玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

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アニメの夢使いはそういう生命肯定感が足りないんだよな。

「狂った夢を見るのは人それぞれです」というのもなんか、リアルで狂ってるボクには何か突き放されたみたいでやだなあ。
「人に迷惑をかけて無くても、お前に迷惑かけてるだろ!」と説教するのがスーパーヒーロー主人公の勤めであり特権だと思うんだが。
「お前の意見や選択がどうだろうと、お前はバカだから間違ってる。俺はお前をやっつける。いやなら抵抗してみせい」とか。
そう言う絶対正義の力に救われたいというのが狂人の本音だったりもするんですよ。(反面、誰も救えないという事に優越感も感じるんだが)塔子様や天道総司アムロ・レイのようなスーパーヒーローの言う事を聞かされるというのは結構カタルシスがあるものだと思う。
三島塔子様や松笛タカ臣君って突き放しているようで結構強引に道を示してる所がカッコいいよ。朱氏先生に「ロリコンとして手を出さずに一生見守れ」と言ったりとか。芝田教授を殺さなかったのがカッコよかった。
(ディスコミの芝田教授は信じていればいつか救われるのだろうか?)
「魔に苛まれ苦しむ人々を救う事こそ我らの生き甲斐!」というようなモチベーションがアニメーションには無いんだよな。
原作は東都大学心理学部の三島信夫(しのぶ(笑))教授が本締めで、素人には教えられないスポンサーから資金を調達しているので国家的組織の匂いもするんだがナ・・・。ブルーシードの国土管理室みたいな。
アニメ版はなんか頼まれもしないし目的も無い感じでキモイ。
それに、狂ってる人の描写がおしなべて元気が無いのがイヤらしい。人それぞれですとか言いながら、虚ろな目で社会に不適合していて餓死決定な絵を見せるのは「狂うのは勝手だけど、死ねよ」みたいな視点が見え隠れしていて、一般人から切り離されたみたいに寂しい。
「狂気も本人にとっては美しいかもしれませんね、私にはわかりませんが」というような。
耽美主義って、本気の本気以外はごっこにしかならない気がするので余り好きではない。
別に美しいも糞も無くて、普通の生活の延長だと思うけどなあ。
原作がどうとか言うのはマナー違反ですが、夢使いに関しては極度の原作厨だから言わせてもらうが、原作の狂人たちは皆元気よく狂ってるし狂気を全力でエンジョイしてる全身全霊で命の火を燃やしている。方向は間違ってても。
夢の扉では社会不適合の角田君よりも古河さんの方が狂ってると思う(というか夢を見ているというか)。
ツグミちゃんも過眠症にかかって自殺願望バリバリだけど水着で自転車に乗ってて元気だ。
そういう、狂人に対する暖かな共感の眼差しが欲しいです。



せっかく稲田徹さんなんだから、もっとドギークルーガーのコスプレをしてゲラゲラ笑ってたら良かったのに。


あ、そう言えば、アニメ版の依頼人て1話以外は思春期じゃないんですよね。原作は社会的ひきこもり―終わらない思春期 (PHP新書)って感じでしたけど。


南央美さんの実相寺悟君は良かった。原作準拠の絵はヤッパリ迫力がある。蝋人形館のオブジェも鉱物の聖母っぽい絵柄でよかった。
悟君がエクトプラズムの彼氏ってかなりカッコいいんだが、塔子様の幻術になっててちょっと凹んだ。原作よりも一寸前の話だと脳内解釈。これから自由に出せるようになるはず。
アニメの夢使いは原作ほど横のつながりは濃くないんだな。猛士みたいに忘年会をしてそうな印象があったんだが。
ドリルのドリルらしさは原作以上でよい。やっぱりドリルは女の子のロマン!ドリームサイクロンはもっと無意味に天照とかYMOとか書くべきだと思う。
ところで、精霊編の燐子ちゃんが使う普通の精霊キャノンは十一面千手観自在菩薩っぽいのが付いてるんだけど、観音の力よりも超電磁ロボの方が神格が高いのか・・・。