューム中佐は上司にしたい理想の富野女性キャラかもしれない。
ハマーン様やナナイ所長も萌えるんだけど部下の強化人間がどんなに慕っても切り捨てるからなあ…。そう考えると全力で部下にバブらせてくれるしタブーを無視してビームを乱射してくれるマッシュナー中佐はかなり好感度を上げてきた。
ディアナ様はバブみで千年国を治めるほどバブみがあるけど、指揮官としてはどうかって言う所があるからなあ。
御大将もバブみをこじらせたし。
そう考えるとマッシュナー中佐はかなりバランスがあるけど、黒トミノ時代なら確実にクレッセントシップに反撃されてロックと心中してたな
鉄仮面「嫁がバブらせてくれないので人類を抹殺する」
ドゥガチ「嫁にバブみがあり過ぎてムカつくので人類を抹殺する」
とか。
富野アニメは母性キャラとか母性をこじらせたキャラとかいろいろいます。シャアとか。
Gレコの視聴者にも「分からない派」とか「どこがダメなのか派」とかいろいろいますけど、「バブみ」に関してはみんな「ママみたいな美女に褒めてもらいたいよ〜〜〜」という見解がかなり一致しているので。バブみは人類の共通語かもしれん。分かり合えるのか?
まあ、シャアがバブりたいのにアムロが「僕は母親を捨てた!ドヤ!」ってしながらララァを殺したので、やはりそれは隕石を落とすしかない。
バブみをマイルドにしてお姉ちゃーん!
- …ではストーリー解説に戻る。
今回はすごいエンターテインメントだったし、説明セリフも結構多くて分かりやすかったと思う。ただ「1回説明セリフを入れたので、その後は全部それを分かった前提で話を進める」という1回しか言わない不親切な部分はやっぱりある。
なので、サッカーの実況のように解説を入れていくというブログの書き方をやってみようかな。
開幕からいきなり説明セリフの難易度が高い。
ノレド「ロルッカさん達は色んなものを持ってきてくれても放りっぱなしでさ!」
ラライヤ「ここまで運んでくれただけでも感謝しなさいよさいよ」
ラライヤ「ベルリ、疲れてるね」
このやり取りだけで、現在のメガファウナが何をしているのか分かれって言うのが作り手なので、それは傲慢な脚本だなーって思う。ただ、視聴者には分かりにくいけどキャラクターが自然な会話をで言ってもおかしくない範囲での説明セリフにしようという文学的自然主義はある。自然主義問題は昔から色んな文筆家で論争があるんだが。
とりあえず、冒頭のノレドとラライヤの2つのセリフだけで、「シラノ-5の反レコンギスタ作戦派のロルッカたちレジスタンスがメガファウナに合流して、色んな資材を持ってきた」「それは前回のコロニー外壁事故の瓦礫に紛れたドサクサに急いでいて雑だが、運び込むだけでもトワサンガ軍当局の目を盗んでやっているゲリラ行為で緊迫している」ということを視聴者に分かれと言っている。
前回のラストでアイーダがロルッカ・ビスケスさんに「金星のヘルメス財団の所まで行く」と詰め寄って、それがどうロルッカたちに受け取られたのかは描かれてないのだが、前回と今回の間の行間でトワサンガのレジスタンスがアイーダ姫を奉ってメガファウナに協力する段取りを取り付けた、と想像できる。
また、前回のラストでアイーダがロルッカに「G-セルフのバックパックの予備もあると!ミラジさんは言っていましたよ!」と詰問していたが、トリッキーパックがG-セルフの背中を流れている絵があるので、それだけでロルッカたちレジスタンスがバックパックの補給もしたと視聴者に「分かれ!」って言ってる。このトリッキーパックは8話で使用したものかもしれないのだが、倉庫の配置替えをするためにわざわざ宇宙に出したとみるべきか、ロルッカたちが持ってきた予備と見るかは明言はされていない。リフレクターパックも倉庫の整理のシーンに出てきている。リフレクターパックは6話で基部以外全損したのでロルッカたちが運び込んだとみるのが妥当。(これももともと2台以上メガファウナに乗っていてレジスタンス組の合流と共に倉庫を整理しておくから、手前に出しただけと見ることもできるんだが)
で、ベルリが疲れるくらいそう言う補給作業が前回と今回の間に有ったんだよー、という経過も分かってほしい。で、ベルリも他のクルーも一生懸命補給作業をしているので、その描写を以ってメガファウナのみんながアイーダが金星に行きたいという要望を叶えることに同意している、と示している。なぜそう言う風に合意をしたのか、そこの段取りは省かれている。(ノレドはアイーダが前々回まで恋敵だったのでベルリがアイーダのために頑張るのが面白くなくて文句を言うので、個人個人の微妙な違いはある)
前々回でアイーダが姉だということに混乱して戦って、前回は混乱を引きずりつつ人類の平和のために瓦礫掃除をしたベルリだが省略された幕間で気持ちを整理して仕事に没頭するように落ち着いた、と言う描写。省略されてる間にベルリが気持ちを落ち着かせるのはデレンセン大尉を殺めた後の6話と7話の間でもあった。そういう作りなのだ。
こういう嬉しい2次創作も空想の隙間を補完しますねえ。
だから番組の流れとして見たらメガファウナがクレッセントシップに乗るぞ!ってなっている今回の話は唐突に見えるんだが、「先週と今週の間に段取りは済ませた。アニメでは動く所だけ描きます」という編集しぐさだと思えば、少し許せる。まあ、トリッキーな演出だというのは仕方ないんだけど。
