少し前置きが長くなるので、タイトルでアクセス稼ぎをするためのチェンソーマンとタコピーの原罪の話はちょっとあとに書く。一応どちらも全話読んでいるし、好きな作品だ。
ところで、僕はハンドルネームがヌ・リョウグ・ダ(コルキスの電気羊種怪人)ということからもわかるようにグロンギ怪人であり殺人欲求が”あった”。
読者諸氏に注意していただきたいのは、あくまで殺人欲求が「あった」というのは過去形であり、現在は人類に対しては殺す価値もないと思っているので殺人示唆とかそういう感じで通報しないでほしい。
ともかく、僕は重度の鬱病で自己肯定感が低く、自殺願望もある加藤智大世代だったので、特攻願望があった。人口削減論者でもあるので一人でも多くの人類を減らすためにこの命を捧げる願望を抱いていた時期があった。自己肯定感がある健常者の人にはわからないのかもしれないんですけど、生きているだけで体中に不快感があったり、心臓に激痛が走ったり逆に心臓に杭を打ち込みたい生理的な言葉では言い表せない自殺衝動感覚がある。(不眠やPTSDなど、病状自体は実は今のほうが悪化しているのだが)
なので時刻表トリックとか…(以下、3行抹消)を調べていた時期があった。
その時期の自分であれば、ホームセンターにはチェンソーや電ノコや■■■や○○○が販売されているのでとてもワクワクした気持ちになったのだろうが、今は植物のように穏やかに過ごしたい気持ちなので、春の芽吹きに備えて庭木の手入れのための用具と肥料を淡々と購入した。
なぜ僕の殺人願望が減衰したのかと言うと、「人を殺しても、世の中は何も変わらないので、ほとんど面白みがない」ということに気づいたからです。
私は目が覚めた!この世の真実に気づいた!人間の命に価値はないのだから、わざわざ殺す価値すらもないのだ!
- 京都市長の事例
べ、別に殺人をするのが怖くなったとか日和ったとか、「殺人によって世の中を変えるのは間違っている」と思ったからではない。ましてや人命は地球よりも重いとも思っていない。歴史上明らかに人命は軽い。
僕は親が自殺して今もPTSDに苦しんでいるけど、人口削減論者でもあるので「親が消費する分の資源が浮いた」と思っている面もある。母親が自殺して一番最初に思ったことは「寝首をかかれなくてよかった」です。それくらいギリギリの家庭で育ってきた。
それに、僕だけが狂っていて人命を軽視しているわけでもなく、僕が住んでいるキョート殺伐シティーの市長も人命を軽視している。
京都市長・門川大作氏(68)が7月18日、参院選候補者の応援演説で京都アニメーションでの火災に触れ「火事は3分、10分が大事。選挙は最後の1日、2日で逆転できる」と発言。そのタイミングを疑う発言に、ネットで非難の声が殺到している。
同日朝には京都市上京区で青葉真司容疑者(41)が京都アニメーションに火を放ち、33名もの命が失われた。
その夜、門川氏は参院選候補者の応援演説に立ち「火事は3分、10分が大事。選挙は最後の1 日、2日で逆転できる」と発言した。京都新聞によると演説後、門川氏は「一般によくある標語だ。誤解があったなら、今後気をつける」と話したという。
翌日、改めて門川氏は「今回の私の発言は、事件について多くの方が不安や悲痛な思いを抱かれている中、不適切であり、心からおわび申し上げます」と謝罪。しかし、Twitterでは怒りの声が止まない。
《京アニの火災でまだ被災者が建物の中に残されているのに 火事の標語に例えて選挙演説に使って一般に使われているから誤解で今後は気を付けるとか 完全に無神経な他人事で許せない》
CNNやBBCもそれぞれのWeb媒体で報道し、フランスやスウェーデンといった国々の大使館もTwitterでコメントを発表している。Apple社のCEOであるティム・クック氏も19日にTwitterを更新。京都アニメーションを「世界で最も才能のあるアニメーターや夢を持った人々のホーム」と評し、日本語で《心よりご冥福をお祈りいたします》と追悼している。
門川大作は市長という要職にあるにもかかわらず、大規模火災を認識していない。そして普通の台所火災と同じレベルだと思って「火事は3分、10分の対応が大事」と抜かした。
もちろん私は台所火災もよくないし不幸なことだとは思うが、放火による爆発的火災と台所火災は完全に規模も性質も違う。それを理解していない門川大作市長は倫理観が欠如している上に、危機管理能力と情報処理能力と想像力、思考力の点で市長という要職にふさわしくない無能だと判断せざるを得ない。
