玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

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微 #Gレコネタバレ 劇場版 #Gのレコンギスタ 完結! 人類を存続させる方法とは

 まあ、公開初日ということで、具体的な中身は話さないけど。って言うか第四部のしっかりとした感想も書いてないけど、やっぱり第五部を見てから書いた方がよかったと思ったので結果的に書いてなくてよかった。


 そんなわけで、オタクなので珍しく早起きして8時の回の劇場版Gのレコンギスタ第四部「激闘に叫ぶ愛」を見て、ちょっとぼんやりして、午後から2回、第五部「死線を越えて」を見た。3回見れるかと思って時間をとっておいたけど、さすがに疲れた。パンフレットはまだ読んでない。
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 ちょっと疲れたので、雑感程度の概略的な感想を、見た印象が残っているうちにさらっと書く。具体的なことは書かないけど、見た人ならわかる感じの微妙なネタバレです。


 読み進むにつれてネタバレ度が上がっていくので、読者諸氏は好きなところで読むのをやめていいです。

  • テレビ版の最終回の後の感想

nuryouguda.hatenablog.com


 まあ、ちょっと文句っぽいことを書いたんですけど、今回の映画はそれを超えたのでいいと思いました。なので、別にテレビ版の感想は読み返さなくてもいいです。


  • Gレコのテーマがすっきりした

 Gのレコンギスタのテレビ版の前に富野監督がハンナ・アーレントという学者さんにハマっていたり、「全体主義をテーマにする!」とか「宇宙開発に物申す!」とか「Gレコのテーマは、現在の科学技術の進歩と金融資本主義に汚染されてしまった現代の問題」とかインタビューや講演会でおっしゃっていて、ちょっと大上段に構えすぎというか、ロボットアニメでそこまで難しい話をして、それは面白いのか?という気持ちもあった。


 まあ、実際の作品としてのテレビ版のGのレコンギスタは見てみると、別にハンナ・アーレントや全体主義の本を読んでなくても、宇宙ロケットや軌道エレベーターの物理学的な計算とか知らなくても、まあ、ロボットがかっこよく戦って美男美女が活躍する楽しいアニメとして見れたんで、それはいいんですけど。別にわかりにくいことはないのでは?とりあえずミノフスキー粒子とフォトンバッテリーと空気と水の玉と人型ロボット兵器は架空のものということだけわかっていたらいい、というライン。


 そういうわけで別にテレビ版のころから難しく考えなくても見れるアニメではあったんだけど、富野監督としてはいろいろと盛り込みたいお気持ちがあったようだ。


 でも盛り込みたいことが多すぎてちょっと溢れてる感じもあった。劇場版はそこら辺のテーマ的なところをかなり整理して劇としてすっきりさせた印象がある。とりあえずテレビ版を50回くらいながら見も含めて見て、劇場版も映画館と円盤で10回くらいは見てる僕の感想としてはいろいろとすっきりしたな、という印象。わかりやすくなったというか、ちょっと恥ずかしいテーマを軸にまとめたというか。


 ちょっと面と向かって言うのが恥ずかしいことを恥ずかしげもなく書いてみると、輪るピングドラムと同じく愛の話でした。

  • 人類を永遠に存続させるアニメ

 機動戦士ガンダムの宇宙世紀に似たような感じで、いったん西暦の延長の人類が宇宙に進出して戦争して資源が枯渇して滅亡しかけたけど、なんやかんやクンタラとかスコード教とかフォトンバッテリーでごまかしごまかし、復興してきたっていうすごい未来のリギルド・センチュリー1014年が舞台のSFロボットアニメなんですけど。
 まあ、富野監督は逆襲のシャアとかを作った人だし少年時代は宇宙ロケットオタクだったので、宇宙で戦闘する戦艦とかロボット兵器とかの作りこみはかなりしっかりしてます。でも別に視聴者がそういう宇宙物理学を知ってなくても見れる感じのアニメではある。


 で、テレビ版でもやった話なのでこれはネタバレにならないと思うけど、Gレコで世界中のエネルギーをまかなうのに使われているのがフォトン・バッテリーという、金星の近くのビーナス・グロゥブとか言われる領域で主に太陽光発電と充電で作られているものですが。
 なんでそういう物を作って、すごいかっこいい宇宙船で輸送して、軌道エレベーターで下ろして地球に住んでいる人たちに配給しているのかというと、人類を永遠に存続させるためです。