「あれがクレッセントシップ。おおきいねえ〜」
単なる観光客みたいなセリフだが、これも後半にクレッセントシップに乗る時の大きさの伏線になってる。
・月のトワサンガのザックス兵団は伝統がある部隊で、宇宙エレベーターまで軍艦を動かすドレット艦隊とは派閥が違う。
・ザックス兵団のガヴァン隊長は地球人になめられている(というか主にG-セルフに連敗の)名所挽回を狙う
・ヘルメス財団の信用を勝ち取るためでもある
・兵士には女性もいる
・カシーバ・ミコシが出航するからビームライフルは使ってはいけないと言う命令は大事なことなので100回言いました。
・ガヴァン隊を抑えないと騒動に成るとマッシュナー・ヒューム中佐は懸念して、ロックパイに新型MSのガイトラッシュで出撃せよという。
・ガイトラッシュは新型で、前回のビフロンと同じく組み立て直後で整備が間に合ってない。電極は30個もある
・それをガランデンから見る艦長とクンパ大佐による説明セリフ
・クレッセントシップがまだいるのに女司令が出るのはクンパ大佐からも乱暴に見える
・マスク大尉は訓練飛行(と言う名目)、クリム大尉は大統領の息子の力を借りて遊びに出ている
・つまり、地球人がMSでシラノ-5の周りを飛び回っているからトワサンガのガヴァン隊やマッシュナー指揮下のドレット艦隊も一触即発になっているんだろう、と言うのがガランデン艦長の見立て
・クンパ大佐もそういう不安定な情勢だというのを承知の上で、トワサンガもG-セルフを欲しがっているからドレット艦隊との交渉のために確保しておきたい
・マッシュナー・ヒューム中佐もロックパイに命じてYG-111(G-セルフ)を壊さず、ガヴァン隊より先に捕えろという
・つまり、ガヴァン隊(MSはザックス)、マッシュナー部隊(MSはガイトラッシュとモラン、エルモラン)、マスク部隊(マックナイフ)、アメリア軍クリム派、アメリア軍から独立しつつあるメガファウナのみんながG-セルフを取りたがっているというのが今回の前提。序盤で説明されている。
中盤でみんな言っている。
めっちゃどうでもいいけど、
ジェルカーテンって通過したら窓とか外壁にジェルがくっつくのって動作不良の原因にならないか?宇宙を飛んでたら揮発するんですかね?まあ、未来の素材だからなあ…。
- どうしてそんなにG-セルフが欲しいの?
強くてすごいからです。それは前々回でG-セルフがガンダムを思わせるくらいの強さでガヴァン隊を圧倒したのをトワサンガに見せつけて、ラライヤにも危険視されるという段取りで通過している。
また、トワサンガの産業革命もせいぜい100年前に完了した程度で、月のトワサンガも宇宙世紀時代の技術を完璧に受け継いでいるとは言えない。ネオドゥのように既存の物を千年間使われ続けているMSもある一方、ビフロンやガイトラッシュのようにヘルメスの薔薇の設計図のデータから新しく再現しなおした機体(開発ではなく再現と言うのがGレコのMSの個性らしい)は地球のアメリア軍の急造MSよりも急増で整備が追い付いていなくてガタガタという情景描写がある。
なので、ヘルメスの薔薇の設計図の中でも高級品のG系でしかも実戦の成果もあり地球での戦闘データもインプットされているG-セルフを手に入れたら一気に技術革新ができるという目論見があります。
ヘルメスの薔薇の設計図は月でも伝説視されている。
僕も「YG−111はドレット艦隊で不採用に成った機体で使いどころが無いので地球の偵察という名目で落とされた失敗作」かなーって思っていたんですが。正式採用になったモランよりも弱いのかなーって思っていたのですが。どうもそうではないらしい。むしろレジスタンス派がバックパックの予備を隠して建造して持っていたのを見ると単なる偵察用MSという枠を超えた戦略兵器と言う可能性がある。
ただ、現時点ではなんでレコンギスタ作戦派のドレット軍が反対派で取り潰しになったレイハントン家派のロルッカたちが建造したYG-111を偵察任務に採用したのか、なぜそれにドレット軍と対立しているレジスタンス派の一味であるラライヤ・アクパールをパイロットとして乗せたのか、全く分からない。ロルッカ派のMSとパイロットをまとめて地球に落としたらドレット軍としてはレジスタンスの戦力を削げると思ったのかもしれないし、他の政治的な意図があったのかもしれない。
で、G-セルフの凄さは今回の終盤でも強調されますが。むしろ「凄いから取り合いになる」という事案の積み重ねですごさを説得させる作劇より、「よくわからないが取り合いになるくらい凄い」と凄さを先に印象付けてアクションさせてラストに「予想よりもっとすごかった」と凄さを突破させる作りになってます。
- カシーバ・ミコシとクレッセントシップの説明
タブー破りの海賊娘のアイーダ姫はスコード教の御神体であるカシーバ・ミコシについて「地球人をバカにしていませんか」「権威づけでしょう」「デコデコしたデザインで私たちに尊敬しろって強制してます」と評する。
1000年間の安定を作ってきた既存の価値観に囚われない姫様だぞ!
