玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

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ガンダム00の認識論

とにかくキャラクターみんなが何かを憎んで戦ってるわけだが
その対象が
ロックオン・ストラトスなら
紛争なのか紛争当事者の兵士なのか刹那・F・セイエイなのかテロ組織なのかアリー・アル・サーシェスなのか右目を奪ったコーラサワーなのか
沙慈・クロスロードや敵パイロットなら
ソレスタルビーイングなのかガンダムスローネなのかガンダム全般なのか藤原啓治なのか
アレルヤ・ハプティズムは人体実験か
ティエリアは不完全な人間か?人間になりきれない自分か?
刹那は紛争か自分の過去かアリーか
アザディスタンの人なら国連なのか発電技術なのか宗教なのか
ソレスタル・ビーイングなら国か経済か民意か武装か



そこら辺の個々の憎しみの対象を自分のなかで整理できていない
という以前に認識が混乱して入り交じっているようで、幼児的だ


幼児的というのは、個々の事象に対する不快感が一足飛びに「世界」に対する絶望に(まあ、世界に期待してもいないのだが)なってしまっている
自我が未分化なのだろうか?
まあ、僕も大人になりきれないオタクだしデミウルゴスを憎んでもいるから
そのような時代の気分は分かる



しかし、ミハルは「いつまでもこんな世の中じゃないだろう?」というし、
シャアもマフティーも「世界」なんかではなく地球を汚染する人や官僚という明確な敵がいた
カガチでさえ「世界」ではなく「進化しない闘争心」を対象にしていた
ニュータイプへの覚醒と言う漠然とした目標でも、行動の対象はちゃんと特定していたのだ
イデオンでも巨大なイデに翻弄されてるが運命を呪う前に明確な敵を憎んだり裏切られたりです
世界なんて言葉でしかないものを憎むなんてできるのかね



ガンダム00を見ると、「何の不満があるんだ!この世界に!」と伊佐未勇のように叫びたくなる
大量情報化社会の認識不全かな?
とにかくキャラクターみんなが「世界」「世界」というのが鼻に付く
なんだかハッキリした対象がないけど環境が悪いとか
その害悪のシステムに自分が組み込まれている時代だから対象を見失っているのか



しかし、ブレンパワードを見るとそういうのは彼女ができて家族ができて小さな仕事ができたら取りあえずは解消されるようで、別に世界などは勝手にやってくれ


俺は脳内妹の世界で恋をするから