玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

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脳と富野とef - a tale of memories.

1.<DLPFCとドパミン神経系の活性化について>
■「難しい問題」で脳はフリーズ?
ややあって、アルツハイマーについて調べ物をしていたら、人間が何かを決めようとするとき、つまり意思決定のプロセスにおいて、DLPFC(背外側前頭前野)が重要な役割を果たしていると考えられるらしい。これは近年明らかになったことではあるが、興味深いのは、難しい決定を迫られているときよりも、易しい決定を迫られているときの方が、DLPFCは活性化しているということだ。普通に考えれば、何か課題を与えられたとき、それが反射的にパッと答えられるような易しい課題だった場合、脳の意思決定を司るそういう機能は働いていないと思いがちだ。しかし、実際にはそうではなく、「生きるべきか死ぬべきか」と悩んでいるときよりも、「今日の昼飯は何を食べようか」と定食屋でメニューを見ているときのほうが、脳は活性化しているのである。

■問題解決の快楽原則
ドパミン神経系は報酬系ともよばれ、「脳」が、何らかの欲求が満たされたときや、それが満たされることが分かったときに活性化し、その個体に快の感覚を与える神経系のことである。ここで重要なのは、欲求が満たされたときだけでなく、「この課題をクリアすれば欲求が満たされそうだ」と確信した(予測した)ときや、それが保障されたときにも活性化されるというところだ。

http://blog.goo.ne.jp/skripka/e/41d48bb21dc1364c040abe88e35448d7
と、いうことらしいです。
だから、僕はイデオンの事をダラダラ書くのに勉強ができないわけですね。
大学で勉強しなければならないはずの分子工学の専門書よりもトミノアニメや富野小説の方が簡単ですから。すらすら読めますよ。
富野作品はチョッピリ分かりにくいと世間で言われてるけど、見てみたら簡単と言うのが、また解読した時の快感を高めるわけですね。
トミノアニメはアハ体験。
パブロフの犬だなあ。
まあ、トミノアニメは面白く作ってあるんで、面白がるのは当たり前なんですよね。そーいう風に作ってあるんだから。
だから、それを面白いといったり好きになってる僕って言うのは結局の所、個性でも何でもないわけだからはてなブックマークで誉められてくらいでいい気になってたらいけないのですニート予備軍だし。
そんなことよりも廃品回収の仕事でもしたほうがいい!
僕は日常生活では全然ドーパミン神経系が活性化していませんしむしろ脳は病気ですが、富野の事に成るとオーラ力が。

どのような課題に直面したとしても、それを「難しい課題」だと決め付けてネガティヴに避けて通るのではなく、「易しい課題」としてポジティヴに対処するということに他ならない。ちなみに、その論脈からみれば、10番目の「発想法」、<自分に解けない問題はないと信じる>も、同じことを言っているということが分かるだろう。

たしかに、富野なら根拠は無いけど、僕が一番富野を上手く見れるんだ。むしろオレが富野だと思う。根拠は全く無い。


2項目の文脈論でも、

自分の好きな人や尊敬している人が言っているのか、または嫌いな誰が言っているのかによってその重みが違ってくる。それも人間の判断が「文脈」に依存していることの証。

確かに、高校の友人が萬画家になったので応援したいですもんね。
富野由悠季監督に関しても、鬱病で酷い時に監督がうつ病を克服して超お馬鹿アニメのキンゲを作って、ビックリして信者に。そういう、僕の人生の物語の文脈が在るんですね。なるほどぅ。
で、大学では失敗体験ばかりなので、文脈上あばばばばばばばってなっちゃう。


結論の3項目目も大体同意です
でも、問題は、「やさしい問題」であるトミノアニメについて無意識的に数時間でも感想を書きつづけるという暴走をする原因はここでは述べられてないですね。
いや、ブログを辞めてもそればっかり考えつづけてしまっていましたし、ブログを他人から見えなくしても書きつづけていました。
というわけで、自分のために書いているとは思うんです。いや、ために成ってないと言うかむしろ病気なんですが。
いや、生きていくためにトミノアニメを見つづける、と言う事が呼吸しなければならないという不治の病と同レベルの症状なのだろうか?