アイーダ的にはスコード教を信じない海賊のカーヒルを恋人にして彼のキャピタル・タワー占拠による地球解放思想を信じていたら、カーヒルも志半ばで死に、殺したベルリは弟で、キャピタル・タワーもトワサンガも行ってみたら地球を支配しているのではなくヘルメス財団の下部組織に過ぎなかった。と言うわけで、アイーダは色んなものを信じない性格になって行ってる。アイーダが御神体を崇めないのは海賊だから、と言うのもあるし、これまでの17話の旅の成果でもある。
クレッセントシップが3日かけてメインエンジンをアイドリングをしてエンジンをあっためなければならない、とリンゴ君の機械の性能面での説明。
その後にベルリもカシーバ・ミコシとクレッセントシップを見ているんだが、顔や声の表情からアイーダほど反発しているようには見えず、むしろスコード教の信者でキャピタル・タワー運行長官に育てられた経験から、割と素直に「バッテリー1年分を運ぶのはすごいなあ」と思っているようだ。
デザインで思想を語るアイーダ、機械的性能を語るリンゴ、運用インフラの伝統と実績に感嘆するベルリ、と、同じものを見ても違う反応を示すのが世界を立体的に見せようという意欲的な脚本。視聴者に印象を固定させないのは正解が見えないので分かりにくいし不安定な脚本とも思われがちだが、キャラクターのそれぞれで感じ方や持ってきた常識が違うって言うのを見せたい脚本なのかもなあ。
- 今回の戦術の説明
で、ロボットファイトアニメなので今回も戦いが起こりますよー。
なんですが、その前段階としてシラノ-5のサクン・スーン桟橋の瓦礫の中にダミー隕石を使って隠れているメガファウナがいて、ケルベス中尉のレックスノーとリンゴ少尉のモランが偵察に出ている。
ここで、ワンポイント面白いのが、レックスノーがガヴァン隊の接近を索敵してメガファウナに戻ろうとしてから艦長が「レックスノーのキャノン用意!」と言っている所。
つまり、偵察中のレックスノーは意図的に武装を外されてるんですね。なんでかっていうと、武装していたら政治問題になるから。偵察機にグリモアではなくキャピタル・ガード出身のレックスノーと捕虜のモランを使ったのも敵対行為と思われないように、いざと言う時に言い訳しやすいようにって言う配慮がある。こういう政治に絡めた武装の描写はVガンダムのジブラルタル基地の話を思い出して富野アニメらしいと思う。政治的に配慮している上で、やっぱり見つからないに越したことはないので隕石の中に隠れて偵察するという戦術。
そんで、「本艦はカシーバ・ミコシから距離を取ったら攻撃されるが、シラノ-5の上に出ているクレッセントシップに接近すれば、攻撃されない!」と艦長がめっちゃ説明している。
ロルッカとミラジも「G-セルフが接近すればクレッセントシップは化けるはずなんです」と言っている。
ここも今回の戦術的ルールの解説セリフ。
「金星に行きたいのはアイーダの個人的な発想で、なんで他のメガファウナのメンバーがついていってるの?なんでわざわざみんなで金星まで行くの?」って言う疑問はすごいある。
ただ、どうも艦長とレジスタンスのセリフを聞くに「金星にでも行かないと行き場所が無くなってドレット軍に詰まれる」「詰まれる前に脱出する」って言う点での利害関係がある。
トワサンガでの地球人の存在は不安定だ。ガランデンはクンパ大佐の、サラマンドラはクリムと大統領の政治力でなんとかゲスト待遇になっている。が、メガファウナの一行は政治的な後ろ盾が薄いし(スルガン家とゼナム家の権力を使うのをアイーダが嫌がっていて)、ドレット軍に潰されたレイハントン家の忘れ形見がいてレイハントン家派のレジスタンスと合流してるんで、逃げないと処刑や強制労働を受ける。ONEPIECEにも影響を受けているんだけど、とにかく海賊部隊はアメリア軍の偽装の任務が無くなっても海賊扱いされてどこに行っても追われるのだ。ここら辺はファーストガンダムのホワイトベースが新型部隊で追われ終わった後に囮部隊として、また追われるのに似ている。ファースト機動戦士ガンダムの第13独立部隊と言うのもかなり政治的な用兵だし、初見での分かりにくさは同じくらいかもしれないけど。まあ、囮作戦の方が放浪よりは分かりやすいかもしれない。でも、アイーダ姫が「人類を代表して皆を陰で操っている奴に文句を言いに行く」と言うのも少女革命ウテナとかドラゴンクエストとかエルガイムみたいな分かりやすさはあるんじゃないですかね。
世界を暴くシステムロボットアニメと言うと、革命機ヴァルヴレイヴとか、クロスアンジュがある。どっちも大統領の子供とか姫様が出てくるけど。キルラキルとかヴァルヴレイヴとかクロスアンジュやゆゆゆは主人公たちが生き延びるための戦い(生存権は多くの人にとって正当化されやすく共感されやすい)をしているうちに悪い奴が出てきて世界の設定をペラペラ喋った後やっつけられてくれて、共感と世界を暴いてラスボスをやっつけた高揚感が得られる。
