玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

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現代批評3(終) そして戦争

 もうめんどくさいから終わりだよ、終わり!この世界も!


 昨今のアニメの描写についてちょっと社会問題みたいに書いてみたけどね。まあ、アニメと社会の方向性が完全に一致しているのかって言うと、それはそれで疑問だし、アニメみたいな娯楽文化をもってして社会を論ずる人は僕はあんまり好きじゃない。(もっと社会学には段取りが必要だと思う。その段どりの知識は僕にはないのだが)
 と、同時に、そういう娯楽文化が大衆に支持されているということは、ある程度社会的な価値観を描いているからなのではないか、くらいの事は思う。


nuryouguda.hatenablog.com


 アニメのキャラクターが報われるということに価値を置き、人生は美しい価値があるものが報酬を得るべきという人たち、


nuryouguda.hatenablog.com

 美しくない、報われない人の顔は塗りつぶして、暴力の重さを軽くして、透明にしてもいいという人たち、


nuryouguda.hatenablog.com

 報われるという幸福の条件は「金と生殖と生活の安全と名誉欲」とする社会資本主義にまみれた人たち。


nuryouguda.hatenablog.com

 自分以外の人と断絶する社会、


nuryouguda.hatenablog.com

 現代社会では真面目に頑張っても成果が得られないので、自己投資やチートスキルを自己責任でやらない人を見捨てても当然とする社会、


 などについて長々と書いてきた。


  • 結論から言うと戦争しかない

 ヘルシングの少佐の「私は戦争が大好きだ」はよく知られているが、彼は孤独な人物だ。

「こっちはあっちと違う」
この世の闘争の全ては
それが全てだ
HELLSING(10) (ヤングキングコミックス)


 僕は平和主義だし、体育会系というよりは文化人だし、なるべく戦争はしないでほしいのだけどね。平和が保たれているので極東の博物館にも西欧の美術品が運ばれてきて、僕のようなこころの腐った精神障碍者もロハで見させてもらっているのでね。美しいものを見て、食糧自給率の低い日本国でも飢えずに暮らしていけるのは平和のおかげだと思っている。



 ただ、「あなたとわたしは違う」というのが戦争の根源として、このように高度に情報化社会になった今現在、「あなたにとって、あなたの範囲は何人ですか?」という孤独な疑問が生まれる。
 同じ政党の支持者は自分と同じだと思う人、同じ宗教の信徒は自分と同じだと思う人、同じアイドルやアニメが好きな人は自分と同じだと思う人、色んな人がいる。それはある程度想像できる。



 じゃあ、あなたたちは自分と違う人間をどのように扱いますか?


news.yahoo.co.jp


www.mag2.com


 回転寿司屋の醤油の小瓶をちょっと舐めたら人生が終わる若者。それをインターネットで馬鹿にする人々、株価が下がったのだからとして損害賠償を求める会社。みんな、相手のことを同じ人間とは思っていないような気がする。
 ま、みんな、自分のことはちゃんとしているちゃんとした一般で普通の人間だと思っているから安心して、ついついふざけてティックトックに犯罪の証拠の動画を上げてしまうのだろうけど。
 ごめん、僕は精神障碍者2級の国家認定を受けた外道なんだ…。自分が普通の人間ではないと強く、常に、意識しているからこそ、普通の人間の攻撃性は常に警戒している。





 自分とは違う人と話し合っても仕方ないし、相手は何も考えていないと切断すること、これが本当に文明社会の人々の処世術なのだろうか?

  • 魂は孤独?

 これまで、僕はこのテーマで5つの記事を書きました。


 それで各要素は描写したと思うので結論を書きます。


1.
 人は報酬を得たいと思う。特に、自分の努力は報われるべきだと考えている。


2.
 人は、自分が成功し報酬を得るための生存競争において、自分が攻撃し、討ち捨てた相手のことを同じ人間だと認識したがらない。同じように顔や人格を持っている人間を殺しているという認識を持つのに不快感を感じる。そして、踏みつけにする”自分とは違う相手”の顔を塗りつぶして意識しないようにしたがる。
 あるいは対話不能で知能が劣っているモンスターだと考える。


