正式には「平成ライダー対昭和ライダー 仮面ライダー大戦 feat.スーパー戦隊」。
グーグルが安く配信映画を見れるクーポンをくれるのでスパイダーマン:スパイダーバースを見た。その影響で、日本で同じようなコンテンツである平成ライダージェネレーションズなどを見た。仮面ライダー鎧武が最新ライダーだった頃なので6年前の春映画。
今回はその源流である平成ライダー対昭和ライダーを見た。Gのレコンギスタの記事の執筆をサボって仮面ライダーしていて、ガノタの読者には申し訳ないが、Gレコは色々と下準備や取材が必要なので時間がかかるのです…。睡眠障害の治療中なので夜に執筆できない…。でも家事を終えて夕方から書き始めて、もう午後10時。
春映画は話題性からリアルタイムで見るのが一番楽しいはずなのですが、僕は常に録画消化に追われているし金もなかったので…。レンタルビデオ店で…。
で、平成ライダー対昭和ライダーは、まあまあ面白かった。しかし、敵の板尾創路が演じる仮面ライダーフィフティーンの戦う動機が「死んだ息子に会いたいので悪の仮面ライダーになる」だったので、自死遺族として辛い気持ちになった。スパイダーバースの敵と同様、家族関係をドラマの軸に使うのは割りと汎用性が高いのですが。
- ざっくりした全体の感想
全部の昭和ライダーと平成ライダーを出すのは無理だし映画として破綻するので、敵の秘密結社を倒すという大きなラインと、平成ライダーと昭和ライダーが戦うというラインと、二人の昭和×平成ライダーの組のサブラインのストーリーが進行します。
その間にトッキュージャーとかキョウリュウジャーとか賑やかしが登場したり、派手なアクションが繰り広げられて面白いです。
3つのカップリングとしては、
葛葉紘汰 / 仮面ライダー鎧武(声) - 佐野岳 『仮面ライダー鎧武/ガイム』(及び鎧武のレギュラーライダーたち)×本郷猛 / 仮面ライダー1号(声) - 藤岡弘、 『仮面ライダー』
の主役ライダー同士の戦いが大きいです。
「仲間の死に未練を持つ」というテーマを掘り下げるために、
乾巧 / 仮面ライダーファイズ(声) 半田健人 『仮面ライダー555』×草加雅人 / 仮面ライダーカイザ(声) - 村上幸平×神敬介 / 仮面ライダーX(声) - 速水亮 『仮面ライダーX』
のカップリングもあります。Xライダーは医師なので生死とか、子供の命の大切さとかを語ります。
また、平行世界というギミックの象徴として便利なディケイドも重要です。
門矢士 / 仮面ライダーディケイド(声) - 井上正大×鳴滝 - 奥田達士×村雨良 / 仮面ライダーZX(声) - 菅田俊
ZXの本編は不勉強で見ていないのですが、ゼクロスもTVスペシャルでお祭り企画的なディケイドに近しいものがあるのかな。10人目だし。
詳しくはウィキを読んで下さい。
他の仮面ライダーは、操真晴人 / 仮面ライダーウィザード(声) - 白石隼也 と左翔太郎 / 仮面ライダーW(声) / 仮面ライダージョーカー(声) - 桐山漣 がオリジナルキャストです。また、人気作の電王も安定の関俊彦さんです。まあ、オリジナルキャストでそこそこ見せ場もあるけど、基本は板尾創路の暗躍の本筋とと3ラインの先輩後輩のカップリングのサブラインで見せていきます。
昭和ライダーの声は、『東映公認 鈴村健一・神谷浩史の仮面ラジレンジャー』のパーソナリティーの鈴村健一さんと神谷浩史さんが複数兼役していました。ブラックとRXの声が違う理由はよくわからない。倉田てつをさんは呼べなかったのか?
関智一さんも複数のライダーをやっていたけど、「ブイスリャー」はちょっと似ていなかった。
まあ、仮面ライダーの主な視聴者層の幼稚園児や小学生にとっては、昭和ライダーのおじいさんが15人も出るのはちょっときついと思うので、昭和ライダーの変身前が出るのを3人に絞って、ストーリーも3カップリングに絞って構成するのは手法としてうまいと思いました。
で、ハリウッドのヒーロー映画と違って、やはり予算は少ないのですが。やっぱり日本人としては見知った仮面ライダーやスーパー戦隊のヒーローが沢山わらわらと出てきて戦って技を披露するのは楽しかった。それがたとえいつもの見慣れた採石場や工場の裏や海岸だとしても!