しかも、京都アニメーションの火災は鎮火にも時間がかかっていたので、現場の京都市伏見区も管轄する市長としては災害として認識して行動すべきだった。もちろん市長は政治家であるので緊急時には専門家の消防署員に比べると、特に役には立たないのだが、せめて心配くらいはできただろう。
だが、心配もせず、被害の規模を調べることもせず、犠牲者や被害者の苦しみを想像もせず、政治家として参院選の応援演説に出かけることを選んだ。そして、そこで京都アニメーションの火災を「話のタネ」レベルに扱った。
結局民主主義国家の職業政治家にとっては自分が治める土地の民の安全や苦痛よりも、職業政治家同士の応援演説での人間関係やコネクションや政界でのポジションのほうが大事なのだろう。門川大作市長や職業政治家にとっては統治や市民の生活や市内の事件よりも「選挙」という「就職活動」が一番の関心事で、人が死ぬ大火災であっても、「就職活動」に比べたら「話のタネ」の一つにすぎないのだ。
(中略)
大衆は人が殺された時にそれを侮辱するような権力者であっても、京アニのアニメで楽しんでいるアニメファンでも、自分がおこぼれに預かれればいいという気高さのない、羅生門の盗人のようなレ・ミゼラブルのテナルディエのような態度なのだ。そして、ジャン・バルジャンは死ぬが、革命は起きず、テナルディエのような卑怯者が生きつづけるのが娑婆世界だとヴィクトル・ユーゴーも書いたのだ。ああ、無情。
なんやかんやで候補者討論会にも行き、肉眼で候補者の喋り方や意見を観測した結果、福山和人氏を応援することにして、地域の共産党の選挙ボランティアに協力した。
国政では滅茶苦茶仲が悪い態度をしている自民党と立憲民主党だが、地方選挙では対共産党として結託するのだ。政治なんてそんなもんだよ。政治家もお金と生活がほしいからな。
僕みたいに「人の命を侮辱するやつが自分の上に要るのは気に食わない」という個人的なプライドや美学が理由で既存権力システムの代表に反対する無職の方が珍しいのだ。
そう、このころにはまだ、人命を侮辱してはいけないという程度には命の価値を認識していた。
候補者討論会では岡田以蔵をやればできる間合いだったけど、このころにはまだ、古臭いテロではなく民主主義選挙で堂々と落とすべきという倫理観があった。
しかし、新聞にデカデカと反共広告が載って門川大作は当選したのだった。
京都新聞に掲載された「赤狩り」広告
1月26日付の「京都新聞」に門川大作さんの支持団体である「未来の京都をつくる会」が広告を出したのですが、そこには「大切な京都に共産党の市長は『NO』」という強烈なキャッチコピーが書かれていたのです。
参考までに、福山和人さんは共産党に推薦こそされているものの、共産党の公認候補ではないので、これはこれでデマなんですが、驚くべきは「ONE TEAMで京都の未来を守りましょう」と、門川大作さんを支持する著名人が並び、女優の夏木マリさん、俳優の榎木孝明さん、日本画家の千住博さん、放送作家の小山薫堂さんなどの顔と名前が掲載されていたのですが、なんと、許可を取らずに使っていたことが発覚したのです。
結局、京都市民というのは「共産党でなければ誰でもいい」という程度の思考回路しか持っていないのである。まあ、市議会では共産党議員も3割位いるし、地域の共産党組織は主婦層と高齢者の地域互助会という側面もあるが。(あんまり学生運動っぽい人は見なかった)
そして、当選してから後出しで門川大作市長は
「京都市の財政は悪化しているので地下鉄やバスの高齢乗車券や保育園の代金を値上げする」などと言ってる。 選挙期間中は高齢乗車券の価格は維持すると言っていたが、当選してから悪材料を出す。しかし、任天堂や京セラや寺社仏閣に増税するような度胸はないのである。利権である。大会社が移転したら怖いのである。だから逃げ出せない弱いものから金を取る。個人的には京セラ美術館に改名されてどっちが国立だったかよくわからなくなった。
あと、たまこまーけっとの舞台になった出町桝形商店街の当時の町長さんは当時は交流ノートなどでオタクをもてなしてくれていたが、その縁で選挙の話をしにいったら店内に安倍晋三首相(当時)のポスターがデカデカと何枚も貼ってあったので、ああ、駄目だなって思った。