(まあ、僕は親が銀行屋が生きるための仕事に騙されて投資に失敗して自殺しているので「生き延びるために戦う」って言うのがどこまでも正しいとは全く思えないのですが。別に死んでもいいじゃん)
で、Gレコはヴヴヴとかゆゆゆとかウテナと同じく世界の裏側でみんなを操る悪い奴に一発かましたいアニメなのですが、普通のアニメは生き延びるために戦っているうちになんとなく状況が世界の謎を開陳する方向に動いていくんですが、クロスアンジュのアンジュもああ見えて割と流され型なんですが、アイーダ姫様は高貴な姫すぎるので最初から「現状が気に食わない。自分から黒幕をさがしに行くし、黒幕が黒幕じゃなかったら宇宙の果てまで行って文句を言ってやる」という武闘派。なので、共感を得にくいかもしれない。
ゆゆゆと同じ監督がアニメにしたダンガンロンパも「クロマクを暴く=生き延びる」だったので。
普通の人にとって一番共感されやすいのはファーストガンダムのホワイトベースの15少年漂流記サバイバルみたいに「生き延びることができるか」っていう生存権なんですが、アイーダ姫様は高貴すぎるのでしばしば生命を危険に晒してまで宇宙の果てまで飛んでいこうとする。あと、クリムは野望から、マスクもコンプレックスから、ベルリはシスコンから、生命の危機に突っ込みながらわざわざせんでもいい苦労に身を投じている。なので、普通に生きていきたい視聴者から見ると共感しにくいだろうなー。
サイコパスの常守朱監視官も割と「世界の黒幕に文句を言うために危険になる」タイプなんですが、彼女は彼女で「社会を平和にする」という理念があってそこは共感ポイント。
アイーダさんは「社会の平和をぶっ壊すかもしれんけど、とにかく黒幕に文句を言いたい!その後にどういう社会を作りたいのかはその後に考える!」と言う熱血だからなあ。そこは僕も正直言って共感するというよりは「異常者が異常なことをするのを期待して見ている」って感じです。
生き延びる戦いの果てにたどり着く世界の謎系のアニメはイデオン、ザブングル、エルガイム、ブレンパワードで富野監督もさんざんやったので、ガンダム Gのレコンギスタは「宇宙世紀を生き延びた後の話をしよう」なんだと思う。
ちなみに、僕がGレコの感想に絡めて他のアニメの話をすると、富野を褒めるために他のアニメを貶しているってお叱りを受けることも多々あるのですが。まあ、ほら、大きいものの大きさを語る時に隣にマッチ箱を置くことってあるじゃないですか。それです。パセリです。
マッチ箱扱いされたアニメのファンの人にとって見れば不快かもしれませんが。でも比較とか時代性の中での相対座標は文章を作る上で便利なので。あと、個別エントリを書くほどじゃないけど他のアニメの話もしたいという欲求もある。
で、ロルッカとミラジも単に食い詰めたシラノ-5から逃げ出したいだけでなく、「クレッセントシップとG-セルフが合わさったらスゴイパワーを発揮する可能性を感じたんだ」と、専門家と言われる人々の一直線な考え方でもあるんだけど、技術的なヘルメスの薔薇の設計図の伝説を試してみたいのでクレッセントシップに接触したい。そのためにはシャンクでうろちょろ農作業をしている程度のレジスタンスではなくメガファウナの機動力を借りたい、と。こういう各人の妥協や思惑がある。
だから、アイーダ姫様が金星に行きたい気持ちがあって、それを助けたいベルリとか、クルーが生き延びる航路を探っている艦長とか、利用し合いたいレジスタンスとか、女の尻を追いかけているメンズとか元気でかわいいノレドちゃんとか全員思惑が違うので、誰にどう共感すればいいのか?って言うのは分かりにくい。
が、「みんな意見が食い違うけどたまたま利害が一致した時は助け合う」というのが前回の瓦礫掃除でも示されたので。何が正しいかは示されないけど、意見も思想も違う多国籍な連中が何とか折り合いをつけて行こうという姿勢をぼんやりと見て楽しむって言うのが僕のスタンスですかね。
震災やテロとの戦争以降の正義の話をしたいんじゃないかなー。ZガンダムやVガンダムで冷戦以後を描いたので、その延長かなあ。
- マスクが来た!
で、メガファウナのみんなが逃げ出して撃たれないために、また金星に行くためにクレッセントシップに接近しようとしてガヴァン隊やロックパイたちの部隊を警戒していたら、その隙をついてマスクがマニィをマックナイフに載せて、バララ・ペオール中尉のビフロンと共に来た!
バララ「レーダーが使えないんだから、もっとよく見なくっちゃねえ!周りをさぁ!」
リンゴ「周りを見たらラライヤがいたんだろう!」
と、ミノフスキー粒子下での宇宙索敵の難しさとかリンゴがラライヤのケツばっかり見てるとか、そういう説明が分かりやすい。注意力がガヴァン隊に行っていて索敵漏れだったんですねー。わかりやすい!