スーツアクターとしても、いろんな仮面ライダーがいるけど、俊敏に動くアマゾンライダーやクウガなどと、ゆっくり動くけど必殺技は一撃で決めるというカブトなどの演じ分けができていて、オタクとしても納得の出来でした。
ただ、変身後の仮面ライダー1号より変身前の藤岡弘、さんの方がゴツくて強そうという謎の問題が・・・。(なので、仮面ライダー1号の映画も借りてきました。あとで見ます)
- 葛葉紘汰の問題発言に傷ついた
で、映画としては沢山のヒーローが夢のバトルロイヤルをして、絵柄が楽しいっていう感じのお祭り春映画でいいのですが。
「平成ライダーたちの仲間の死に未練を持つ気持ち」や「板尾創路が妻と不仲なまま死んだ息子に未練を持って生き返らせたい気持ち」が今回の事件の発端となっています。
僕は自死遺族なので、そこが地雷だった。僕も不仲なまま母親が自殺して、今でもPTSDで苦しんでいる。なので、家族関係の話は地雷案件なので、ツイッターの裏アカウントにお気持ち表明した。
ツイッターの裏アカウントは、毎日あった辛い出来事を記載して、2週間毎に精神科医に見せます。
死んだ家族への未練が事件を引き起こす、というのはスパイダーバースと同じく、割りとよく使われるストーリーの技法ですが。実際に家族と嫌な感じの死別を経験している当事者としては辛い。
ちなみに、この映画で少年が大人を励ましたりするのは、大人が情けない、というよりは、「メイン視聴者の少年が感情移入できる少年が活躍することで、視聴者の少年に自分が活躍したかのような楽しみを与える」という効果が有ると思うので、その点については文句はないです。
以下、裏アカウント転載
さっき見終わった仮面ライダーの映画、親と不仲なまま事故死して幽霊になった小学生の父親が、息子を生き返らせるために怪人になる話だった。
怪人になって破壊活動するのはよくないけど、仮面ライダー鎧武が「苦しみに向き合わないと、苦しみからは逃れられない」と説教してて、悩んだ。
仮面ライダーの映画や寄生獣と違って、現実の死別では、都合よく幽霊が和解を申し出てくれたり、母親の愛情を示す田村玲子のような怪人が出てきたりはしない。
自殺で死んだもののことはいくら考えても分からないし、苦しみに向き合ってもずっと苦しむばかりだ。
母親が自殺だと知らないで事故死だと思い込んでいる祖母はコロナで老人ホームに隔離されても父親に買い物をねだったり、老人ホーム内でマスクを他の入居者に盗まれたとか、盗難妄想して喧嘩したりパワフル。毎晩電話をかけて同じことを言ってくる。
20年前に僕の義理の伯父(祖母の後妻相手の息子)も自殺したのに。
現実を見ない人は楽に生きてる。
母親の死体を発見して慌てて父親が駆け込んだ近所の大伯父の妻(祖母の妹)は祖母よりも母親と親しかった。(そもそも、祖母は別の県で暮らしていたが義理の伯父が自殺したのでその家を追い出されて僕達と同居するようになった)
その大叔母は母親が自殺した時に僕に「強くなれ」と言ったが、祖母よりも年下なのに認知症でサナトリウムに。母親の自殺を知っているかどうかが祖母と大叔母の違いのようだ。
苦しみと向き合うと人は壊れる。
知らんぷりして自分が正しいと思って狭い世界でわがままを言うことが強さなのか、辛い現実を直視して壊れるのが強さなのか。
母親が自殺した時のブログの記事のブックマークで僕に説教してきたパターナリストでヘイトスピーカーのnekoraは「死んだのはグダちんのせい。毎日仏壇に手を合わせることで更生しろ」と言った。(後に名誉毀損で訴え、はてなブログも404にした)
父親もそうして仏壇を拝んでいるし、土日に酒を飲んだり誕生日などの時は死んだ母親の席に酒を置いて、追悼してるアピールをする。
しかし、法事なども僕には形式主義にしか思えない。母親は酒が好きではなかったし。
しかし、形式主義者たちは法事とか宗教とかが「苦しみと向き合う」と思っているのだろう。
しかし僕はそんなものは形式と権威に自己を委ねて思考停止しているだけにしか見えない。
多少漢文を読めると、読経なども変な所で区切っていて不愉快だ