維新系候補の村上氏も選挙戦最終日の演説で「私が落選して、京都の財政が悪化して、未来の子どもたちに『なんで私達は貧しいの』と聞かれた時に、『京都は共産党と部落が強いから』と言い訳をするんですか!」と差別意識に訴えていた。京都はそういう町だよ。祇園祭の町衆と御土居の外の洛外の賤民とはヒエラルキーがある。
個人的には、京都市が財政悪化したのは共産党や被差別部落地域のせいではなく行政当事者の失政のせいだと思うのだが。村上氏は当時は市議でもあったので門川大作を批判するのは避けたのであろう。
おそらく次の選挙では門川大作は高齢のため出馬しないだろう。そして地盤を引き継いだ少し若い人が京都市長になって、裏側の権力システムは維持されると思う。
今も僕は京都市民を街で見れば、人が大勢死ぬ当日に、それを侮辱するような権力者を支持して平気な、羅生門の下人のような利己主義者に見えてしまう。まあ、僕も個人主義だし共産党とは一回で縁を切った。
PRAY for KYOANI、諸行無常の響きあり。
それで僕は「もういいかな? こんなのは、もう、救われない。 救う価値もない」
と、機動戦士クロスボーン・ガンダム DUSTの首切り王エヴァンス・ジルベスターのように思ったのだ。諦めた。トビア・アロナクスみたいに強く生きられない。できるのは嫌いなやつの邪魔っていうくらい。
幸いにして現代は宇宙戦国時代ではないので自分が生きるために他人を殺して奪う必要はない。閃光のハサウェイほどのコネもない。ただ、脳と物理現実の間に壁を作る。グロンギ怪人という人格を作って自我を守っている。
- マキマさんとハッピー星人
と、ここまではよくある選挙に負けた思い出話なんですけど。
タコピーの原罪というジャンプ漫画が現在はやっている。僕は内容はともかく小学生が可愛く描かれているのでいいと思うけど。
チェンソーマンはマキマさんに滅茶苦茶にされるデンジくんが面白かったので全部読んだ。他のジャンプ漫画で全部読んだのは少ない。強めの女に人生が滅茶苦茶にされるの、性癖。
ただ、マキマさんはチェンソーマンや悪魔の力でたくさん人を殺して、「命を消費することで」「悪を除去し」「いい世界」を作ろうとした。
反面、タコピーの原罪では子どもが理不尽に何度も死ぬ。タイムリープなどのギミックを使って、子どもが何度も死ぬ。死ぬっていうか殺される。
しかし、子どもの「命が消費され」ても、タコピーの原罪では「悪は存在し続け」「世界は変わらない」。
チェンソーマンの第二部は僕も楽しみだが、この一年の間で「人が大勢死ぬ程度では世の中は全く変わらないし、変わろうともしない」という事例を京都アニメーションの火災とかその劣化コピーみたいな通り魔とか、逆にもっと規模の大きい大国の戦争とオリンピックなどを見て観測した。コロナウイルス周辺の人間関係は複雑なので判断保留。
他人が死ぬ、程度のことでは人は本質的には変わらない。自分が生きるための損得勘定のほうが圧倒的に優先される。
僕も母親が自殺して一番最初に思ったことは「僕の寝首をかかないで死んでくれてありがとう」だった。自死遺族ですら、そうなのだ。
それでもそれなりに辛かったので自死遺族互助会に通っていた時期もあった。しかし、自殺予防のための大きな集会で、その互助会の代表が「我々の活動が実り、自殺者は3万人から2万人台に減った」と喜んでいた。僕の母親は2万人台の方なんだけど。
多くの自死遺族の話を聞いている、自分も自死遺族の人でも、組織のためには人の死を利用するのだ。
人の死は結局、統計データでしかない。それは生きている人間によって、自分の活動に有利なように曲解して使用される。
だから抗議の自殺は悪いとか損と言うより無意味なので、苦痛からの開放の安楽死以外はしないほうがいいと思う。
みんなが戦争の話題をしているから戦争の話題をするというのも、オリンピックがテレビでやってるから普段興味のないスポーツの話をするのと同じくらいダサいと思うんだけど。
右派も左派もミリオタも福祉活動家も戦争の話題を持論の政治的ポジションの補強に利用しているのがツイッターで散見される。人の死を利用して侮辱するのはいけない、なんて思う方が奇特なのだ。風の谷のナウシカくらいの変人だ。
話をチェンソーマンとタコピーの原罪に戻すが。「悪を除去すれば善が残る」と考えたマキマさんや藤本タツキ先生はかなりの楽天主義者、ポリアンナイストでは?マキマさんは人類や世界の善性を信じているので、悪女ではなく、めっちゃ善人の恋する乙女なのでは?