また、ノレドが一番最初にマックナイフの接近を目視で気づいたというのも彼女が歴史政治学を目指す感じの観察力の高さの描写かもしれない。リンゴ君よりはノレドちゃんの方が周りをよく見ていた。
で、マスクがベルリに「G-セルフはトワサンガで建造されたので返さなくてはならんのだ!」「ガランデンもメガファウナも補給してもらえるのだ!」とベルリに正論をぶつける。
ぶっちゃけると、マスクの言っていることの方が当たり前なのだ。外国まで数隻の船で来て、行き詰ったら現地で補給してもらえるように温情を乞うのが正しい。だからマスクが「お前たちも降参しろ!」って言うのは正しい。正しいし、それをあえてベルリたちが断ることで戦う決意みたいなのをはっきりと示している。
前述の「どうすれば詰まずに生き延びられるか?」の考え方だと、「戦う武器を偉い人に渡して降参して生き延びる」ルートもある。でも、ベルリにとってG-セルフは「僕とアイーダさんの!」なので渡したくない。「生き延びるために補給してもらうために降参しろ!」とマスクに言わせて、それを断ることで「生き延びるためだけが旅の目的じゃないんだ!」という力強い宣言になっている。脱ガンダムや…。
敵のマスクに「生き延びるにはG-セルフを差し出すのが最善」という選択肢を言わせて断らせることで、作者としてもメガファウナの連中が何も考えてないで強い武器を使いたいだけの戦闘狂ではなく、あえて孤立を選んでいる意志を表現できてる。一応その選択肢も劇中ではありますけどね、って言う。
また例えると、Fate/stay night で衛宮士郎が最初に言峰教会に行って棄権せずに戦うルートみたいなもの。Fateの序盤ではプレイヤーにはマスターの権利を捨てて棄権するって言う選択肢もあるんだが。それをするとバーサーカーに殺されるか、神父に愉悦される。
Fateの士郎も「俺は戦いを降りるけど、遠坂凛にセイバーを渡して正義を執行してもらうように応援するぞ」という選択肢もないことはなかった。でも、士郎はそうしないことで「生き延びなくてもいいから正義の味方になりたい」とか言う異常者としての主人公性を発揮した。(ゲームシステム的にもその選択肢が生存ルートだったのだが)
ほんで、Gレコのベルリとアイーダがガンガン戦って嫌な世の中に「それでも!」って言い続けるのはそういう理想みたいなのがあるんだろうな。皇女と皇子だから。高貴なんだなー。
そう言うわけで、クンタラ仮面は拒絶される。
ていうか、マスク大尉はG-セルフを動かせないし。ベルリにお願いして動かしてもらわないといけない立場なのにいきなりヘッドロックとか態度が悪すぎるよね。
逆に、マスクにドアを開けるためだけに放置されたマニィがノレドとお友達関係を復活させてメガファウナに居残るのが面白い。
マスクは態度が悪すぎるし武装しているので居たら喧嘩になるけど、マニィは乙女だし同じ部活のノレドも「マニィが悪いことするわけないじゃん」って思っているので何となく味方扱いしてもらえる。うーん。来週はみんなマラソン部に入る。
来たと思ったらすでに戦っているという、血の気の塊のような二人。
この二人もメガファウナの監視から漏れた所を飛行してて、マスクのマックナイフとビフロンの光を追って突撃してきたみたい。クリムたちは同じアメリアなのにメガファウナの側から見てもアンノウン扱いされているのがおかしい。連携するつもりが無いんだなー。アイーダもドニエルも「アメリア軍を自分のものだと思っているような」「大統領のドラ息子」だと言っていて信頼してないし。でも、クリムは自信満々なのでまだメガファウナも自分のものだと思っているんだろうなあ。クリムはマスクからメガファウナを守っているつもりだけど、クノッソスの艦長からは「メガファウナで(地球人の)内輪揉め」と言われる。そういう認識のずれがおもしろい。
そんな認識のずれが戦闘をズブズブに拡大させていくのが富野アニメの紛争っぽい。
ドレット艦隊のクノッソスの艦長は地球人の紛争を見てマッシュナーに「拡大させるわけにはいかんぞ!」と言うし、マッシュナーは
「ヘルメス財団の使者が見ている前でカシーバ・ミコシにビーム一発かすめたら、軍は即刻解体されます。そんなことはさせはしませんよ」
と答える。
カシーバ・ミコシとクレッセントシップを守ってヘルメス財団に外交的な顔を立てるために軍事介入したのが、かえって事態をグダグダのズブズブにしていくのが闘争本能と政治の描写ですね。
蛮族の内輪揉めに文明国が介入した結果世界的な殺し合いに成るのはアニメ以外でも実写のニュースでよくやってますね。
話は変わりますが、マッシュナー・ヒューム中佐の下唇の厚い所と口紅のラインが微妙に違っているのがセクシーですね。ロックパイとチューするし。
- ガヴァンとロックパイも来た!
ガヴァン「自分の守備範囲で地球人に好きにさせるわけにはいかんのだ!」
ロックパイ「ならずものガヴァンは数の暴力!」
トワサンガ軍同士なのに、ロックパイは「ガヴァンより先にG-セルフを手に入れろ」っていう命令に従っているんでロックパイのガイトラッシュは地球のMSではなくガヴァンのザックスを蹴る。
そんでロックパイの指揮する部隊とガヴァン隊が地球人の内紛と同時並行で内輪揉めを始めるので、すごくわかりにくい。が、いちおう足に爪がついているザックスがガヴァン隊で、サナギマンみたいなのがロックパイで灰色のコオロギみたいなモランがロックパイの部下なんだなーくらいのふんわりとした印象でOKっぽい。
↑トワサンガの守備隊のガヴァン隊のザックスの特徴は足の爪と背中の四本のロケットブースター。
↑守備隊とは別のドレット艦隊の指揮下の部隊。オレンジ色のビームマントを蝶のように使うサナギマンみたいなのがロックパイの新型のガイトラッシュで、それと並進する灰色のコオロギみたいなのがモラン。モランは刀でガヴァンのザックスの足を切断したりする。切れ味がすごい良い。
これくらいのざっくりした理解で見ていきましょう!
今回、G-アルケインが出撃した時は汎用ビームライフルを持っていて、ガイトラッシュを狙撃する時に対艦ビームライフルに持ち替えたとか、そう言う細かい見方はオタク以外はしなくていい。
で、大量のガヴァン隊とモラン隊は内輪揉めをしているだけじゃなくて、ちゃんと地球人のバララにも攻撃をしていて、それを助けるためにマスクがミサイルやビームを使う。カシーバ・ミコシとクレッセントシップがあるので本当は撃ってはいけないんだけど、自分の命を助ける撃ってくれたのでバララは嬉しくて泣く。かわいい。
マスクのマックナイフがガヴァン隊のザックスを撃墜!