3.
 人生において報われること、相手から奪って幸せになること、それは金と生殖と生活の安全と社会権力であり、正義や倫理とは関係ない。


4.
 人生において自分が報酬を得ることが最優先とされるため、自分と他人は断絶する。特に、自分と違う思想、自分と違う境遇、自分と違う価値観を持っている人は「理解しがたいモンスターで狂った存在」「何も考えていないバカ」と見なされ、対話不能であり、自分と同じような人権を持っている存在とは認識せず、むしろ積極的に切断操作をする。


5.
 現実世界は残酷で厳しいので、自分がズル、あるいはチート、あるいはライフハック、あるいは法律の裏技を使って他人を蹴落とすことも正当化される。そうしないと自分が生きていけないから。


  • 結論 殺し合うしかないでしょう


 前記の5要素をもっと端的にまとめると、他人は「何も考えていないモンスター」なので、「対話不能」で、自分が「金と生殖と生活の安全と権力」を得るためには、「どんな手段を用いても構わない」、ということです。


 これを一言で表すと、「戦争」です。


 ドローンだとかAIだとか言わなくても、とっくにみんな、他人のことを同じ人間だと思ってないよ。相手のことをマシーンだとかモンスターだとか顔の見えない標的だと、とっくの昔に思っているのが人間社会だよ。



 「我思う、故に我あり」(コギト・エルゴ・スム)


 デカルトの方法序説(一応読んだ)の有名な言葉である。
方法序説 (岩波文庫)


 それはキリスト教社会において個人の主権をアピールする哲学の発端になったのだろうけど。(詳しくは哲学史の専門家ではないので知らない)


 では「あなたは思っている、なら、あなたは存在する」ということは自明だろうか?自明ではない。どんなに親しい相手でも、他人は物理的に遮断された存在だ。
 かつては同じ政治思想である、同じ宗教を信じている、同じ民族である、同じ血統である、ということが(ある程度の調査を省略して)相手を信頼する、相手が尊重すべき対象である、と判断する手段であった。


 しかし、高度に情報化された現代、そしてカルト宗教の組織票で総理大臣になった人間も単純な物理的銃弾で死ぬことが証明された現代では、「我思う我」以外の他人が存在するのか?あるいは尊重するべき相手なのか?
 ということが非常にあいまいになる。

例えどんなに論争相手が不安な「お気持ち」を抱えていても、「それってあなたの感想ですよね」と言ってしまうことで、もはや私たちは敵との対話を閉ざしてしまうのだ。かつての私たちは、そんなことにも気づかず、強い言葉を使いすぎた。


そしてその結果として、世界は「味方」と「敵」が言葉もなく権力を奪い合う闘争の場と化していったのでは、ないだろうか。


必要なのは、上から目線でばったばったと敵を論破していくことではなく、例えどんなに弱々しくても、自分の思いを吐き出し、そして相手の思いを聞くことではないのか。

amamako.hateblo.jp

 理想としてはそうなのだが、人は他人と対話して地味な平和を構築するより、敵を攻撃して勝利することに快感を覚える。肉食動物だからね。霊長類は平気で他の雌の子どもを殺す。

 そして、メディアが悪質だと言われるのは、切り取り、偏向、捏造をさりげなく行いながら、この普通に考えてもおかしいダブスタを正当化するような印象操作をしてることですよね。


 ホントに不思議なんですが、こういう人々が一定の支持を得られてるんですよね。

 どういう人たちが支持して、選挙で国会に送り込んでいるんでしょうか?



 安倍さん亡き後、私もすっかり無党派層に仲間入りしちゃいました。

 ですから、ホントに投票する時困っちゃうんですよねぇ。


 だって、今では野党だけでなく与党もそういう人ばっかりに思えちゃって・・・。
sarukichitail.hatenablog.com

 他人の思想や発表スピーチやマスコミの方針の意図の全ては自分には観測できない。というわけで、他人の言っている言葉の正当性も理解できず、ダブスタに見えるのは当然だ。
 というか、仏教で言われるように八正道、正しく物を見て物を言うことはかなりの修行が必要であり、大多数の人は政治家レベルでも、多分できていない。


 なので、人間は対話することができず、コンピューターの性能が上がってもその情報は処理できず、敵か味方か、くらいの単純なことしかわからない。そして、味方が敵のような要素を見せると何もわからなくなる。



 そして、人は動物であり、常に同種のヒトと生存競争をしている、つまり、人を殺して相手の食い扶持を奪うことが「報酬」と「安全」につながる。どんな手段を使っても構わない。騙される方が馬鹿なのだ。むしろ、馬鹿は何も考えていないので人格権もなく、個人の顔や人生や価値観を知る必要もなく、鏖殺しても害虫駆除をした程度の罪悪感で済む。