実際、国に歪んで育てられたらしい人生をリセットされた支配の悪魔は人畜無害になった。(善人になった、とまでは言えないけど。第二部でどうなるか)
それに比べてタコピーの原罪では子どもが命を投げ出したり殺されたところで、タイムリープして平行世界に行っても、世界の悪はなんにも変わらない、なぜなら人間の生活や本能自体が悪だからだ。そういうタコピーの原罪のほうが絶望が深い。いや、後編でどうなるかわからんけどな。
「人の性、悪なり」という梶原一騎っぽさの後継者としてのタコピーの原罪なあ。
で、今の僕の気分はチェンソーマンみたいな無敵のヒーローの力で悪者を除去するっていうよりは、単純に人間は悪いし救いはない、そういう生き物だから、という方に近い。
悪を除去すれば世界が良くなるとか、人口を減らせば人類全体の延命になるとか思っていた、ギレン・ザビみたいな殺人衝動や進歩史観があった頃の僕のほうが間違っていたのだ。
アンパンマンのばいきんまんを洗っても、きれいなばいきんまんにはならず、小さいばいきんまんになるだけで、来週には普通に悪いばいきんまんにもどる。
人間はどれだけ他人が殺されたところで反省も進歩もしない。自分が殺されるかどうかという時点にのみリアリティがあるだけで、他人の死は記号。
うちは悪趣味な血天井で有名な源光庵の檀家であるが、コロナウィルス感染症流行に伴い、法事の時に僧侶が来なくなった。僧侶がいなくても父親は命日とお盆には仏壇を飾り立てて線香を上げる会をする。5分で終わる。しかし、僧侶がいたときと物理的には全く何の変わりもない。(でも寺からは檀家料の無心の手紙は届く)
母親と毎日ケンカをしていた母方の祖母は、後妻業の女で、義理の祖父の連れ子、僕の義理の伯父が自殺したのでその家を追い出されて、うちに押し付けられた。そして母親が自殺したおかげで介護点数がアップして特別養護老人ホームに優先して入居し、今年で90歳になる。
自殺ではなく事故だという見え見えの嘘を信じ込んで、毎日健康体操をしておる。
毎日同じ時間に老人ホームの祖母から、毎日同じものを買ってこいというボケた電話がかかってくるので着信拒否した。そしたら他の親戚連中に電話しまくるようになり、僕が頭を下げることに。
子どもが死んだって老人はなんとも思わないんだよ。自分が生きることのほうが優先される。何十年生きていてもそうなのだ。
むしろ祖母の妹の大叔母は母親が自殺したことに心を痛めて初盆で僕と五山の送り火に祈ってくれたのだが、心を痛めたせいで痴呆になって祖母より先に死んだ。不感症のほうが楽なんだよ。
ていうかそもそも僕は陸軍中野学校出身のスパイだった祖父が戦争犯罪を隠蔽して戸籍を捏造して生き延びて戦後も公安幹部をしていたおかげで産まれた、戦争によって不法作出された怪獣なんですよね。法の正義に従っていたら僕はいないんですよ。存在の最初から悪というか。
- 平和的絶望
まあ、こういう僕の両極端な考えも、ガンダムとイデオンの間を揺れてるだけというか、太宰治と三島由紀夫の間で揺れているだけというか。
よくあるやつで、大して珍しい思考ではないのですが。
でも、いざ戦争になってみると「あいつを殺せば自分は幸せになるのではないか」「悪いやつを排除すれば世の中は良くなるのではないか」「死んで見せれば周りも反省してくれるのではないか」という中途半端な希望の方が殺意の動機になりやすい気がしている。
中途半端に命に価値があると思うから殺したり生き延びたりするために暴力を振るったり他人を傷つけたりするんだ。そして他人から奪って生き延びたところで、どうせ120年も生きられず、絶対に死ぬ。
大切な誰かを守るために殺す相手にも大切な誰かがいるらしいので、別に最初からどっちでもいいじゃん。人間は交尾から1年弱で生産されるけど、火薬の材料や石油もウランも限られた資源。
今の僕は誰が何人死のうが誰も何も変わらない、ただちょっと金が左右を行ったり来たりするだけ、という水木しげる先生みたいな絶望を感じている。いや、水木しげる先生はもっと頑張ってたと思うけど。
自分は世界において何の意味も影響力もない野生動物であるという静かな絶望。そっちのほうが中途半端に未来に博打を打つ希望よりも穏やかなのではないかという、風の谷のナウシカの庭の主のような考えです。
そんな気持ちで、チェンソーを買うことなく、庭の手入れのための用具を買ってホームセンターを後にした。というただの日記です。
いやー、僕も刃が丸くなりましたねえ。
世界は変わらないし、生死は尊重されない。救いはない。モンテ・クリストの財宝はない。
しかし、面白い漫画を読んだり、アニメがちょっと面白かったり、アイマスのライブが楽しかったり、自分を過労死寸前に追い込んだKLabがラブライブのゲームを売り飛ばして新作ソシャゲが爆死して株価が上場来安値に近づいたり、病気になったり害虫が発生したりするけど庭の木が花をつけたり、そういう、「ちょっとしたいいこと」はある。ちょっとだけだけどね。
出崎統のCLANNAD!!!