クリム・ニックは卑怯で邪悪なので「トワサンガの連中がビームを撃てないなら俺は撃ち放題だぜー」って言うスタンス。
で、レーダー通信ができない宇宙で地球の蛮族3陣営(メガファウナ、マスク、クリム)とトワサンガのガヴァン隊とロックパイ隊が同時並行で紛争をするというワチャクチャになったので、ロックパイを愛しているマッシュナー・ヒューム中佐は「あいつらは停船命令を聞くような連中じゃないし!」って艦砲射撃を命じる。
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で、砲撃がクレッセントシップを盛大にかすめているのでクノッソスの艦長が「私を死刑台に送るつもりか!!!」ってテンパって、もう一つの船の中でも意思統一ができてなくて、全員が寄生獣の島田(もちろん硫酸を浴びた後な)状態の混乱ぶり。
でも、ベルリはヒーローで優しい主人公なのでビームを撃ったりはせず、メガファウナにクッションを付けてやったりして、ビームは撃たないでザックスのネットに捕獲されたモランをガンダムハンマーの代わりにしてジャイアントスイングでぶつける!(モランの中の人は脱出しています)
(ここの宇宙用バックパックのスラスターの動きが面白いですね)
- 今週のビックリドッキリメカ・ガイトラッシュ
で、ひとしきり普通の量産型MS同士の戦闘をしたところで、今回は怪モビルスーツのガイトラッシュが出ます!
能力はビームマント!今回はカシーバ・ミコシとクレッセントシップの近くだからビームや射撃をしてはいけないルール(みんな破っているけど)なので、ビームマントで守備力を上げる機体のチョイスは正しい。
って、思うじゃん?
バリアーとかメイン盾ロボって大体自分や味方数機を守るために使うのが当たり前だと思っていたのだが。「バリアーを直径数百メートルに広げて敵ごと包んで、その中ならミサイルもビームも撃ち放題!」というちょっと普通では思いつかない戦い方ですねえ!オーバーマンキングゲイナーか。バリアーがめっちゃ強すぎて、クリムとマスクもどこかに飛んでいく。あははは…とんでっちゃうんだ…。
長谷川裕一フォントで「ははは はははははは」って感じ。機動戦士クロスボーン・ガンダムゴーストのサーカス機みたいなビックリドッキリメカですねえ!メカイジュウですねえ!
あー、勇者ライディーンみたいで楽しい!ラライヤが言っていた「プラズマイクオール」とは何なのか全くわからないが。とにかくバリアーはバリアー。
で、ガイトラッシュがバリアー型だからそこの中で戦えばいいのかなーって思わせておいて、バリアーを張ったままクレッセントシップに突撃しそうになってグダグダになるので、マッシュナーのクノッソスもメガファウナもガイトラッシュの足を止めようとして砲撃しまくる。あーもうめちゃくちゃだよー。
でもガイトラッシュの無敵バリアは無敵なので敵味方に砲撃されまくっても平気。
G-セルフも第一波で宇宙用バックパックを粉砕されて、ビームサーベル回転盾でしのぐのがやっとか???
「ここまでだ!111のパイロット!」
「G-セルフにもフォトンシールドはありますっ!」
「ビームコーティングだというのか!ガイトラッシュのビームサーベルをつかんで防いでいる!」
圧倒的俺のクロスボーン・ガンダムX3感!Iフィールドハンド―ッ!宇宙世紀を乗り越えた後の機体だから余裕でこれくらいの芸当はできる。
つよい!!!
で、左!
すごいぞG-セルフ!こんな謎パワーを使いこなすなんて!そりゃあみんなが欲しがるわけですねえ!!!
ガイトラッシュの敗因は脚部のミサイルやビームを防がれて、サーベルの間合いに入ってしまった事ですね。でもサーベルをつかんで防ぐとか思わないじゃん。ビームマントに出力を使いすぎて攻撃は弱かったのかもしれん。セルフがほんと強い。
滅茶苦茶砲撃しまくって、ガンダムが滅茶苦茶強くて、敵の怪ロボットの能力を完全に打ち破って勝つと爽快だな!ここら辺は富野監督第二作の勇者ライディーンと同じ匂いを感じる。
負けたロボットのオチも古典的スーパーロボット感。
「司令!僕一生懸命がんばったんですよ!」
「そうだろう分かっているよロック」
バブみ!ヤッターマンか!たかはし智秋さんだし!
(バブみプレイをしている間に、クノッソスにはメガファウナが捨てた)
- アルゴ号の冒険感
で、怪ロボットを倒した後に間髪入れずに巨大宇宙船と激突するぞ!っていうハリウッド映画並みのスペクタクル。
メガファウナはクレッセントシップに追突しそうになるけど…
モビルスーツが外壁を押してすり抜けて〜〜〜
ハマりました!