 ヘルメス財団という組織はそれを目的にして活動しており、毎年地球で使う一年分全部のエネルギーを輸送してくれているけど、それはフォトンバッテリーの生産のうちの全部ではなく、滅茶苦茶大きいバッテリーを同時に作っている。その巨大バッテリーを集めて月くらいの大きさまで溜めたい、と子安武人さんが演じるキャラクターらしい、ヘルメス財団のラ・グー総裁は計画している。なんか進撃の巨人とか輪るピングドラムとか子安武人が変な計画を考えるアニメ多いな。


 まあ、そういうSFギミックを使って人類を永遠に存続させるという事を目的にした人たちが出てくる。それに対立して、単に人類がダラダラ存続して停滞しているだけではつまらないからと言って戦争したいとか、技術を進歩させたいとか経済発展したいとかいう人も出てきて、バトルロボットアニメらしい戦いが起こる。


 人類を永遠に存続させたい組織が科学技術を独占して、反感を買って、戦争が起きて、そしたらまた人類が滅ぶんじゃないの?みたいな怖さもある。

  • 人類を永遠に存続させる方法

 その回答が劇場版であったんだけど。別にSFの話は関係なかった。


 フォトンバッテリーを効率よく溜めて人類が使いきれないくらいのエネルギーの巨大バッテリーを作るとか、人類が生き延びられるような強い生命体になるように進化させるとか、逆に省エネで生きられる体質に変化させるとか、科学技術は危険なので一部のアーカイブ以外では秘密のタブーにして一般人は無知なままにしておくとか、逆にタブーを破って科学技術を研究して進歩したいとか、まあ、SF的な思想がいろいろなキャラクターの口から語られるんですが。


 でも、それは手段の話で、実は人類が永遠に生き延びる方法の本筋ではない、枝葉末節の話だということが劇場版では、わかった。


 じゃあ人類を永遠に存続させる方法とは何なのかというと、「人類が生き延びるといいよね」と願い続けることです。


 もっと具体的に言うと、無敵超人ザンボット3とか逆襲のシャアとかで「人類は悪なのではないか」みたいなことも描いてしまった富野監督なんだけど、さすがに80歳を過ぎて人類絶滅を理想にするのは頭でっかちすぎるよなって言う反省が見えたというか、孫ができて丸くなったなっていうか。


 「人類が永遠に存続する方法」というと、すごい壮大な話に見えるんだけど、よく考えたら、人類が不老不死になるとかそういうのはちょっと無理なので、基本的には「子どもと孫が不幸にならないといいな」という気持ちです。これも監督がインタビューで前から言ってることですが。
 自分が死んだ後も世界は続いていくし、その自分が死んだ後に生きる人たちも愛したいという気持ちです。


 結局、人類が存続するかどうかっていうのはそういう、「とりあえず孫の代で人類が滅ぶのは辛い」という世代を重ねることの連続でしかないわけで。だから自分の代で資源を全部食い尽くしたり、人類が生きることは苦痛なのでだれも生まれないようにしたりとか、そういう極論ではなく。
 「孫が不幸にならないといいな」という素朴な気持ちです。子どもや孫を思う愛の話です。

  • 子どもを愛するためには

 ここからはちょっとネタバレですけど、まあ機動戦士Vガンダムとかブレンパワードとかでもやってたし、もちろんテレビ版のGのレコンギスタでもやってたけど妊婦が出てくる。妊婦を大事にしよう。
 機動戦士ガンダムの初期構想でも「わたしはあなたの子を産みたかった」という話だったらしいし。(じゃあなんでララァとセイラさんとマフティーはあんなふうになったんだよ)


 じゃあどうやったら妊婦を大事にできるかって言うと、愛することです。


 そういうわけで、キチンと恋愛をしたり、相手を見たり、尊重したりして、自分が好きなように納得して選んだ自分の好きな相手との子どもだから、子どもも大事にしたいね、って思える人生にすることです。


 なので、子どもを自分の出世の道具にしたり自分のうっ憤を晴らすために戦争を起こすのはダメです。(まあ、子どもを大事にしている人でも死んじゃったりすることはある、という物語でもある)


 うわっ!俺、脳内妹と結婚するレベルのオタクでモテないし、よしんばモテたとしても人とかかわるのが苦手だし経済的には破綻しているダメ人間なのによりにもよって愛の話をブログに書いているぞ!気持ち悪い!