- 現実逃避
こんなくだらない日記を書くだけで午前3時になってしまった。やはり僕は自分の文章に絶望しきれていないのだろうな。あと、パソコンの文字変換速度が遅くなった。借金があるけどパソコンを買い換えよう。
さすがに2台連続で読者の人に買ってもらうというのは良心が咎める。
脳内妹をVTuberにしてほしいという意見もあったが、妹本人に「You Tube配信グラボに金をかけて高いパソコンを買うより、今かけてなくてアイディアだけ放り出している文章コンテンツを先に書きなよ。G-レコの感想文も途中じゃん」とたしなめられた。
まあ、借金の大半はアイドルマスターシンデレラガールズの大槻唯ちゃんなんですけど。いや、ちゃんとギリギリまで営業コミュを読んで石を集めた上での限定天井ですけど!かわいいアクリルスタンドを買った感じでデレステにCGが実装される感じ・・・。
人間の命や戦争に僕は価値を感じないようになったけど、花や芸術、かわいい非実在青少年の画像は美しいと思う。最近は散歩が趣味だ。いろんな家の庭を見たり公園や遺構を見たりするのが好きだ。実は地学を専攻していたので雲や星を見るだけでも割と面白かったりする。実際、2日にいっぺん1万歩歩く感じにすると、3ヶ月で8キロ痩せた。
だから、戦争をネタに「俺は現実に詳しい」と主張するインターネットの記事やツイートは無視する。
他人の戦争は他人の現実。僕の現実は目と耳などから入る電気信号。
だから時事問題を無視して、ひたすらアイマスやアイカツ!やプリキュアや明日ちゃんのセーラー服とか美少女イラストをRTしていいねする。(まあ、人間は戦争と関係なく糞だという絶望の種も撒くが)
古来、戦争も悪事も絶えないが、アイマスのアイドルも300人くらい居るのでほぼ毎日が誰かの誕生日です。他の美少女コンテンツも含めたら、存在しない美少女の生誕を祝わない日はない!毎日がひなまつりなのです〜〜〜〜!
そうするとツイッターの人工知能?がリツイートやいいねに基づくおすすめとして、さらに美少女のイラストがタイムラインに挿入される。戦争や政治の話題ばかりしている人のタイムラインには戦争や政治の話題ばかりおすすめされると思うが、美少女のイラストを見てたほうがいいと思うなあ〜〜〜。
絵師が俺にいいねされてタイムラインに絵を流して!
俺がツイッターにおすすめされた絵師の絵ェ見て回復…!
永久機関が完成しちまったなアア〜!!
これでノーベル賞は俺んモンだぜ〜!!
戦争と敵意の話題で頭がいっぱいタイムラインより美少女いっぱいお花畑のほうが勝ちだろ!!
どうせ誰が勝とうが俺の借金は減らない!(ていうか僕は人類の敵の怪人なのでどっちの味方もしないよ)(小泉改革で医療費負担は増えた)
「現地の友人からの報告です!」みたいな情報の真偽を検証するのは情報戦時代には難しいんだけど。美少女イラストが可愛いかどうかくらいは股間でわかるぜ!
戦争だろうが平和だろうが死に方はどっちみち選べないんだけど、悪意文章を見るか、かわいいイラストを見るかは選べる!ネットが死んでも買い貯めた画集がある!
ああああああ〜〜〜
久世しずかさんかわいいので好き。人生を滅茶苦茶にされたい。(まあ、僕は国家認定精神障害者なので、とっくにおかしくなっているのだが)
そして、アホみたいにテンションを上げて駄文を描き終わった後は、うつの発作が始まるのです!!
ギャイアグレーイ!ボドドドドー!みたいなメタルを聞きながらじゃないと外部刺激低下によるPTSD発作が起こるのでお風呂に入れない…。小学生なので…。お風呂やだなー。
でも流石にニチアサお風呂グッズを買う金はない。
- ほしい物リスト。
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↑グダちん用
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匿名で住所を伏せてプレゼントを送るための、つかいかた
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