だいたい、死んだからといっていきなりインドから中国を経て伝来した漢文の経文が理解できるようになるわけ無いだろう。
寝る前に母親の死顔を毎晩思い出し、苦しみに向き合っても8年目だが、一向に治らない。
グラブルなどのゲームで闘いまくったりウォーキングで運動したり音楽を聞いたりアニメを見たら少し楽だが。
苦しみと向き合うと言う抽象的な言葉がどういう行動を指すか全くわからない。
そもそも、僕は苦しみたくないのだ。
苦しみと向き合うと言うのが分からない。
母親を苦しませた罪悪感の方が出てくる。
ネットのパターナリストの id:nekora からは「俺みたいな正社員になれないから死なせた」と言われたが。
今更正社員を目指して、よしんば成れた所で母親は帰らないし、苦しみは消えない。
だいたいKLabの正社員をやっていて社内政治に敗れて過労になって死にかけたので、正社員もそんなにいいものとは思えない。
形式主義者は仏壇を拝めと言うが、その仏壇は長崎の父の実家から引き取ったもの。父方の祖父母の遺骨は長崎にある。
その仏壇が来た頃に、母親の義理の兄が自殺し、父方の遺産相続に負けて、白血病で生き汚い叔母に三百万円取られて不幸続きだった。
生前の母親は「あの仏壇が来てからろくなことがない」と苛立っていた。
それもあるし、母親を虐待した父方の祖父母と同じ仏壇で法事をするのも気持ち悪い。
午前一時前に寝ようとしたら、また泣いてしまった。
苦しみと向き合ってるのかはわからないが、毎日母親が死んだ階段を通らないと外出できないので、通る時に、母親の死体がまるでその日のまま転がっているのを踏んでいるように思う。
最初に目に入った、母親の足が投げ出されている光景や、母親の死体を見張っていた若い警察官の顔なども写真のようにずっと目に焼き付いている。
僕は家族が死んでるので変なおじさんの元ネタのハイサイおじさんみたいな状態だなあ。
- 苦しみと向き合うとは?
悲しみと向き合う方法でググったら、
悲しみのことを考えないで済むように、ゲームや読書や筋トレなどの活動に熱中する、
同じ体験をした人と会う、
友人と雑談する、
専門家に頼る、
美味しいものを食べる、温泉旅行に行くなど自分に甘くする
悲しみをアピールしても、効果的に対処してくれる人はほとんどいないので自分で自分を助ける
https://seikatsu-hyakka.com/archives/54587
大きな決断をしない、
自分に甘くする
音楽を聞いたりして感情を麻痺させないようにする
専門のカウンセリングを受ける
www.huffingtonpost.jp
などが出た。
四六時中悲しいことを考えるのとは逆の方法が多い。
悲しみや苦しみと向き合うノウハウは、言葉の印象とは逆に悲しい出来事にばかり目を向け続ける、というのとは違うようだ。
ということを精神科医に言ったところ、「大事なのは、自分が快適に過ごせるようにすること」「母親が自殺したことで悪口を言ってきたりする人や、パターナリストや形式主義者など価値観が違う人間の意見や、精神障害者を差別する発言に左右されない」「最終的には受容する事が大事」と言われた。
悲しみをしっかりと吐き出すことができたら、次は、自分を肯定し励ましてあげましょう。
1日の中で10分くらい時間をつくってみて、もうひとりの自分と対話するようなつもりで、話しかけてみます。
自分の大切な友だちが落ち込んで悲しみに暮れていたら、なんて声をかけて励ましてあげるかをイメージして、大切な自分にメッセージを届けるつもりでやってみましょう。
悲しいときは辛いものですが、悲しいという感情をなかったことにすると余計にしんどくなります。
悲しみを避けるのではなく、自分と向き合って、悲しい気持ちを丸ごと受け入れていきましょう。
そうやって悲しさを受容していくことができると、自分自身を肯定することにもつながります。すると、安心感に包まれ、立ち直りが早くなります。
woman.mynavi.jp