モビルスーツが「押す」とかバカバカしいんだけど、スーパーロボットのスーパーパワーの使い方としてすごく冒険っぽさがあって楽しい。ていうか、ベン・ハーのガレー船とかがすごい好きなんだろうなあって言う感じ。宇宙なのにガレー船みたいな衝突とか、海賊アニメなんだなーって。
とかメガファウナがやっている間に、G-セルフはクレッセントシップの神殿みたいな所に入る。音楽も荘厳だ。
神殿の扉が開く時にクレッセントシップから「レイハントンサイン!」って皇家を認識した声が響くところ、ファンタジック。
で、レイハントン家の皇子さまが紋章にメタルを入れるとクレッセントシップは定常運転を起動させる。宇宙船なのに皇家の紋章に反応するとか、インディー・ジョーンズとかファイ・ブレインなのか。冒険萬画なんだなー。
ヘルメスの薔薇の設計図の伝説に沿って大いなる船の封印を解除するとか、スターウォーズのフォース感がある。
なんか失恋したけど、弟でもいいや!姉さんに褒められたぞ!わーいわーい!ナチュラルにタッチ。弟だからね。いいよねって言う。
Gのレコンギスタは1話や2話のチアガールを見た時点から、恋愛がどうのこうのよりも女の人に褒められたい欲求がメインなので、お姉さんに褒められたらベルリは嬉しくなってしまうのです。
なんだかなあ。まあ、そういう話だ。
で、クレッセントシップの艦長さんにも「ヒッグスルートカプセルの解除ありがとう」ってお礼を言われる。
戦った後にちゃんと褒められるとうれしいなあ。よかったよかった。話のつくりとして古典的だが冒険した後に褒められるとうれしい。
また、ベルリは前々回で「なにがレイハントンだ!」って怒っていたけど、父さんと母さんの遺したG-セルフのスーパーパワーでガイトラッシュを撃退した上に、レイハントンメダルで大いなる船の封印を解除する偉業を達成したのでレイハントン家の人間であることを自分の中で納得して笑顔になったようだ。
今回の序盤はアイーダさんがやりたいことを助けたいというだけだったけど、ガイトラッシュと戦って一遍死にかけた後についでに偉業を達成したら「父さんと母さんの仕掛けに乗って」と笑って姉さんに報告できてG-セルフについても「こいつのおかげでね!」と肯定するようになった。神話の技巧で言う所の「生まれ直し」って感じでもある。
G-セルフは6話ラストでベルリに戦いを強いる悪魔みたいな横顔だったけど、今回のラストは逆向きなんだな。
↑6話ラスト
↑今回
G-セルフは見る人の気分によって表情が変わりますねえ。
- ロボットアニメの縛り(エネルギー)
今回凄いなって思ったのは、クレッセントシップのメインエンジンのヒッグスルートカプセルですね。
ちょうど、こういう記事を書いたところ。
ガンダムビルドファイターズトライ第15話「新生!トライファイターズ」とアニメの縛りについて - 玖足手帖-アニメブログ-
アニメや創作はどの程度自由な発想で作って良いのか?つまり、ロボットアニメに限定してもどれくらいロボットを強くして良いのか?
と言う問題がある。発想の赴くままに巨大で無限の動力ですごく強い武器を載せまくったらいいのか?
でも、まあ、人型戦闘ロボット自体がまず二本足で素早く歩く時点で動力も頑丈さも空力もかなり無視しているし、ロボットアニメは自由な妄想の産物であるのだが。
なのだが、うーむ。
やっぱり自由な発想で都合よく主人公たちが勝つのは、(もちろん主人公が勝つのが展開としては多いのだが)、あまり面白くない。
なんか「主人公たちがパワーアップしましたよ。強いですね。はい勝ちましたよ」って見せられても、「ああそうか」と思うだけ。
で、やっぱり縛りや抑制や試練が無いと盛り上がらないなあ。
イデオンとかダンバインとかZガンダムとか、ぼくらの、だと「無限の力があるけど、命が吸い取られて死ぬ」っていう縛りがあるので、その制約の中でどう動くかって言う面白さがあった。
なんか、あと、最近のラノベ原作とか設定を作ったもの勝ちみたいな所があるアニメも多い。
これこれこういう設定の能力を持った敵がこれこれこういう攻撃をしてきてピンチになるが、これこれこういう設定があったから勝ちました。って言われても「いや、その設定を作ったのはどっちも作者の都合じゃないか」ってなって盛り下がる所がある。ハリーポッターもだよ!
ピンチが訪れても感覚が鈍って「どうせ主人公補正で何んとかなるんでしょ」とか「脇役は(脚本家とネタを共有している)イナホマンを盛り上げる物語の奴隷ですね」とか思ってしまう。
クロスアンジュもそう言う所がある。魔法の設定とかドラゴンの設定とかロボを動かせる設定とか「そりゃー好きに作られた世界だからいくらでも好き勝手できるますね。はい」という冷め方をする。「あー、神様が作ったんすかーすごいっすねー」「まあ、神様って言うか福田Pが作ったんですよね」って。別にハダカデバネズミが人間だろうが俺にはそんなことは知ったことではない。
で、僕はやっぱり気持ち悪い富野信者だから富野アニメを褒めるんだけど。
ガンダム Gのレコンギスタではちゃんと設定面から抑制と制限がある。フォトンバッテリーで無限の動力があるけど、フォトンバッテリーを作れるのは金星人だけだから金星人と戦うにはどうしたらいい?という制限下での行動の模索があって良い。
リギルド・センチュリーのMSは過去の設計図を基に衰えた技術で再現したバッタものか、昔から使われてる老朽品という制限も良い。
その中で、G-セルフとベルリは無敵として設定されているが、無敵すぎるからあんまりベルリがG-セルフにすぐに載らないように、というシナリオ面でハードルを設けるようにしていて、この二つがセットになって無敵モードになる時のカタルシスを高めている。
同時に、G-セルフとベルリが一緒になって無双したら無双したで、無意味な殺しをしてしまって責められたり気分が悪くなったりするし自体が悪化するとか言う制限がある。