結局は、「レリヴァンス」(実際的な重要性だけでなく、関心を持たれること、自分と関連があると感じてもらえること)の問題なのだろうな。いくらストーリィやキャラの行動の対立構造、カメラワークやカット割りについて話したところで、そこに「レリヴァンス」がなければ、「そんなに分析しなくても単純に面白い」とか「動かないアニメのどこが評価に値するわけ?」と返されてしまうのがオチなのだ。

ここでの結論では、レリヴァンスという何だかよくわからんソレが重要だとしているが、うーん。
結局、幸せになることが生きる目的だとしたら、DLPFCを活性させて「やさしい問題」しかもアニメと言うですよ、役に立たない問題をヘラヘラといていく行動で、僕は幸せになれるんですか?
私は幸せなの?


へっへっへ。


まー。冗談ですけどね。
僕の∀∃そのものが悪い冗談のようなものですし。
だからまー、適当なんですけどね。
で、結局無意識的に感想を書かなければならないという思い込みのままに行動するしかないのだ。


レリヴァンスって初めて聞く言葉ですが、
http://d.hatena.ne.jp/mkusunok/20060308/relevance
関係性って言う事でしょうか?
人間同士の関係か、行為と目的の関係かはいまいち把握できんかった。


うーん。しかしレリヴァンスをどうこうといっても、人は独りだからねえ。
自分、と他人しかいない。
まー、ボクも縁があっていろいろと詳しい人とネットで付き合う機会がありますし、友人もいますけど、酷い言い方をしてしまうと周りの情報源の一種。
情報源なので、情報源の持っている感情などは僕の感情ではない。情報源は文句を言わないで持っている情報を環境に吐き出せば、僕はそれを見て死ぬまでの間、おもしろがるだけです。
この世で確実に面白がるのが観測できるのは僕だけですよ。
まあ、これはこれで僕一流のツンデレなのですが。
それに、自分自身が一番信用できんし。


と、言う訳で僕は快楽原則の刹那主義に落ちるしかないのです。
っていうか、要約すると「俺が面白がっているのに水を差されたら面白くない」ということでしかないよねー。


と、言う訳で、本題。
引用元のブログさんはef - a tale of memories. に入れ込んでらっしゃるご様子。
アニメ演出解読はなかなか情報源としては面白いな。
僕はめんどくせーからやらないけど、ボクの代わりにやってくれる存在はある意味有益だな。
コメント欄はアレですけど。
うーん。
コメント欄で作者を挑発したら情報の正確さが失われてしまうではないか。
と、いうか、コメント欄での感情的なやり取りと言うのは全く理解できないんです。
しかも、匿名で、時には自分のことでも相手の事でもない、アニメや他人や思想や事件といった遠い概念に大して感情を発露すると言う事は情報の交換行為としては理解できない。
いや、まあ、ネットだから日常でのイライラを発散しやすいと言う意見も知識としては知っているんですけど。
うーん。
そんなことより、脳内妹クリトリスを思いっきりしゃぶる方がすっきりしますけど。
ゴトラタンのようなきれいな桃色です。


なんのはなしだ。
いかん、俺は幸せな脳内恋愛をしすぎて、隙あらば惚気て仕舞う。如何遺憾。


えっと、長くなったので結論だけ述べます。
ef - a tale of memories. は今期の中で、唯一純粋な意味で録画をDVDに残した作品なので僕は面白かったですよ。
ガンダム00を残すのは資料的な意味が大きい。種死は消してたけど。
スタッフさんもこちらのブログを読んでくださっているようなので、お礼を申し上げます。
と、誉めておいたら次回作のやる気が出て僕を楽しませる情報を吐き出す確率が高くなるという策略なのですが。
DVDを買え?
あはははっははははは
宝くじが当たればな!2枚買いました。


と、いうわけですが。


しかし、efってそんなに変なアニメかなあ?そーいう演出をやりたい人が作ったんならやれば良いじゃん。
作りやすいように。
それに、変な演出(ここでは実写を普通のカメラで撮ったようなフラットで自然主義的な絵作りではなく、色合いやタイミングを変えたり、他のものを映すという意味での変な演出)は現実の生活ではそーいう風に見えたら脳の病気だが、アニメは眼で見るものじゃなくって脳で見るものだし、どのように描いても良いんじゃない?
脳に分かれば。
うーん。
「日本語のアニメは本当に世界一か?」さんの解釈はこと細かくておもしろいんですが、そういう解釈をしなくっても面白いですよ。
と、いうとskripka@執筆者氏の期待する感想とは違ってくるんでしょーが、えっと、うーん、解釈をしなければ、というよりは
僕にとってはef - a tale of memories. の演出は感情を伝えるものだったので、読み解かなくっても感情的に何となく揺れ動かされれば伝えられたという事で、安心して面白がってたんですね。
ふいんきふいんき
感覚を感じるには解釈は邪魔だっ!
と、言う訳で僕の感想は大抵、感情的です。女子校生レベルですよ。脳内恋人が16歳だし。