 しかも僕は基本的に反出生主義者で人口削減論者なんで、すごい矛盾したことを言っているようですけど。

  • 言い訳

 でも僕は人類は基本的に能力も倫理も足りてない利己主義な猿の集まりだと思って軽蔑しているけど、最近は積極的に無差別に人を不幸にしたいという欲求はおさまってきた。自分がやらなくても不幸な人が勝手にやってるのを見てると、別に僕がやらなくてもなーって飽きた。自爆テロとか割とやろうと思えばだれでもできるけど、アニメを見てこういう変な長文ブログを書いている人はあんまり他に見ないので。僕は殺人犯よりもレアキャラです。(傲慢)


 それに人類が愚かだとしても、悲しいことに地球上で知的生物、えーと、数学を使った物理や化学などの論考をできる生物は人類しかいないので。消去法的になりますけど人類はいた方がいい。僕は戦争をしたがったり猿みたいにマウントを取ってくる人は嫌いなんですけど。でもまあ、アニメとか音楽とか絵とかその他の芸術とか科学理論とか哲学とかアイドルマスターとか人類が作った制作物のことは割と好きですね。


 それに僕が人口削減論者なのは「すでに十億以上もいたら頭数としては足りてるから」「老人の介護とか保険金を支払わせるために子供を等比級数的に増やすのは物理的に過酷だから」「資源や幸福量は限られているので、それを奪い合って不幸になるよりは、奪わないで済む程度まで人類が減る方がいい」という理由なので。
 人類が嫌いだから減ってほしいというより、人類が幸せに暮らすために、人類を減らしたい。
 別に積極的に人を不幸にしたいというサディストではないので。自分が鞄にいつも入れている折りたたみ傘を持っていて、雨が降っている日に大きめの傘を差していた所に傘を持たずに濡れている人がいると、僕は割と折りたたみ傘を上げますね。千円くらいだし。小手先の善行をしますね。自分が持っているのに人に施さないと、何となく気持ちが悪い。
 いや、さすがに消防団に入って防災訓練をして人助けを積極的にやろう、というほどの体力もやる気もないんですけど。


 でも、僕も自分の子どもを作る気はないし、子育てをする暇があったら自分が遊んで暮らしたいというオタクですけど、積極的に青髭みたいな蛮行はしないですし、中学生以下の子どもがいるところでは車が来てなくても横断歩道の信号が赤だったら大人の模範的行動として交通ルールを守ります。
 別に子供を作る人だけが偉いってわけじゃないと思う。Gのレコンギスタ、ふつうに同性愛者も出てくるし。まあ、子どもがかわいそうな目に合わないといいなーって思う気持ちの積み重ねとかが大事なんじゃないですかね。あと自分が後悔しないように生きること。自分の人生の後悔を子供に押し付ける親との家庭環境はしんどいですからね。


  • 死線を越えて

 だから劇場版Gのレコンギスタの第5部のサブタイトルが「死線を越えて」っていうのは単に大気圏突入をしてピンチを切り抜けるってだけの意味ではないわけで。


 このGのレコンギスタに登場したキャラクターも物語が終わって何年かしたら死ぬ。ラ・グー総裁は200歳近い長命だけど、不老不死というわけではない。割と貧弱だし。
 そもそもテレビ版のエンディングのGの閃光で、ベルリがデレンセンとカーヒルに連行されるシーンは過去の命の上に立っているという意味だと絵コンテに書いてあった。


 そういう色んな世代の死の地平線を越えて、何度も何度も世代を越えて、それで人類が続いていくといいですねーっていう話なんじゃないかなーって思いました。


 うーん。俺はすごい気持ち悪いオタクなのに、なんか良い子ちゃんっぽいことを書いてしまった。


 まあ、邪悪な俺でもこういう優しい気持ちになれるような、富野由悠季監督が孫に見せても恥ずかしくないエモい作品だったということだと思う。
(まあ、ロボット戦争バトルアニメでもあるのでガンガン人は戦って死ぬし、第五部はもうラストだしどうせ最後まで見るような客しか見ないだろって開き直ってラストと途中のインターバル以外はほとんど戦闘シーンなんですけど。インターバルもちょっとエモいけど。でも基本的な構成はテレビ版からあんまり変わってない)


 愛の話なんだよ!


  • ほしい物リスト。

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↑グダちん用


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