設定でも物語運びでも制限と、それを乗り越えるための策が講じられると面白いと思う。
正直、Gのレコンギスタはあんまりベルリの努力は足りてないんだけど、ベルリはMSの操縦技術のスキルは飛び級をした1話の時点でマックスに近い。じゃー、ベルリは成長してないのかって言うと「業の積み重ね」はある。で、業が積み重なると思い切りは良くなるけど心はすさんでいく。心のすさみという対価を払いながら戦場に出るって言うのは実際のPTSDとかにも通じて共感しやすい。
で、強引に話をまとめると、設定の段階で制約とかが有って、それを乗り越えるためにドラマが動くのが面白い。
ドラマの動かし方は友情や努力であったり、人間性の犠牲とかいろいろ。色々なんだが、ドラマの動かし方にも性格とか状況とか人間関係などの問題があって試練が出てくるとなおいい。
で、試練や制約はなるべく「物語独自の都合のいい設定」だと結局作者が自己完結しただけだろ、って思ってしまうので、実際の機械や素材の耐久性とか性能とか燃費とか、それを動かすインフラや社会構造などを世界観として有機的にからめていくと説得力が増す。ドラマ的な、キャラクターに関する制約も「〜〜の能力者だから」とか「ツンデレキャラだから」とかだけではなく、普通の人間にもありうる普遍的な人間の業とか経験則で視聴者の教官をくすぐったり、あるいは裏切ったりすると盛り上がる。
そんなわけで、やっぱりご都合主義は面白くない。結果として主人公たちが勝つのは大抵の場合当てはまるとして、そこに至るまでにどういう葛藤や感情の揺れがあるのかが見たい。パワーアップするにしてもどういう理由で、何を素材にしてどういう経路や切っ掛けなどでできたのか、描かれると盛り上がる。
ガンダムビルドファイターズトライ第15話「新生!トライファイターズ」とアニメの縛りについて - 玖足手帖-アニメブログ-
と言うブログを書いていた所で。
今回のガイトラッシュの「射撃が制限されている縛りの中でビームマントを使う」ってアイディアとか「ビームマントが強力な分、攻撃の決め手が薄い」というロボットの強さの制限が戦況と一致しているのがすごく良かった。
G-セルフが4話ではカットシーに対して偶然出ただけのフォトンシールドを使いこなせるようにパワーアップしたのも、クレッセントシップに接近してレイハントンサインの力が共鳴したからだ、って思ったら主人公補正も薄いと感じる。逆にレイハントン家の謎が深まってワクワクする。
それだけでもかなりポイントが高いのだが、クレッセントシップのエンジンにも「フォトンバッテリーと同じような縛りがある」って言うのがすごくSF的にバランスが良いアイディアだと思った。
まあ、ヒッグスルートカプセルと言うのもシドニアの騎士のヘイグス機関みたいな謎エネルギーなんだが。フォトンバッテリーも謎エネルギーという点では同じなんだが。
「フォトンバッテリーを運ぶクレッセントシップはフォトンバッテリーで動いていなくてもっと高次元のヒッグス粒子エンジンで動いている!」っていうの、すごく納得がいく。確かにフォトンバッテリーという便利エネルギーをわざわざ輸送するんだから、その輸送船はもっと効率が良い高級なエンジンで動いているというのは納得しやすい。
でも、それが無制限じゃなくてアイドリングが必要だったり、レイハントン家のメダルで何かを解放しなければいけないという縛りがあったり。きちんと「都合のいいエネルギーにはそれに伴う理由づけや対価がある」という劇のバランスの取り方に自覚的なのが、すごく偉い。
この物語はフォトンバッテリーという謎エネルギーの出所を探る物語だし、富野監督は帝国以後のエネルギー政治や震災以降のエネルギーも描こうとしている。なので、巨大エネルギーを描く際に無制限に万能ってするんじゃなくて、それに対して縛りを設けようという姿勢がすごく僕好みですね。
ちゃんと僕好みのリアリティレベルに設定してくれていてうれしいし、やっぱり富野作品とは発想の好みや肌感覚が合うんだなーって思う。
次回から後半1/4のラストスパートの残り8話で、金星まで行って来るという新展開ですが。
最後まで楽しませてくれるといいですね。
ほんと、今日も結局8時間くらいぶっ通しでブログを書いたんですが。
何でこんなに30分アニメに書くことがあるんでしょうね???
いやー、面白いからなのかなー。それだけの作品のパワーがあるのか。
実は毎週不安との闘いなんですよ。いや、毎週働きもせず徹夜してアニメの感想に没頭するのが成人男性として明らかに間違っているし疲れるし眠いという不安もある。
同時に、「今週はクソつまらなくなっていきなり書くことが無くなったらどうしよう」と、毎週思っている。富野信者だから面白がってる面もあるが、信者だからこそ「いきなりつまらなくなって今まで富野監督作品に入れ込んできた気持ちが無意味になったらやだなー」という不安はすごくある。
だから毎週戦うつもりで見て、戦うつもりでブログを書いているのです。いったい僕は何と戦っているのか?この戦いに意味はあるのか?もっとまじめに就職活動やスキルアップをした方がいいんじゃないか?でも親は還暦手前まで生きたのに不動産屋の投資活動に騙されて自殺した…。資本主義社会で生きることに何の意味があるんだ…。生きることよりもアニメを見て魂を浄化させる方が価値があるのでは???
と、哲学的な戦いをしながらGレコを見てるんですよ!僕は!
でもGレコを見て大人たちの無残な現実を学んだ若い今のリアルティーン学生さんたちは僕たちのような間違いを繰り返さない未来の洞察力を持つニュータイプになってくれ…。
すまねえ・・・すまねえ・・・。
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