 自分が何をしたらいいのかはわからないが、とにかく相手は間違っていると叫んでいると、それで似たような境遇の仲間を得ることができるし、気分も晴れるのかもしれない。同時に相手からは憎まれる。



 前回の記事の後に一日置いただけでも、戦争や事故の話題がTwitterに登ってきていた。
 みんな、自分の身分や境遇とは違う人間の生死は単なる新聞記事や笑い話やエンターテインメントだと思っていないか?
 まあ、それはTwitterだけの問題ではなく新聞が印刷されたころから、あるいは2千年以上前に4大文明が戦争を開始したころから変わらない人間らしさかもしれない。
 ともかく、人は自分以外には感情移入しにくい。痛くしなければ覚えないけど、他人の痛みを検知する能力は人間にはない。










 僕はこのブログで何回か「祖父は戦争犯罪を隠ぺいするために戸籍を捏造して生き延びたので、僕は戦争によって生まれたモンスターだ」と書いていたのだが。


 さて、モンスターではない普通の一般的なごく普通の日本人の皆様、あなた方の戦争や事故をネタにしたツイートが今まさに戦場や葬儀場にいる人たちに見られたらどう思われますでしょうか?



 そう、みんな、自分以外の人間性を証明することはできないよね。みんな、自分以外の人の死ぬ苦しみや、自分以外の人が受ける侮辱の不快感を感じないよね。



 だから戦争しかない。


 人は事実が口実になれば、人だって殺せるのさ。


 安全な場所に居る人は、人の死はちょっとしたインターネットの冗談で済むと思うんだろう。人が死んでいても。


 せめて、戦争の終結段階では話し合いで落としどころを探ってもらいたいものだけど。


 みんな、敵のことは何も考えていない理解不能のモンスターだと思っているなら、それは難しいかもしれないね。悲しいことだ。なぜ悲しいのかというと、そういう理由で核戦争を起こされたら、僕がアニメを見たり漫画を読む時間が減るからだ。


「私はこのような利益を主張し、あなたからこれを奪いたいと思います」


「私はこれを守りたいと主張し、あなたには他のもので我慢してもらいたいです」


 このような停戦の話し合いは、「相手は何も考えていない思考の主体ではない異種族だし、異種族の顔は見る価値もないし、異種族の思考を知る気もない」と言う相互差別にのっとった友敵関係では、難しい。


 友敵理論は高度に情報化されて、民主主義になり、一般大衆も選挙権を持った現代社会においては、大衆の思考のコストを減らすために非常に有効だ。
 いや、むしろ、高度に情報化された世界にホモ・サピエンスの脳が追い付いていないというか、世界中の情報が一瞬で集まってしまうニュースなどを見れば、他人の死などをいちいち悼んでいるコストは無駄であり、他国の戦争も他人の不幸もホラー映画で死ぬキャラクターを見る程度の娯楽に置き換えた方が楽なんだろ。


 敵か、味方か、それは動物の本能で非常に簡単に感じることができる。政治的関係やら歴史やら地政学やら、その他の科学的事実や将来的な想定をすっ飛ばして「敵を排除する」という考えをするのはとても動物として自然で楽なのだ。


 というわけで、戦争が起きます。


 申し訳ないけど、僕は戦争を止めるほどの権力もないし、そういう仕事でもないので、ただ、人は憎み合っていて話し合いはできないんだな、ということを日記に書くだけで終わりとします。


 終わりだよ!終わり!



 まあ、僕のこういう記事が嫌だなって思う人は、がんばって世界を平和にしてくださいよ。僕は無能なのでやらないけど。



 もちろん、僕は腕力や健康に不自由を抱えているので、なるべくなら戦争は起こってほしくない。本を焼かれるのは嫌いだしね。
 でも、ここ最近の皆さんのTwitterやインターネットやテレビでの言動を見ると他人の不幸に興味をもって、他人の思考に興味を持たない傾向を感じます。


 そういうわけで、僕が何をできるのかというと、死ぬまでにたくさん読みたい漫画を読んで、見たいアニメを見るだけなんでしょう。いつ、核兵器が落ちてくるかわからないので。


  • ほしい物リスト。

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↑グダちん用


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