悲しみや苦しみと向き合う方法はどうも、パターナリストや宗教家が言うように、自分が悪かったと反省し続けたり、仏壇を拝んだりお布施をして、あの世で幽霊が大日如来に近づいたり煉獄の山を登って成仏できるようにするというのとは違うようだ。
結局、人生において、嫌なことも含めて、あったことはあったことだと現実的に認知するしかないようだ。
コロナウィルス対策で布マスクをスポーツ用品店で買ってきたり、体力つくりのためにウォーキングをしたりしているが、それが正しいか、完璧に感染予防になるかどうかもわからんし。それで失敗したり死んだりしたりするかもしれないが、それもそれで現実。
その上で、自分がやりたいこととかやれることをする。死者のためにできることはないと思う。(映画みたいに都合よく幽霊が許してくれたりはしないので)
ベルセルクのガッツの復讐が「悲しみに面と向かえない」と言われていたが、リッケルトが沢山剣の墓を作っていたのも、悲しみに向き合っているからというより、彼が剣を作るのに長けていたからだろう。ガッツは戦うことが得意だから戦った。やれることをやるしかない。なぜならやれないことはやれないからだ。
一応母親が残していた庭の植物を何本か枯らしつつも、春先にはそこそこ咲いてくれて嬉しい。その程度ですかね。宗教はグノーシス主義なので法事には権威を感じないです。
なので、まあ、僕は色々と脛に傷を持っている人生だし、敵も多いし、恨みもあるけど、とりあえずガンダムとかアイマスとかソシャゲをダラダラ楽しんで適当なブログを書いていきたいと思います。
ちなみに、この映画のメッセージとして「子供の未来をライダーが守れ」っていうのは納得ですが。
カチドキアームズの時点の葛葉紘汰さんが「苦しみに向き合わないと苦しみから逃れられない」って言うの、なんでだろう?
もう6年前なので半分忘れているが、カチドキアームズが出た第23話はインベスになった知人を倒してしまって困っていたのを乗り越える話なので、そういうことなのかなあ。
板尾創路が子供を蘇らせたくて怪人になるのは、まあ、社会的には迷惑だけど、子供が蘇る可能性があるって思って暴走するのは、ある意味、人間味がある。それに子供を蘇らせる計画のために戦ってたときは子供の死という苦しみを忘れていなかっただろうし。紘太さんの説教の妥当性はちょっとよくわからん。
うーん。でも仮面ライダーフィフティーンや地下帝国バダンが暴れることで板尾創路の子供が蘇っても、他の沢山の人が死んだりするので、そこを無視して他人に不幸を押し付けるのはやっぱり良くないかなあ。
しかし、春映画のタイミングでTVシリーズの鎧武の途中で見たら、紘太さんが苦しみながら苦しみを乗り越えてカチドキアームズに進化したのが記憶にあたらしいので納得できるけど、映画単体で見たら紘太さんがいきなり子供を失ったおじさんの怪人に説教するので、ちょっと驚く。
でも紘太さんも僕も後悔し続けたり詫び続けていてもしょうがないので、戦うしかない。仮面ライダー1号が言っていたように仮面ライダーの戦いは永遠に終わらない。バンダイが潰れるまで。
- まとめ
しかし、単なるお祭り映画だと思っていたら意外とストーリーの軸自体はしっかりしていたし、家族展開の地雷を踏んでしまって長文感想を書いたりしてしまった。
だいたいの仮面ライダー映画とかクレヨンしんちゃん映画とかを見る家族連れは幸せに暮らしているので、死別して暴走するスパイダーバースやこの映画の悪役とは距離があって、「同情もできるけど悪いなあ」とすっと流せると思う。
僕は親が死んでから怖くてクレヨンしんちゃんやドラえもんなど、家族を舞台にしたアニメが辛くて見れなくなった。
でも、大体の人にとっては家族はポジティブなイメージだし、共通項なのでテーマとして設定しやすいんですよね。
でも、デリケートな題材だということも作り手にはわかってほしい。デリケートな題材をうまく演出できるかどうかで名作にもクソ不愉快にもなる。(今回の映画のうち、紘太さんの説教はごく一部なので、全体的にはライダーが沢山動いていて面白いなあ、っていうくらいです)
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