もちろん、解釈をした人の解釈って言うのは、それ、面白いです。情報資料としては役に立ちますよ。
http://keiesworks.blog122.fc2.com/
↑とか。
というか、絵を描くに当たって、その程度の演出意識をアニメに浸透させるのは普通の事だし、意図が無くては線の一本も引けまい、と思う。
そんで、精神的貴族である私は見た時にその作者の思いのほとんどを踏みにじり、何となくの印象で判断するという残酷な快楽を貪ります。
それでも、僕は現実が嫌いですが、善い芸術作品に人の思いや意図を感じると少々現実の製作者にも好もしい感情を抱く瞬間もあるのですよ。
つまり、僕は出崎統好きー。


まー、上手い解釈をした人のコメント欄が荒れるのは、「そーいう上手い解釈が出来ない自分は面白がれてないのではないか?」「馬鹿にされているんじゃないか」と面白がりに水を差されたような嫉妬心と本能的怒りもあるのかもしれないですね。
まあ、若い時はいろいろ在りますよ。ボクも今はちょっと頭痛がするだけで落ち着いていますけど、感情的に成る時はありますし。(感情は喉元を過ぎれば忘れますし、僕はあやふやです)
まーねー、そーいう負の感情も面白いものといえなくもないか。
ボクのコメント欄はそれほど荒れていないので、まだまだ読者に与えるインパクトが足りませんね。
ブログを炎上させてみたいなあ。個人攻撃をしたらいいのかなあ?
うーん。でも、死んでほしいと思っても200年以内には今生きている人類は絶滅するしなあ。
他人よりも優位に立つよりはふざける方が好きなんだなあ。ふざけていた方が優位だと思ってます。
だから、脳内恋愛以外では童貞なんだなあ。←ふざけている


まあ、実社会生活では僕は結構マジメなんですよ。だから精神を病んでるんですけど。
人足や給仕にも丁寧にお礼を言いますし。
「有り難う」と。
これは、「わたしに親切にしてくださるようなあなたの行為は在りえませんね」という意味です。
あと、反射的に「すみません」と謝るのは「私が生きているのはいくら償ってもすみません」というのが根底にあるんだろうなあ。


何の話だ?
うーん。こういう風に書きたいことを垂れ流しているからコメント欄が荒れないんだよな。


と、言う訳で最後にこの文章の矛盾点ですが。
僕は感情的に、感じたことを、吐き出すために日記に叩きつけているだけなのに、なぜトミノアニメは考察しているんだ?という最初の問題に戻ります。
解釈よりも感情を優先したいのだが・・・・。
と、いうか富野由悠季監督による感情的揺さぶりは暴力的なまでに叩きつけてくるので、文脈的、背景現実的、スタジオワーク的に微分しないと処理しきれないのだろうか?
感情と同時に解釈が自然発生するんですね。
分かちがたいんです。
それは、まあ、僕が大富野教信者で脳の回路が自動思考的に動いているからなのかもしれませんが。
と、すると僕が特に感想を書いていない作品に色々と解釈する人もそーいう回路を持っているというだけの個体差に過ぎんか。


だが、まだまだです。
僕は人格障害的な自動思考を持っていますが、一番強いのは脳内恋愛自動思考だな。
全く滞りなく複数の脳内人物と会話できます。
まあ、脳内を通じて上位現実とコンタクトしているんで、脳内こそが唯一の現実なんでしょう。
そのようにレベルアップしてトミノアニメを解釈する以上に、自動思考でトミノアニメ以上に素晴らしいものを脳内で妄想することができれば、バスを待つ間も退屈しないで済みます!


そんなこんなの狂人日記を書いている間に、関東ではef - a tale of memories. が終わりつつあるんだよなあ。
ブログ検索したら、結構好評のようでした。
今まで他人の評判なんか知らんかった。
やぱし、推測する男性より感情的な女性のブログの方が読みやすいですね。
だって、女の子はかわいいじゃないですか。遠目に見る分には。


ある意味、寝ます。


http://d.hatena.ne.jp/mantrapri/20071204
僕は、全部嘘で良いとおもうし、自我なんて一定するわけがないと思うな。